モーニング娘。

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モーニング娘。
基本情報
別名 モー娘。
出身地 日本
ジャンル J-POP
活動期間 1997年~現在
レーベル zetima
事務所 アップフロントエージェンシー
共同作業者 つんく♂
公式サイト Hello! Project -Official Site-
メンバー
高橋愛新垣里沙亀井絵里
道重さゆみ田中れいな久住小春
光井愛佳ジュンジュンリンリン
旧メンバー
福田明日香石黒彩市井紗耶香
中澤裕子後藤真希保田圭
安倍なつみ辻希美加護亜依
飯田圭織矢口真里石川梨華
紺野あさ美小川麻琴
吉澤ひとみ藤本美貴
  

モーニング娘。(モーニングむすめ)は、日本の女性歌手グループ女性アイドルグループである。ほとんどの楽曲の作詞作曲およびプロデュースつんく♂が手掛けている。略称はモー娘。(モーむす)。芸能事務所アップフロントエージェンシー所属。ハロー!プロジェクトの一員。

1990年代末から2000年代前半にかけて日本を代表する程の爆発的な人気を誇り、結成11年目になる2008年でもシングルがオリコン週間チャートベスト10以内に入るなど、人気を保ちながら活動を続けている。

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目次

[編集] メンバー

[編集] 2008年5月時点のメンバー

[編集] 卒業および脱退メンバー

モーニング娘。では、公式にグループから離れることを「卒業」または「脱退」という。この発表は公式サイトでの発表や記者会見などのマスメディアを通じて行い、コンサートでの最終公演日程などを前々からファンに知らせている。音楽グループにおいてしばしば喧嘩別れ的な場合に使用される「脱退」という表現に対し、「卒業」は明日につながるという前向きな意味合いの言葉である。

中澤裕子以降に卒業(脱退)したメンバーは、ソロまたはグループとしてそのままハロー!プロジェクトに在籍して芸能活動を継続しているが、紺野あさ美のみが学業専念による完全な脱退となっていた(現在は復帰し、活動を再開している。)。また、小川麻琴はハロー!プロジェクトに籍を残して海外留学を行っている。

卒業(脱退)の発表は、後藤真希以前は1~2か月程前の発表だったが、後藤と同時に卒業が発表された保田圭以降は緊急脱退となった矢口真里と藤本美貴を除いて卒業の半年~1年前になった。そして紺野あさ美・小川麻琴・吉澤ひとみは3~4か月前とそれまでの慣例よりは短くなった。また、これまで卒業の発表も卒業自体も同時に行ったのは卒業後にユニットを組んで活動することが予定されていた辻希美と加護亜依のみであるが、それ以外にも時期を別にして卒業する複数のメンバーの卒業が同時に発表されることがある(後藤真希と保田圭、飯田圭織と石川梨華、紺野あさ美と小川麻琴)。

「卒業」の発表とその後のコンサートにおける「卒業公演」は、「ASAYAN」などのテレビ番組において大々的に取り上げられ、その「サプライズ人事」的な要素とも相まって娘。人気の浮揚、注目度のアップ、ひいてはメンバーの結束を強固にしてきた。しかし、本来は「モーニング娘。は早く卒業することを目標とすべき枠である方が良い。」という自立的意味合いを持った「卒業」であるが、籍をハロー!プロジェクトに残し、モーニング娘。との共演も多く、完全な自立とは言えない状況から、一時芸能界を引退していた紺野と芸能活動休止中の小川を除き、中澤裕子以降の卒業はハロー!プロジェクト内での年中行事と化した「定期人事異動」的色彩が濃い。

名前 発表日 卒業年齢 加入期 ハロプロへの在籍状況
卒業・脱退日 卒業興行の開催地
福田明日香 1999年1月17日 14歳 1期 ハロプロからも卒業
1999年4月18日 東京厚生年金会館
石黒彩 1999年12月5日 21歳 1期 ハロプロからも卒業
2000年1月7日 大阪厚生年金会館
市井紗耶香 2000年5月7日 16歳 2期 ハロプロからも卒業
2000年5月21日 日本武道館
中澤裕子 2001年3月7日 27歳 1期 ソロとしてハロプロに在籍
2001年4月15日 大阪城ホール
後藤真希 2002年7月31日 17歳 3期

2007年10月28日、ハロプロからも卒業(事務所には在籍)

2002年9月23日 横浜アリーナ
保田圭 2002年7月31日 22歳 2期 ソロとしてハロプロに在籍
2003年5月5日 さいたまスーパーアリーナ
安倍なつみ 2003年7月27日 22歳 1期 ソロとしてハロプロに在籍
2004年1月25日 横浜アリーナ
辻希美 2004年1月3日 17歳 4期
  • ユニットとしてハロプロに在籍
  • 加護の契約解除に伴いソロに移行(現在出産に伴い活動休止中)
2004年8月1日 代々木第一体育館
加護亜依 2004年1月3日 16歳 4期
  • ユニットとしてハロプロに在籍
  • その後、活動休止中の2007年3月に契約解除
2004年8月1日 代々木第一体育館
飯田圭織 2004年5月23日 23歳 1期 ソロとしてハロプロに在籍(現在出産に伴い活動休止中
2005年1月30日 横浜アリーナ
矢口真里 2005年4月14日 22歳 2期 ソロとしてハロプロに在籍
2005年4月14日 なし
石川梨華 2004年5月23日 20歳 4期 ユニットとしてハロプロに在籍
2005年5月7日 日本武道館
紺野あさ美 2006年4月28日 19歳 5期
  • ハロプロからも卒業
  • その後、2007年7月15日からソロとしてハロプロに復帰・在籍
2006年7月23日 代々木第一体育館
小川麻琴 2006年4月28日 18歳 5期 ソロとしてハロプロに在籍(現在活動休止中)
2006年8月27日 新宿コマ劇場
吉澤ひとみ 2007年1月2日 22歳 4期 ソロとしてハロプロに在籍
2007年5月6日 さいたまスーパーアリーナ
藤本美貴 2007年6月1日 22歳 6期 ソロとしてハロプロに在籍
2007年6月1日 なし

