和菓子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
見た目の美しさも追求される和菓子

和菓子(わがし)とは、日本の伝統的製造法で作られた菓子のこと。明治時代以降にヨーロッパなどから新しく日本に入ってきた洋菓子に対して使われる言葉[1][注釈 1]。言葉として定着したのは第二次世界大戦の後であり、国語辞典などにも登場し始めた[1]

遣唐使によって伝来した唐菓子や、宣教師によってもたらされた南蛮菓子も和菓子に含めるとする意見が主流である。

概要[編集]

茶道で使われる和菓子のひとつ、西王母
の実の姿を映す)
なたねきんとん菜の花のイメージ)
代表的な春の上菓子
源氏巻
餡を焼き皮で包む
砂糖を主原料とした和菓子

茶道に於ける薄茶(うすちゃ、お薄(おうす)とも)や濃茶(こいちゃ)とともに食べることもあり、味覚は元より美的鑑賞にも堪えることを期待されて発達した食品。通常、薄茶席では干菓子を、濃茶席では生菓子(主菓子)を供される。

日本茶抹茶のお茶請けになることが多いため、甘いものが多く、はほとんど使われない。

砂糖水飴小麦小豆など、比較的少ない種類の主原料より、多くの種類の和菓子が生み出される。また、洋菓子のように生のフルーツが素材として使われることは少ないが、煮たり、干したりしたものは使用される場合がある。

原料に砂糖を用いるようになったのは近世以降であり、特に和三盆は、容易には白砂糖が手に入らない江戸時代、その独特の風味と程よい甘さによって、和菓子の発展に貢献したとされる。砂糖を用いるようになる以前における、もっとも甘い嗜好品はであったことから、和菓子が持つ味覚の繊細さを窺い知ることができる。

また、和菓子には芸術作品としての側面も要求される。の和菓子であれば、を感じさせるためになどを用いて透明感ある作品に仕上げるといった具合に、季節感の表現一つにも材料を吟味する。特に精巧に作られる工芸菓子と呼ばれる分野もあり、食用可能な和菓子の材料で花鳥風月の世界を表現する。

種類[編集]

水分量20%以下の和菓子を干菓子(ひがし)または乾菓子(ひがし)、40%以上の和菓子(羊羹は30%以上)を生菓子、その中間を半生菓子という。和菓子は大きくこの3タイプに分類される。

季節の和菓子[編集]

京都の和菓子[編集]

お供え菓子の一例

京都の和菓子は、宮中公家寺社、茶家に納めたり、特別なお祝いのためにあつらえる「上菓子」、普段に食べる「おまん(饅頭の略)」や「だんご」「餅菓子」に分けられる。前者を作る者を菓子匠、御菓子司などと称し、後者を作る者を「おまんやさん」「おもちやさん」と呼んだ。「○△餅」という店でも、饂飩(うどん)・寿司・おはぎが出されるところが現在もある。現代ではその区分も曖昧になってきている。上菓子は、お供え菓子や、茶道の菓子として洗練した発展を遂げ、普段の菓子も年中行事ごとに様々なものが食べられた経緯から多彩に展開した。その伝統が今日の京菓子に反映されている。

上菓子[編集]

上菓子は以下のような素材、中間素材、製法を用い、美的に作り上げる。

こなし
白こし餡(手亡豆等の隠元豆、あるいは白小豆の餡)と薄力粉を混ぜて蒸したものに砂糖水を加え、練り上げたもの。色をつけてさまざまな形に加工する。梅の蕾をかたどった「未開紅」、紅葉に仕立てた「竜田川」をはじめ、葛菓子の餡など多彩に展開する。
きんとん
蒸した山芋を裏漉しして砂糖と炊いたもの(薯蕷煉り切り)や、白餡寒天で固めたもの(きんとん餡、天餡)、白餡を求肥でつないだもの(煉り切り)を、色々な色にそめ、うらごし器でそぼろ状にし、餡などの芯に植え付けて季節を表現する。 
求肥(ぎゅうひ)
もち米の粉を水で練って湯がき、火の上で砂糖を加えて練ったもの。夏の菓子「鮎」、「調布」などに使う。
くず
本葛粉に水を加えたものを漉して、砂糖を加え加熱し、アルファ化させる。葛切り葛饅頭など透明感が涼しさを呼ぶ。また六方を焼いただけの「葛焼」は熟練を要する菓子。
薯蕷(じょうよ)
山芋のこと。「織部まんじゅう」など上用饅頭の皮は、山芋をすり下ろして砂糖と上用粉(細目の米粉)を加えたもの。餡を包んで蒸して作る。また、すり下ろした山芋に、砂糖、水、軽羹粉(粗目の米粉)を加え、蒸し上げたのがカルカン(軽羹)。蒸した山芋を裏漉しして砂糖と炊いたものが、薯蕷煉り切り。どの場合も、山芋本来の「白さ」と、独特の香りを生かすことが大切。

