高木ブー

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高木ブー
本名 高木 友之助(たかぎ とものすけ)
ニックネーム デブ
ブーたん
ロクさん
友ちゃん
大ちゃん
シャーリング
おっつぁん
友之
ホアコクア
生年月日 1933年3月8日(78歳)
出身地 東京府東京市豊島区(現:東京都豊島区)
血液型 O型
身長 160cm
方言 共通語
最終学歴 中央大学経済学部
グループ名 ザ・ドリフターズ
相方 いかりや長介
加藤茶
仲本工事
荒井注
志村けん
芸風 コント
事務所 渡辺プロダクション

イザワオフィス
過去の代表番組 8時だョ!全員集合
ドリフ大爆笑
他の活動 ウクレレ奏者
俳優

高木 ブー(たかぎ ブー、Boo Takagi[1]1933年3月8日 - )は、日本コメディアンミュージシャンタレントであり、「ザ・ドリフターズ」、「こぶ茶バンド」のメンバーである。

本名:高木 友之助(たかぎ とものすけ)。身長160cm。血液型O型

ドリフ映画での呼び名は「デブ」。20代の頃から70代の現在まで芸名通りの肥満体型をしている。

目次

[編集] 来歴

東京府東京市豊島区巣鴨(現:東京都豊島区巣鴨)に生まれ、戦災に遭って母方の郷里の千葉県東葛飾郡柏町(現:柏市)で育つ。3人の兄と2人の姉を持つ末っ子だったため、6番目の子という意味で、近所では「ロクさん」または「友ちゃん」という愛称で親しまれていた[2]

京北学園中学校3年の時、兄からウクレレを贈られた事がきっかけで夢中になる。中央大学経済学部在学中は音楽研究会「ルナ・ハワイアン」に所属。この研究会の先輩に谷啓がいる。

最近になり、ウクレレ奏者としての面がクローズアップされてきているが、中央大学在籍中からハワイアン・ミュージックに造詣を持ち、ユニットを結成し、当時都内の学生の間で名前が知れ渡る程の腕前を持っている。

大学卒業後、東京ガスの採用内定を蹴ってプロのミュージシャンとなる。当時の芸名は高木智之で、「高木智之とハロナ・セレナーダス」「高木智之とハロナ・リズム・コーラス」「ニュー・フレッシュメン」「ジェリー藤尾とパップ・コーンズ」「ロジェ滋野とシャドーズ」のバンドマンとして米軍キャンプ等で演奏。パップ・コーンズではバンジョーを、シャドーズではエレキギターを担当していたが、横浜のジャズ喫茶「ピーナッツ」での演奏中に、桜井輝夫といかりや長介にスカウトされ、1964年9月16日[3]、ピアニストの欠員補充としてザ・ドリフターズに参加。いかりや長介の著書によると、外見がコミックバンド向きなので新生ドリフにスカウトしたと述べている。

ドリフ参加後もしばらくは「高木智之」を名乗っていたが、のち現在の芸名に変更。『高木ブー』という名前は、「ハナ肇とクレージーキャッツ」のリーダー・ハナ肇が、「お前は太っているからブーでいいや」という一言で、本名の「高木」に「ブー」を組み合わせて付けられた[4]

しかしいかりや説によれば、「ブーたん」と言うあだ名から、ハナ肇より「たんを取れ」と言われブーになったとのこと。加藤茶は「高木は見た目でブーなんだけど、ハナさんが『ブタ小屋はきれいに洗わないと』なんて」と、経緯を語っている[5]

1984年9月14日、『8時だョ!全員集合』のリハーサル中に両足のアキレス腱を断裂し、約4ヵ月の間活動を離脱している。この間『全員集合』のオープニングクレジットでは括弧書きになっていた。 またこの時、本人は活動離脱を機に番組からフェードアウトすることも考えていたという。しかしそれを聞いたリーダーであるいかりやの粘り強い説得が高木本人の心を動かし、高木は翌年の放送から再び同番組へ復帰。

