鳥山明

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鳥山 明
Akira Toriyama.jpg
生誕 1955年4月5日(59歳)
日本の旗 日本愛知県名古屋市
国籍 日本の旗 日本
職業 漫画家
デザイナー
活動期間 1978年 -
ジャンル 少年漫画
代表作 ドラゴンボール
Dr.スランプ
ドラゴンクエストシリーズ』(キャラクターデザイン)
受賞 第27回小学館漫画賞少年少女部門(『Dr.スランプ』)
第40回アングレーム国際漫画祭40周年記念特別賞
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鳥山 明(とりやま あきら、1955年4月5日 - )は、日本漫画家デザイナー愛知県名古屋市出身[1]。同県の清須市に在住(合併前は清洲町)[2]。プロダクションは「BIRD STUDIO」(バードスタジオ)。牡羊座。A型。身長173㎝。妻は漫画家のみかみなち。

概要[編集]

1978年に『週刊少年ジャンプ』にて読み切り作品『ワンダーアイランド』でデビュー。集英社との専属契約下で『週刊少年ジャンプ』などジャンプ系列誌に作品を発表。代表作『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』はいずれもテレビアニメ化され、1981年から1999年にかけてフジテレビ系列の毎週水曜19:00 - 19:30は『Dr.スランプ アラレちゃん』から始まり、『ドラゴンボール』『ドラゴンボールZ』『ドラゴンボールGT』『ドクタースランプ』と、長期に渡り鳥山原作のアニメが放映されていた。

『Dr.スランプ』で第27回(1981年度)小学館漫画賞少年少女部門受賞。『ドラゴンボール』で2006年日本のメディア芸術100選マンガ部門3位選出。2013年に開催された第40回アングレーム国際漫画祭では、40周年記念特別賞を受賞している[3]

漫画家としての活動の合間にデザイナーとしても活動し、『ドラゴンクエストシリーズ』などのゲームやマスコットキャラクターデザイン、プラモデルや車などのデザインを多数手掛けている。

来歴[編集]

幼少時代[編集]

初代担当編集者の鳥嶋和彦によると、家は貧しかったが両親ともにのんびり屋の性格で、夕食代にも事欠く時でも代わりにと2人でワルツを踊るような人だった。鳥山自身は絵を描くことが好きで、腹を空かせながら漫画を描くのを唯一の楽しみにしていた[4]。当時通っていた絵画教室で描いた『101匹わんちゃん大行進』が表彰されたことで自信を持ったといい[5]、小学校の写生コンクールで数回入賞し、高校時代には美化キャンペーンのポスターで全国高校生の部で入賞している[6]

幼少時は漫画やアニメに熱中したが、小学校高学年以降は映画やテレビドラマに興味の対象が移り、漫画に触れる機会が無くなっていた[7]。しかし、絵を描くことは変わらず好きで自信もあったため、1974年愛知県立起工業高等学校デザイン科に進学した。高校時代はマンガ研究同好会に所属し、同好会の会長にもなったが漫画を描くことはなかったという。

デビューまでの経緯[編集]

高校卒業後、絵を描く仕事に就きたいと思いデザイン会社に就職したが、レタリング作業が仕事のメインになり嫌気が差して約2年半ほどで退職。本人は「わずかでも世間の仕組みを知ることが出来てムダではなかった」と述べている[8]

退職後はアルバイトで広告イラストを多数手掛けていたが、その頃、偶然手に取った『週刊少年マガジン』で、新人賞の作品募集の記事を見つける。入賞すると賞金50万円が手に入ることを知り、23歳にして初めて漫画を描き始めた。結局、締め切りには間に合わなかったため、『週刊少年ジャンプ』の新人賞であるヤングジャンプ賞へ作品を投稿するようになる[9]。この頃は『スター・ウォーズ』のパロディなどを描いており[10]、一部の作品は後にファンクラブの会報に掲載された。

投稿した作品は入賞には及ばないものの[11]、鳥山の投稿作品を目にした『週刊少年ジャンプ』の編集者鳥嶋和彦は作中の描き文字(擬音、擬態語など、写植以外の文字のこと)をカタカナでなくアルファベットを使用していることや、対象を様々な角度から描けること、絵が丁寧に描き込まれていることにセンスを感じ[10]「今は下手だが頑張れば何とかなるかも」とアドバイスをし[12]、担当編集者となった。鳥山は厳しくネームのボツ(不採用)を出す鳥嶋のもとで懸命に修行することになる。この間のボツ原稿の総量は、1年で500ページにも及んだ[13]