※これは、卒業・脱退した日付順で表示されている。

  • 矢口真里のモーニング娘。メンバーとしての最後のステージは、2005年4月10日の大阪厚生年金会館公演だった。
  • 藤本美貴のモーニング娘。メンバーとしての最後のステージは、2007年5月6日のさいたまスーパーアリーナ公演だった。

[編集] 「卒業」と「脱退」の使い分け

「卒業」又は「脱退」という表現について、初期にはほとんどの場合に「脱退」という表現を使用していたが(結成から中澤裕子卒業までのモーニング娘。の歴史が掲載されているASAYAN公式サイトなどでは現在でも「脱退」という表現で統一されている[1])、2001年以降、公式には「卒業」という表現が使用されており(「卒業メモリアル」グッズなど)、過去に遡って卒業という表現で統一されていることも多い(コンサートMCでの「卒業メンバー」呼称など)。これ以外にも、2005年4月14日の矢口真里の場合は、写真週刊誌「FRIDAY」において俳優小栗旬との交際が報道されたことを理由とし、公式サイトには「モーニング娘。を辞し、ソロ活動を行う」という表現がなされている[2](ただし、テレビ番組やスポーツ新聞などマスコミによっては「卒業」と扱われることもある。)。これにより、矢口自身も卒業とも脱退とも言わず「モーニング娘。を辞めた」といった表現をとっていることがある。また、藤本美貴もお笑い芸人庄司智春品川庄司)との交際が同じく「FRIDAY」にて報道されたことを理由に2007年6月1日付で脱退した。なお、「卒業」という表現自体は最初にグループを離れた福田明日香の時から本人によるファンへの呼び掛けのメッセージの中などで使用されており、1999年に出版された自伝「もうひとりの明日香」に収録された年表には「モーニング娘。を卒業、芸能界を引退」と表記されている。また、

  • 2007年9月に出版された公式本「モーニング娘。誕生10年記念本」に掲載された年表では、矢口と藤本のみが「脱退」、その他のメンバーが「卒業」
  • 2008年4月25日放送の「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」(日本テレビ系)で紹介された「モーニング娘。メンバーの変遷」では、福田から市井までと矢口・藤本が「脱退」、その他のメンバーが「卒業」

と使い分けられている。

[編集] メンバーの記載順序

公式本やコンサートのパンフレットなどの公式出版物や公式サイトなどでは、メンバーの名前を並べる時、通常は加入時期順で、加入時期の同じ者は生年月日順で記載している[3]。マスコミ報道などでもこの順序が使用されることが多い。なお、リーダーやサブリーダーについては過去にこの順序を適用した場合に先頭や2番目にならない時期があったが、そのような場合には順番を変更してリーダーとサブリーダーがそれぞれ先頭や2番目になるように記載する場合もあった。また、卒業したメンバーの名前を並べる時にはこの順序が使用されている場合[4]と卒業・脱退の時期が早い順番で並べられている場合[5]とがある、また在籍期間などを比較するためのメンバーの変遷表などでは在籍しているかどうかに関係なく全員を上記の順序で並べられていることがある[6]

モーニング娘。さくら組モーニング娘。おとめ組といった派生ユニット内でメンバーの名前を並べる時も、通常はこの順序である。

[編集] 歴代リーダー

歴代 名前 期間
初代 中澤裕子 結成~2001年4月15日
2代目 飯田圭織 2001年4月16日~2005年1月30日
3代目 矢口真里 2005年1月31日~4月14日
4代目 吉澤ひとみ 2005年4月15日~2007年5月6日
5代目 藤本美貴 2007年5月7日~6月1日
6代目 高橋愛 2007年6月2日~

[編集] 備考

  • 初代リーダーは、5万枚手売りを達成してメジャーデビューが決まってから決定した。当時、飯田が「リーダーをやりたい」と発言していたが、結局中澤に決定した。選ばれた理由は「最年長だから」[7]

[編集] 歴代サブリーダー

2001年4月16日に飯田圭織が第2代リーダーに就任するに合わせて創設された。初代に保田圭が就任した。当時は保田圭が初代であるのかどうかについては明らかにはされていなかったが、2007年11月に行われた「Yahoo!ライブトーク」では保田圭が「初代サブリーダーである。」とされている。

歴代 名前 期間
初代 保田圭 2001年4月16日~2003年5月5日
2代目 矢口真里 2003年5月6日※~2005年1月30日
3代目 吉澤ひとみ 2005年1月31日~4月14日
4代目 藤本美貴 2005年4月15日※~2007年5月6日
5代目 高橋愛 2007年5月7日~6月1日
6代目 新垣里沙 2007年6月2日~

[編集] 備考

  • 矢口真里と藤本美貴の就任日については、上表では前任者が退任した日の翌日を就任日としているが、保田圭・吉澤ひとみ・高橋愛については就任前に、また新垣里沙については就任と同時にサブリーダーに就任する旨の発表があったのに対して、矢口と藤本の場合は就任時点で発表されず、ある程度の期間が経過してからテレビ番組(矢口:「ハロー!モーニング。」2003年8月3日放送分、藤本:「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」2005年7月15日放送分)でのトーク中に自らその時点でサブリーダーである旨が語られただけであるため、就任した日時が正確でない(空席の期間がある)可能性がある。
  • サブリーダーに関して創設された理由は公表されていない。当初はモーニング娘。誕生以来グループを率いてきた中澤裕子のグループ脱退に伴い、それを引き継ぐ飯田圭織への不安視が創設の背景にあると思われた。だが、2001年3月7日の中澤脱退発表時は飯田・安倍・保田・矢口による集団指導体制になるという発表もされていた。しかし、飯田のリーダー就任が中澤卒業直後の翌4月16日に記者会見にて発表されたこと、サブリーダーに初期メンバー安倍が就任しなかったことなどを踏まえると、後任人事選考にあたってメンバー内で最年長であった保田を処遇するための「名誉職」として創設されたとも考えられる。矢口以降は実質的に「サブリーダー=次期リーダー(候補)」となっている。
  • 保田就任以前(中澤リーダー時代)は、サブリーダーという役職は公表されていない。また、石黒彩在籍時は彼女が中澤に次ぐ年長者でポジション的にもNo.2と見なされることはあったが、サブリーダーであるとは明言されていなかった。

