飯坂温泉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
Hot springs 001.svg飯坂温泉
Iizaka-Onsen1.jpg
旅館風景
温泉情報
所在地 福島県福島市
交通 鉄道 : 福島交通飯坂線飯坂温泉駅
車 : 東北自動車道福島飯坂ICから15分
泉質 単純温泉
テンプレートを表示
十綱橋と摺上川

飯坂温泉(いいざかおんせん)は、福島県福島市(旧国:陸奥国明治以降は岩代国飯坂町にある温泉

宮城県の鳴子温泉秋保温泉とともに奥州三名湯に数えられた。

アクセス[編集]

泉質[編集]

  • 単純温泉

歴史[編集]

飯坂温泉は奥羽地方有数の古湯であり、古くは「鯖湖の湯」と呼ばれた。伝説によると、日本武尊の東征にまで遡るといわれ、この地で湯治したといういわれが残る。また、西行法師もこの湯を訪れ、ここで「あかずして 別れし人のすむ里は 左波子(さばこ)の見ゆる 山の彼方か」と読み、そこから「鯖湖の湯」という名が定着した。源泉は至る所に点在し、農民、庶民などに重宝されていた。

西行が訪れた頃は、西行の親戚とも言われる信夫庄司佐藤基治が、福島県と山形県の一部を支配していた。佐藤庄司は、この地域を本拠地としており、温泉の湧く地であるため「湯の庄司」とも呼ばれた。佐藤 基治(さとう もとはる)は、奥州信夫郡(現在の福島県福島市飯坂地区)に勢力を張り大鳥城(現在の舘の山公園)に居城した武将で、源義経の忠臣、佐藤継信佐藤忠信の父である。佐藤継信は、治承4年(1180年)、奥州にいた義経が挙兵した源頼朝の陣に赴く際、藤原秀衡の命により弟・忠信と共に義経に随行。義経の郎党として平家追討軍に加わったのち、屋島の戦いで討ち死にした。佐藤忠信は、京都の義経の屋敷に頼朝からの刺客である土佐坊昌俊が差し向けられた際、義経は屋敷に残った僅かな郎党の中で忠信を頼りとし、自ら門を飛び出して来て応戦している。

佐藤氏については、「十訓抄」(十巻)や「古事談」(四巻)に次のようなエピソードが紹介されている。俗に佐藤季春事件(1140)と言われるものである。それによれば奥州藤原氏二代基衡は、南奥州の防御の要として佐藤季春という人物を置いていて、奥州藤原氏累代の重臣であり、基衡とは乳兄弟で幼なじみでもあったのだが、当時の陸奥守で鎮守府将軍の藤原師綱(赴任1139年-1143年頃)が、奥州藤原氏の資金の源である荘園の上がりを徹底調査しようとして、信夫庄に検察使送って調べようとした。ところが季春は、基衡の命を受けてその検察使を追い返してしまう。怒った師綱は権力にモノを言わせて、奥州藤原氏に迫る。結局、佐藤季春は、奥州政権を守るためにひとり自分が罪を背負って師綱に恭順の態度を示した。基衡は、砂金一万両さらに様々な宝物を師綱に用意して、佐藤季春を救おうとしたが、一族5人は斬首となってしまったということである。

一つの所に命を懸けたので、その思いは偲ぶ(信夫)がごとく、京都の方まで話が伝わり、十訓抄に紹介され、一所懸命の語源となったといわれる。

元禄2年(1689年)5月2日、江戸から下って来た松尾芭蕉と弟子の河合曾良が泊まり、翌日に発った[1]。雨に降られた芭蕉らは、温泉に入って貧家に宿をとった。『おくのほそ道』によれば、土間に莚を敷き、囲炉裏のそばで寝たが、雨漏りがあり、蚤と蚊に悩まされ、芭蕉の持病が再発するなど散々であった[2]。。山中温泉の好印象とは対照的である。この温泉を、曾良は飯坂、芭蕉は飯塚と日記には違う字で書いた。飯塚の例は他の文書にもあるという[3]

尤も、この頃には既に温泉地としての体裁が整ってきたものの内湯はあまり見られなく、思い思いに宿を選んで、点在する外湯で湯治を施すようなスタイルであったといわれる。尚、飯坂という地名は、1300年頃、伊達家の分家(伊達政信)が飯坂姓を名乗り、一帯を開墾したことに因む。これがいつしか飯坂村の温泉、すなわち飯坂温泉と呼ばれるようになった。伊達政信は、1300年頃、古舘に「湯山城」を築き、飯坂氏を称したとされる。そのため、摺上川べりから同城に通じる坂道は「飯坂」と呼ばれた。