デビュー前は、水田二期作(みずたにきさく)というペンネームを使おうとも考えたが「どうせ売れる訳がない」と結局本名で通した。しかし「鳥山明」という名前は愛知県には数軒しか存在しなかったためイタズラ電話がよくかかって来たことが[14]漫画家になって一番後悔したことだと言う[9]

Dr.スランプの連載[編集]

1978年、『週刊少年ジャンプ』にて読み切り作品『ワンダー・アイランド』でデビューを飾るも、アンケート結果は最下位であり[15]、その後『週刊少年ジャンプ』本誌や増刊号で発表した短編作品の人気も、芳しいものではなかった。鳥嶋に促されて描いた1979年の読み切り作品『ギャル刑事トマト』は、鳥山が本来苦手とする女性を主人公とした作品だったが、評判が良かったため『週刊少年ジャンプ』での連載が決まった。

1980年に『Dr.スランプ』の連載を開始。鳥山は当初、自称天才科学者の則巻千兵衛を主役と考えていたが、鳥嶋のアドバイスを受け、少女アンドロイドの則巻アラレを主人公に配し、千兵衛は脇に据えた[16]。これが功を奏して人気作となり、1981年より『Dr.スランプ アラレちゃん』としてTVアニメ化され、最高視聴率36.9%を記録、歴代アニメ最高視聴率で3位になる[17]など大ヒットアニメとなった。

連載1年目は、睡眠は3日に1回[18]、最高記録となる6日連続徹夜[9]、ペン入れの記憶がない回がある[19]などと多忙を極めた。

ドラゴンボールの連載[編集]

1984年にアイディアの不足を理由に『Dr.スランプ』の連載を終了したものの、間を空けず『ドラゴンボール』の連載を開始する。当初は西遊記格闘漫画の要素を加えた、孫悟空という少年の冒険譚であり、アンケートで反響も無く人気は低迷していた[9]が、格闘大会天下一武道会で人気が出たのをきっかけに、次々に登場する強敵・難敵との戦闘をメインに据えたシリアスな物語となることで圧倒的な人気を獲得。1986年からTVアニメ化され、1997年まで放送されたシリーズは、平均視聴率20%を維持する[20]などし、国民的アニメとも言われた。

1980年から90年代の「(週刊少年)ジャンプ黄金時代」を支えた立役者であり、当時編集長を務めた西村繁男は、「『週刊少年ジャンプ』発行部数600万部達成の快挙は、鳥山明の破壊的なパワーを借りて初めて実現し得たことは、誰も否定できないだろう」と評価している[21]

ドラゴンクエスト[編集]

ドラゴンクエストシリーズ』のキャラクター、モンスターデザインを1986年の第1作『ドラゴンクエスト』から担当している。堀井雄二の描いたラフ絵を元にデザインしているものもあるが、スライムに代表されるように(堀井のラフ絵では、スライムはドロドロの液体状のモンスターで、目も口もない)自分のアレンジを加えており、キャラクターデザインに至ってはほとんど別物になっている。なお専属契約上の問題で公式攻略本にはイラストが載せられず、鳥山の絵が掲載されているのは集英社から出ているファミコン神拳奥義大全書やVジャンプブックスゲームシリーズに限られている。このため、公式攻略本では鳥山明風の作画ができる村上ゆみ子などに委託している。

その後の活動[編集]

『ドラゴンボール』が連載誌のみならず、集英社の株価にも影響を及ぼす存在になったり[要出典]、テレビアニメとの関係でアニメスタッフに原稿を下描き状態で見せなければならなくなるなど、精神的にも肉体的にもハードな連載になったため、長期連載を辞めることを決断。1995年の『ドラゴンボール』の連載終了後は、従来のデザイナー仕事の合間に『週刊少年ジャンプ』およびジャンプ系列誌での読み切り、短期集中連載作品がメインになっている。1997年の短期集中連載『TOKIMECHA』を全てCGで製作したのをきっかけに、コンピューターでの作画に移行。フルカラーでの作画が多いのが特徴となっている。『SAND LAND』と『ネコマジンシリーズ』は日本国外でも翻訳出版された。

また、2002年には絵本『天使のトッチオ』を発表。2009年にはNPO「田園社会プロジェクト」が発行する環境教育教材『最終戦略 バイオスフィア』に読み切り漫画『おいしい島のウーさま』を発表。集英社との専属契約上描けないことになっているのを特別に許可してもらった[22]ものである。

2013年7月から10月まで、週刊少年ジャンプで『銀河パトロール ジャコ』を短期集中連載した。

人物[編集]

画風・作画方法[編集]