[編集] グループ編成

[編集] メンバー構成推移

このグループの最も大きな特徴は、他の女性アイドルグループに類を見ないメンバーが代わり続けるという点である。メンバー数が流動的で、5人(結成時)~16人(6期加入から保田卒業まで)と幅広い。また、年齢差も大きいのも特徴で、結成当時は約12歳差、4期加入時に約15歳差と最大で、最小は矢口脱退から7期加入前までの約5歳差である。ほとんどの期間(1999年4月~8月及び2005年4月以外)に20代と中学生のメンバーが同時にいる。ちなみに、2008年4月に久住と光井が中学校を卒業したため、中学生はいなくなった。2008年4月1日時点の平均年齢は丁度18歳である。

[編集] 推移年表

日時 メンバー 増減 人数 平均年齢
1997年9月7日結成 【1期】中澤裕子石黒彩飯田圭織安倍なつみ福田明日香 - 5人 17.40
1998年5月3日 【2期】保田圭矢口真里市井紗耶香加入 +3 8人 16.75
1999年4月18日 福田明日香脱退 -1 7人 18.29
1999年8月22日 【3期】後藤真希加入 +1 8人 18.00
2000年1月7日 石黒彩脱退 -1 7人 18.14
2000年4月16日 【4期】石川梨華吉澤ひとみ辻希美加護亜依加入 +4 11人 16.55
2000年5月21日 市井紗耶香脱退 -1 10人 16.60
2001年4月15日 中澤裕子卒業 -1 9人 16.56
2001年8月26日 【5期】高橋愛紺野あさ美小川麻琴新垣里沙加入 +4 13人 15.77
2002年9月23日 後藤真希卒業 -1 12人 16.92
2003年1月19日 【6期】藤本美貴亀井絵里道重さゆみ田中れいな加入 +4 16人 16.56
2003年5月5日 保田圭卒業 -1 15人 16.47
2004年1月25日 安倍なつみ卒業 -1 14人 16.86
2004年8月1日 加護亜依・辻希美卒業 -2 12人 17.42
2005年1月30日 飯田圭織卒業 -1 11人 17.64
2005年4月14日 矢口真里がモーニング娘。を辞し、ソロ活動 -1 10人 17.40
2005年5月1日 【7期】久住小春加入 +1 11人 16.91
2005年5月7日 石川梨華卒業 -1 10人 16.70
2006年7月23日 紺野あさ美卒業 -1 9人 17.78
2006年8月27日 小川麻琴卒業 -1 8人 17.75
2006年12月10日 【8期】光井愛佳加入 +1 9人 17.78
2007年3月15日 【8期】(留学生)ジュンジュンリンリン加入 +2 11人 17.82
2007年5月6日 吉澤ひとみ卒業 -1 10人 17.50
2007年6月1日 藤本美貴がモーニング娘。を辞し、ソロ活動 -1 9人 17.00

[編集] モーニング娘。の結成日について

モーニング娘。の結成日については、公式資料やマスコミ報道などで異なった日付が書かれていることがある。これは「モーニング娘。の結成日」として解釈しうる日が複数あるためであると考えられる。「モーニング娘。の結成日」として解釈しうる日としては、

  • 1997年8月20日 - グループの結成について実際にメンバーに対する意思確認が行われた日
「モーニング娘。5+3-1」(宝島社)ではこの時を「モーニング娘。誕生の瞬間」としている。
  • 1997年9月7日 - グループの結成が発表された日(8月20日収録分のASAYAN放送日)
公式サイトや公式資料ではこの日をモーニング娘。の結成日としていることが多い。[8]
  • 1997年9月8日 - プロデューサーのつんく♂が「モーニング娘」を発案した日(「。」はまだない)
  • 1997年9月14日 - モーニング娘。というグループ名が決定したことが公表された日(ASAYAN放送日)
  • 1997年11月3日 - 5万枚手売り初日(インディーズデビューの日)
  • 1997年11月30日 - 5万枚手売りを達成し、メジャーデビューが決まった日
「モーニング娘。×つんく♂」(ソニー・マガジンズ)では結成時のメンバーの在籍期間をこの日からにしている。

などがある。なお、つんく♂がモーニング娘。誕生10年記念隊に寄せたコメントでは「モーニング娘。は1997年の9月8日に、お台場フジテレビのとある楽屋で、僕が命名したときに魂が入った」という記述と「2007年11月3日の10歳のお誕生日」(つまり結成日は1997年11月3日)という記述の両方がある[9]。また、この他にCDの販売関係のサイトや資料やマスコミなどではインディーズデビューの日やメジャーデビューの日をモーニング娘。が始まった日としているものが多い。

[編集] 追加メンバーの加入日について

追加メンバーの加入日についても、しばしば公式資料やマスコミ報道などで異なった日付が書かれていることがある。これも結成日と同様に「加入日」と解釈しうる日が複数あるためである。

「加入日」として解釈しうる日としては、

  1. 加入が実際に決まった日
  2. 加入が本人に伝達された日
  3. 加入が公表された日(合格が発表された番組の放送日)
  4. 初合流したコンサートなどの日
  5. 初参加したCDの発売日

といった日がある。このうち1と2については公表されないことが多いため、通常は3以降のいずれかの日が加入日とされている。公式資料では加入が公表された日を加入日としていることが多い。加入が後になればなる程合格発表から合流までの期間が長くなる傾向にある。これは後になればなる程コンサートに出演した時に覚える必要のある曲が多くなるなどの事情があるためだと考えられる。また、合格発表からコンサートツアーに本格的に合流するまでの間に「お披露目」的に本格合流する以前のコンサート(1つ前のツアーの最終公演など)に挨拶だけ、あるいは1曲だけ参加することが行われることがある。さらに6期メンバー以降はその間にファンクラブの会員を対象にした握手会を行っている。

