さくらももこ
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| さくら ももこ | |
|---|---|
| 本名 | 非公開 旧姓:三浦 美紀 (みうら みき) |
| 生誕 | 1965年5月8日(46歳) |
| 国籍 | |
| 職業 | 漫画家 エッセイスト 作詞家 |
| 活動期間 | 1984年 - |
| ジャンル | 『少女漫画』、『青年漫画』、『児童漫画』 |
| 代表作 | 『ちびまる子ちゃん』 |
| 受賞 | 1989年:第13回講談社漫画賞少女部門 (『ちびまる子ちゃん』) 1990年:第32回日本レコード大賞 (『おどるポンポコリン』作詞) |
| 公式サイト | さくらプロダクション |
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| 文学 |
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| ポータル |
| 各国の文学 記事総覧 出版社・文芸雑誌 文学賞 |
| 作家 |
| 詩人・小説家 その他作家 |
さくら ももこ(本名(旧姓):三浦美紀(みうら みき)、1965年5月8日 - )は、日本の漫画家・作詞家・脚本家。静岡県静岡市清水区出身。また、自身の少女時代をモデルとした代表作『ちびまる子ちゃん』の主人公の名前でもある。血液型はA型。身長159cm。
エッセイストとしても活躍しており、独特の視点と語り口で、初期エッセイ集三部作『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』はいずれもミリオンセラーを記録した。
目次 |
[編集] 経歴
- 静岡県立清水西高等学校卒業。
- 1984年 - 静岡英和女学院短期大学(現・静岡英和学院大学短期大学部)国文学科在学中に『りぼんオリジナル』冬の号(集英社)にて「教えてやるんだありがたく思え!」(「教師」をテーマとしたオムニバス作品。「ちびまる子ちゃん」第1巻に掲載)でデビュー。
- 1986年 - 『りぼん』で「ちびまる子ちゃん」の連載開始。
- 1989年 - 『ビッグコミックスピリッツ』30号(7月10日号、小学館)から「神のちから」の連載開始。
- 1989年 - 『りぼん』の編集者宮永正隆(=後の共著者・宝船蓬莱)と結婚。
- 1989年度(平成元年)、第13回講談社漫画賞少女部門受賞(『ちびまる子ちゃん』)。
- 1990年 - 『ちびまる子ちゃん』がフジテレビ系でアニメ化され、国民的に知名度を高める(1992年9月終了)。主題歌『おどるポンポコリン』の作詞で第32回日本レコード大賞を受賞。1991年には西城秀樹が歌う『走れ正直者』も主題歌(第2弾)としてヒットする。
- 1991年 - 初エッセイ集『もものかんづめ』(集英社)発表。10月より宮永とともにニッポン放送『オールナイトニッポン』月曜1部のパーソナリティをつとめる。(1992年10月まで)
- 1994年 - 長男誕生。
- 1995年 - 『ちびまる子ちゃん』が再びテレビ放送される(第二期)。
- 1997年 - 『コジコジ』がアニメ化される(〜1999年)。
- 1998年 - 離婚。
- 1999年 - 自ら編集長をつとめた雑誌『富士山』(新潮社)の第一号が発売される。
- 2000年 - NHK全国学校音楽コンクールのために「こうしていよう」を作詞。
- 2003年 - イラストレーターうんのさしみと再婚。
- 2005年 - デビュー20周年を記念し、各地で原画展「さくらももこワールド 20年の軌跡展」を開催。
- 2006年 - 4月18日、『ちびまる子ちゃん』実写ドラマ化。自身は第1話の脚本も担当。
- 2006年 - 10月31日、『ちびまる子ちゃん』実写ドラマ第二弾放送。
- 2007年 - 4月19日、レギュラーとして実写ドラマ+バラエティの複合番組『まるまるちびまる子ちゃん』放送開始。原作を同じくする実写とアニメが同時期に放送される珍しいケースとなる。
- 2007年 - 7月1日、『ちびまる子ちゃん』が中日新聞、東京新聞、北陸中日新聞、日刊県民福井、北海道新聞、西日本新聞、河北新報、中国新聞、徳島新聞、神戸新聞朝刊にて連載開始。8月1日からは新潟日報でも連載が開始される。
[編集] 主な作品
[編集] 漫画
- 神のちから
- 神のちからっ子新聞
- コジコジ
- ちびまる子ちゃん
- ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌
- ちびまる子ちゃん 大野君と杉山君
- 永沢君
- スーパー0くん
- ひとりずもう(エッセイを漫画化)
- 4コマちびまる子ちゃん
[編集] エッセイ
- 1991年3月 もものかんづめ
- 1992年4月 うみのさかな&宝船蓬莱の幕の内弁当(うみのさかな名義)
- 1992年5月 ももこのしゃべりことば
- 1992年7月 さるのこしかけ
- 1992年7月 たいのおかしら
- 1994年3月 ももこのいきもの図鑑
- 1995年9月 そういうふうにできている
- 1996年7月 あのころ
- 1997年6月 ももこの世界あっちこっちめぐり
- 1997年9月 まる子だった
- 1997年11月 赤ちゃん日記
- 1998年7月 ももこの話
- 1998年11月 憧れのまほうつかい
- 1999年5月 ももこのおもしろ健康手帖
- 1999年7月 さくら日和
- 2000年9月 のほほん絵日記
- 2001年10月 ツチケンモモコラーゲン
- 2001年11月 ももこのトンデモ大冒険
- 2002年4月 さくらえび
- 2002年11月 ももこの宝石物語
- 2003年4月 ももこのおもしろ宝石手帖
- 2003年6月 またたび
- 2003年11月 さくらめーる
- 2004年9月 ももこの70年代手帖
- 2005年8月 ひとりずもう
- 2005年9月 MOMOKO TIMES
- 2006年5月 焼きそばうえだ
- 2006年11月 おんぶにだっこ
- 2007年5月 さくら横丁
- ももこの21世紀日記 No.1 - 7
[編集] 作詞
※表記はジャケットデザインも担当。
- 1990年 B.B.クイーンズ 「おどるポンポコリン」 (作曲・織田哲郎)※
- 1991年 西城秀樹 「走れ正直者」 (作曲・織田哲郎)
- 1991年 「ごきげん ~まる子の音日記~」※
- 1993年 藤川なお美 「演歌はぐれ鳥」 (作曲・細野晴臣)※
- 1995年 渡辺満里奈 「うれしい予感」 (作曲・大瀧詠一)※
- 1995年 たま 「あっけにとられた時のうた」 (作曲・知久寿焼)※
- 1996年 カヒミ・カリィ 「ハミングがきこえる」 (作曲・小山田圭吾)
- 1997年 ホフディラン 「コジコジ銀座」(作曲・ホフディラン)※
- 1998年 ManaKana 「ちびまる子音頭」 (作曲・佐橋俊彦)※
- 1998年 ManaKana 「じゃがバタコーンさん」 (作曲・さくらももこ、小山田圭吾)※
- 1999年 カジヒデキ 「Johnny,Johnny 死ぬほど恋して」(作曲・カジヒデキ)
- 2000年 KinKi Kids 「KinKiのやる気まんまんソング」 (作曲・飯田建彦)※
- 2000年 NHK全国学校音楽コンクール中学校の部課題曲 「こうしていよう」 (作曲・朝川朋之)
- 2003年 LOVE JETS 「宇宙大シャッフル」 (作曲・忌野清志郎)
- 2004年 ちびまる子ちゃん(TARAKO) with 爆チュー問題 (爆笑問題)「アララの呪文」 (作曲・岡本真夜)
- 2004年 「まるまるぜんぶちびまる子ちゃん」 (挿入歌のみ、挿入歌作曲・中村暢之)
- 2005年 山上兄弟 「まじかる まじかる てじなーにゃ」 (作曲・浅田直)
[編集] 詩集
- まるむし帳
[編集] 雑誌
- 富士山―さくらが編集長となり、「日本一の雑誌」と称して出版された。
[編集] 翻訳
[編集] 絵本、ドラマ脚本他
- さくらももこランド・谷口六三商店(TBS系列のドラマ・脚本)
- おばけの手(さくらももこ・さくらめろん 絵本+エッセイ)
- まる子とコジコジ(絵本)
[編集] その他
- さくらももこのウキウキカーニバル(任天堂・ゲームボーイアドバンス用ソフト)キャラクターデザイン
- ゲームの企画・シナリオは実姉・三浦範子が手がける。
- まちあわせ(たま・ベストアルバムCD)・星を食べる(同・シングル)ジャケットデザイン(たまのメンバーを描いている。)
- ハコイリ娘。 (さくらももこ×モーニング娘。 エッセイ・インタビュー集)
- ツチケンモモコラーゲン(さくらももこ・土屋賢二 対談集)
- エブリパーティ(マイクロソフト・Xbox 360用ソフト)キャラクターデザイン
- 「清水西高80周年記念 春風の夢」表紙デザイン(1991年)
- 「宴」 ジャケットデザイン(1991年)
- アミ 小さな宇宙人新装改訂版挿絵(2000年)