面倒くさがり
3代目編集者の武田冬門によると、『Dr.スランプ』では一番簡単だからと丸い山に木があるだけの背景にしたという[10]。『ドラゴンボール』では、描くのが大変な市街地などの背景で闘いに入るとすぐに登場人物を荒野に移動させたり[23]超サイヤ人を金髪にすることでアシスタントのベタ塗りの時間を節約させる、などのエピソードがある[24]。かつてのインタビューではマンガ製作の準備・練習が嫌いなことを公言しており、鳥嶋にも鳥山ほど資料を持っていないマンガ家はなかなかいないと言われている[25]
ただし鳥嶋は鳥山の事を「基本的な絵の勉強を漫画ではなく、デザイン画などから学んでいるため、バランス感覚が優れている」「トーンを使わないので、白と黒のバランスを取るのが非常に上手い」「背景などを描かなくても画面が持つだけの構成力とデッサン力を持っている」とも評している[10]
トーンは少なめ
漫画作品では、あまりタッチをつけない均一な線が用いられており、スクリーントーンはあまり使われない。前述のように鳥山は自身のことを非常に面倒臭がりだとしており、トーンを使わないのも、本人いわく「切ったり貼ったりするのが面倒だから、というより好きではない」という理由から。また、「トーンを切り貼りする作業は漫画を描く作業ではない」とのこと[24]。ただし、トーンが嫌いな訳ではなく、むしろ使いたいとも述べていたこともある[26]
ネームは描かない
一般的に漫画作品は、ネーム、下描き、ペン入れの工程を経て完成するが、鳥山はネームを描かずに、下描きから始める製作方法を取っている。これは「3度も描くのが面倒」と、担当編集者の鳥嶋に進言したことによる[24]。2代目担当編集者の近藤裕は「いきなり下描きが上がってくるから、描き直しをさせていいものかどうか」と、戸惑ったという[27]
様々なメカ
作中にロボットや車、バイクなどが多く登場するのも特徴のひとつで、父親がかつてバイクレーサーだった影響もあるとのこと[28]。『Dr.スランプ』では表紙や扉絵に車ばかりを描いていたら、鳥嶋に「いい加減飽きた、この漫画は車が主人公だっけ?」と嫌味を言われたことがある[29]。ただし、構造に詳しいわけではなく、専門用語などは理解できないという[30]。他にも『スター・ウォーズ』など好みのSF映画からの影響が強い。オリジナルのメカを考えるのが一番楽しいときであり、どのように乗り込むのか、どこにエンジンが付いているのかなどをきちんと考えて描いているとのこと[26]
動物好き
脇役に擬人化した動物キャラクターが多いのは、人間だけだと顔を描き分けるのが大変だからとのこと[31]。多くが人間の言葉を操るなど普通に人間社会に溶け込んでいる。元来が少年時代に「馬やチンパンジーを飼いたい」と親に駄々をこねたほどの動物好きで、犬や猫を始め、ウサギ、鳥類、魚類などの飼育を趣味としている[32]。代表的な作品にハイギョの飼育がテーマの短編作品『ハイギョのマヒマヒ』や、『Dr.スランプ』にも、村の乱暴者がブンチョウの飼育を通じて更生する、などのエピソードがある。唯一ネズミだけは苦手だったが、子供にせがまれて飼い始めたハムスターの影響で苦手意識が薄れた、と語っている[9]
CGによる制作
『ドラゴンボール』連載終了後にMacを使い始め、以降は制作過程でCGを用いたものがかなりの割合を占めており、パソコンが無ければ絵を描くのが完全に嫌になっていたとのこと[24]。デジタル化以降のカラーでは、特徴的であったメリハリの利いたアニメ絵の様な塗り方から、境界を明確にしないぼかす様な塗り方に変わっている(特に影の塗り方に顕著)。Macでの作品例として、漫画では『カジカ』、『ネコマジン』、ゲームでは『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』、『BLUE DRAGON』などが挙げられる。
恋愛マンガ嫌い
ラブコメは読めない、ダメ」と語ったことがあり[25]、ラブコメ好きの鳥嶋が出したアラレとオボッチャマン、あかねと突詰、タロウと鶴燐、悟空とブルマを恋愛させろという指示に対しては頑なに拒否し、千兵衛とみどりの結婚をあっさりと済ませ[33]、ドラゴンボールでも悟空とチチの結婚をあっさりと描いている。
話作りについて
連載での話作りは先のことをじっくりと考えて描くタイプではなく、行き当たりばったりで描いていることが多いとのこと。また、後からの辻褄合わせも多く、『ドラゴンボール』で例えると悟空がサイヤ人だったり大猿に変身できるという設定は当初まったく考えていなかったと認めている[34] 。『Dr.スランプ』でも、作中で行き当たりばったりで考えていることをネタにしていた。