このような状況のため、新メンバーが加入した日より後にリリースされたCDや写真集に新メンバーが参加していないと言うことがしばしば起きる。また、テレビ番組の収録も初参加CDの曲披露までは別行動になることが多い。中でも2001年10月13日放送の「めちゃ²イケてるッ!」(フジテレビ系)内のコーナー「私立岡村女子高等学校。」の修学旅行企画では5期メンバーが参加しておらず、また2003年4月5日放送の同番組の期末テスト企画では6期メンバーが参加していないのも、初参加CDの曲披露のためのテレビ出演より前だったためだと思われる。

公表日 お披露目日 コンサート正式合流日 初参加CD発売日
2 1998年5月3日 1998年7月12日※1 1998年5月27日
3 1999年8月22日 1999年8月23日 1999年9月19日 1999年9月9日
4 2000年4月16日 2000年5月20日 2000年5月17日
5 2001年8月26日 2001年10月21日※2 2001年10月31日
6(藤本) 2003年1月7日 2003年5月5日 2003年5月31日※3 2003年7月30日
6(藤本以外) 2003年1月19日 2003年5月5日 2003年7月19日 2003年7月30日
7 2005年5月1日 2005年5月6日 2005年7月10日 2005年7月27日
8 2006年12月10日 2007年1月27日 2007年3月17日 2007年2月14日
8(留学生) 2007年3月15日 2007年5月6日 2007年7月15日 2007年7月25日

※1:モーニング娘。としての初コンサートの日であり、初期メンバーにとっても初めてのコンサートであるため、厳密には「この日から合流した」という表現はおかしいとも言える。
※2:紺野あさ美のみTV番組収録中の怪我(うたばん事故)のためこの日は挨拶のみ。曲に合流したのは2001年11月3日からである。
※3:ミュージカル「江戸っ娘。忠臣蔵」初日。通常のコンサートでの合流は他の6期メンバーと同じ2003年7月19日からである。

[編集] 加入・脱退(卒業)を繰り返すグループ編成

「モーニング娘。は、加入と脱退(卒業)を繰り返しながら進化していくグループである。」と公式に表明されている。このメンバーチェンジを繰り返しながらグループを存続させていく方法は、メンバーが脱退しても解散しないグループとして、プエルトリコのアイドルグループメヌードを参考に、結成に深く関わったという音楽評論家の福田一郎(故人)が提案し、グループ編成されたということが公式に発表されている。しかし、1997年~1999年頃に出演していたテレビ番組内での状況、そして番組内でのつんく♂やメンバーの発言、コンサートのMCとの矛盾点もあり、1997年の結成当時から加入と脱退(卒業)を繰り返すシステムを考えていたかどうか、もしくはそのシステムが結成当時から確立していたかどうかは不明な点が多い。

  • 後につんくは♂「モーニング娘。はその年(1998年)の紅白に出て解散する予定だった。」と語っていること(「モーニング娘。×つんく♂」でのインタビューなど)。
  • メジャーデビューの条件だったCD5万枚手売りに失敗した時、メンバーの追加・脱退がないまま即解散の可能性があったこと(詳細は後述のモーニング娘。#歴史参照)。
  • グループ名の候補に第1期メンバーの属性から連想された名前が挙がっていたこと。メンバーの入れ替えを前提としているならばそのような名前は候補として挙がることはない(詳細は後述のモーニング娘。#グループ名の由来参照)。
  • 1997年~2000年のモーニング娘。のオーディションや活動をドキュメンタリー風に追っていたテレビ番組「ASAYAN」において、福田一郎が上記の提案を行ったシーンが放映されなかったこと(詳細は後述のモーニング娘。#歴史参照)。
  • 初めて新メンバーの加入が発表された時、当時のメンバーは全くそのことを予想しておらず大きな衝撃を受けており[10]、その時の衝撃が大きかったことは数年後になってもメンバー自身によって語られていること[11]
  • メンバーの加入・脱退が実際に行われた後でもメンバーは加入・脱退を一度だけのものと思っていた節の発言があり、事務所やスタッフから繰り返されるグループであるという説明を受けていない点(福田明日香脱退発表後に出演した1999年3月23日放送の「とくばん」〈TBS系〉で司会の石橋貴明からのメンバー補充を行うのかとの問いに、中澤裕子は「行わないのではないか」、安倍なつみは「増えないと思います」と答えていたこと。)。
  • このことが2003年11月の福田一郎の告別式(偲ぶ会)の会場にて発表され、発表が遅れたこと。

ただし、これらの件に関して、事務所の先輩でもある田中義剛が自身のブログにおいてKAN森高千里のブレイク秘話と一緒に当時のエピソードとして、所属事務所社長(当時)の山崎直樹の指示によってメヌードを参考としてグループを結成したという経緯が掲載されており、さらに「ASAYAN」はモーニング娘。のPR番組的位置付けでしかなかったため、所属事務所がすべての情報を同番組に提供していたかなどの疑問がある。また、同番組は過剰な演出が多いことで知られているため、これらの番組での発言も演出的なものに過ぎないという意見が多い。実際に当時放送された内容とメンバー達が実際に経験したことが異なることは1999年に出版された同番組の公式本とされる「モーニング娘。5+3-1」の中で明らかにされている。さらに福田一郎は音楽評論家であり物書きを本職としているため、タレントとは違いメディアへの露出も当然少なく、山崎ら事務所上層部の出演も一切なかったように同番組に出演していたのはプロジェクトに関わったすべての人間ではなく関係者のほんの一部であることは間違いない。従って福田一郎が同番組に出演していなかったという理由だけで関係性を否定することはできない。さらにメジャーデビューのわずか3か月後に2期として新メンバーを追加で加入させている事実を考えると、遅くともこの時点でメンバーの増加を考えたグループ編成であったのではと推測できる。また、この事実が発表された状況も福田一郎の告別式(偲ぶ会)と厳正された場所であったことで信憑性が高いことや故人の前で卒業&現役メンバー全員で「LOVEマシーン」を披露していること、中澤裕子が語った秘話など、福田一郎が本グループと深く関わりがあったことは間違いない。いずれにしても、予想外に脱退したメンバー(福田明日香・石黒彩・市井紗耶香)を補充する名目で同番組に出続けられた影響は大きい。追加メンバーオーディションを行うことで『夢のオーディション・バラエティ』を標榜していた同番組への継続的な出演が可能になったことが番組内でのPRなど以後の活動に有利に働いたと言える。