1985年9月28日、『全員集合』が終了。その後、ドリフのメンバーとして初めて単独での活動を開始。別役実の芝居に複数出演し、将来は新劇の役者になるのかと思っていたこともある[6]

フジテレビバラエティ番組ドリフ大爆笑』シリーズのカミナリ3兄弟シリーズでの「雷様(角付きアフロヘアーを被った緑色の全身タイツ姿)」が特に有名で、NHK教育テレビの番組でウクレレを教える際も雷様の格好をしている。

1991年水戸黄門第20部』にゲスト出演している。前年の1990年には仲本工事左甚五郎役でゲスト出演している。

2001年東京麻布十番にハワイアンバー「ブーズバー・ハロナ」を開店 (2006年7月まで)。また、カメハメハ大王の直系の子孫でハワイ大学教授人間国宝ルビライト・カウエナ・ジョンソンからハワイ文化の普及に対する貢献を評価され、ハワイアンネーム「ホアコクア」を授かった。ハワイ語で「友達を助け支えになる。精霊を分け与える」の意味である[7]

ハロナ・セレナーダス時代の仲間の青木健たちと共に「高木ブーとニュー・ハロナ」を結成するなど、ウクレレ奏者としての活動も盛んで、CDアルバム『LET IT BOO』をはじめ、2002年にはモーニング娘。とのコラボレーションでハワイアン風のCD、2004年10月に『美女とYABOO!』をリリース発表している(詳細は高木ブー#CD参照)。

2002年明治乳業VAAMのCMに出演し、マラソン選手高橋尚子と共演した。

2003年6月から7月放送のNHK総合テレビ『連続ドラマ 女神の恋』で農場経営者の役を演じた。

2008年3月には、大好きなウクレレで、憧れのハワイにおいて最高の名誉といわれるワイコロア・ウクレレ・フェスティバルにプロ演奏者として始めて招聘された (ハワイで唯一の日本語専門ラジオ局KZOO放送2008年3月10日のニュースで紹介された)。2009年3月にも同フェスティバルにプロ演奏者として30分間のソロ・ステージをこなした(ハワイの日本語専門ラジオ局KZOO放送のニュースで3月9日に紹介)。

※デビューから暫くの間公式発表していた年齢は6歳ほどサバを読んでおり、最近の文献やテレビ番組でも年齢に矛盾が見られる場合がある。高木がテレビで語ったところによるとサバを読んでいたのは荒井注が実年齢より6歳若く昭和9年生まれにして高木ブーより年下になってしまったため、メンバー間の序列のバランスを取るため年齢を変えさせられたとの事。

[編集] エピソード

愛校心が強いことで知られるが、卒業した中央大学には本名と同姓同名の「高木友之助」という総長(学長)がおり、この高木総長より「高木友之助様 高木友之助より」という手紙を受け取ったことから、両者の間に親交が生まれたことがある[8](高木友之助総長は、双葉山在籍時の立浪部屋親方・四代目立浪弥右衛門の長男)。

『全員集合』の冒頭コントで激しい体技が必要になる場面ではいつの間にか消えてしまうことが多く、それ以外でも体型を生かして笑いを取る場面以外で笑いの中心に居ることは少なかった。その結果、何もしない、何もできない無能の代名詞として扱われる事も多く、筋肉少女帯から自らの無能ぶりを高木に喩えたシングル『元祖高木ブー伝説』がリリースされて話題となった。この時事務所側はクレームをつけたものの、高木本人が「若い奴がバカやってるんだから許してあげようよ」と鷹揚な対応を見せた事でリリースが可能となり、更には筋肉少女帯のライブを訪れてセッションを行うなど自ら交流を行った。これに応え、当時の筋肉少女帯のリーダーであった大槻ケンヂも高木経営のバーでのステージ等に自ら進んでゲスト出演している。