趣味・嗜好[編集]

モデルガンプラモデル好き。プラモデル作りの腕前はプロ級で、株式会社タミヤの主催する1/35フィギュア改造コンテストで入賞している[35]。また愛知県唯一のプラモデルメーカーファインモールドの社長と懇意であることから、同社関連の仕事もいくつか手がけている。

歴史・地理方面には疎いらしく、織田信長の死因を知らなかった[36]

「生まれも育ちも名古屋。当然、ドラゴンズファン」[1]と語っている。『Dr.スランプ』内でもキャラクターたちが中日ドラゴンズを応援する一幕がみられる。

好きな季節はで、作品の季節感も夏が多い。本人いわく「蚊さえいなければ最高」とのこと[37]

女性の髪形ではショートカットが好みで、それは『ドラゴンボール』内では第22回天下一武道会の頃のブルマの髪形に反映されている。

読者からプレゼントされた女性用下着がヤニで黄色くなってしまう[9]ほどのヘビースモーカーであり、多い時は1日で3箱[38][39]、締め切り前は100本以上吸うこともある[40]。その一方、酒は苦手でせいぜいビールをコップ1杯程度だという[38]

『Dr.スランプ』の登場キャラクターである空豆ピースケの趣味はサイン集めだが、これは、鳥山の趣味がそのまま反映されたもの[41]。子供たちと一緒に『スーパー戦隊シリーズ』を見ていたところはまり、『ドラゴンボール』に戦隊ヒーローのパロディであるギニュー特戦隊を登場させ[42][43]、戦う時変身するという超サイヤ人のアイデアも当時子供と一緒に見ていた特撮テレビ番組からヒントを得ている[20]

人付き合いが苦手だと公言しており、家族と気の合う友人、信頼できる仕事仲間以外の人物とは積極的に会いたいとは思わないと語っている。田舎在住であるのも同じ理由からとのこと[44]。1982年に漫画家のみかみなち[45]と結婚。出会いのきっかけは、鳥山がイタズラ電話をかけたのが始まりである[46]。「あのセンスと知識にはかなわない」と妻を評している[9]

マスコミへの露出[編集]

『Dr.スランプ』連載時代は『徹子の部屋』に出演したり、NHK特集『わが青春のトキワ荘〜現代マンガ家立志伝〜』(1981年5月25日放送)に荒木飛呂彦とともに登場したり、鳥嶋の指示により『ジャンプ』誌面や『Dr.スランプ』等の単行本にも自身の写真を積極的に載せていた[9]。また、1984年の映画『ゴジラ』にエキストラで参加。本編中では確認できないが、市販もされた一部ポスターにおいては群衆の中に確認できる[47]

『ドラゴンボール』の連載後期にはマスコミなどへの露出を好まなくなり[48]、小さな町に在住しているため顔がばれるのが嫌だから[49]という理由で本人の写真が公表、掲載されることはなくなっている[50]

また、『Drスランプ』連載時には自画像は普通の人間の顔だったが、擬人化した鳥やマスク姿など変遷を繰り返し、最終的にガスマスクを着用をしたデフォルメキャラになった。照れくさいという理由による[38]

作品リスト[編集]

漫画[編集]

長期連載[編集]

短期連載・読み切り[編集]

