銀河鉄道の夜

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銀河鉄道の夜』(ぎんがてつどうのよる)は、宮沢賢治童話作品[1]。孤独な少年ジョバンニが、友人カムパネルラと銀河鉄道の旅をする物語で、宮沢賢治童話の代表作のひとつとされている。

作者逝去のため未定稿のまま遺されたこと、多くの造語が使われていることなどもあって、研究家の間でも様々な解釈が行われている。この作品から生まれた派生作品も数多く、これまで数度にわたり映画化やアニメーション化、演劇化された他、プラネタリウム番組も作られている。

成立[編集]

1924年ごろ初稿が執筆され、晩年の1931年頃まで推敲がくりかえされて、1933年の賢治の死後、草稿の形で遺された。初出は1934年刊行の文圃堂版全集(高村光太郎ら編。全国書誌番号:47022638。)である。未定稿のため本文の校訂が研究者を悩ませてきたが、筑摩書房版全集(『校本宮澤賢治全集』、1974年)の編集過程で綿密な検討が行われ、第1次稿から4次稿まで3回にわたって大きな改稿が行われたことが明らかになった[2]

第1-3次稿(初期形)と4次稿(最終形)の間には大きな差異がある。学校の授業や活版所のシーン、友人カムパネルラが川で行方不明になる挿話などは4次稿で追加されたものである。また、3次稿までは銀河鉄道の旅はブルカニロ博士(後述)の実験により主人公が見た夢だったとされていたが、最終形に博士は登場しない。

文圃堂版全集以来、長く読まれてきた刊本では、ブルカニロ博士の存在が大きな位置を占めていたが、博士の登場シーンは破棄された3次稿の混入である。博士の登場しない展開が最終形とされたことで物語世界の設定が大きく変わることになった。以下のあらすじは第4次稿による(筑摩書房版全集の最新版は「【新】校本宮澤賢治全集」、1996年)。

あらすじ[編集]

天の川(7月22日)
一、午后の授業
銀河系の仕組みについての授業。天の川について先生に質問されたジョバンニは、答えを知りつつ答えることができない。次に指されたカムパネルラも、答えない。
二、活版所
放課後、ジョバンニは活版所活字拾いのアルバイトをする。周囲の大人たちの態度は冷ややかである。仕事を終えたジョバンニは、パン角砂糖を買って家へ急ぐ。
三、家
家に帰ると牛乳が未だ配達されていない。病気の母親と、漁に出たきり帰ってこない父のことやカムパネルラのことなどを話す。ジョバンニは、銀河のお祭り(烏瓜あかりを川へ流す)を見に行く、と言って家を出る。
四、ケンタウル祭の夜
牛乳屋(牧場)に行くが、出てきた老婆は要領を得ず、牛乳をもらえない。途中で、同級生のザネリたちに会い、からかわれる。一緒にいたカムパネルラは気の毒そうに黙って少し笑っている。銀河の祭りに行くザネリたちと反対に、ジョバンニは一人町外れの丘へ向かう。
五、天気輪の柱
天気輪の柱の丘でジョバンニは一人寂しく孤独を噛み締め、星空へ思いを馳せる。
六、銀河ステーション
突然、耳に「銀河ステーション」というアナウンスが響き、目の前が強い光に包まれ、気がつくと銀河鉄道に乗っている。見るとカムパネルラも乗っていた。
七、北十字とプリオシン海岸
北十字の前を通った後、白鳥の停車場で20分停車する。二人はその間にプリオシン海岸へ行き、クルミ化石を拾う。大学士がの祖先の化石を発掘している現場を見る。
八、鳥を捕る人
気のいい鳥捕りが乗車してくる。彼は、鳥を捕まえて売る商売をしている。ジョバンニとカムパネルラは鳥捕りにを分けてもらい食べるが、お菓子としか思えない。突然鳥捕りが車内から消え、川原でさぎを捕り、また車内に戻ってくる。
九、ジョバンニの切符
(以下、全体のおよそ半分にわたり章立てはない)
アルビレオ観測所の近くで検札があり、ジョバンニは自分の切符だけが天上でもどこまででも行ける特別の切符であると知る。
の停車場のあたりで、鳥捕りが消え、青年と姉弟が現れる。彼らは、乗っていた客船が氷山に衝突して沈み、気がつくとここへ来ていたのだという。かおる(姉の少女)とは長い会話を交わす。
蠍(さそり)の火を眺めながら、かおるは「やけて死んださそりの火」のエピソードを話しはじめ、ジョバンニたちは、黙ってそれを聞く。その後列車はケンタウルの村を通過する。少女たちと別れ際に、「たった一人の本当の神様について」宗教的な議論が交わされる。
天上と言われるサウザンクロス(南十字)で、大半の乗客たちは降りてゆき、ジョバンニとカムパネルラが残される。二人は「ほんとうのみんなのさいわい」のために共に歩もうと誓いを交わす。その直後、車窓に現れた石炭袋を見たふたりは、非常な恐怖に襲われる。ジョバンニはカムパネルラをはげますが、カムパネルラは気の乗らない返事をしたのち、「あすこにいるの僕のお母さんだよ」といい残し、いつの間にかいなくなってしまう。
一人丘の上で目覚めたジョバンニは町へ向かう。今度は牧場で牛乳をもらい、川の方へ向かうと「こどもが水へ落ちた」と知る。同級生から、カムパネルラは川に落ちたザネリを救った後、溺れて行方不明になったと聞かされる。カムパネルラの父(博士)は既にあきらめていた。博士は、ジョバンニの父から手紙が来た、もう着く頃だとジョバンニに告げる。ジョバンニは胸がいっぱいになって、牛乳と父の知らせを持って母の元に帰る。