1300年以前の地名は、石那坂と呼ばれていたと考えられている。


飯坂温泉が、世に遍く知れ渡るようになったのは、江戸時代中期の享保年間の頃からで、各街道が整備されたことにより、周辺の庶民に加え、多くの旅人も訪れるようになった。

俳人・歌人としては芭蕉の他、正岡子規与謝野晶子らも訪れており、飯坂を詠んだ句碑等が建てられている。近世では、ヘレン・ケラーが2度訪れたこともある。

戦前には、ボーリングによる源泉の乱開発によって枯渇の危機を迎えたことがあったが、その後の規制によって源泉保護が行われている。

温泉街[編集]

飯坂町を流れる摺上川を挟んで旅館が立ち並んでいる(60数棟)。飯坂温泉駅前からの川沿いの道に、大型ホテルや旅館が並び、また飲み屋が数多く存在する。

古くから歓楽街温泉として花柳界が存在したものの、温泉情趣に則った木造旅館が多く見られた。しかし、東北自動車道の整備や東北新幹線の敷設などによって、福島駅から近い立地もあり、首都圏などから団体旅行客が多数流入したことによって開発、投資が進み、中小規模の木造旅館は取り壊されたり改築されたりして、近代的なコンクリート造の宿泊施設に変貌し、ネオン街なども形成されていった。しかしながら、バブル崩壊後の団体客の減少やレジャー形態の変化により、歓楽街イメージの強い熱海温泉鬼怒川温泉などと同様、飯坂温泉も客足が激減し、閉鎖されたホテル・旅館等も点在するなど、苦境に立たされている。観光客数のピークは1973年昭和48年)で約177万人にのぼったが、2009年平成21年)には約81万人と半分以下にまで減っている[4]。賑わいを見せた歓楽街や風俗街も衰退し、ストリップ劇場などもまばらである。

飯坂温泉駅構内を出て、十綱橋方向を見ると芭蕉像が立っている。

飯坂町の西側にはフルーツラインがあり、直売所が立ち並び、新鮮な「なし・りんご・もも・さくらんぼ」などを売っている。

共同浴場[編集]

入浴券売り場の看板(現在は取扱中止)

共同浴場は9つ存在する。そのなかでも鯖湖湯は飯坂温泉発祥の湯とされ、松尾芭蕉も浸ったとされる。日本最古の木造共同浴場であったが、1993年平成5年)に改築された。共同浴場は以下のとおりである。

  1. 鯖湖湯(さばこゆ・定休日:月曜日)
  2. 十綱の湯(とつなのゆ・定休日:金曜日)
  3. 仙気の湯(せんきのゆ・定休日:木曜日)
  4. 切湯(きりゆ・定休日:月曜日)
  5. 導専の湯(どうせんのゆ・定休日:金曜日)
  6. 大門の湯(だいもんのゆ・定休日:木曜日)
  7. 八幡の湯(やはたのゆ・定休日:火曜日)
  8. 天王寺穴原湯(てんのうじあなばらゆ・定休日:水曜日)
  9. 波来湯(はこゆ・定休日・火曜日)

入浴料金

  • 波来湯 大人(12歳以上)300円、子供(12歳未満)150円。
  • 波来湯以外の共同浴場 大人(12歳以上)200円、子供(12歳未満)100円。

それぞれの共同浴場に設置されている自動販売機で入浴券を購入する(2009年平成21年)4月までは自動販売機の設置は鯖湖湯のみで、他の共同浴場では自動販売機が設置されておらず、近くの商店やコンビニエンスストアであらかじめ入浴券を購入しなければならなかった)。

名所[編集]

鯖湖湯
  • 鯖湖湯
  • 医王寺
  • 旧堀切邸
  • 明治・大正ガラス美術館

関連項目[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 河合曾良『曾良旅日記』元禄2年5月2日条、3日条。岩波文庫『芭蕉おくのほそ道』98-99頁。
  2. ^ 松尾芭蕉『おくのほそ道』元禄2年5月朔日条。岩波文庫『芭蕉おくのほそ道』27頁。日付については同書同頁の注15を参照。
  3. ^ 岩波文庫『芭蕉おくのほそ道』27頁注16。
  4. ^ 聚楽が廃業旅館取得 ホテル敷地と一体整備 福島・飯坂河北新報 2010年9月23日)

参考文献[編集]

  • 旅行読売出版社刊 野口冬人著『全国温泉大事典』 ISBN4-89752-059-2
  • 河合曾良『曾良旅日記』、萩原『芭蕉おくのほそ道』、岩波文庫、1979年。
  • 松尾芭蕉『おくのほそ道』、『芭蕉おくのほそ道』、岩波文庫、1979年。

外部リンク[編集]