1978年から1990年代半ばまでの大半の作品は短編作品集『鳥山明○作劇場』シリーズに収録されている。

  • あわわワールド(1978年)月例ヤングジャンプ賞投稿作品。1983年、ファンクラブ会報誌「BIRD LAND PRESS」の5〜6号に掲載。
  • 謎のレインジャック(1978年)月例ヤングジャンプ賞投稿作品。1982年、ファンクラブ会報誌「BIRD LAND PRESS」の3〜4号に掲載。
  • ワンダー・アイランド(『週刊少年ジャンプ』1978年52号)デビュー作。
  • ワンダー・アイランド2 (『少年ジャンプ』1979年1月25日増刊号)
  • 本日のハイライ島(『少年ジャンプ』1979年4月20日増刊号)
  • ギャル刑事トマト(『少年ジャンプ』1979年8月15日増刊号)
  • POLA&ROID(『週刊少年ジャンプ』1981年17号)愛読者賞1位。
  • ESCAPE(『少年ジャンプ』1982年1月増刊号)
  • MAD MATIC (『週刊少年ジャンプ』1982年12号)愛読者賞2位。
  • 鳥山明のヘタッピマンガ研究所 (『フレッシュジャンプ』1982年10月号-1984年3月号) - 原作:さくまあきら
  • PINK(『フレッシュジャンプ』1982年12月号)
  • CHOBIT (『週刊少年ジャンプ』1983年10号)愛読者賞3位。
  • CHOBIT2(『フレッシュジャンプ』1983年6月号)
  • 騎竜少年 其之壱(『フレッシュジャンプ』1983年)
  • 騎竜少年 其之弐(『フレッシュジャンプ』1983年)
  • トンプー大冒険(『週刊少年ジャンプ』1983年52号)
  • Mr.ホー(『週刊少年ジャンプ』1986年49号)
  • LADY RED『スーパージャンプ』創刊2号(週刊少年ジャンプ1987年4月10日増刊号)
  • 剣之介さま(『週刊少年ジャンプ』1987年38号)
  • SONCHOH(『週刊少年ジャンプ』1988年5号)
  • 豆次郎くん(『週刊少年ジャンプ』1988年38号)
  • ROCKY(猫十字社の同人誌『動じん誌』1989年)
  • 空丸くん日本晴れ(『週刊少年ジャンプ』1989年13号)
  • WOLF(画集『鳥山明 the world』1990年)
  • 貯金戦士キャッシュマン(週刊少年ジャンプ増刊『ブイジャンプ』1990年-1991年)全3話。
  • TRUNKS THE STORY -たったひとりの戦士-(『週刊少年ジャンプ』1992年36・37合併号)
  • DUB&PETER1(『Vジャンプ』1992年-1993年)全4話。
  • GO!GO!ACKMAN(『Vジャンプ』1993年-1994年)全11話。
  • 宇宙人ペケ(『週刊少年ジャンプ』1996年)全2話。
  • TOKIMECHA(『週刊少年ジャンプ』1997年)全3話。
  • 魔人村のBUBUL(『週刊少年ジャンプ』1997年22・23合併号)
  • COWA!(『週刊少年ジャンプ』1997年-1998年)全14話
  • カジカ(『週刊少年ジャンプ』1998年)全12話。
  • ハイギョのマヒマヒ(『週刊少年ジャンプ』1999年4・5合併号)
  • ネコマジンがいるシリーズ(『週刊少年ジャンプ』1999年)全2話。
  • ヒョータム (『e-ジャンプ[51]』2000年1月18日増刊)
  • SAND LAND(『週刊少年ジャンプ』2000年)全14話。
  • ネコマジンZシリーズ(『月刊少年ジャンプ』2001年-2005年)全5話。
  • ネコマジンみけ(『週刊少年ジャンプ』2003年)
  • こちらナメック星ドラゴン公園前派出所(『超こち亀』2006年)秋本治との合作。
  • CROSS EPOCH(『週刊少年ジャンプ』2007年4・5合併号)尾田栄一郎との合作。
  • Dr.MASHIRITO ABALEちゃん(『月刊少年ジャンプ』2007年4月号)
  • さちえちゃんグー!!(『ジャンプスクエア』2008年5月号)原作担当で作画は桂正和
  • おいしい島のウーさま(2030マガジン『最終戦略 バイオスフィア』2009年)
  • JIYA -ジヤ-(『ヤングジャンプ』2010年)全3話。原作担当で作画は桂正和。
  • KINTOKI-金目族のトキ-(『週刊少年ジャンプ』2010年50号)
  • 銀河パトロール ジャコ(『週刊少年ジャンプ』2013年)全11話。

イラスト集[編集]

  • 鳥山明 the world(1990年1月15日発行、集英社)
  • 鳥山明 THE WORLD SPECIAL(1990年9月24日発行、集英社)
  • 鳥山明の世界 AKIRA TORIYAMA EXHIBITION(1993年、1995年発行、「鳥山明の世界」展実行委員会)
  • ドラゴンボール大全集 1巻 COMPLETE ILLUSTRATIONS(1995年6月25日発行、集英社)
  • ドラゴンクエストモンスターズ 鳥山明イラストレーションズ(1996年12月23日発行、集英社)
  • ドラゴンボール超画集(2013年5月9日発売、集英社)

デザイン[編集]

コンピュータゲーム[編集]

アニメーション[編集]

テレビ番組[編集]

その他[編集]