[編集] 宝塚歌劇団との比較考察

公式的な場でも関連性を指摘されているものとして、メンバーチェンジを繰り返しながら存続するグループという点で、宝塚歌劇団(以下、宝塚)との類似性が挙げられる。日本の芸能界においてメンバーチェンジを繰り返しながら優れたエンターテインメントを提供し、スターを輩出し続ける集団として宝塚は鉄壁の地位を誇っており、同じ女性の集団という共通点もあるためとされる。さらに2003年4月に放送された「エンタの神様」(日本テレビ系)の中でモーニング娘。と宝塚が一緒になって「Mr.Moonlight~愛のビッグバンド~」を歌うという夢の共演を行った際につんく♂や振付師である夏まゆみが曲作りや振り付けで宝塚を意識した部分があることを語っている。同番組ではモーニング娘。がしばしば行っている段差のあるステージでのパフォーマンスは元々宝塚が大階段という形で行っていたものであるとも語られていた。また、グループに入って来る人間をその時期によって「期」と呼んで分けるやり方やグループを複数のさくら組おとめ組などの「組」に分けて活動させるやり方も宝塚と共通している。そして宝塚の退団は多くのマスコミが取り上げるため、その様な部分も共通する。 また、2006年8月にモーニング娘。及びハロー!プロジェクトが宝塚と組んで手塚治虫原作のミュージカル「リボンの騎士」を上演した際もミュージカルの構成を担当した宝塚の演出家木村信司が「モーニング娘。と宝塚は似た雰囲気を持っている」とコメントしている。2008年8月にも同じスタイルでミュージカル「シンデレラ」が上演される。

しかし、結成から「ザ☆ピ~ス!」のヒットあたりまでは宝塚との類似性について語られることはなかった。下記に挙げるように「期」や「組」は2002年以降に見られる。

  • 1998年5月加入の第2期メンバーや1999年9月加入の後藤真希(第3期メンバー)は単に「新メンバー」又は「追加メンバー」と呼ばれていただけであり、また2000年4月追加の第4期メンバーは「第3次追加メンバー」と呼ばれ、2001年8月追加の第5期メンバーも追加された当時は「新メンバー」と呼ばれていた「期」と呼ばれるのは2002年募集の第6期からであり、その時点から遡って1期~5期と呼ばれるようになった。
  • いくつかのグループ(ユニット)に分けての活動も、本体のメジャーデビューと同年のタンポポから始まり、後にプッチモニミニモニ。が続いた。それらは名前に「組」は付かなかった。
  • 2000年~2001年当時、安倍なつみはユニットには所属せず、矢口真里と加護亜依は2つのユニットを掛け持ちし、中澤裕子はソロでも活動させるなど、全員を均等にグループ分けしているものではなかった。
  • 均等にグループを分割して「組」と分けて活動すると発表したのは2003年1月28日からである。

[編集] 他のアイドルグループなどとの比較考察

宝塚と比較される以前からモーニング娘。の比較対象として幾つかのアイドルグループが持ち上がっていた。別冊宝島「音楽誌が書かないJポップ批評12 まるごと一冊、モーニング娘。大特集」や「モーニング娘。×つんく♂」などで他のグループとの比較がなされている。