- 都営バス(都05)への静岡市のラッピング広告イラスト(2008年)
- ふくファミリー(ふく太郎・ふくこ・ふくのすけ)・海里くん・響子ちゃん(市立しものせき水族館 海響館)マスコットキャラクターデザイン
- 花王「今年の汚れ 今年のうちに」(住まいの洗剤大掃除キャンペーンPOP広告)(2008年・2009年・2010年)
- 日本習字イメージキャラクター(2008年・2009年)
[編集] 逸話
- さくらが生まれた時、なかなか産声を上げなかった為、医師が生まれたばかりのさくらを逆さ吊りにして尻を何度か叩いたら産声を上げたと言う[1]。
- 『りぼん』漫画スクール投稿初期では正統派の少女漫画を目指していたが、高校での小論文の課題をエッセイ風に書き流したところ、「現代の清少納言」と大絶賛され、これがエッセイ風漫画に転向するきっかけとなる。ただその作風もなかなか漫画スクール審査員に理解されず「長続きしないだろうからストーリーギャグに転向するよう」と勧められたが変えることなく投稿を続けた。その後新しい試みとして評価されるようになり「一連のさくらももこ作品」について第13回シーズンベスト賞を受賞した。
- 健康の研究を日々行っており、エッセイでもさまざまな健康法[2]を紹介している。ただし、さくら自身はヘビースモーカーであり、そのためにも健康には気を遣っていることを公言している。
- 人見知りをする性格で、通行人に挨拶をされた際には「すみません」と気を遣ってしまうため、顔を知られるのが好きではないとのこと。そのためメディア媒体において自分からは素顔を非公開としている。学校用の教材に彼女の作品が採用された場合には写真ではなくイラストが載せられている。
- 自分の息子にも「母親はさくらももこ」だという事は長い間隠していたが、長男が小学校1年生の時に真実が知られた。後に2002年11月に親子共作による絵本+エッセイ『おばけの手』を発表(長男のペンネームはさくらめろん)。
- 漫画やエッセイにはさくらの家族や知人がたびたび登場しているが、作中では一部名前を変えた人物もいる。『まる子』において姉の名は「さきこ」だが、実際の姉の名は「範子」であり、母の名は「スミレ」としているが実際の母の名はエッセイなどで明らかにしていない。また実家は青果店であったが『まる子』ではストーリーに関係なくいちいち店先を描くのは面倒なので、作中では青果店ではなく一軒家となっている。エッセイでは父の名は「ヒロシ(漢字表記は不明だがこのように呼び捨てにされている)」、祖父の名は「友蔵」と書かれており本名であると思われる。
- 「たまちゃん」のモデルは実在したが、彼女がメガネをかけ始めたのは高校生になってからである。また、「はまじ」にも実在のモデルがいる。反対に「花輪くん」は架空の人物であるとエッセイに記している。
- 元サッカー日本代表で、前清水エスパルス監督である長谷川健太とは同じ小学校で同学年だった。『まる子』にもケンタ少年として登場させた。実際にも5-6年生の時長谷川と同じクラスであった。[3]また長谷川は同級生の中では背が高かったなど、ケンタ少年の設定と食い違う箇所がある。
- 同じく同級生である平岡秀章はちびまる子ちゃんの放送作家として活動しており、アニメ本編にも「ひらば」というあだ名で登場している。
- 実際の祖父・友蔵は、『まる子』に登場する友蔵とは全く逆で、非常に冷たく意地悪な性格だったという。友蔵が亡くなった際に「ムンクの叫びに似ていた」という死に顔を見て姉は大笑いしたという。作中の友蔵は、いわば理想の「おじいちゃん像」である。またベルトクイズQ&Qに出場した経験があり、それを元にしたエピソードが『ちびまる子ちゃん』で放送された。
- 担任の戸川秀之は『ちびまる子ちゃん』では優しく穏やかな性格の教師として描かれているが、実際には厳しく怖い教師だったという。同級生である浜崎の著書によると、「アウトローの先生で、訳も無く生徒を殴ったり酒を飲ませたりした事で翌年度には他校に飛ばされた」とある。
- 子供のころ「青島幸男みたいに偉くなりたい。植木等みたいに歌を作りたい」と言ったが、父のヒロシに「青島幸男は国会議員だ。無理に決まっている」と一蹴された。しかし歌を作りたいという夢は「おどるポンポコリン」の作詞により叶うことになる。
- 高校時代、物理部に所属。アマチュア無線の無線従事者免許を取得する。
- 幼い頃からバカな男子が好きになれず高校生になるまで猥談などをしたことがなかったため、中学3年生の時点でもどうやって子供ができるのか分からず、そんな彼女を見るに見かねた友人が貸してくれた本を読んで初めて知ることになる。その時の感想をエッセイで「内臓破裂で死ぬのではないか」と語っている。
