谷啓

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たに けい
谷 啓
本名 渡部 泰雄
生年月日 1932年2月22日(77歳)
出生地 日本, 東京都大田区田園調布
国籍 日本
ジャンル 俳優
コメディアン
トロンボーン奏者
歌手
活動期間 1953年 -
主な作品
クレージーだよ奇想天外
奇々怪々俺は誰だ?!
釣りバカ日誌 シリーズ
死に花

谷 啓たに けい1932年2月22日 - )は、日本俳優コメディアントロンボーン奏者。本名、渡部 泰雄(わたべ やすお)。東京府荏原郡調布町(現・東京都大田区田園調布)生まれ。渡辺プロダクション所属。中央大学経済学部除籍[1]、中央大学学員会三鷹支部会員。

写真家の吉田ルイ子はいとこにあたる。

目次

[編集] 来歴・人物

  • 軍需会社につとめていた父の転勤により、生後すぐ広島に転居。小学校から横浜へ移り六浦尋常小学校へ通う。子供の頃は、幻覚や幻聴の症状があり、夜に月が二つ見えたり、天井が膨らんで落ちてくるように見えたり、夜中に「ゴムまりを突く音」や「泥棒の足音」が聞こえたりした。
  • 非常な恥ずかしがりやながらサービス精神のある子供で、「お手伝いさんを驚かそう」と、硬くなった犬のフンをかじったことがある。また、小学生時代は、級友の前で落語を演じていた。
  • 中学入試に失敗したため、高等科に1年通う。この不合格の際も、「落ち込んでいることがばれないよう」、口笛をふきながら上機嫌で帰ってきたという。その後、軍需工場で働く。
  • 1945年4月に旧制逗子開成中学校に進学。入学式の時のブラスバンドの演奏でトロンボーンに出会い、一目惚れして、当時の音楽部(現:吹奏楽部)に入部。しかし、トロンボーンという名前を知らず、また、あの楽器はなんというのかとも聞けず、担当楽器を決める際に適当にチューバを希望し担当した。8月に敗戦を迎えると、進駐軍がジャズを持ち込み、それを聞いて「こんなに楽しい音楽があったのか」と夢中になる。また、大量に上映されたアメリカ産のコメディ映画にも夢中になる。
  • 逗子開成高校時代から、キャバレーでバンドマンのアルバイトをしていた。関東学院大学経済学部に進むが、高校時代の音楽仲間を追って中央大学に転学。音楽研究会に所属し、バンドを組んでキャバレーや米軍向けに演奏していた。一方、喜劇俳優にもなりたくて、劇団民藝俳優座を訪ねたが相手にされなかった。
  • 在学中に、米軍相手のコミカルな演奏が原信夫に注目され、シャープス&フラッツに参加。本格的な演奏のほかに、トロンボーンのスライドを足で動かして吹くなどのコミカルな演奏も行う。「スイングジャーナル」誌上でトロンボーン奏者として上位にランキングされるようになる。
  • 芸名の由来は、アメリカの名コメディアン、ダニー・ケイを日本語風にしたもの。名乗り始めた当初は、「ダニー・ケイを敬う」という意味で「谷敬」だったが、ファンから「谷敬という字はいけません。なぜかというと、谷底でいつも敬っているんじゃ、ずっと底にいることになるから」という指摘を受け[2]、「谷をひらく」という意味の「谷啓」と改名した。ただし、髪型や芸風は、「アボット・コステロ」のルウ・コステロに似せている。「クレージーキャッツ」の他のメンバーはみな、ミュージシャン志望で役者になろうとは全然思っていなかったが、ただ一人、谷だけがコメディアン志望でもあった。
  • 1953年フランキー堺から「スパイク・ジョーンズのような音楽をやろう」と誘われ、谷もスパイク・ジョーンズの大ファンだったため、フランキー堺とシティ・スリッカーズに参加し、音楽ギャグを盛んにやる。だが、フランキーが日活に引き抜かれ、フランキー不在のシティ・スリッカーズは「普通のジャズバンド」になってしまう。
  • そのため、同じバンドの植木等の紹介で、ハナ肇に会い、ハナのバンド「キューバン・キャッツ」に1956年2月に移籍。のちにバンド名はクレージーキャッツと変わる。ジャズ喫茶に出演し、多彩なギャグで人気を博す。
  • 1959年の「おとなの漫画」以降、コメディアンとして多くのTVバラエティ番組に出演。「ガチョン」(当時は伸ばさなかった)「びろーん」「アンタ誰?」「ムヒョーッ」といった各種のギャグで不動の人気を獲得した。「谷だァ!」というギャグも一時期使っていたが、これは当時の流行語にもなった青島幸男の「青島だァ!」に対抗する形で発せられたもの。青島の葬儀告別式では弔辞を担当し、「『谷だァ!』…(『青島だァ!』が)返ってきませんね…寂しいです」と呼びかけた。
  • 俳優としてもテレビドラマや映画に多数出演している。
  • 1975年には、かねてからの夢だった本格的ミュージカル、森繁久弥主演の『屋根の上のバイオリン弾き』に出演、肉屋のラザール役を演じ、4年間の間、出演した。
  • 演出家の福田陽一郎の「好みの役者」で、福田が演出する舞台に多数出演している。
  • 1975年ごろから、自身のバンド「谷啓とザ・スーパーマーケット」を結成し、現在も活動中(結成時には、キーボード担当として、若き日の近田春夫も参加していた)。
  • またハナ肇が晩年に結成したバンド「ハナ肇&オーバー・ザ・レインボー」にも参加。(ドラム:ハナ肇、トロンボーン:谷、ピアノ:宮川泰、トランペット:中川善弘、ベース:江藤勲、テナーサックス:稲垣次郎)ハナが亡くなる直前まで活動していた。
  • ここ数年はバラエティ番組への出演がめっきりと減ったが、90年代後半にはスーツサングラス姿で、『笑う犬の冒険』のオープニングMCを勤めた。
  • 2006年には、資生堂のUnoのCMに登場し、往年のギャグ「ガチョーン」を披露をした。

