こけし

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鳴子 桜井昭二のこけし

こけしとは、江戸時代末期(文政から天保期)頃から、東北地方温泉地において湯治客に土産物として売られるようになった轆轤(ろくろ)挽きの木製の人形玩具。一般的には、形の頭部と円柱の胴だけのシンプルな形態をしている。漢字表記については、名称の節参照。

概要[編集]

こけしは、伝統的な形式に則った『伝統こけし』と、これを模倣した『新型こけし』に大きく分かれる。『伝統こけし』は産地・形式・伝承経緯などにより約10種類の系統に分類される。他方『新型こけし』には、工芸的な「創作こけし」と、東北に限らず全国の観光地で土産品として売られている「こけし人形」がある。

本来の玩具としてのこけしは、幼児が握り易いよう頭部と胴体部との接続部(首)が細く、また、胴体も子供の手で握れるような直径であった。このような玩具こけしは、キューピーなどの新興玩具に押されて大正期には衰退し、転業休業する工人も増えたが、一方で大正のころから趣味人が好んでこけしを蒐集するようになり、子供の玩具から大人の翫賞物として作り続けられた。東京名古屋大阪にこけしを集める蒐集家の集まりが出来て、一時休業した工人にも再開を促し、かなりの作者の作品が幸いにも今日まで残ることとなった。

大人はこけしを立てて並べて鑑賞したため、玩具こけしの胴体部の直径では不安定で、収集家にとっては地震の際に倒れて傷付くことが悩みであった。そのため、胴体部の直径を大きくしたり、重心を低くするように工夫されたこけしも現れた。『伝統こけし』と呼ばれるこけしにも、このような時代の要請に応えた変化が見られる。ただし、作並系のこけしは胴体部が細く、全体として小さいという玩具こけしの伝統をよく残している。一方、地震で倒れることを逆手に取り、胴体部底面に埋め込まれた発光ダイオードが本体の傾きに反応して自動点灯する防災用こけしが発売されている[1]

毎年5月3日から5日まで、宮城県白石市において「全日本こけしコンクール」が開催される。最も優れた作品には、最高賞として内閣総理大臣賞が授与される。また、9月の第1土曜日曜には、宮城県大崎市鳴子において「全国こけし祭り」が開かれ、コンクールや工人の製作実演が行なわれる。

東北自動車道福島栃木県境にこけしの絵柄の標識が使用されるなど、こけしがその産地のみならず東北地方全体の象徴とされる例がある。

名称[編集]

こけしの名称は、各地によってすこしずつ異なっており、木で作った人形からきた木偶(でく)系(きでこ、でころこ、でくのぼう)、這い這い人形(母子人形説もある)からきた這子(ほうこ)系(きぼこ、こげほうこ)、芥子人形からきた芥子(けし)系(こげす、けしにんぎょう)などがあった。また一般に人形という呼び名も広く行われた。

「こけし」という表記も、戦前には多くの当て字による漢字表記(木牌子・木形子・木芥子・木削子など)があったが、1939年(昭和14年)8月に鳴子温泉で開催された全国こけし大会で、仮名書きの「こけし」に統一すべきと決議した経緯があり、現在ではもっぱら「こけし」という用語がもちいられる。

幕末期の記録「高橋長蔵文書」(1862年)によると「木地人形こふけし(こうけし)」と記されており、江戸末期から「こけし」に相当する呼称があったことがわかる。こけしの語源としては諸説あるが、木で作った芥子人形というのが有力で、特に仙台堤土人形の「赤けし」を木製にしたものという意といわれる。「赤けし」同様、子貰い、子授けの縁起物として「こけし」が扱われた地方もある。またこけしの頭に描かれている模様「水引手」は京都の「御所人形」において、特にお祝い人形の為に創案された描彩様式であり、土人形「赤けし」にもこの水引手は描かれた。こけしは子供の健康な成長を願うお祝い人形でもあった。

その一方、こけしの語源を「子消し」や「子化身」など堕胎口減らしに由来するものとの説も存在しており、これは1960年代に詩人・松永伍一が初めて唱えたものとされている。しかし、松永以前の文献にはこの説を裏付けるような記述が見られない上、松永自身も工芸や民俗学などの専門知識を持っていなかった、自説の由来について説得力の有る説明が出来なかったなどとされ、その信憑性については出典を含めて疑問が持たれている。 なお、こけしの語源やこけしに至る信仰玩具の変遷について、加藤理が平安時代の子供を守る信仰人形や東北地方の他の信仰玩具との関係から、「「あまがつ」とその歴史的変遷の考察-宮城県の郷土玩具との関係を中心に-」(日本風俗史学会紀要『風俗』第30巻3号)で詳しく分析・考察している。

発祥の背景[編集]

こけしの頭部を塗る

こけしが生まれるには、主に次の3つの条件が必要だったと言われている。1つ目は、湯治習俗が一般農民に或る種の再生儀礼として定着したこと。2つ目は、赤物が伝えられたこと。3つ目は、木地師が山から降りて温泉地に定住し、湯治客の需要に直接触れるようになったこと。

当時の国民の90%を占める農民にとって、湯治とは、厳しい作業の疲れを癒し、村落共同体の内外を問わず人々とのコミュニケーションを楽しむ重要な年中行事であった。太陽暦でいう1月末の一番寒い時期の「寒湯治」、田植えの後の「泥落とし湯治」、8月の一番暑い時期の「土用の丑湯治」など、年に2-3回は湯治を行ってリフレッシュしていたようである。