この他にも「道明寺」「淡雪」「錦玉」など中間素材は数多い。中間素材の段階までに炊く、蒸す、混ぜる、練るなどの作業があり、その一つでも蔑ろにすると美味しい菓子はできない。また材料も厳選されたものを素材に応じてあく抜きなどをしながら、味を引き出す技術が要求される。そして最後に季節感や、菓子が食べられる場のコンセプトを表現しなければならない。繊細な感覚と確かな技術で上菓子は作られる。ただし、その製法および感性は菓子店、職人によって千差万別であり、僅かな差異がそれぞれの個性になっている。

和菓子商人の受領官名[編集]

江戸時代、市内の菓子商人は店ごとに掾国名を付記したが、これは菓子商人は京都、中御門家の支配に属していたからである。当家の役所からは1年おきに下役数人ずつが浅草新堀端の松平西福寺内の役宅に出張し、江戸市内において掾国号などの官名を明記せずに、単に「XX屋XX兵衛」のような通称で営業する菓子屋を捜索した。そしてその家主、地主に差紙を送り、無免許者を役宅出張所に召喚し、菓子商人は京都、中御門家の支配に属すること、当家から掾国号の官名を受け営業すべきことを諭し、希望に応じて掾国名を授与した。

官名等級は藤原姓が最高で、次いで山城、大和、河内、和泉、摂津など、また武蔵、紀伊、尾張、常陸などは決して許されず、その他の国名およびXX堂、XX軒などの順位であった。これは俗に「餅屋官」とも言われ、大掾の階級はのちの奏任官待遇に該当し、正七位に相当するという。

和菓子研究の参考文献[編集]

  • 『古今名物御前菓子秘伝抄』 享保3年(1718年)春 著者不明。京都京極五条橋書林梅村水玉堂刊。金平糖、カステーラ、ボール、カルメラ、餅菓子、飴類など105種の製法を記載。筆者は上述「和菓子商人の受領官名」の事情から、持明院家、園家、東園家、壬生家、高野家、石野家、石上家、六角家など中御門家一門の著作者であろうと推定される。
  • 『古今名物御前菓子図式』 宝暦10年(1761年) 京都風雅亭および長谷川良陽撰著。上下2巻。蒸菓子、干菓子、羊羹、飴、粽類など計95種の製菓法および各菓子形状着色模様図を記載。
  • 『餅菓子手製集』 文化10年(1813年十返舎一九編。餅、饅頭、羊羹、飴など75種の江戸風製菓法を記述する。
  • 『古今新菓子大全』 天保11年(1840年)正月 『古今名物御前菓子図式』を書名だけ改め、内容はそのまま再刊行。
  • 『菓子話船橋』 天保12年(1841年)丑春 文化年間、大阪から江戸に進出した船橋屋織江初代岸本群次郎の遺稿。亀戸花笠文京校訂。芝区神明前甘泉堂書店和泉屋市兵衛刊行。練羊羹が主で、蒸菓子、乾菓子など77種の製法を記載。
  • 『鼎左秘録』 嘉永4年(1851年)亥12月。京都三条柳馬場東角堺屋仁兵衛の出版。著者は丹波国亀山住人国華山人。青物砂糖漬類を主とし、餅、飴、乾菓子類の製法計53種。

日本以外での普及[編集]

台湾[編集]

日本が統治していた時代が長い台湾では、和菓子を作る業者も少なくない。饅頭最中大福餅などは容易に購入できる。煎餅どら焼き今川焼きもあるが、味付けや具が日本と異なるものも生まれている。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 中山圭子 『事典 和菓子の世界』岩波書店 ISBN 4000803077
  • 中山圭子 『和菓子ものがたり』 朝日文庫 朝日新聞社 ISBN 4022642572
  • 伊藤汎監修『砂糖の文化誌 -日本人と砂糖』 八坂書房 2008年 ISBN 9784896949223
  • 近世菓子製法書集成 1、2 東洋文庫 平凡社

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ 青木直己 『図説 和菓子の今昔』 淡交社、2版、13頁。によれば、当初は「日本菓子」や「本邦菓子」など様々な呼び方があった。

脚注[編集]

  1. ^ a b 青木直己 「序章 歴史の中の和菓子」『図説 和菓子の今昔』 淡交社、2版、13頁。ISBN 4-473-01762-1

外部リンク[編集]