[編集] エピソード

  • 植木等のあだな「植木屋」は、谷啓が最初に、つい「植木屋」と呼んでしまったのが始まり。
  • ハナ肇のあだなは「ハナちゃん」だったが、谷啓は他人を「ちゃんづけ」で呼ぶのが恥ずかしく、口笛で「スィー・スィー」と吹いて、ハナを呼んでいた。
  • 谷啓の一連のギャグの多くは、主に仲間とマージャンで、谷が牌をツモる時に発する奇声が起源になっている[3]。例えば有名なギャグ「ガチョーン」の手の仕草は、マージャンパイをツモる時のそれであり、単に手を開いたり閉じたりしているわけではない。よって、手を前に突き出す仕草ではなく、伸ばした手を引き込む(『ガッ』とつかんで『チョン』と引く)仕草であることに注意されたい。
  • 高速まばたきがクセである。
  • テレビに出演するようになった後に、友達から「音楽をやっているのなら、和声学を勉強したほうがいい」と助言され、多忙の中、音楽学校の通信教育で勉強し、4年かけて卒業した。
  • 妻はペギー葉山の元マネージャー。長年交際しても、恥ずかしがり屋の谷が一向にプロポーズしないため、夫人の側からプロポーズした。
  • プロレタリア文学に関心を持ち、古本屋を回って戦前に発刊された作品を買い集めていたことがある。
  • 弟は知的障害者だが、谷は彼と非常に仲がよく、結婚した後もずっと一緒に暮らしている。初の主演のテレビドラマ「田辺死す」で、谷が演じた知的障害者は、弟がモデル。
  • 1964年の東京オリンピックの際は、テレビでオリンピックの選手たちを観て「ものすごく素晴らしい」と大感動し、「それに比べてオレのやっていることは」と、仕事中は欝状態におちいったという。
  • 植木等によると、東京オリンピック当時はオリンピック選手に間違われたくて、当時の選手団のユニフォームだった赤のジャケットを着て出歩いたり、自宅の電話の受話器を重量挙げのバーベルに見立て、電話の横にロージンバッグを起き、電話に出る前はそれで滑り止めの粉を付け、「フンッ」と勢いをつけてから受話器を取るなど、奇行の人でもある。
  • 恥ずかしがり屋の反面、その自分を嫌って「逆に派手なこともする」性格で、車はずっと外車に乗っている。一時は、ど派手なアメ車サンダーバードばかりに乗っていた。
  • 1968年に三鷹市に家を新築したが、1969年に火事になり全焼。谷はこの時、「火事のシーンを撮りたい」と、わざわざ家にひきかえし、家庭用8ミリ映画のカメラを持ち出したが、フィルムが入っていなくて、撮影できなかったという。また、当時は麻雀に熱中していており(メンバーは、小野ヤスシなべおさみ人見明など)、焼け跡に麻雀牌と麻雀卓が残っていたことから、焼け跡で見舞い客たちと麻雀を打った。
  • 火事の後に建て直した家は、玄関から全部屋に音が流れるようになっていて、谷が深夜に帰宅すると「ただいま帰りました、起きている子供は集合するように」と放送して、子供たちを集め、思いつくままの空想やひらめきをアクションまじりで話し、子供たちと夜中に大熱中していたという。
  • また、怪奇映画、ホラー映画の、大の愛好家である。
  • 「足の水虫が好き」で、まったく治療せず常に水虫状態だという。靴を履いている時に「むずがゆいのを我慢する」のが気持ちよく、また、耐え切れなくなって掻く時の開放感もたまらないという。

[編集] 出演

太字は役名

[編集] 映画

単独主演作

出演作

[編集] テレビドラマ

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[編集] バラエティ

[編集] 教養番組

[編集] ラジオ

[編集] コンピュータゲーム

  • beatmania APPEND GOTTAMIX
  • セガ メガCD「SWITCH」:音楽担当

[編集] CM

[編集] ディスコグラフィ

  • 愛してタムレ/図々しい奴
  • あんた誰?/天下の若者
  • ヘンチョコリンなヘンテコリンな娘/小指ちゃん
  • 虹を渡ってきた男/プンプン野郎
  • オムライスチョンボ№5
  • おらぁグズラだど
  • グズラ音頭
  • アイヤ・ハラホロ

[編集] 著書

  • 『ふたつの月』日之出出版、1989年
  • 『七人のネコとトロンボーン』読売新聞社、1995年

[編集] 「谷啓」を演じた俳優

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

  1. ^ 『七人のネコとトロンボーン』p.56によると、有楽町日本劇場にトロンボーン奏者として出演していた時、舞台と舞台の間に大学の月謝を払おうとして現金持参で中大駿河台校舎まで飛んでいったが、月謝を納める学生たちが行列しており、列に並んでいては次の舞台に間に合わなかったため「カネを払うのに行列まですることはねえだろう」と思って日劇に戻り、そのまま除籍になったという。
  2. ^ 五歩一勇シャボン玉ホリデー スターダストを、もう一度 』p.152(日本テレビ放送網、1995年
  3. ^ 『七人のネコとトロンボーン』P.118