ジャニーズ(SMAP)
  • モーニング娘。及びハロー!プロジェクトは、活動状況やグループ展開などの戦略的売り込み方法など共通点が多々あるため、女性版ジャニーズと捉えられることが多い。その中でも特にSMAPはモーニング娘。と「国民的アイドル」の名を二分していた状況もあり、比較されることが多かった。
  • 相違点としては、SMAPは1996年5月末に森且行オートレース選手への転向に伴う脱退後もメンバーを補充しなかったこと、グループに属したままでのソロ活動が頻繁であることが挙げられる。
美少女クラブ31(オスカープロモーション)
  • 芸能プロダクションのオスカープロモーション所属タレントによるユニット、美少女クラブ31とも比較されることがあった。
  • 2003年に同事務所所属の全日本国民的美少女コンテスト出身者などで構成された「美少女クラブ21」が結成された。グループ結成の記者会見席上においてオスカー側の関係者が質疑応答で「将来はモーニング娘。の様なグループを目指し、グループ作りをして行きたい」と発言していることや「森田クラブ」「ティーンエイジクラブ」「D.D.D」などのグループ内ユニット展開の他、フットサルチーム「表参道BEAUTY」などの活動展開は明らかに本グループを意識した戦略であり、オスカープロモーションが本グループに対して非常に強いライバル意識があると考えられ、それらの共通性が比較対照とされる要因である。しかし、2008年現在、美少女クラブ31及び派生ユニットはCD売り上げで苦戦したこともあったか、多くの派生ユニットが休止状態である(モーニング娘。のメンバーを含めたハロー!プロジェクトのユニットも同様)。
  • モーニング娘。と美少女クラブの相違点は、グループとしての活動よりもソロでの活動割合が多い、歌手活動を重視で活動するモーニング娘。に対し、女優又はグラビア重視で活動しているという活動状況である。
おニャン子クラブ
  • 1985年1987年に活動していた女性アイドルグループ、「おニャン子クラブ」(以下、おニャン子)がある。
  • おニャン子からの国生さゆり城之内早苗岩井由紀子吉沢秋絵などのソロデビュー、「うしろゆびさされ組」「ニャンギラス」「うしろ髪ひかれ隊」などのグループ内ユニット展開が共通点である(おニャン子のグループ内ユニット展開は、宝塚の影響ではなく、モデルにした「オールナイターズ」からの流れである。)。
  • 相違点としては、おニャン子は番組企画のテレビ局主導グループで番組のアシスタント的役割であったのに対し、モーニング娘。は所属事務所主導グループである点(そのため、おニャン子の場合は「夕やけニャンニャン」〈フジテレビ系〉の番組内でしか生きる術がなく、番組終了と同時にグループ活動を終えている。)。出身がオーディション番組とバラエティ番組の違い(最初から歌手デビューを目指して番組に参加したモーニング娘。とバラエティ番組のアシスタント的立場から始まったおニャン子の目的意識の違い)、パフォーマンスクオリティの違い(つんく♂とおニャン子の仕掛け人の1人である秋元康の2人で行われた対談で、秋元はおニャン子は女子校の放課後をイメージさせた素人の延長線上の素人集団だったが、モーニング娘。は歌唱力、ダンス、仕事に対する意識など完成されたプロの集団であると語った。)などが挙げられる。
  • 2000年~2001年頃までおニャン子と比較されることもあったが、第5期メンバーが加入した頃になると比較されなくなった。
  • また、おニャン子と同様に秋元がプロデュースするグループで、素人性を売りにしていることなどで、平成のおニャン子と言われる「AKB48」とも夏まゆみが関係していることなどで一部で比較されることがある。
野猿
  • サマーナイトタウン」や「抱いてHOLD ON ME!」がヒットしていた1998年~1999年頃は、「うたばん」で野猿vsモーニング娘。対決を行っていたり、番組の企画でメンバーの入れ替えが行われたり、中澤裕子のOL出身という経歴と野猿の番組スタッフ出身という、一般人から芸能人へ転身したところが似ていると石橋貴明が発言していたりと、番組内で野猿と比較されることもあった。
  • 相違点としては、野猿は男性グループであること、とんねるずのみなさんのおかげでした(フジテレビ系)で企画された番組企画のグループであること、とんねるず以外のメンバーは芸能活動と並行して番組スタッフを続けたことである。
ザ・ドリフターズ
  • ナンシー関(故人)は、自身のコラムの中でザ・ドリフターズ(以下、ドリフ)と1999年~2001年あたりのモーニング娘。を比較していたことがあった。中澤裕子をいかりや長介、安倍なつみを加藤茶、後藤真希を志村けんに例えたもので、2001年の中澤卒業を、いかりや長介のいないドリフになるという指摘がファンサイトなどでなされていたこと、福田明日香の脱退後に勢いに陰りが見えたモーニング娘。が後藤真希加入で息を吹き返したところが、ドリフの荒井注脱退・志村けん加入と重なるという指摘である。その後の中澤卒業・第5期メンバー加入およびナンシー関の逝去により、ドリフとの比較はなされなくなった。
東京パフォーマンスドール
  • つんく♂は、1990年代初期~中期に主に原宿ルイードを拠点に活動していたアイドルグループ「東京パフォーマンスドール」(篠原涼子仲間由紀恵穴井夕子などを輩出したグループ。以下、TPD)のライブ会場(通称:ダンスサミット)に何度か足を運ぶなどTPDに魅了されていたこと、当時シャ乱QのメンバーとしてTPDがパーソナリティを務めるラジオ番組にゲスト出演した際に、将来はTPDの様なグループを作りたいと発言していることからも、TPDがモーニング娘。に与えた影響は少なくはないという意見もある。
  • 共通点としては、モーニング娘。のようにグループ内ユニットとして「ゴルビーズ」「原宿ジェンヌ」など他にも複数のユニットがあったこと、メンバーのソロデビュー展開、卒業と新規加入が行われ、研修生(ハロー!プロジェクトでいう「ハロプロエッグ」「ハロプロ関西」)などが存在したこと、ダンスや歌唱力などプロとして高いレベルのエンターテインメントを表現していたこと、姉妹ユニットの存在などである。また、モーニング娘。と同様にTPDも宝塚から影響を受けていると言われている。
  • 相違点としては、TPDはレコード会社主導のグループで、メンバーの所属事務所がバラバラだったこと、TPD専用のイベント会場を持っていたことなどである。
  • なお、東京パフォーマンスドールの姉妹ユニットである大阪パフォーマンスドール(OPD)からはメンバーの稲葉貴子が1999年にハロー!プロジェクト入りしている(加入当時は太陽とシスコムーンのメンバーだった)。
SPEED
  • モーニング娘。と同様に同世代の少女達の憧れの対象として、多少活動期間が前後するが「SPEED」との比較も1998年から2000年3月の解散辺りまであった。
  • 当時は高いレベルでダンスパフォーマンスをするグループ同士としてライバルとしての比較も多かったが、年齢的にも近く、飯田圭織がSPEEDのメンバーである上原多香子東京都立代々木高等学校の定時制クラスで同級生だったといったことなどもあって、中澤裕子などが後に語っている様にメンバー間は仲が良かったようである。モー娘出身メンバーでも矢口真里後藤真希が、ほかにも松浦亜弥がSPEEDのファンであった事を公表している。
  • しかし、1999年9月に「LOVEマシーン」が発売し、一気に人気が上昇するとSPEEDも翌10月に解散発表が行われ、2000年1月の「恋のダンスサイト」の発売から3月の解散までに多くのファンがモーニング娘。に流れ込むという事態も発生している。
  • また、ハロー!プロジェクトと沖縄アクターズスクールは多数の女性アーティストやダンスグループ、スクールや研修生の存在など組織的に似ていることから比較対照に挙がる。
読売ジャイアンツ
  • 「エース」や「4番打者」など野球用語などがしばしば使用されるモーニング娘。であるが、つんく♂がプロ野球セントラル・リーグのチーム「読売ジャイアンツ」(以下、ジャイアンツ)のファンであることで、ジャイアンツとの比較をすることがある。安倍なつみが脱退した当時、安倍の脱退を長嶋茂雄がジャイアンツを引退した時にだぶらせ、1つの時代の区切りかもしれないと語っている。また、後藤真希の脱退後に藤本美貴と6期メンバーが加入することが決定した当時の「うたばん」で司会の中居正広と石橋貴明が後藤の脱退を松井秀喜FA移籍、5期メンバーの加入をロベルト・ペタジーニの加入に例えている。また、つんく♂は現在のモーニング娘。は全員4番打者であるとも語っている。ジャイアンツとの違いとして、プロ野球の様にトレードやFA制度もないため、強引な戦力補強は行わず、ドラフト(オーディション)での補強しか行わないなどの相違点がある。
ピンク・レディー
  • 多人数グループと2人組の相違はあるが、活動状況が類似していることで、昭和のASAYAN的なオーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ系)をきっかけにデビューが決まった「ピンク・レディー」とも比較される。
  • モーニング娘。と同様にオーディション番組がきっかけでデビューが決まっている経緯と、デビューまでの過程で番組内において厳しい試練が与えられ、それをクリアしなければデビューできないという大河ドラマ的な演出で視聴者を魅了していった点、メジャーデビュー以前にインディーズでシングルを発売している点、男女関係なく大人から子供まで幅広い支持層を得ていた国民的アイドルだった点、同世代の少女達の憧れの対象だった点、親しみやすい歌の振り付けを基本にしていた点、玩具から文房具・お菓子・食品・漫画など幅広いキャラクター商品展開などの商業的戦略が非常に酷似している点、ピンク・レディーは「UFO」、モーニング娘。は「LOVEマシーン」とそれぞれ誰もが知っているミリオン級の大ヒット曲(代表曲)を持っている点、モーニング娘。のつんく♂と同様にピンク・レディーの曲の作詞のほとんどを阿久悠1人で手掛けている点、モーニング娘。及びハロー!プロジェクトの振付師である夏まゆみと同様にピンク・レディーの振り付けを担当していた専属の振付師土居甫がいたことなど、共通点が多い
  • 後にピンク・レディーとモーニング娘。が共演した際に、ピンク・レディーの2人(未唯増田惠子)が「私達とモーニング娘。は似ている」とコメントしている。
  • 相違点としては、ピンク・レディーの場合はメンバーが固定されており、メンバーチェンジなどは一切行われなかったことである。
  • 中澤裕子は、「徹子の部屋」(テレビ朝日系)出演時に「子供の頃ピンク・レディーになるのが夢だったが、モーニング娘。になったことで、その夢を叶うことができた。」と語っている。
EXILE
  • メンバーの入れ替えやグループ内でのユニット(「COLOR」「RATHER UNIQUE」など)やソロ活動を行っている「EXILE」とも比較される。
  • ハロー!プロジェクトのように「EXILES」という総称があり、EXILEのライブに他のEXILESメンバーが多く出演している。
  • 結成時のボーカリストが「ASAYAN」落選組出身である、メンバーの年齢差が大きい、追加メンバーをオーディションで採用、といった共通点が挙げられる。
  • EXILEが「さんまのまんま」に出演した際は司会の明石家さんまに「男モー娘。」と言われていた。
  • めちゃ×2イケてるッ!」の企画で岡村隆史がモーニング娘。のライブに出演し、ダンスを披露したが、EXILEも同じようにライブに岡村が出演した。
  • 相違点といえば、モーニング娘。は全メンバーがボーカルとダンスを担当しているのに対し、EXILEはボーカルとダンスを担当するメンバーが別になっているところが挙げられる。

