東村山市

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東村山市
ひがしむらやまし
日章旗 日本
地方 関東地方
都道府県 東京都
団体コード 13213-6
面積 17.17km²
総人口 149,235
推計人口、2009年5月1日)
人口密度 8,690人/km²
隣接自治体 東久留米市
清瀬市
東大和市
小平市
埼玉県所沢市
市の木 ケヤキ
市の花 ツツジ
市の鳥 ハクセキレイ
東村山市役所
市長 渡部尚
所在地 〒189-8501 東京都
東村山市本町一丁目2番地3
電話番号 042-393-5111
外部リンク 東村山市
東村山市の位置

東村山市位置図(東京都)

:区 / :市 / :町・村
特記事項:
人口は推計人口
人口密度8568.3人/km²(2006年6月1日)
テンプレート(ノート・解説・ウィキプロジェクト)
市域のランドサット衛星写真

東村山市(ひがしむらやまし)は、東京都多摩地域にある

高田馬場駅まで西武新宿線で最短22分という地の利からベッドタウンとして開発が進められた。

目次

[編集] 地理

市域はの頭部を正面から見たような形をしている。萩山町が鼻に相当する。武蔵野台地のほぼ中央、狭山丘陵の東縁に位置する。市内を流れる川(空堀川・野火止用水など)は荒川に注ぎ、多摩川に注ぐものはない。

空堀川は台風が来たときなどの大雨が降る度に溢れそうになるほどの水量となっていたが、流路の変更(直線化)、川幅を広げる等の大規模な河川改修工事が完了し、その一部は親水公園となっている。(かつて川から水が溢れて、川に隣接する大岱小学校の校庭が水に浸かったことがあった)

当市の出身者でコメディアン、俳優の志村けんの『東村山音頭』によって全国的に市名が知られることとなった。その中にも出てくる多摩湖(村山貯水池)はほとんどが西隣の東大和市にあるものの、新宿副都心開発により閉鎖された淀橋浄水場の代替地となった東村山浄水場があり、多くの東京都民が恩恵にあずかっている町である。

市の西部に狭山丘陵の東の縁があるが市域の大半は武蔵野台地の平坦な土地である。江戸時代の初めに幕府老中松平伊豆守信綱が掘らせたことから伊豆殿堀とも呼ばれる野火止用水や狭山丘陵から流れ出している空堀川から水利を得て、畑作が盛んなところだった。

[編集] 隣接する自治体

[編集] 歴史

市域には旧石器時代からの遺跡が分布し、縄文時代には笹塚遺跡をはじめ縄文中期の集落遺跡が数多く分布し、縄文後晩期では下宅部遺跡の存在が知られる。弥生時代の遺跡は皆無で、古墳時代には後期集落は見られるものの、古墳の存在は無い。

律令制下では武蔵国多摩郡に属し、奈良・平安時代の遺跡では完形の瓦塔東京国立博物館所蔵)が出土した東村山市No.2遺跡のほか、平安時代の池状遺構も見られる。古代には官道である東山道武蔵路の道筋が南北に比定されている。

平安後期には狭山丘陵に武蔵七党村山党が進出し、一族は鎌倉幕府御家人となった。鎌倉時代には鎌倉街道の上道が通り久米川宿を中心とする宿場として栄え、日蓮佐渡島に流刑される際に当宿に宿泊している。鎌倉末期には武蔵野台地を舞台に新田義貞率いる倒幕軍と幕軍の間で一連の合戦が起こり、市域では久米川の戦いが起きている。また、幕府滅亡後に成立した建武の新政に対して北条残党が放棄した中先代の乱における合戦も起こっている。戦国期には相模国戦国大名である後北条氏の領国に含まれ、後北条領国では川越街道が整備されたため、相対的に鎌倉街道の重要性は薄れる。

江戸時代幕府直轄領となり、武蔵野台地の開拓が進む。また、尾張徳川家の設置した鷹場にも含まれる。明治維新後には野口村・廻田村・久米川村・南秋津村の各村は韮山県、次いで品川県の所属となり、1872年明治5年)に神奈川県多摩郡の所属となった。1878年明治11年)には郡区町村編制法により多摩郡北部が北多摩郡となり、1880年明治13年)には埼玉県入間郡に属していた大岱村も北多摩郡に編入となった。

主要な産業は畑作で、養蚕製茶絹織物の生産も行われる。近代には鉄道開通による宅地化が進む。

1889年4月1日町村制施行の際に、北多摩郡野口村・廻田村・大岱村・久米川村・南秋津村が合併して東村山村(ひがしむらやまむら)となった。村名は、この一帯を村山郷といい、村域がその東部にあったことによるものである(山形県村山市や同じ東京都にある武蔵村山市との同名回避ではなく、東久留米市埼玉県東松山市と命名の由来が異なる)。

1942年4月1日に東村山町(ひがしむらやままち)、1964年4月1日に東村山市となった。

[編集] 人口

東村山市と全国の年齢別人口分布図(比較) 東村山市の年齢・男女別人口分布図
紫色は東村山市
緑色は日本全国
青色は男性
赤色は女性
1980年 119,363人
1985年 123,798人
1990年 134,002人
1995年 135,112人
2000年 142,290人
2005年 144,929人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 行政

