ジャイアントパンダ
| ジャイアントパンダ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 保全状況評価 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ENDANGERED (IUCN Red List Ver.3.1 (2001)) |
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| 分類 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 学名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| Ailuropoda melanoleuca (David, 1869) |
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| シノニム | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| Ursus melanoleucus David, 1869 |
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| 和名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ジャイアントパンダ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 英名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| Giant Panda | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 下位分類群(亜種) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
詳しくは本文を参照のこと
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ジャイアントパンダ(学名:Ailuropoda melanoleuca、英語名:Giant Panda、中国語名:大熊猫。異称等については後述)は、中国大陸で進化し、アバ・チベット族チャン族自治州域内が主たる生息地である。現在では中華人民共和国のごく限られた地域(四川省・陝西省など)にわずかな頭数が残存する[1]、竹食などの草食傾向が比較的高い雑食性の大型哺乳類。ネコ目(食肉目)- イヌ亜目- クマ下目 (en) 中のクマ科- ジャイアントパンダ亜科に分類される、ジャイアントパンダ属の、唯一現生する1種。四川と秦嶺の2亜種が知られる(後記「#下位分類」を参照)。白と黒にはっきりと分かれた体毛が際立った特徴である。
目次 |
[編集] 呼称
[編集] 学名
属名 Ailuropoda は、古典ギリシア語: αἴλουρος (ailouros) 「猫」 + πούς (pous; 語幹: pod-) 「足」 の合成語。 種小名 melanoleuca は同じくギリシア語 μέλας (melas; 語幹: melan-) 「黒い」と λευκός (leukos) 「白い」とをつなげて、「黒白の」といった意味あいである。
[編集] 世界の通用名(大小のパンダ)
今では世界中の諸言語で単に「panda、パンダ」と呼ぶ場合、レッサーパンダではなくこのジャイアントパンダを指すことが多いが、学術的に発見されたのは1835年のレッサーパンダが先であり[2]、オリジナルの「パンダ」に比して大きな新種(当時はそのように考えられた)が1869年になって発見されたことを受け、「lesser (レッサー、意:より小さい、小型の)」という特徴が名前に付け加えられた経緯がある。
「panda」という呼び名の由来については、ネパール語で「竹を食べるもの」を意味する[3][4]「ponga (ポンガ)」「ponya (ポンヤ)」「poonya (ポーンヤ)」(cf. レッサーパンダの現地・ネパール語名:nigalya ponya、nyala ponga、poonya)などに求める説、特徴的な手根骨などの骨格に求める説などがある。ただし、これらの語はどのようなネパール語辞書からも見付けることができないものであり[5][6]、論拠に疑問がある。[7]
中国語で言う「熊貓(繁体字)」「熊猫(簡体字)」も、レッサーパンダに由来する。猫にあまり似ていないジャイアントパンダであるが、それを指す中国語に「猫」という字が入るのも、元はこの名がレッサーパンダを指していた名残である。 中国の山奥では、竹を食べる等、生態が似ているため、レッサーパンダが大きくなるとジャイアントパンダになると信じられていた地域もある。
[編集] 中国語名