解説[編集]

「けれどもほんたうのさいはひは一體何だらう。」

漁から戻らない父のことでクラスメイトにからかわれ、朝夕の仕事のせいで遊びにも勉強にも身が入らない少年ジョバンニは、周りから疎外され、あたかも幽霊のような存在として描かれている。

星祭りの夜、居場所を失い、孤独をかみしめながら登った天気輪の丘で、銀河鉄道に乗り込み、親友カムパネルラと銀河めぐりの旅をしばし楽しむ。二人は旅の中で出会う様々な人の中に次々と生きる意味を発見して行く。 旅の終わりにジョバンニはさそりの話に胸を打たれて、カムパネルラに、みんなの本当の幸いのためにどこまでも一緒に行こうと誓い合うが、カムパネルラは消えてしまう。悲しみのうちに目覚めたジョバンニは、まもなくカムパネルラが命を犠牲にして友達を救った事実を知る。この瞬間、ジョバンニは銀河鉄道の旅が何を意味していたのか気づいて、みんなの本当の幸いのために尽くすことに、生きる意味を悟った[3]

さらに父が間もなく帰ってくることを知らされ、勇気づけられる。こうしてジョバンニは星祭りの夜、幽霊であった自分と決別して、母の元に戻ったのである。

みなみじゅうじ座石炭袋。上方の明るい2つの星はβ星α星

銀河鉄道の旅は、銀河に沿って北十字から始まり南十字で終わる異次元の旅であり、ふたつの十字架はそれぞれ石炭袋を持っている[4]。石炭袋が一般に暗黒星雲だと知られるようになったのは最近のことであり[5]、かつては天文分野の専門書でもしばしば「空の穴」と表現されていた[6]。賢治は南北ふたつの石炭袋を冥界と現世を結ぶ通路として作品を構成した[5]とされている。

南十字の天上に行かなかったカムパネルラの行方については、ブルカニロ編にふれ輪廻したという解釈[7]や、母の記述にふれ、万物の母の元に帰ったという解釈[8]など、様々に解釈されていて定説はない。

『銀河鉄道の夜』の成立には、賢治が盛岡高等農林学校在学時から親密な関係を築いた一年後輩にあたる保阪嘉内の影響が大きく関係していると考える研究者もおり、作品中の様々なモチーフに、20代の頃に賢治と嘉内とが二人で登山し夜を通して共に語り合った体験が色濃く反映され、登場人物の「ジョバンニ」を賢治自身とするなら、「カムパネルラ」は保阪嘉内をあらわしていると考える研究者もいる[9][10]。ただし第4稿におけるカムパネルラのモデルは、賢治の死別した妹トシであるとする説がある[11]

