モンキー・パンチ

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モンキー・パンチ
本名 加藤 一彦
(かとう かずひこ)
生誕 1937年5月26日(77歳)
日本の旗 日本北海道厚岸郡浜中町
国籍 日本
職業 漫画家
デジタルクリエイター
教授
活動期間 1965年 -
ジャンル 青年漫画
代表作 ルパン三世
一宿一飯』 など
受賞 1980年代以降:INKPOT賞
ローマ・コミックフェスティバルROMICS金賞
AMD Award功労賞
公式サイト 公式サイト
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モンキー・パンチ(本名:加藤 一彦(かとう かずひこ)、1937年5月26日 - )は、日本漫画家デジタルクリエーター大手前大学教授東京工科大学メディア学部客員教授北海道厚岸郡浜中町出身。代表作に『ルパン三世』・『一宿一飯』など。

来歴[編集]

北海道霧多布高等学校を経て、東海大学専門学校電気科中退。

アメコミ雑誌「MAD」の影響を多大に受けて、漫画を描き始め、高校卒業後すぐに上京、「加東一彦」のペンネームで貸本専門の出版社で漫画家アルバイトをした後、1965年に、「がむた永二」のペンネームにて『プレイボーイ入門』で本格的なデビューを果たす。ほかに「加東一彦」、「かとう・一彦」のペンネームも併せて使用していた。

1966年、ペンネームを「モンキー・パンチ」に改名し、1967年、『WEEKLY漫画アクション』(双葉社)8月10日創刊号より「ルブラン原作」表記で「ルパン三世」の連載(2年間)を始める。これが現在も継続してアニメ化されるほどの大ヒットとなり、出世作にして代表作となった。『ルパン三世』は、主に一彦が物語やキャラクターを考え、絵は共同作業という形をとった。

1980年代以降、サンディエゴ・コミックコンベンションにてINKPOT賞、ローマ・コミックフェスティバルROMICS金賞、AMD Award功労賞を受賞し、国内外から注目されている。

2003年4月、66歳にして、「きちんとした勉強をしないと、これ以上先に進めない」と考え、東京工科大学大学院メディア学研究科メディア学専攻(現・バイオ・情報メディア研究科メディアサイエンス専攻)修士課程(現・博士前期課程)に入学し、2005年3月 に修了した。

2005年4月より、大手前大学人文科学部メディア・芸術学科マンガ・アニメーションコース教授(2007年4月より、メディア・芸術学部マンガ・アニメーション系)。

2010年5月より、東京工科大学メディア学部客員教授に就任[1]

人物・エピソード[編集]

血液型AB型。ペンネームの「モンキー・パンチ」とはもともと兄弟である加藤輝彦との共作ネームだったが、現在は加藤一彦ひとりを指すことが多い。実家は漁師。学生時代は地元唯一の医師である道下俊一の元でレントゲンの助手などを行っており、漫画で患者を和ませていた。

作風が西欧風なのは、国外特にアメリカの雑誌の漫画も読んでいて影響を受けたからと言われる。「モンキー・パンチ」というペンネームは、その西欧風の作風と併せて「どこの国籍の人が描いているか分からなくする」ために、双葉社からつけられた。当初、加藤本人はこのペンネームを不満に思い一年ほどの暫定的なペンネームのつもりでいたが、この名が有名になりすぎて本名を名乗れなくなったことについては複雑な思いがあると後年語っている[2]。ルパン三世等の作品の話のラストのコマに書かれているサインはカタカナではなく、ひらがなで「もんきーぱんち.」(「も」はハート型)と書かれている。

浜中町の僻地医療を描いた「プロジェクトX」(NHK)に、道下俊一医師の助手として出演歴あり。ここで紹介された診療所と同名の施設を『ルパン三世』の『健在ルパン帝国』にて登場させたこともある。フジテレビで放送された「潮風の診療所〜岬のドクター奮戦記〜」の中ではモンキー・パンチを世に送り出すきっかけをつくった道下医師の事及び本人の若き日々が描かれていた。

モンキー・パンチはあくまでルパン三世を「悪漢の大泥棒」として描きあげたが、原作よりも人気の高いアニメや映画などでは「心優しい大泥棒」ルパンという設定で、原作とは大きく性格が異なる。アニメではモンキー・パンチ本人が初めて監督を務めたとき、「敵を後ろから刺す」というシーンでディレクターに「ルパンはそんなキャラではない」と言われ、作者であるにも関わらず却下されてしまった。ルパンや次元大介石川五ェ門銭形警部峰不二子のキャラクターは、アニメ及び映画の性格設定がよく浸透している。

アニメ映画『トムとジェリー』の掛け合いが好きで、そのままルパン三世の世界として採用しており、銭形警部はトム、ルパン三世はジェリーをモデルにしている[3]。トムとジェリーが心の底から好きだったため、原作者に会いに渡米した、作者からルパン三世をモチーフにしたイラストを色紙に書いてもらっている。

アップル社のパソコンの初期からのユーザーとしても有名である。Apple IIで作画を試みたことがあるが、当時のコンピュータは描画能力があまりにも低く、漫画が描けるレベルでの作画は不可能だった。現在ではアップル社のMacintosh(Mac)とワコムの液晶ペンタブレットを利用して作画している。漫画のデジタル表現に関する研究を目的としたデジタルマンガ協会(2003年発足)の発起人となり、2012年まで会長を務めた。

また、無類のオーディオ・ビジュアルマニアとしても知られ、世界初の家庭用4KプロジェクターSony VPL-VW1000ESや現代ハイエンドの一角を担うスピーカーJBL DD67000などのウルトラハイエンドな機器をいち早く取り入れた、マニア垂涎のホームシアターシステムを自宅に構築している。

現在は千葉県佐倉市在住で、佐倉市広報カレンダーの作画も担当している。将来、自らキャラクターデザインを行いCGを駆使したハイクオリティーのアニメ映画を製作するのが夢という。「日本マンガ塾」講師も勤めている。

おもな漫画作品[編集]

その他[編集]

関連項目[編集]

出身地の浜中町(JAはまなかエリア区域の厚岸町トライベツ地区も含む)では、観光客の誘致による観光客の増加を目的とした地域振興の一環として「ルパン三世はまなか宝島プラン」と称した再生プロジェクトを実施している[4]。このプロジェクトの実施により、浜中町内では主要な箇所にルパンファミリーのイラストを見ることができ、JAはまなかの地区案内マップの大きな看板にはルパンや次元などが吹き出し入りで描かれている(ルパン「よく来たな。おいらが○○を案内するぜ!」次元「よく来たな。○○はこの次元が案内するぜ!」不二子「よく来たわね。○○はあたしが案内するわ!」など)。また、各牧場・農家の入口看板にもモンキー・パンチの絵が使用され、霧多布温泉ゆうゆではルパングッズも販売されている[5]
浜中町を通っている根室本線では2012年4月1日より、JR北海道キハ54形気動車の1両(キハ54 522)にルパンファミリーのラッピングが施された列車を運転している(まれに釧網本線などの路線で運行されることもある)[6]
同町で運行されているくしろバス霧多布中央ハイヤーの車両にもルパンファミリーのラッピング車両がある。
生まれ故郷を舞台にした作品には『ルパン三世 霧のエリューシヴ』がある。「ルパン三世生誕40周年記念作品」として、2007年7月27日に『金曜ロードショー』で放映された。
かつて『週刊少年ジャンプ』に短期掲載されていた読みきり漫画『ヌスット』の作者。絵柄が似ていることから「同一人物か弟ではないか」との説があったが、別人である。

脚注[編集]

外部リンク[編集]