大槻は、後に徹子の部屋に出演した際、「この曲はとても誤解されている。表面的な部分を面白がるだけで終わらない人は、自分が考えていたよりもずっと少なかった」と話すと同時に、実際に接した際の高木の人柄を「芸能界に居るのが勿体無いような素晴らしい人」と絶賛した。上記の通り無能なイメージがあったが、ドリフのリーダーであったいかりやは生前、自分の方から高木をやめさせようと思ったことは一度もないと自著『だめだこりゃ』の中で語っていた。

1995年8月、渋谷公会堂での前半のコントをSIAM SHADEと共演した。

特技は居眠りで、どんな状況でも眠れる体質。ドリフターズの駆け出し時代にフジテレビの番組『歌え! 一億』のスポンサーとの会議中に大いびきをかきながら居眠りをしてしまい、番組が打ち切りになったことがある。後にピックウィック症候群(肥満による重度の睡眠時無呼吸症候群)が原因である事がわかった。

加藤によると、いかりやの死後は自分が最年長だから現ドリフのリーダーであると宣言しているという。但し、いかりやの葬儀の際にメンバーを代表して弔辞を読み上げたのは、いかりやと最も付き合いの長い加藤である。

いかりやによれば大学生の頃(本人の著書によると高校生の頃)ボクシングをやっていた。日本テレビ系『ダウンタウンDX』で「殴られて鼻血でも出したら、カッコ悪いじゃない。だからやめた」と証言(「万一指をケガしたらウクレレがひけなくなるから」とコメントしたこともある)。また同番組では「いかりやから貰った弁当の海老フライをいかりやに取られ逆上した」「『俺の給料を上げろ!』といかりやの元に単身抗議しに行った」と、のんびりとしたイメージとは裏腹のエピソードを語っている。

趣味はクレー射撃。メンバー全員がクレー射撃の資格を持っていた(加藤は度重なる交通違反の前歴により取消処分を受けている)が、高木のみ趣味として継続している。これは、フジテレビ『トリビアの泉』でも紹介されている。高木いわく「最初に始めたのは長さん(いかりや)で、周りのメンバーも巻き込んでやらせたくせに、メンバーが上達して自分より上手くなると先にやめてしまった」とのこと。

高木ブーは射撃好きの芸能文化人で結成している『芸能文化人ガンクラブ』の第二代目理事長を、三橋達也から引き継いで務めている。現在では故人となった前会長の森繁久彌に代わって会長職も代行している。

また、絵を描くことも好きで、水墨画系のイラストもたしなむ。加藤の店がオープンした時、雷様などのイラストを展示していた。

大好物は焼肉煎餅太刀魚で焼き肉は生であっても網の上に並べたそばからすぐ食べる。じっくり焼いて食べるのが好きだったいかりやはその事に激怒してテーブルの鉄板に顔を押し付けたという伝説がある。レバ刺しが特に好きで、焼肉店では一度加熱用レバーをレバ刺しと間違えて平らげてしまったほどだが、近年医者から止められている。なお、嫌いな食べ物はうどんであると語っている。

東京都港区麻布十番で、バー “Boo's Bar HALONA” を営んでいた(2006年7月をもって閉店)。同店内で定期的にミニコンサートを行ったほか、ウクレレ教室も開きニューハロナのギタリスト・青木健と共にウクレレを指導した。また、NHK教育テレビジョンの『趣味悠々』でもウクレレのレッスン番組を行ったこともある。なお、愛用のウクレレはダブルネック(4弦+8弦)である。

高木は愛妻家としても有名であった。ドリフの全メンバーの中で、離婚も再婚もせず、また複数の女性と関係を持つこともなく、ただ1人の女性に最後まで変わらない愛情を注ぎ続けたのは高木だけである(妻とは1962年に結婚)。その最愛の妻を1994年脳腫瘍で亡くした時の高木の悲嘆は激しく、高木はそれ以来、妻を助けてくれなかった神を一切信じることができなくなったとまで語っている(自伝:『第5の男 -どこにでもいる僕-』より)。