登場人物の名前について、「ジョバンニ」はイタリアの洗礼名のひとつ(ラテン語におけるヨハンネス)に由来し、「カムパネルラ」は神学者トマソ・カンパネッラ(ちなみに幼名は「ジョヴァンニ・ドミニコ」)からとったという推定がある[12]天沢退二郎は、作品の成立にいたる草稿の中では、賢治が「ジョバンニ」と「カムパネルラ」の混同ないし混同しかけていた形跡から、「ジョバンニ」と「カムパネルラ」というネーミングに隠れた、双子性に光を当てている[12]。 ちなみにイタリア語のCampanellaは「鐘」を意味する単語(またフランツ・リストのピアノ曲に「ラ・カンパネッラ」がある)。

主な登場人物[編集]

ジョバンニ
孤独で空想好きな少年。歳は授業内容や仕事から思春期前とわかる。家は貧しく、母親が病気で寝込んでいるので、早朝には新聞配達、学校が終わってからは活版所でアルバイトをしている。父親は長らく家に帰っていない。漁に出ているとジョバンニは信じているが、らっこ密猟して投獄されていると噂され、近所の子供たちはそのことでジョバンニをからかう。別に住む姉がいて、料理を作ってくれたりする。
カムパネルラ
ジョバンニの同級生で友達、父親同士も親友だった。裕福で人気者の優等生として描かれている。彼の母親は石炭袋にいたことから亡くなっていると推察される。しかしジョバンニの「何もひどいことない」という言葉から健在な母親もいるのではないかという見方もあり、一見幸福そうなカムパネルラの複雑な生い立ちが覗われる。他の同級生がジョバンニをからかうときは気の毒そうにしている。ジョバンニとともに銀河鉄道に乗り込み、共に旅する。
現代表記として「カンパネルラ」を採用する書籍もある。
モデルとして名を挙げられる人物に河本緑石、保阪嘉内(この2名は盛岡高等農林学校で賢治と親交があった)、宮沢トシ(賢治の実妹)がいる[13]
先生
ジョバンニの学校の先生。
ザネリ
ジョバンニの同級生。「お父さんから、らっこの上着が来るよ」と言ってジョバンニをからかう。烏瓜のあかりを流す際に川に落ち、カムパネルラに助けられる。
ジョバンニの母
病気で床に臥せっており、ジョバンニが幼くして働かざるをえない要因の一つとなっている。作中では病状は不明であるが、会話の中で昔を振り帰ったジョバンニが「昔は良かった」と言っていたことからジョバンニが本編よりも幼い時は健康であったかと思われる(あるいは病状が軽かった)。
大学士(学者)
途中下車した先で出会う。学説を証明するため、ウシの祖先の化石を発掘している。初めて会うジョバンニ達に対して丁寧な態度で接していることから紳士的な人物だと思われるが、不慣れな作業員に対してはついつい言動が荒くなってしまう。
鳥捕り
銀河鉄道の乗客の一人。雁やさぎなどの鳥を捕まえ、押し葉にして食用に売る商売をしている。
燈台看守(燈台守)
銀河鉄道の乗客の一人。灯台の明かりを規則どおりに間歇させるのが仕事。
女の子(かおる子)、男の子(タダシ)、青年
12歳くらいの姉、6歳くらいの弟と、その家庭教師。乗っていた船が氷山に衝突して沈み、気がつくと銀河鉄道に乗っていた。回想の話から現世ではすでに死亡していることがわかる。
ブルカニロ博士
初稿から第3次稿まで登場したが、第4次稿では全てのシーンがカットされた。
「やさしいセロのような声」をした大人。ジョバンニが銀河鉄道に乗ったのは博士の実験によるものだった。銀河鉄道内では、どこからともなく声が聞こえるか、乗客として現れる。ジョバンニにものの見方や考え方などを指し示す。
マルソ
ジョバンニにカムパネルラが川に流されたことを伝えた人物。ジョバンニの同級生(ただし明言されてはいない)。
カムパネルラの父(博士)
第4次稿にのみ登場。
ジョバンニにカムパネルラの生存の可能性が無いこととジョバンニの父が帰ってくることを伝える。ジョバンニの母によると、ジョバンニの父親とは子供のころからの友人だった。

文庫本の比較[編集]