標準名は「大熊猫」(dàxióngmāo; ターシュンマオ)。 亜種レベルでは、模式亜種 A. m. melanoleuca を「四川大熊猫」(Sìchuán dàxióngmāo)、もう一つの亜種 A. m. qinlingensis を「秦嶺大熊猫 」(Qínlǐng dàxióngmāo)として呼び分ける。
一般には「熊猫」(xióngmāo; シュンマオ)の名で親しまれている。台湾では「猫熊」と呼ぶ。
最初、ジャイアントパンダの中国語名は、現在台湾の国語の通り、「猫熊」であった。意味は「猫みたいな熊」。1939年、中国重慶の平明動物園で、動物標本展示会を行った。「猫熊」の標本は一番人気だった。「猫熊」の名前は、中国語と英語を書いていた。当時中国語の読み方は右から左(英語とは逆、アラビア語と同じ)だったので、英語の読み方と同じ順番で書いた中国語「猫熊」が、「熊猫」に誤解された。これから中国で「熊猫」の呼び方は広がって、「猫熊」の呼び方は無くなった。中国国内戦で負けた中国国民党は、ジャイアントパンダの正しい中国語名に詳しい科学者を含む有識者を連れて台湾に退避した。従って、台湾の国語で、ジャイアントパンダの中国語名は、正しい「猫熊」だった。
[編集] 日本語名
日本語では標準和名「ジャイアントパンダ」のほか、古くは「白黒熊(シロクロクマ、シロクログマ)」「色分熊(イロワケクマ、イロワケグマ)」 とも呼ばれていた。これら異称としての和名は今ではほとんど用いられないが、消えたわけでもない。全ての生物名に漢字表記を当てることを旨としていた近代の博物学および生物学では、これらの名のいずれかが標準和名であった。
[編集] 発見史
1869年3月11日、博物学に長けたフランス人宣教師のアルマン・ダヴィド (en) が、現在の中華人民共和国四川省西部宝興県にて地元の猟師が持っていた白黒模様のパンダの毛皮を欧米人として初めて発見した。後日、パリの国立自然史博物館に毛皮と骨などを送った[8][9][10][11][12]。これがきっかけとなってジャイアントパンダの存在が広く知られるようになり、毛皮目当てに狩猟ブームになった。20世紀になると絶滅の危機を迎えていた。探検家のウィリアム・ハークネスが生体をアメリカに連れて帰ろうとしたが、病で死んだ。その後、妻のルース・ハークネスが夫の思いを実らせようと単身中国に渡り、1936年11月にジャンアントパンダの幼獣を見つけて自国に連れ帰った。現在はその剥製がアメリカ自然史博物館に保管されている。
[編集] 分類
[編集] 系統分類
その名の通りクマに似ているが、アライグマに近い特徴も持つ。そのため、クマ科に属するか、アライグマ科に属するか、独立したパンダ科(もしくは、ジャイアントパンダ科)に属するかの論争が長年繰り広げられていたが、古生物学、形態学、分子系統学的研究の結果、近年ではクマ科に分類される[13][14]。一方、レッサーパンダは独立したレッサーパンダ科に分類された。
パンダの系統についてはパンダの項目を参照
- ITIS(統合分類学情報システム)データベース
- ジャイアントパンダ Ailuropoda melanoleuca (David, 1869) ※外部リンク
[編集] 下位分類
Ailuropoda melanoleuca の下位分類は2亜種で形成されている。 表記内容は左から順に、学名、和名(現状未確認)、英語名、特記事項。
- Ailuropoda melanoleuca melanoleuca (David, 1869) 和名未確認(四川亜種) Giant Panda :模式亜種。
- Ailuropoda melanoleuca qinlingensis Wan, Wu et Fang, 2005 [15] 和名未確認(秦嶺亜種) Qinling Panda
2006年、四川省のジャイアントパンダと秦嶺(陝西省)のジャイアントパンダはそれぞれ独立した亜種であることが確認された[16]。差異が生じた原因としては、四川地方と陝西地方の長い歴史に関わっているという説がある。2地方を結ぶ路は交易路としておよそ3000年以上も前から存在し、野生のジャイアントパンダが交流できない状態を形成していたというのである。 過去には茶色い毛並みのジャイアントパンダが陝西省に存在していた[17]。
[編集] 形態
全長は120- 150cmで、立ち上がると170cm程度になる。オスの体重は約100- 150kg、メスは約80- 120kgである。生まれた子供の体重は通常100- 200g程度と大人の約1000分の1しかない。眼の周り、耳、四肢、背中の両肩の間の毛が黒く、他の部分は白色(クリーム色)である[18][19]。この模様や色使いは「単独行動が維持できるように近すぎる距離での遭遇を回避するのに役立っている[20][21]」「周りの景色に溶け込んで外敵の目から逃れるためのカモフラージュの役割を果たしていた[22]」等と考えられている。尾の長さは約13- 20cmであるが、尾はほとんど成長しないため、成獣では目立たない[18]。ジャイアントパンダのぬいぐるみ・人形・キャラクターグッズなどのなかには、尾を黒く塗った商品を見かけるが、汚れなどによる誤解や思い込みに基づいて色付けされており、本種の尾の色は正しくは白色(クリーム色)である[18][19]。