「赤物」とは、赤い染料を使った玩具や土産物のこと。赤は疱瘡天然痘)から守るとされ、子供のもてあそび物としてこの赤物を喜んで買い求めた。赤物玩具を作る人のことも、赤物玩具を背負って行商に売り歩く人のことも赤物師と呼んでいた。赤物のもっとも盛んな産地は、小田原から箱根にかけての一帯であり、その手法が江戸の末期、文化文政から天保の頃に東北に伝わった。東北の農民達がさかんに伊勢詣りや金比羅詣りに行って、その途上、小田原、箱根の木地玩具(赤物)を見るようになったのがその契機といわれ、湯治場でも赤物の木地玩具を望むようになった。

こうして3つの条件が揃うと、いままでお椀、お盆、仏器、神器のように白木のまま出していた木地師が、湯治の農民達の土産物として、彩色を施した製品を作り始めるという大きな変化が起きた。原木の得やすい山間で暮らしていた木地師が、山から降りて湯治場に定着し、湯治客という顧客と接するようになり、湯治客のニーズに応えることができるようになったのである。木地師が山から降りたのは、どこの山でも八合目以上の木は自由に伐採できるとされた木地師の特権が、江戸の末期になって各地の論山事件により失われたことが大きな理由であった。 湯治場において求めた赤物こけしは、心身回復と五穀豊穣のイメージが重なった縁起物であり、それを自らの村へと運ぶ象徴的な形象でもあった。それゆえこけしは単に可愛いというだけではなく、逞しい生命力を秘めており、現代においては大人の鑑賞品としても扱われるようになっている。

伝統こけしの系統[編集]

こけし十系統のうち、左より土湯系(阿部治助作)、弥治郎系(新山久治作)、遠刈田系(佐藤直助作)、蔵王高湯系(斎藤源吉作)、作並系(高橋胞吉作)。木人子室蔵。
こけし十系統のうち、左より鳴子系(佐藤乗太郎作)、肘折系(奥山喜代治作)、木地山系(小椋米吉作)、南部系(藤原政五郎作)、津軽系(三上文蔵作)。木人子室蔵。

伝統こけしは産地によって特徴に違いがあり、主な物は下記の各系統(主産地・県)に分類することが出来る。

土湯系(土湯温泉飯坂温泉岳温泉・福島)
頭部には蛇の目の輪を描き、前髪と、鬘の間にカセと呼ぶ赤い模様がある。胴の模様は線の組み合わせが主体。[2]
弥治郎系(白石市弥治郎・宮城)
頭頂にベレー帽のような多色の輪を描き、胴は太いロクロ線と簡単な襟や袖の手書き模様を描く。
遠刈田系(遠刈田温泉・宮城)
頭頂に赤い放射線状の飾りを描き、さらに額から頬にかけて八の字状の赤い飾りを描く。胴は手書きの花模様でを重ねたものが一般的、まれに木目模様などもある。
鳴子系(鳴子温泉・宮城)
が回るのが特徴。首を回すと「キュッキュ、キュッキュ」と音がする。胴体は中ほどが細くなっていて、極端化すれば凹レンズのような胴体を持つ。胴体にはの花を描くのが通常である。
作並系(仙台市作並温泉山形市米沢市寒河江市天童市・宮城、山形)
山形作並系ともいう。また山形を独立系として扱う場合もある。
頭頂に輪形の赤い飾りを描き、胴は上下のロクロ線の間に模様が描かれる。
蔵王高湯系(蔵王温泉・山形)
頭頂に赤い放射状の手柄を描くが黒いおかっぱ頭もある。胴はのほか、いろいろな植物を描く。
肘折系(肘折温泉・山形)
頭部は赤い放射線か黒頭で、胴模様は、石竹などが多い。
木地山系(木地山・秋田)
頭部には大きい前髪と鬘に、赤い放射線状の飾りを描く。胴は前垂れ模様が有名だが、のみを書いた古い様式もある。
南部系(盛岡花巻温泉・岩手)
簡単な描彩に、頭がぐらぐら動くのが特徴。
津軽系(温湯温泉大鰐温泉・青森)温湯系ともいう。
単純なロクロ模様、帯、草花の他、ネブタ模様などを胴に描く。

これらの系統に含まれない伝統こけしも存在する。

保存方法[編集]

木の工芸品なので、湿気乾燥の影響が少ない環境で、直射日光を避けることが望ましい。通常のこけしは蝋で仕上げしてあるが、それでもできる限り色落ちを避けるために必要なことである。直射日光は色彩と木の劣化を進めるので、避けなければならない。湿度が高低すると、こけしが割れてしまったり、カビが生える原因となる。

脚注[編集]

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関連項目[編集]

  • 伝統工芸品
  • マトリョーシカ人形
  • 独楽 - こけし製作と材料・工具が同じであるため、こけし製作と共に独楽製作をする職人も仙台市近辺には見られ、「喧嘩ゴマ」遊びが1970〜80年代にかけて流行したことがある。
  • 小野宮惟喬親王神社(通称「こけし神社」) - 宮城県白石市の弥治郎こけしの産地近くにある惟喬親王を祀る神社。
  • 千趣会 - OL向けのこけし販売から事業を開始、社名も「こけし千体趣味蒐集の会」を略したもの

外部リンク[編集]