現在の底本として、「校本宮澤賢治全集」の鑑賞用普及版である「新修宮沢賢治全集」(1980年)が主流となっている。

  • 『宮沢賢治全集7』 筑摩書房〈ちくま文庫〉、1985年12月。ISBN 4-480-02008-X - 新修宮沢賢治全集が底本。異稿(第1次-3次稿)も収録している。
  • 『新編銀河鉄道の夜』 新潮社〈新潮文庫〉、1992年11月。ISBN 4-10-109205-2 - 新修宮沢賢治全集が底本。別に同文庫『ポラーノの広場』に第3次稿が収録されている。
  • 『銀河鉄道の夜』 角川書店〈角川文庫〉、1996年5月。ISBN 4-04-104003-5 - 【新】校本宮沢賢治全集が底本[14]
  • 鎌田東二 『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』 岩波書店〈岩波現代文庫〉、2001年12月。ISBN 4-00-602045-7 - 第1次-4次稿を収録。
  • 『銀河鉄道の夜 他十四篇 童話集』 谷川徹三編、岩波書店〈岩波文庫〉、2007年4月、第80刷改版。ISBN 4-00-310763-2 - 谷川徹三による校訂。第3次稿が混淆した本文で、ブルカニロ博士が登場する。底本は校本全集より前の1956年版全集(筑摩書房)であるが、賢治の弟で研究者の宮沢清六に示唆を受け、草稿の順序を入れ替えた[15]

用語[編集]

天気輪(天気柱)
プリスクス野牛の化石
銀河のお祭(銀河の祭り)
盛岡市舟っこ流しがモデルとされる。
星めぐり
宮沢賢治作詞作曲の歌「星めぐりの歌」のこと。
天気輪の柱
造語だが、具体的に何を指すか定説はない。墓場の入り口に設置される天気柱という説[16]や、日没直後に発生する自然現象である太陽柱という説がある。
ケンタウル露をふらせ
銀河のお祭で唱えるまじないのようなかけ声。賢治の造語。射手座であるケイロンは人の生死を分ける医術に長けた人馬神
ハルレヤ
作中の台詞。校本全集よりも前の全集では誤記とみなして「ハレルヤ」に校訂していたが、いったん「ハレルヤ」と書いて修正した箇所があり、賢治が意図したものである。また、賛美歌が出てくる場面では番号が記されていない。2次稿の段階では「主よみもとに近づかん」の歌詞が記された箇所があり、校本全集より前はそれに従って「306番」(賢治在世当時の番号。現行では320番)と書き加えられていた。
プリオシン海岸/クルミ/ボス
プリオシンとは地層年代のひとつ。 400万年 - 150万年前の地層であるが、当時は作中のとおり120万年前とされていた。 賢治はプリオシン時代に属する花巻市郊外の北上川の川原をイギリス海岸と名づけて化石採取を楽しんでいた。 ボスとはウシの属の事を指す。 賢治は1922年にこの川原でクルミの化石とウシの足跡の化石を発見していることから、この川原がプリオシン海岸のモデルと言われている。
賢治が採取したクルミの化石は後に日本における「オオバタクルミの化石」と同定され、賢治が実質上の第一発見者となった逸話が残っている。また、ウシの足跡は絶滅したプリスクス野牛 (Bison priscus)の一種であるハナイズミモリウシのものであることが同定されている。 バイソン類は一般にボス(Bos) とは分類されていない。 ただしバイソンをボスに含める考え方がないわけではない。
鳥を捕る人
物語中かなりの紙面を割いているにもかかわらず、具体的に何を意味するかは特定されていない。 こぎつね座のキツネという説[17]が有名である。 その他大自然から貰ったインスピレーションを童話や小説にして糧にしようとする賢治自身とする説や、キリスト教で使用される聖餅(十字架の入った白い煎餅)を魂の鳥に見立てたとする説などある。
三角標
作品中、星々は三角標として表現されている。三角標とは、地形の測量に使用したやぐらのことである。測量技師であった賢治は、現代のVERAプロジェクトの到来をイメージしていたのではないかと言われている[18]

日付の設定[編集]

この物語に日付はないため特定はできないが、登場する星座から初夏から初秋にかけての物語ということが判り、九月の彼岸とする説、八月のお盆とする説、七月の旧盆とする説などがある。

物語の背景から夏休み中ではなさそうなこと、「カムパネルラ」が釣鐘草の学名(Campanula)と酷似していることに併せて天気輪の丘に釣鐘草らしき花が一面に咲いたこと、銀河鉄道の夜(プリオシン、南十字星、蠍の火、黒い胡桃林、鳥)を連想させる詩「薤露青(かいろせい)」に付された日付(1924年7月17日)、賢治の親友保坂嘉内と行った旅行の時期などから、七月の旧盆の説が有力である。