[編集] 市長

[編集] 歴代市長

  • 小山林平
  • 熊木令次
  • 市川一男
  • 細渕一男

[編集] 市議会

[編集] 広域行政

  • 多摩北部都市広域行政圏協議会
    多摩地域北東部の西東京、小平、東久留米、清瀬、および東村山市の5市で施設の相互利用、イベントの共同開催などを行っている。通称「多摩六都」。「六都」とは合併前の田無、保谷を含めたものだが、名称は合併後も継承されている。西東京市内に多摩六都科学館を持つ。
  • 東京都十一市競輪事業組合
    八王子、武蔵野、青梅、昭島、調布、町田、小金井、小平、日野、国分寺および東村山市の11市で京王閣競輪を開催している。

[編集] その他

  • 東村山市は革新市政になったことはないものの、市役所では長らく市職労(自治労)の影響力が強く、公明党日本共産党も強い地盤を持っている。このため1990年代まで公務員ラスパイレス指数は非常に高く、都内日野市武蔵野市福生市小金井市大阪府箕面市岸和田市などとともに全国自治体の最上位であった。高水準の給与は2000年代に入ると是正され、現在は平均的水準に抑えられている。
  • ベッドタウン開発が着手される前は、農家と富豪の邸宅が若干存在していたことを除き、全域が雑木林で占められていたため、その土地柄を活かして結核患者を対象とした診療所が多く点在していた。うち八国山緑地の麓にあった診療所は『となりのトトロ』作中にも出てきている。なお、現在市内に存在する総合病院は、すべてその診療所の跡地に建造されている。

[編集] 自治体交流

[編集] 国内

[編集] 海外

[編集] 国政・都政

[編集] 国政

衆議院小選挙区選挙では東京20区(東村山、東大和、清瀬、東久留米、武蔵村山)に属す。近年選出の議員は以下のとおり。


[編集] 都政

北多摩1区(東村山、東大和、武蔵村山)に属す。定数は3人。近年選出の議員は以下のとおり。

[編集] 施設

[編集] 消防(東京消防庁

管轄地域は市域に等しい。同署は第8方面本部の隷下にある。消防は市町村の責任業務であるが、多摩地域のほとんどの市町村は東京消防庁へ消防業務を委託しており、本市もそれに習っている。

  • 東村山消防署(美住町2-28-16)化学機動中隊・救急隊1
    • 秋津出張所(秋津町2-31-41)救急隊1
    • 本町出張所(本町1-1-2)特別消火中隊・救急隊1

[編集] 警察(警視庁

東村山警察署 (東村山市と清瀬市を管轄)

[編集] 水道(東京都水道局

[編集] 教育

[編集] 小学校

市立

[編集] 中学校

市立

私立

  • 高校を併設しているものは高校の項にまとめて記す。

[編集] 高等学校

都立

私立

[編集] 大学

[編集] 交通

  • 国道は通っていない。主要地方道が東西南北に複数通り、道路交通の要衝となっている。
  • 鉄道は西武鉄道の複数の路線が通っている。中心駅の東村山駅は乗り換え駅となっている。

[編集] 鉄道

西武新宿線東村山駅

西武新宿線高田馬場駅まで東村山駅利用で最短22分、西武池袋線池袋駅まで秋津駅利用で最短23分である(ひばりヶ丘駅で急行乗り換え)。

[編集] バス

グリーンバス(西武バス)

いずれも東村山駅東口発で新秋津方面(多摩北部医療センター止まりの 折り返しと交互運転)、久米川町循環、諏訪町循環の3方向への運行がされている。

なお、銀河鉄道は新秋津線の折り返し系統(多摩北部医療センター止まり)のみ担当


[編集] 道路

都道府県道

[編集] 観光

[編集] 名所旧跡等

国宝・正福寺千体地蔵堂

[編集] 祭・イベント

  • 菖蒲祭り(北山公園 毎年6月の第2土日)

[編集] 著名な出身者

[編集] 政治(上記以外)

[編集] 芸能

志村けんの木

[編集] マスコミ

[編集] 文化

[編集] スポーツ

[編集] 東村山を舞台とする作品

  • 映画『となりのトトロ』 - 舞台は八国山緑地と新山手病院がモデルとなった。
  • アニメ『風人物語』 - 物語中、東村山駅が出てくる。
  • 漫画ケロロ軍曹 - 5巻45話にて、多摩湖自転車道路と共にその名称(作中では『南村山市』)が出てくる。

[編集] その他

  • 市外局番 : 042
  • 西口再開発の名目で約700億円の財政難の中、約50億円の市税が投じられ、100メートルマンションが建てられることになった。先の市長選では、開発推進側の候補が当選したが、これは反対派が候補者を一本化できずに2人候補者が出てしまい、反対派の票が割れたためである。反対票は過半数に達し、民意は反対多数の見方もあるが、市長は開発推進の方針を変えてはいない。

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