- 短大卒業後、株式会社ぎょうせいに入社、営業部に配属されたが、既に漫画家としても活動しており、夜中を執筆に費やしていたため日中の居眠りが多く、パソコンに頭をぶつけて故障させたりした。その後、上司から「会社か漫画かどちらかにしろ」と言われて「漫画にします」と答え、入社から2ヶ月ほどで退職した。
- 1992年に彼女の自伝ドラマ『さくら家の人々〜ちびまる子ちゃん一家のその後の生態〜』をNHKで放送した。さくらを富田靖子、当時の夫・宮永正隆を渡辺徹が演じた。ちなみに渡辺徹はさくらの初恋の相手であるらしく、高校時代にファンレターを送ったことがあるが、実際にさくらの元に届いたのは本人からの返事ではなくファンクラブの案内状であった。
- 前夫である宮永が担当していた『りぼん』の読者コーナー「みーやんのとんでもケチャップ」で、カットを担当していた。
- 本人の声は、TARAKOの声とそっくりであり、TARAKOの声を聞いたさくらももこ自身も驚き、アニメのまる子役に抜擢した。ラジオ番組の企画で、声が似ているということでTARAKOとイルカをゲストに呼んだことがある。
- 大瀧詠一の大ファンであり前夫を通して交流を持つに至った。アルバム『EACH TIME』は劇場版の作中でも多々使用された。TVアニメ版の主題歌『うれしい予感』(作詞:さくらももこ)は彼の書き下ろしとなっている。また、同曲のC/Wしてシングルに収められTVアニメ版のエンディング曲植木等の「針切じいさんのロケン・ロール」のエンディングでは、TARAKO、イルカと共にコーラスを担当している。
- たまと交流があった為、シングル『星を食べる』とベストアルバム『まちあわせ』のジャケットでメンバーのイラストを手掛ける。『星を食べる』は、劇場版『ちびまる子ちゃん 私の大好きな歌』の挿入歌になっている。また、知久寿焼とのスキャンダル記事が女性週刊誌に書かれたことがある。
- 1999年2月、TBSラジオ『コサキンDEワァオ!』に出演。『コジコジ』のファンであった小堺一機の要望。「ハウキャウパンダ」というキャラを作って『コジコジ』に出演交渉した結果、小堺本人が声を当てることまで実現した。
- 『男はつらいよ』の寅さんのファンで小学校の頃見ていた。そのためアニメ版の『ちびまる子ちゃん』の2007年1月28日放送の「フーテンのお父さん」でまる子達の見た映画の中に「寅さん」が登場した。また、さくらひろしという名前も『男はつらいよ』の諏訪ひろしを参考にしている。
- よしもとばなな、賀来千香子の友人であり、賀来の夫・宅麻伸とも交友関係がある。これが縁で、賀来の実兄がさくらプロダクションに勤務した。
- クラシックギターを木村大に学んでいる。
- 「スヌーピーブックス」シリーズの翻訳を担当したが、実際には英語が苦手であることをエッセイなどで明かしている。
- 絵本画家エロール・ル・カインを尊敬しており、彼からは大きな影響を受けたという。[4]
- プッシュホンの電話機を使う様になったのは1985年頃、さくらが20歳になってからだった。
- カラオケ嫌いである。さくらによれば「歌うのは好きでは無いし、人が歌っている歌を聴く事も好きでは無い」との事である。
[編集] アシスタント
[編集] 関係人物
- 臼井儀人(さくらと同じコサキンリスナー)
- 秋本治(同じコサキンリスナー)
- おーなり由子(絵本作家、漫画家・友人)
- 水沢めぐみ(漫画家・友人)
- 矢沢あい(漫画家・友人)
- 岡田あーみん(漫画家・友人)
- 賀来千香子(女優・友人)
- よしもとばなな(小説家・友人)
- 浜崎憲孝(元同級生・『ちびまる子ちゃん』のキャラ、はまじのモデル)、著書『僕、はまじ』(彩図社)、ISBN 4-88392-244-8
- 長谷川健太(前清水エスパルス監督、現サッカー解説者、元同級生・『ちびまる子ちゃん』のキャラ、ケンタのモデル)
- 平岡秀章 (放送作家、元同級生・『ちびまる子ちゃん』のキャラ、ヒラバのモデル)
- ビートたけし(タレント・映画監督、『ちびまる子ちゃん』の劇中に無名の芸人という設定で登場し、さくらの父とも実際に交流がある)
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- さくらプロダクション
- オトナな会話(仮)さくらももこ×糸井重里の対談-ほぼ日刊イトイ新聞
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