また銀河祭りは、盛岡での盆行事(送り火)に相当する舟っこ流しがモデルであろうとする意見も有力で、それに従えば8月16日となる。 

賢治の童話の創作は、保坂が3月に退学処分になり、4月の兵役検査の後「自分の命もあと15年」と周囲に漏らした1918年の冬から始まったと証言されている。 この年の旧暦の七夕は新暦の8月13日にあたる。

琴の星の記述と、四次稿にあるジョバンニとカムパネルラの会話、車掌の台詞から「11時丁度に白鳥座に停車」「南十字座の到着は3時」および「鷲の停車場に2時」の記述を一箇所にとどまって物語の順に見ることは物理的に不可能である。 しかし琴の星ベガの南中を見て日本を北上し、北極圏で23時のはくちょう座デネブの南中を見て、タイタニックの乗客の魂を拾い、南北アメリカ大陸上で日本時間午前2時に(作中の記述の通り外は明るい)地下でわし座が南中し、さらに南下し、極夜の南極圏でサソリ座のアンタレスを眺めて、南極点で日本時間の午前3時に南十字座を眺めることは可能である。(賢治は童話『風野又三郎』の中で、風が地球を一周する話を登場させている。さらに童話『猫の事務所』において、南極点に到達したパンポラリスが登場しており、アムンゼンの南極到達の知らせの数ヶ月後に、タイタニックの事故が報じられている。)

理論上南北の星座盤を使っても同じことが導かれ、作中において日付と時間、星座の南中時刻が決まっている事から日付が8月13日になる事が導き出される。また8月13日はペルセウス座大流星群の日であり星祭の夜と符合することから「8月13日未明の場面」となる。

物語の中心は魔物や幽霊と遭遇しやすいとされる逢魔時(おうまがとき)日没 - 天文薄明終了)におきた物語であろうと言われている。 ただし決定的な時間の特定はされていない。

宗教観[編集]

本作とキリスト教の関連がしばしば指摘されるが、宗教学者からは法華経との関連を指摘されている[19][20]。賢治は、父親が浄土真宗の熱心な信者であったことから、幼少のころから仏教的な環境で育ったが、18歳のときに『漢和対照、妙法蓮華経』を読み、法華経に興味を持った。国柱会田中智学の講演会を聴いたことをきっかけに、家出をして上京し、国柱会に入信、同会の講師から法華文学の創作を勧められたことから、『銀河鉄道の夜』『注文の多い料理店』『風の又三郎』などの童話を執筆した。後年、国柱会とは一定の距離を置いたものの、法華経への信仰は生涯続いた。

翻案作品群[編集]

漫画[編集]

映画[編集]

銀河鉄道の夜[編集]

1985年制作の劇場用アニメ映画。毎日映画コンクール大藤信郎賞受賞作。

劇中に登場するすべての文字はエスペラントで、表題のラテン文字表記も「Nokto de la Galaktia Fervojo」としている。主要登場人物を人間ではなく擬人化したとして描いた設定は、ますむらひろしが(アニメ版のもとになった)漫画化に際して施した脚色で、賢治の実弟である宮沢清六は、当初これに反発したが『校本宮澤賢治全集』の編集者である天沢退二郎らの説得により了承。最終的に作品の仕上がりを評価した。研究者の間でも最後まで「猫」への変更を了としない向きもあった。これはますむらの著書『イーハトーブ乱入記』(ちくま新書)に詳しい経緯が記されている。なお、漫画版ではズボンに靴まで履いていたのに対して、アニメ版では上着だけと衣服の着用は最低限度なものになっている。

また、この映画を観て「宮沢賢治の原作でも登場キャラクターは猫なのだろう」と勘違いする人が少なからず存在する。小谷野敦(比較文学者)も、この様な影響を及ぼした事は好ましくないとして批判している。