  • さくまあきら『燃えよ!フトリッパー』(1982年)シングルレコードジャケットのイラスト
  • コアラ舎シンボルマーク(1984年)名古屋市東山動植物園にある、コアラ舎のコアラのシンボルマーク(キャラクターデザイン)
  • ギャオくん(1989年)『週刊少年ジャンプ』創刊20周年記念キャラクター。ゲーム『ファミコンジャンプ 英雄列伝』にも登場。
  • BATTLEMAN F1西ドイツホッケンハイムGP観戦記(『週刊少年ジャンプ』1990年、週刊少年ジャンプ特別編集『F1 GRAND PRIX 1990』)
  • V龍(ブイロン)(1990年)『ブイジャンプ』イメージキャラクター。後にデザインが変更され、ゲーム『ドラゴンクエストX』や『ガイストクラッシャー』にも登場。
  • ガラクタじじい、小悪魔(1991年)フジテレビ系列F1イギリスGP』番組内に放映された『週刊少年ジャンプ』のCMに登場するキャラクター。
  • 五式犬(1991年)ファインモールドマスコットキャラクター。キャラクターデザイン。
  • スーパーセンス ストーリー(1991年)ホンダの交通安全啓発用パンフレットのキャラクターデザイン。作画は東映動画(現・東映アニメーション)が担当。
  • モンモンの相撲遊戯(『週刊少年ジャンプ』1992年3・4合併号) - つの丸の読み切り漫画。他連載作家と共に協力。
  • レディ・ビー - 『Vジャンプ』1992年11月22日号のカバー原画としてデザインされた飛行艇。三面図も描き起こし、それを基にバンプレストのスタジオ・デュースによりCGイラストが作られた。後に『空想科学世界ガリバーボーイ』に登場している。
  • ファインモールド「ワールドファイターコレクション」シリーズ(1994年) - 世界各国の陸軍兵士をリアルに再現した上でコミカルにデフォルメしたプラモデルフィギュア[52]。キャラクターデザイン。
  • ファーブル昆虫記1-6巻 - 奥本大三郎編訳による集英社文庫の表紙及び扉絵を担当
  • リードン(2002年)伝説の読書龍として集英社のキャラクターとして使用
  • TOCCIO THE ANGEL てんしのトッチオ (2003年)- 絵本作品
  • QVOLT(2005年)『チョロQモーターズ』の電気自動車
  • ジャンタ(2005年)ジャンプショップオリジナルキャラクター
  • 月刊アーマーモデリング』2009年1月号表紙描き下ろしイラスト(コミカライズされた日本陸軍九七式中戦車チハと日本兵たち)、2010年11月号表紙描き下ろしイラスト
  • 『月刊アーマーモデリング』2009年1月号模型作例「1/35四式軽戦車」製作及び記事執筆(模型の車体はファインモールド製、砲塔はタミヤ製)
  • 浜崎あゆみRule/Sparkle』(2009年)初回盤ピクチャーレーベルのイラスト(映画『DRAGONBALL EVOLUTION』主題歌)
  • その他、タレントに頼まれて似顔絵を描いている(品川庄司品川祐次長課長井上聡麒麟川島明千秋[53]など)

関連人物[編集]

桂正和
鳥山同様に鳥嶋和彦によって才能を見出された一人。鳥山が「恋愛モノ」を苦手にしているのと対照的に桂は「恋愛モノ」を得意にしており、その道の第一人者。鳥山とはデビュー直後から交流があり、『ウイングマン』の作中に「生徒会トリヤマ」や「Mr.マヤリト」として鳥山が登場している。逆に『Dr.スランプ』には、非常な田舎者として桂が登場しており、番外の短編漫画でエピソードが語られている。また、悟空が界王を笑わせる為に使ったギャグは、鳥山が桂に披露したもののバカにされたといわれるものであり、フュージョンのアイディアも桂による、と述べている[54]。1984年に桂が病気療養のため約5ヶ月間『ウィングマン』の連載を中断した際、週1ページの応援作品「がんばれ!桂くん」が連載されたが、鳥山は、タイトルとタイトルバックの似顔絵(病室で寝巻き姿の桂が、元気にウイングマンの変身ポーズを決めている)を寄稿している。桂が『D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜』連載前に鳥山に相談したところ「主人公を変身させて髪の色を変えてみてはどうか」「戦わせるしかない」と言われ、不安を抱きつつ描いたら鳥山のファンから「(超サイヤ人の)マネをするな」と抗議が来たという[55]
桂、寺田克也竹谷隆之の3名について鳥山いわく「自分からは滅多に誰かに会おうとはしないが、この3人の天才に会うのは悪くない」とのことである[56]。桂とは2008年に『さちえちゃんグー!!』(読切)、2009年には『JIYA -ジヤ-』(短期連載)で共作(原作を鳥山、作画を桂が担当)しており、鳥山は「組むんだったら桂君しかありえない。文句を言ってくれる人は彼くらい」と語っている[57]
尾田栄一郎
1995年の集英社主催のパーティーで徳弘正也に同行し(当時、アシスタントをしていた)、鳥山からイラスト入りのサインを貰ったのが初対面。その後、尾田の希望で鳥山と対談して以降、さまざまな場で交流している。『天才パソコミ塾』(2002年 集英社インターナショナル)でMacを使った漫画の描き方で共演したり、2006年12月には『ONE PIECE』と『ドラゴンボール』のコラボレーション漫画『CROSS EPOCH』(『週刊少年ジャンプ』2007年04・05合併号、2006年12月25日発売)を発表した。
岸本斉史
岸本は『NARUTO』の連載が3周年を迎えたらご褒美として、鳥山のサイン色紙を貰うという約束を編集部と取り付けており、実際にサインを手に入れた際には、その喜びを『ジャンプ』の巻末コメントで語っていた。また、ナルトの連載10周年を記念して発売された『NARUTO-ナルト-秘伝・皆の書』では、鳥山がナルトのイラストや、ナルトの格好をした悟空を描いている。
大川知英(お笑いトリオ・ニブンノゴ!
『ドラゴンボール』のハリウッド化の話が出た際、一番初めに相談したほどの親友[58]