事務所の公式見解、そしてアイドル評論などから数多くのグループ編成に関する推察がなされているが、メンバーの入れ替えを常に前向きに捉えていく姿勢はモーニング娘。独自のものと言えるだろう。

[編集] グループ名の由来

モーニング娘。は、『モーニングセットのように、お得感があり、楽しめるユニット』ということで命名された。

なお、その他の候補としては「87」(メンバー全員の歳を足して)、「都道府」(メンバーの出身地が「」「」「」であり、「」出身者がいなかったため。)や「たこ焼きシスターズ」「モーニングサービス」「モーニング・ファイブ」などだった。なお、「モーニング(セット)」は「バイキング」から連想した物であり、「バイキング娘。」になっていた可能性も高い。しかし最終的には「モーニング娘」が採用された。

[編集] 「モーニング娘。」の「。」について

  • 当初のつんく♂の命名では「。」が付いていなかった。しかし当時「ASAYAN」では画面に表示されるテロップのほとんどすべてに「。」を付けていたため、ユニット名発表の際(1997年9月14日放送)にもステージ上の画面で「ユニット名はモーニング娘。」と表示されることになった。それに対して司会のナインティナイン岡村隆史が「僕質問なんですけど、モーニング娘のあと『。』付いてますやん。(中略)あれは『。』は付いてるんですか?」と問いかけたところ、相方の矢部浩之が「ちょっと待ってもらえます。(舞台袖を見ながら)あれ僕の意見でいいすか今、あっそうですか。(正面に向き直り)あの『。』は…要ります!」と言ったため「。」付が正式な表記になった。その後の感想で、漢字のグループ名を希望していた当時のメンバー福田明日香が「漢字も『まる』もついて、お得だな~」と発言した。
  • TBS系の番組「うたばん」で「。」について聞かれた時にメンバーのほとんどは不要と答えた。しかし、中澤裕子の誕生日(26歳)を前に出演したフジテレビ系の番組「ハッピーバースデー!」(1999年6月13日放送)での安斎勝洋による姓名判断で「『。』が付いたことで画数が23画となり、理想的なグループ名となった。」と言われた後、肯定的な発言をしている。「。」のない22画ではグループが分裂すると言われているため、後に別の番組でリーダー(当時)の中澤裕子が「『。』は大事。」と語っている。
  • シンボルマークもダブルエム(二重にした小文字の「m」、山が1つ多い)に「。」が付いた形で、商標登録されている英語の正式名称も「Morning Musume。」と「。」が付いている。
  • モーニング娘。やハロー!プロジェクトに関連するグループ名、ユニット名、番組名などにも「。」が付いているものが数多くある(「カントリー娘。」「ココナッツ娘。」「ミニモニ。」「エコモニ。」「ハロー!モーニング。」「モー。たいへんでした」「エアモニ。」「モーニング刑事。」「江戸っ娘。忠臣蔵」など)。
  • 単語の中に句点を含む語としては初めてではないのだが、モーニング娘。が広くメディアに取り上げられるに伴って、日本語の乱れの例、ないしはそれを広めたきっかけとして取り上げられたことがある。[12]