なお、本作にはタイタニック号の沈没をモチーフとした(ただし細部はタイタニックと合致せずあくまで架空の)エピソードが登場するが、この映画の音楽を担当した細野晴臣の祖父(細野正文)が実際のタイタニック号に乗船していたことが公開当時奇縁として紹介された。またこの歴史的な惨事に配慮して、船舶事故のシーンのみ猫の世界ではなく人間世界に起きたこととしてリアルに描かれており、ジョバンニらと旅をともにする青年と幼い姉弟も人間の姿となっている(漫画版ではジョバンニ達と同じく猫として描かれていた)。青年は、ますむらひろしの代表作「アタゴオル」シリーズの登場人物を基にデザインされている。

エンディングで細野晴臣の音楽に合わせて常田富士男が朗読している詩は、詩集『春と修羅』の「序」の一節である。

2007年9月27日の『BSアニメ夜話』でこの作品が取り上げられた。

2009年8月13日には『BS夏休みアニメ特選』でこの作品が放送された。

地方の局では何故か年末になると深夜に放送する事も多く、 また制作にテレビ朝日が関わっていたので既に地上波では何度か放送されている。

近年ではBSやCSで再放送される機会が多い。この映画の原作であるますむらひろしの漫画をはじめ、パンフレットサウンドトラック等のデザインは羽良多平吉が手掛けている。

銀河鉄道の夜 I carry a ticket of eternity[編集]

2006年制作の劇場用実写映画。

テレビドラマ[編集]

80年後のKENJI〜宮沢賢治 映像童話集〜「銀河鉄道の夜」[編集]

2013年3月6日NHK BSプレミアムで宮沢賢治没後80年を記念した映像作品による特別番組『80年後のKENJI〜宮沢賢治 映像童話集〜』の第5回と第6回として、それぞれ前編と後編が放送された。

放送日時
  • 前編:2013年3月6日 22:00 - 22:30
  • 後編:2013年3月6日 22:30 - 23:00
ストーリー
カムパネルラの死から1年が過ぎ、カムパネルラの父の招きで、カムパネルラの家にやって来たジョバンニが、カムパネルラの父からカムパネルラの最後の1日について聞かれ、それに答える形で銀河鉄道でカムパネルラと旅をした話を語る。回想シーンはほぼ原作通りに展開するが、ジョバンニやカムパネルラをはじめとする少年たちの年齢が高校生くらいに設定されている。また舞台設定は基本的に無国籍(建物はヨーロッパ風)だが、現代の日本のようにも見える部分がある(ジョバンニがイヤホンで音楽を聴いているなど)。
キャスト
スタッフ

ミュージカル[編集]

銀河鉄道の夜[編集]

2008年、劇団ひまわりのミュージカル。[1]

キャストが女性中心で構成されたベガ公演と、男性中心で構成されたアルタイル公演の2種類の公演が行われた。

銀河鉄道の夜[編集]

2004-2007年、劇団わらび座のミュージカル。[2]

「本作品は多くのミュージカルが制作されてきたが、どれも納得できない」と台本の市川は語る。その反省を踏まえて「原作に忠実に、余計なことを語らない。」をモットーに「今までの脚本家人生で最高の作品のひとつに仕上がった。」とのこと。

バウ音楽詩劇『イーハトーヴ 夢』宮澤賢治「銀河鉄道の夜」[編集]

2001年、宝塚歌劇団星組のミュージカル。[3]

演劇[編集]

銀河鉄道の夜[編集]

東京演劇アンサンブル公演、ブレヒトの芝居小屋。初演1982年2月9日–22日(全14ステージ)、毎年クリスマスにブレヒトの芝居小屋にて上演中。

世界初演。

イーハトーボの音楽劇「銀河鉄道の夜」[編集]

こどもの城主催、青山劇場。初演1995年8月3日–7日(全9ステージ)、再演1996年11月23日–30日(全11ステージ)。

光速銀河鉄道の夜(賢治島探検記内)[編集]

演劇集団キャラメルボックス成井豊が宮沢賢治作品を数作品を組み合わせて上演したものの一編。銀河鉄道の夜のエピソードを簡潔に展開、ラストには広く知られている最終稿と言われているエピソードだけではなく、初稿から第3稿に入っているブルカニロ博士の台詞も使用している。

想稿 銀河鉄道の夜[編集]

劇作家の北村想が、本作をベースとして書き起こした戯曲

人形演劇 銀河鉄道の夜[編集]

2010年1月21〜24日 東京都調布市せんがわ劇場で「調布市せんがわ劇場アンサンブル 第7回公演」として上演された。 プロの人形遣と、オーディションで公募された出演者が、半年間のワークショップを経て上演した。