担当編集者[編集]

アシスタント[編集]

アニメーター[編集]

中鶴勝祥
「『僕こんなの書いたっけ?』と思えるほど完成度の高いイメージボードを書いてくれる」と話している[59]
山室直儀
孫悟空を書けるのはこの人しかいない」と評している[60]
芦田豊雄
影響を受けたことを公言しており、「影やハイライトの入れ方・カラーの処理の仕方に尊敬を覚えた」と話している[61][62]

出典・脚注[編集]

  1. ^ a b 『COMIC BOX』「わしの裏話」、1985年11月号。
  2. ^ INLIFE 男の履歴書 鳥山明
  3. ^ コミックナタリー - 鳥山明、仏アングレーム国際BD祭で特別賞を受賞 コミックナタリー 2013年2月5日
  4. ^ 『オタク論!』唐沢俊一・岡田斗司夫(著)創出版 2007
  5. ^ 『DRAGON BALL 大全集』6巻「鳥山明的超会見」、P216、集英社、1995年。
  6. ^ 『COMIC BOX』「ヒストリー・オブ・鳥山明」、1985年11月号。
  7. ^ 「徹子の部屋」出演時の発言より
    鳥山明「わたしはこうしてマンガ家になってしまった その3」『鳥山明○作劇場Vol.2』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1988年3月15日、ISBN 4-08-851469-6、94頁。
  8. ^ 鳥山明「わたしはこうしてマンガ家になってしまった その5」『鳥山明○作劇場Vol.2』166頁。
  9. ^ a b c d e f g h ジャンプ・コミック出版編集部編「鳥山明 ON THE ROAD」『ドラゴンボール完全版公式ガイド Dragonball LANDMARK 少年編〜フリーザ編』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、2003年12月24日、ISBN 4-08-873478-5、146-157頁。
  10. ^ a b c d 「神龍通信 第1号 歴代担当者座談会」『ドラゴンボール大全集1巻』別冊付録、集英社、1995年。
  11. ^ 『さらばわが青春の『少年ジャンプ』』pp.280
  12. ^ 鳥山明「わたしはこうしてマンガ家になってしまった その6」『鳥山明○作劇場Vol.2』184頁。
  13. ^ 鳥山明「-あのころは青かった-これをかいていたころのわし(2)ワンダー・アイランド2ギャル刑事トマトをかいていたころ」『鳥山明○作劇場Vol.1』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1983年7月15日、ISBN 4-08-851261-8、36頁。
  14. ^ 『Dr.スランプ』11巻、48ページ
  15. ^ 鳥山明「-あのころは青かった-これをかいていたころのわし(1)ワンダー・アイランドをかいていたころ」『鳥山明○作劇場Vol.1』20頁。
  16. ^ 『Dr.スランプ』16巻、48ページ
  17. ^ amazon.com
  18. ^ 『Dr.スランプ』16巻34ページ
  19. ^ 『Dr.スランプ』9巻作者コメント
  20. ^ a b ジャンプ・コミック出版編集部編「THE SECRET IN Z 知られざる『Z』」『テレビアニメ完全カイド「DRAGONBALL Z」孫悟空伝説』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、2003年10月8日、ISBN 4-08-873546-3、198-199頁。
  21. ^ 『さらばわが青春の『少年ジャンプ』』pp.282
  22. ^ 同誌あとがき
  23. ^ 渡辺彰則編「鳥山明的超会見」『ドラゴンボール大全集4巻』集英社、1995年10月9日、ISBN 4-08-782754-2、166頁。
  24. ^ a b c d ジャンプ・コミック出版編集部編「鳥山明 WITH DRAGON BALL」『ドラゴンボール完全版公式ガイド Dragonball FOREVER 人造人間編〜魔人ブウ編 ALL BOUTS & CHARACTERS』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、2004年5月5日、ISBN 4-08-873702-4、146-155頁。