[編集] 「モー娘。」という略表現について

  • メンバー自身(特に初期のメンバー)は、自分達のグループを「モーニング」または「むすめ」と呼ぶことが多い。また、メンバーに関わらず自らを「もーむす」と呼ぶことは台本などで強制されない限りまずない。ファンも同調し「もーむす」とは基本的に呼ばない。
  • 「モー娘。」という表記自体は最初ファンやマスコミが使い始めた呼び方であるものの、所属事務所によって商標登録されており、映画「ピンチランナー」のキャッチコピーで「モー娘。、走る!」として使われるなど、現在では事務所側も認めたものとなっている。
  • 「モー娘。」という表記が一般的に使われるようになった以後にファンになった者はあまり抵抗なく「モー娘。」という表記を使うこともある。
  • モーニング娘。の熱狂的なファンのことを「モーヲタ」と呼ぶ。また、そのモーヲタは彼女らのことをモー娘。(モームス)ではなく娘。(むすめ)と呼ぶのが浸透している。逆に「モーニング娘。」のことについてあまりよく分からない人は「モーむすめ」と言う人もいる。
  • モーニング娘。、Morning Musume。及びモー娘。はいずれも株式会社アップフロントグループ登録商標(商標登録第4555529号・第4566621号・第4555530号)で、登録呼称は「モーニングムスメ」及び「モームスメ」である。存続満了日は2012年(平成24年)である(ただし更新可能)。

[編集] 歴史

[編集] 誕生(1997年)

  • 1997年9月7日テレビ東京系のオーディション番組『ASAYAN』(2002年3月24日終了)内において4月から行われていた「シャ乱Qロックヴォーカリストオーディション」(優勝は平家みちよ)の最終選考で落選した中から中澤裕子石黒彩飯田圭織安倍なつみ福田明日香の5人が選抜され、結成された(放送収録は8月20日)。公式の結成経緯に対し、後につんく♂がオーディション時に合宿をする理由として「グループ活動に必要な協調性があるかどうかを見るため」と語っていることなどと合わせ考えると、ソロヴォーカリストを選ぶのに合宿をするのは不自然であるといった理由などから、最初から女性ヴォーカルグループを作るためにオーディションを開いたのではないか、とする説もある。グループ名は、9月14日の放送分において「モーニング娘。」と決まった。
  • 結成後はインディーズで活動を開始した。しかし、メジャーデビューを目指すにはシングル『愛の種』を制限期間5日間、さらに手売りで5万枚売り上げなければならない厳しい試練があるとして、全国でCDの手売り販売を行う「愛の種」発売キャンペーンを行わなければならなかった。そのキャンペーンが11月3日から大阪心斎橋HMVを皮切りに開始したが、ここでの売り上げ枚数は16,610枚と目標を大きく上回った(HMVでの1日1店舗における1タイトルの売り上げは世界記録)。その後も全国各地を巡り、同月30日ナゴヤ球場でのキャンペーンでは9,533枚を売り上げ、目標の5万枚をすべて完売させ、メジャーデビューを果たした。
  • 楽曲の権利関係については、「愛の種」及び「モーニングコーヒー」については「アップフロント音楽出版」と共に「テレビ東京ミュージック」が共同権利者となっており、プロモーション関係などの様々な経費をおそらくは番組制作費の一環としてテレビ東京側が負担することと引き替えにモーニング娘。に関する権利の半分を譲渡したものであると見られる。これに対して、2ndシングルの「サマーナイトタウン」以降の曲についてはアップフロント音楽出版のみが権利者となっている。
  • 雑誌「サイゾー」において、 アップフロントグループの山崎直樹会長とされる人物が「モーニング娘。は本当は10人でスタートさせたかった。しかし5人でも1か月で500万円の経費がかかるので成功するかどうか分からない状況で10人でスタートするのは到底無理だった。人数を増やしてもやっていけそうな目処が立った時点でメンバーを増やすことにした。」と語ったインタビューが掲載された。この記事では「モーニング娘。の音楽的なことはつんく♂が決めているが、メンバーを増やすかどうかといったことはすべて私が決めていた。」と当時の「ASAYAN」の演出や関係者の発言を全否定する発言も同時に行っており、一部で物議をかもした。
  • 最初の追加メンバー募集の発表時は、内容を知らされずに「重大発表がある」とだけ聞かされた初代リーダーの中澤裕子がその重大発表の内容は「モーニング娘。の解散」だと思ったと後に語っており、当時の現場にはその様な雰囲気があったことを伺わせる(「モーニング娘。5+3-1」より)。当初は人数を倍の10人にすると発表されたが、結果は3人追加の8人となった(1998年~1999年に後述)。
  • ブレイクすると共に急激に状況は改善されていったものの、デビュー曲の時点では歌の衣装は1着しか用意されておらず、衣装の洗濯なども自分で行っていたり、穴が開いたら自分で繕っていた。また、歌の衣装以外はすべて自前の私服であり、家族や友人から借りた服でしばしばテレビに出ることもあった。また、「ASAYAN」などが密着取材をする時以外は基本的に現地集合・解散であり、マネージャーもいない状況で移動時やプライベートでの写真も撮られ放題の状況であった。

[編集] ブレイク期(1998年~1999年)