群読音楽劇「銀河鉄道の夜」[編集]

桜美林大学プルヌスホールプロデュース/市民参加企画。2007年の初演より毎年夏に桜美林大学プルヌスホールにて上演。市民と学生とプロのアーティストで創るユニークなステージ。

プラネタリウム[編集]

銀河鉄道の夜 -Fantasy Railroad in the Stars-[編集]

2006年制作。KAGAYA studio 制作、音楽は加賀谷玲。

サンシャインスターライトドーム満天(現、コニカミノルタ プラネタリウム満天)で2006年6月17日から11月12日まで上映されたプラネタリウム番組。プラネタリウムの光学式投影装置は使用されず、デジタルの全天周映像システムによりドームスクリーンに映し出される短編CG映画のような作りになっている。2007年よりコニカミノルタプラネタリウム五藤光学研究所、リブラの配給により全国各地のプラネタリウムで上映されている。また、2008年4月より70mmフィルム版がエクスプローラーズ・ジャパンの配給により全国各地で上映されている。サンシャインスターライトドーム満天上映版ではナレーションが女優の室井滋であるが、全国上映版のナレーションは声優の桑島法子大場真人である。

この作品はDVDで市販もされているが、TVモニターでは、いかに大型画面で見ようともドーム全天周映像との落差はやむをえない。ただ、本編の長さについては、上映通常版が38分、短縮版が28分なのに対し、DVDは48分と作りこまれている。

2009年、上映版については場面追加や音響面でのバージョンアップがなされ、コニカミノルタ プラネタリウム満天で上映された(2009年6月20日 - 11月23日)。

ドラマCD[編集]

1996年[編集]

VOICE LANDより1996年3月5日に発売。

2008年[編集]

モモグレより、宮沢賢治生誕111周年記念アルバムシリーズとして2008年12月25日に発売。

その他[編集]

CD「銀河鉄道の夜」久石譲

宮沢賢治生誕100年の企画アルバムとして、1996年7月20日に発売。全編、久石によるインストゥルメンタルだが、一曲のみドヴォルザーク(ドヴォルジャーク)の「新世界より、第二楽章」(家路のタイトルで親しまれている)を久石がアレンジしたものが使われている。ライナーノーツはくもん出版刊の絵本「銀河夜鉄道の夜」(イラスト:東逸子)の絵を流用している。2013年7月24日にブルースペックCDによるリマスター版が発売された。

1985年7月7日:朝日新聞紙面、手塚治虫の新聞エッセイ記事:「『銀河鉄道の夜』を読む」※ 第2回日仏文化サミット'85 に参加のためにフランス滞在中に書かれた。

電子書籍[編集]

音楽絵本・銀河鉄道の夜[編集]

アップル社が開発したiPad用、iPhone及びiPod touch用のアプリケーションとして2011年から市販されている電子絵本。 イギリス人翻訳家による英語版も存在する。 4次稿を底本とした全文の絵本化が行われており日本のアップル社はこのアプリケーションを国語の教科書アプリケーションに推薦している。

銀河鉄道の夜から影響を受けたもの[編集]

作品[編集]

命名[編集]

出典・脚注[編集]

