久米川駅

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久米川駅
南口(2008年6月)
南口(2008年6月)
くめがわ - Kumegawa
SS19 小平 (2.0km)
(1.4km) 東村山 SS21
所在地 東京都東村山市栄町二丁目3-1
駅番号 SS 20
所属事業者 西武鉄道
所属路線 新宿線
キロ程 24.6km(西武新宿起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度-
32,325人/日
-2012年-
開業年月日 1927年昭和2年)4月16日
北口(2012年5月)
ホーム(2008年6月)
旧北口(2008年6月)

久米川駅(くめがわえき)は、東京都東村山市栄町にある、西武鉄道新宿線である。駅番号はSS20

東村山市には「久米川町」という地名があるが、当駅ではなく隣の東村山駅が最寄りとなる。

駅構造[編集]

相対式ホーム2面2線を有する地上駅。駅舎は下りホーム側の南口と上りホーム側の北口の2か所で、各ホーム間は跨線橋により連絡している[1]

西武鉄道の中では、早期にバリアフリーに配慮した構造になった駅であり、南口からはスロープでホームに入れる構造になっている[1]。ただし、駅構内敷地の狭さが災いし、跨線橋部分にエスカレーターエレベーターは設置されていない。 北口出入口部分には改良工事でエレベーターが設置されている[1]

バリアフリーに配慮した構造を早期に導入した理由は、当駅からの清瀬駅行きバス沿線に国立病院機構東京病院・複十字病院等、複数の医療機関が立地し、その通院者からの強い要望があったためである。なお、2010年(平成22年)3月に北口ロータリーが完成したため、清瀬方面のバスの発着は南口から移転した。

2012年度は、年度末完成予定で構内のエレベータ設置、南口駅務室のオープンカウンター型窓口化などを含めた駅リニューアル工事を実施している。

のりば[編集]

ホーム 路線 方向 行先
1 新宿線 下り 所沢本川越方面
2 新宿線 上り 高田馬場西武新宿方面

利用状況[編集]

2012年度の1日平均乗降人員32,325人である。西武鉄道全92駅中30位である[2]

近年の1日平均乗降・乗車人員の推移は下記の通りである。

年度別1日平均乗降・乗車人員[3][4]
年度 1日平均
乗降人員[5]
1日平均
乗車人員
1970年(昭和45年) 15,828
1975年(昭和50年) 17,289
1980年(昭和55年) 17,689
1985年(昭和60年) 18,190
1986年(昭和61年) 18,714
1987年(昭和62年) 18,794
1988年(昭和63年) 19,326
1989年(平成元年) 19,439
1990年(平成02年) 39,198 19,666
1991年(平成03年) 39,447 19,822
1992年(平成04年) 39,288 19,737
1993年(平成05年) 38,447 19,251
1994年(平成06年) 37,350 18,660
1995年(平成07年) 36,418 18,170
1996年(平成08年) 36,005 17,954
1997年(平成09年) 35,393 17,558
1998年(平成10年) 34,606 17,152
1999年(平成11年) 34,171 16,935
2000年(平成12年) 34,362 17,015
2001年(平成13年) 34,303 16,884
2002年(平成14年) 33,697 16,573
2003年(平成15年) 33,107 16,232
2004年(平成16年) 32,831 16,114
2005年(平成17年) 32,875 16,154
2006年(平成18年) 32,852 16,133
2007年(平成19年) 33,384 16,469
2008年(平成20年) 34,073 16,814
2009年(平成21年) 33,711 16,643
2010年(平成22年) 32,767 16,281
2011年(平成23年) 32,220 16,021
2012年(平成24年) 32,325 16,051

駅周辺[編集]

駅の南口、北口にはロータリーが整備されている。清瀬駅南口行き、新秋津駅行き、所沢駅東口行きの路線バスは北口ロータリー整備にともなって2010年(平成22年)4月1日より南口から移動。駅南口から八坂駅まで商店街が続いている(約700m)。

南口[編集]

北口[編集]

  • 東村山警察署 久米川駅前交番
  • 東村山栄町郵便局
  • 東村山市役所
    • 東村山市いきいきプラザ
    • 東村山市保健センター
  • 東村山市立中央図書館
  • 東村山市市民センター
  • 新青梅街道
  • 東村山市立東村山第三中学校
  • 東村山市立東萩山小学校
  • スーパーあまいけ 久米川店
  • 北口商店街
  • ロイヤルイン菊水
  • みずほ銀行 久米川支店;宝くじ売り場も併設
  • 東京都民銀行 久米川支店
  • 西武バス待機場

久米川駅北口整備計画[編集]

  • 2007年度 - 地下駐輪場の建築工事の実施および北口周辺の街路を設計。
  • 2008年度 - 北口周辺のライフラインおよび都市計画道路の整備工事を実施。
  • 2010年 - 3月28日に北口駅前広場完成記念式典および記念イベント「フレッシュ! 久米川楽市」を開催。4月1日に南口3番のりばから発着していた清瀬・新秋津・所沢各方面の路線バスを北口発着に変更。