高木は妻を亡くして以来、残された一人娘を他家へ嫁がせることに耐えられず、娘の結婚相手は自分と一緒に住んでくれる男性であることが絶対条件だったという。実際、彼は現在も娘夫婦と一緒に暮らしている(『徹子の部屋』に出演した際の告白)。

新宿区西早稲田には、散歩する高木にあやかった通称「ブー横丁(通り)」が存在する。早稲田通りの一本裏の道で、昔から高田馬場駅から早稲田大学西早稲田キャンパスへの通学路として使われてきた。

他のドリフメンバーと共にホノルルマラソンに出場したことがある。列の後ろの方からスタートしたが、スタート地点に達するまでに、わずか2kmでリタイアしてしまった。この事はトリビアの泉で「ある事情により取り上げられなかったトリビア」として放送されている。

中日ドラゴンズの大ファンで、落合博満が中日に現役在籍時に、特番で落合家に仲本工事と訪問した時も嬉しそうな表情を見せた。 高木自身は名古屋と縁があるわけではなく、若いころ12球団を見まわしたところ中日に3人の高木姓(守道時夫一巳)がいたことでファンになったと言う。[9] 以来選手とも親しくなり、2010年からは高木と体型が似ていて「ブーちゃん」の愛称を持つ中田亮二が中日に入団し、中日のキャンプ地である沖縄県北谷を訪れた際には、高木がキャンプ中の中田と絡んでいる写真や記事がスポーツ紙に掲載されるようになった。

過去に「クイズ・ドレミファドン!」「踊る!さんま御殿!!」に娘と一緒に出演したことがある。

[編集] 芸風

特徴としては、高木ブーのコントギャグは一発ネタ傾向が多いことが挙げられる。これには、「半ページの長介、3行の仲本、1行の加藤、感嘆詞のブー」と映画出演の際に揶揄されたほど、セリフ覚えが悪い事から。唯一饒舌気味の雷様・3人ジィさんも、ほとんどアドリブに近いノリで、実質高木のギャグは一発ネタ気味である。ドリフ大爆笑のサウナコントでは全身入れ墨メイクで登場し無言で他のメンバーを威圧する役もやったことがある[1]

しかし、時には周囲が唖然とし、場の空気を一変させてしまうほどのシュールな振る舞いやハイテンションな演技を見せ、どこまでが本気でどこからが冗談なのか判然としない天然な持ち味もあり、その芸風は単純にひと括りにはできない。

[編集] 出演

この節では高木自身の出演作品を記述する。

[編集] CM

[編集] テレビ番組

[編集] 映画

  • ドリフターズですよ!
  • ドリフターズですよ! 前進前進また前進(1967年)
  • ドリフターズですよ! 全員突撃(1969年)
  • 釣りバカ日誌10(1998年)

[編集] PV

[編集] CD

[編集] シングル

  • GOOD!(1997年8月1日、SRCL-3981)
  • 僕の大好きな場所(1999年7月1日、SRCL-4538)
  • モーニング娘。シングルメドレー 〜ハワイアン〜(2002年6月26日、EPCE-5167)

[編集] アルバム

[編集] その他参加

[編集] 著書

[編集] その他

  • 高木ブーの楽しいウクレレ 通信講座(がくぶん総合教育センター)

[編集] 関連人物

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 『第5の男』の表紙と奥付にBoo takagiと記されている。
  2. ^ 松戸よみうり〜私の昭和史 忘れ得ぬ人びと 人生一期一会(26)高木ブーさんの恋多き青春時代 根本圭助
  3. ^ 『第5の男』p.95
  4. ^ 『第5の男』p.106-107
  5. ^ 朝日新聞夕刊「人生の贈りもの」2008年12月3日掲載より
  6. ^ 『第5の男』p.134-137
  7. ^ 『第5の男』p.170-171
  8. ^ 『第5の男』p.171
  9. ^ 中日スポーツ2012年2月18日付2面

[編集] 外部リンク

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