  1. ^ 賢治は自作の題名を列挙したメモの一つに「銀河ステーション」「風野又三郎」「ポラーノの広場」「グスコーブドリの伝記」の4編を「少年小説」として挙げている(『歌稿B』表紙メモ)。やや時代が遡ると見られる別のメモでは、「ポランの広場」「銀河鉄道」「風野又三郎」「グス-の伝記 下書直シ」を列挙したり(「青木大学士の野宿」草稿裏メモ)、「ポラン」「風野」「銀河」「グスコ」を「長編」として括ったり(「文語詩五十篇」下書裏メモ)しており、これら4作品を同じカテゴリーとみなしていたことがうかがわれる(「【新】校本宮澤賢治全集」校異による)。
  2. ^ 入沢康夫天沢退二郎らは、残存した賢治の原稿を綿密に調べ、使われている原稿用紙や筆記用具の分析および筆跡の変遷に基づいて、作品が書かれた年代ごとに整理を行い、1974年出版の全集(『校本宮澤賢治全集』の9巻および10巻)に、研究の結果として得られた「銀河鉄道の夜」の本文ならびに推敲過程を収録した(出典:ロジャー・パルバース「銀河鉄道の夜」、NHKテレビテキスト2011年12月号74頁。なおこのテレビテキストの75頁には上記全集に掲載された「本文について」という作品解説の図表を元に描かれた『「銀河鉄道の夜」の推敲過程』という図も掲載されている)。つまり,この1974年に発表された研究の前と後とでは,宮澤賢治作品としての「銀河鉄道の夜」にはその内容やストーリーの順序などにおいて大きな相違がある。
  3. ^ 宮沢賢治の希望を託した「銀河鉄道の夜」誕生物語』 NHK総合テレビ歴史秘話ヒストリア NHKアーカイブス2012年10月31日本放映
  4. ^ 原子朗 1989, p. 334.
  5. ^ a b 原子朗 1989, p. 395
  6. ^ 一戸直蔵 『星』 裳華房、1910年NCID BN11112001
  7. ^ 鎌田東二 2001, 63.
  8. ^ 『宮沢賢治の冒険』139項
  9. ^ 菅原千恵子 1997.
  10. ^ 江宮隆之 『二人の銀河鉄道 : 嘉内と賢治』 河出書房新社、2008年ISBN 9784309018560
  11. ^ 畑山博 1996, p. 47.
  12. ^ a b 『新編 銀河鉄道の夜』注解(57)および(58)[321-322ページ]より
  13. ^ ただし賢治自身が明言したものではなく、研究者による推測である点は留意が必要。
  14. ^ 青空文庫所収の「銀河鉄道の夜」は三種類ある。図書カードNo.456は新潮文庫版であり、図書カードNo.43737は角川文庫版(改定前)である。後者は現行の改定がなされる以前の版(筑摩書房1967年版全集が底本)である。第3次稿が本文に混淆しており、ブルカニロ博士が登場する。土屋隆『「銀河鉄道の夜」比較』(青空文庫、2005)は角川文庫版(改定前)と新潮文庫版の比較である。
  15. ^ 従来の刊本ではジョバンニが夢から覚醒した後の部分(現在は末尾となっている部分)が銀河ステーションの章の前に挿入されていた。なお、この入替えについては岩波文庫版に先立つ「宮沢賢治童話全集6」(宮沢清六ほか編、1964年、岩崎書店)の増刷版においてなされていたものである。
  16. ^ 原子朗 1989, 483項
  17. ^ 岩手日報2009/12/27
  18. ^ 『銀河鉄道の夜』 -Fantasy Railroad in the Stars-
  19. ^ 「宮澤賢治はなぜ浄土真宗から法華経信仰へ改宗したのか 正木晃
  20. ^ 「『銀河鉄道の夜』と法華経」定方晟
  21. ^ 劇場版 "文学少女"』公式HP
  22. ^ 疾風伝説 特攻の拓 15巻
  23. ^ 銀河鉄道の彼方に - 著者は語る(週刊文春WEB 2013年7月28日)
  24. ^ 『鉄道ジャーナル』2002年10月号p.31。

参考文献[編集]

  • 原子朗 『宮沢賢治語彙辞典』 東京書籍、1989年10月ISBN 448773150X
  • 畑山博 『銀河鉄道魂への旅』 PHP研究所、1996年9月ISBN 4569552889
  • 鎌田東二 『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』〈岩波現代文庫〉、2001年12月ISBN 4006020457
  • 菅原千恵子 『宮沢賢治の青春 : “ただ一人の友"保阪嘉内をめぐって』〈角川文庫〉、1997年11月ISBN 4043433018
  • 入沢康夫天沢退二郎 『『銀河鉄道の夜』とは何か 討議』 青土社、1990年5月、新装版。ISBN 4-7917-5077-2
  • 村瀬学 『『銀河鉄道の夜』とは何か』 大和書房、1994年1月、新装版。ISBN 4-479-39029-4
  • 伊勢弘志「大正期の思想潮流についての一考察 ―思想運動としての『銀河鉄道の夜』」『駿台史學』(131)2007年
  • NHKテレビテキスト2011年12月号、「銀河鉄道の夜 宮沢賢治」,ロジャー・パルバース,NHK出版,ISBN=978-4-14-223009-9(発行2011年12月1日).

外部リンク[編集]