バス路線[編集]

西武バスにより運行され、すべての路線が当駅を始発・終着とする。

かつては、小川駅経由立川駅北口行、国分寺駅北口、所沢駅西口、村山団地、芝中団地、上北台駅行、東京街道団地止まりの路線が発着していた。

久米川駅(南口)

  • 1番のりば
  • 2番のりば

久米川駅北口

歴史[編集]

周辺に人家もわずかで雑木林しかなかった場所に久米川駅を設置したのは、日本土地住宅という土地会社が駅用地を提供したためである[6]

日本土地住宅は東村山に大規模な土地分譲販売を計画し、まず1925年大正14年)、第一次に販売した30万坪は完売し、合計100万坪の販売を見込んでいた。ただ実際購入した人は資産家が多く、投資や別荘と考えていたようである。例えば講談社野間清治は購入した約4万9千坪の土地で小作人を使い耕作させていたという。こういったことで居住者は増えず、久米川駅になんら恩恵はなかった[7]

その後、日本土地住宅は乱脈経営が発覚するなどして休眠状態となり、東村山の土地開発も消滅してしまった[8]

駅の改築では長い時間を必要とした。東村山市では南口駅前広場造成を計画していたところ、1972年昭和47年)に西武鉄道が橋上駅舎建設を提案し、市長との話し合いでは合意を得たが、定例市議会で身体障害者の団体から「久米川駅の橋上駅化に反対する陳情」が提出され、市議会では審議継続になった。これに対し久米川商店会からは「久米川駅の橋上駅化に関する陳情」も提出され、福祉か開発かで結論は翌年に持ち越しとなった。

1973年(昭和48年)になって身体障害者患者連絡協議・市・市議会・西武鉄道の四者で話し合いがもたれ、身体障害者側からの要望をいれること、商店会からは駅東西の交流をはかれるようにして駅の混雑も緩和できるような方策を西武鉄道に求めた。そうしているうちに今度は西友のビル建設問題がもちあがり、これに商店会が反発して、駅前広場造成工事が一時中止となるなど難航した。

1978年(昭和53年)頃には障害者団体の要望「てすり、スロープ、トイレ等々」をもとに西武鉄道との協議が再開し、1980年(昭和55年)まで計画は練り続けられた。そしてようやく1981年(昭和56年)、福祉モデル駅として久米川駅は改築されることとなった。

当駅より上り方面は、都立家政駅と終点の西武新宿駅を除く全ての駅は同日に開業した。当駅開業以前からある、東村山駅より下り方面(航空公園駅新所沢駅新狭山駅以外)はもともと現国分寺線であったため、当駅 - 東村山駅間はカーブがかかっている。

付記[編集]

  • 駅東側の地下(小平寄りの踏切付近。マンションおよび西武バス営業所が立地)で東日本旅客鉄道(JR東日本)武蔵野線と交差している。以前は、久米川駅の乗降人員を考慮し、さらに利便性を良くするために駅東側付近に武蔵野線新久米川駅の設置が検討されていたが、西武鉄道と折り合わず中止となった。
    • 西武鉄道各駅構内に設置されている路線図では、武蔵野線が当駅を通る形で(武蔵野線乗り換え駅のように)交差している。そのため当駅の路線図には赤字で、「当駅はJR武蔵野線の乗り換え駅ではありません」と表記されている。
  • 当駅は新宿線系統で初めて自動改札機が設置された駅である。

隣の駅[編集]

西武鉄道
新宿線
通勤急行
通過
急行・準急・各駅停車
小平駅 (SS19) - 久米川駅 (SS20) - 東村山駅 (SS21)

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 久米川駅 駅構内マップ - 西武鉄道
  2. ^ 駅別乗降人員 2012(平成24)年度 1日平均 (PDF) - 西武鉄道
  3. ^ 東松山市の統計 - 東松山市
  4. ^ 東京都統計年鑑
  5. ^ 各種報告書 - 関東交通広告協議会
  6. ^ 当時の計画図によると駅は現在地から小平寄りの野火止用水と交差するあたりを予定したようである。
  7. ^ 1日の平均乗客数が1927年44人、1929年30人、1930年29人、1935年50人(東京府統計書)
  8. ^ 駅の近くに日本土地住宅は分譲の目玉として1万坪の遊園地をつくったが、そこにあった東洋一といわれた大温室が戦後まで残っており花を栽培していたという。
  9. ^ 『写真で見る西武鉄道100年』(ネコ・パブリッシング)100ページ
  10. ^ 『会社要覧』西武鉄道株式会社、1999年、100-103頁

参考文献[編集]

  • 岡島貴美子「久米川駅付近の変遷」『東村山市史研究』5号、1996年
  • 野田正穂「うたかたの東村山遊園地」『東村山郷土のあゆみ』1980年
  • 野田正穂「旧西武鉄道の経営と地域社会」『東村山市史研究』4号、1995年
  • 『東村山市史』 下 2003年、690-692頁

関連項目[編集]

外部リンク[編集]