  25. ^ a b 月刊アウト」1982年3月号 52ページ
  26. ^ a b 『ドラゴンボール大全集』1巻「鳥山明的超会見」
  27. ^ 「神龍通信 第2号 歴代担当者+鳥山明座談会」『ドラゴンボール大全集2巻』別冊付録、集英社、1995年。
  28. ^ 『Dr.スランプ』14巻、145ページ
  29. ^ 『Dr.スランプ』14巻、作者コメント
  30. ^ 『Dr.スランプ』12巻、作者コメント
  31. ^ 週刊少年ジャンプ特別編集『DRAGON BALL 冒険SPECIAL』139ページ
  32. ^ 『Dr.スランプ』14巻、62ページ
  33. ^ 『Dr.スランプ』16巻、130ページ
  34. ^ 鳥山明 満漢全席 1
  35. ^ 「タミヤニュース 人形改造作品集14」1986年
  36. ^ 「月刊アウト」1982年3月号 51-54ページ
  37. ^ 鳥山明『ドラゴンボール 第18巻』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1989年7月15日、ISBN 978-4-08-851615-8、カバー折り返し・作者コメント
  38. ^ a b c 週刊少年ジャンプ特別編集『DRAGON BALL 冒険SPECIAL』140ページ
  39. ^ インタビューでそう答えた当時の愛飲銘柄はキャスター
  40. ^ 「神龍通信 第4号 仕事道具紹介」『ドラゴンボール大全集4巻』別冊付録、集英社、1995年。
  41. ^ 『Dr.スランプ』11巻、110ページ
  42. ^ 『ドラゴンボール大全集2巻』264ページ
  43. ^ 『ドラゴンボール大全集3巻』207ページ
  44. ^ 「神龍通信 第1号 ちかごろのワシ」『ドラゴンボール大全集1巻』別冊付録、集英社、1995年。
  45. ^ 1976年にデビューした少女漫画家。1985年に引退している。
  46. ^ 「だからマンガ大好き」さくまあきら
  47. ^ さくまあきらホームページ:仕事人裏日記 1999年12月16日
  48. ^ 「神龍通信 第2号 ちかごろのワシ」『ドラゴンボール大全集2巻』別冊付録、集英社、1995年。
  49. ^ さくまあきらのホームページ:仕事人裏日記 2006年12月7日
  50. ^ ただし例外はあり、1996年の『週刊少年ジャンプ』の映画『ファイナル・プロジェクト』の宣伝記事にてジャッキー・チェンとツーショットの写真が掲載されている
  51. ^ 『週刊少年ジャンプ』『Vジャンプ』の共同編集
  52. ^ 『ドラゴンボール』「其之五百一 救世主登場!?」のカラー扉絵で、ファインモールドがプラモデル化した「日本陸軍九七式軽装甲車テケ」を描いてミスター・サタンを搭乗させ、その車体にFINE MOLDSと記している。
  53. ^ 『苺同盟』帯カバー、アスコム、2007年。
  54. ^ 『DRAGON BALL 大全集』6巻「鳥山明的超会見」 214-215ページ
  55. ^ 「神龍通信 第7号」『ドラゴンボール大全集7巻』別冊付録、集英社、1996年。
  56. ^ 「神龍通信 第3号 ちかごろのワシ」『ドラゴンボール大全集3巻』別冊付録、集英社、1995年。
  57. ^ 『桂正和×鳥山明共作短編集 カツラアキラ』集英社〈ヤングジャンプ・コミックス〉、194頁。
  58. ^ 2009年6月11日放送『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』で大川が語った
  59. ^ 『DRAGON BALL GTパーフェクトファイル Vol.1』より。
  60. ^ 日経BP刊『日経エンタテインメント!』2013年5月号より。
  61. ^ アニメージュ2006年4月号より。
  62. ^ 『DRAGON BALL大全集』第1巻より。

外部リンク[編集]

関連項目[編集]