生まれた直後は毛が一切生えておらず、薄いピンク色をしている[23]。生後約1週間から十日程で毛根の色が透けるため白黒模様が見え始める[19][23]。生後1か月ほど経つと親と同じような模様の毛が生え揃う[23]。ジャイアントパンダの毛は軟らかそうなイメージがあるが、軟らかいのは生後約1年くらいまでであり、成獣の毛は豚毛ブラシに近く、比較的硬い[19][23]。毛皮は、硬くて脂ぎっている[19]。
通常、クマは前肢の構造上、物を掴むという動作ができない。しかし、唯一ジャイアントパンダは竹を掴むことができるように前肢周辺の骨が特殊に進化している[13]。第一中手骨(親指)側にある撓側種子骨と第五中手骨(小指)側にある副手根骨が巨大化して指状の突起となっており、その突起を利用して物を押さえ込む。撓側種子骨は人間の親指のように見えることから「偽の親指」や「第六の指」と呼ばれている[19][23]。ジャイアントパンダは撓側種子骨があることで物を掴めると長い間考えられてきたが、実際に竹のような太さの棒状の物体を掴むには撓側種子骨に加え、「第七の指」副手根骨が必要であることが、遠藤ら (1999) [24]によって示された。パンダがこれら2つの骨を使って物を掴む仕組みは、論文の中で「ダブル・ピンサー」、すなわち「パンダの掌の二重ペンチ構造」[25]と紹介されている。
眼の周りの模様が垂れ目のような形をしているが、実際の眼は小さく上がり気味で鋭い目付きである[23][26]。視力はあまりよくないと考えられていたが、研究によって2000年代、灰色と様々な色合いを区別できることが確認された[27]。
消化器官や歯の構造はクマやアザラシ等、他の肉食動物と大変似ている。犬歯は大きく、奥歯も大きく平らな臼歯で人間のおよそ7倍の大きさである[19][23]。腸や盲腸は草食性としては短い構造がデメリットとなり、セルロースを多く含む竹などの食物を食べた場合、栄養摂取の効率が低く、それを量で補うため、ジャイアントパンダは一日の大半を竹を食べることに費やしている[19][23]。
[編集] 生態
現在は竹林に棲み、竹食のほか、小型哺乳類・魚・昆虫等の小動物、果物を食べることもあり[19][26][28]、他のクマ類と同様に肉食を含む雑食性の特徴も微少であるが残っている。昔は動物園でも肉を与えていたケースもある[28]。氷期の到来による気候変動がもたらす食糧不足から偏食を余儀なくされ、常に入手しやすい竹ばかり食べるようになったと考えられている[28]。しかしながら現在は、中国の飼育環境では、竹以外にも肉や野菜などを中心とした餌が与えられ、竹食中心とは言いがたい。
群れや家族を形成せず、基本的に単独で行動している。他のクマ科動物と異なり、冬眠はしない。繁殖期は年に一度、3月から5月の間であり、マーキング(territorial marking)が行われることもある[19][20]。メスの受胎が可能な期間は数日ほど。妊娠期間は3か月から6か月で、通常1頭または2頭の子供を出産する。繁殖力は低い部類に入り、乱獲と並んでパンダの絶滅危機の原因でもある[19]。近年の研究によって、発情期以外でも声と匂い付けによって他のパンダと頻繁にコミュニケーションをとり、しばしば交流することが判明している[14]。
外見や動作の特徴は人間にとって「愛らしさ」と映り、そのような面が注目を集めるが、クマ科動物として気性の荒い一面も併せ持っている。動物園の飼育員や見学客などが襲われる事件が過去には何件か発生している[26]。
[編集] 生息地と保護
2004年に発表された調査では、現在、中華人民共和国四川省北部の岷山山地、陝西省南部の秦嶺山脈、甘粛省南部などに約1,600頭が生息している。中国では40か所のパンダ保護区を設けてジャイアントパンダを保護しており、最大のものは四川省北部のアバ・チベット族チャン族自治州にある臥龍自然保護区(en. 約2,000km²)である。また、国家一級重点保護野生動物にも指定されている。
臥龍自然保護区内には1983年に臥龍パンダ保護研究センターが建設され、ジャイアントパンダの飼育・研究が行われ、また、大いに観光客を呼び込んでいたが、2008年の四川大地震によって壊滅し、飼育されていたジャイアントパンダはちりぢりに各地の動物園に移された。廃墟となった臥龍のセンターは放棄され、近隣の耿達郷にセンターを再建する計画がある。臥龍自然保護区の野生パンダの生息環境も破壊が激しく、多くの野生パンダが死滅するという予測がある。そのため、野生パンダを広州のサファリパークに移送する案も出ているが実現に至っていない。
中華人民共和国では、ジャイアントパンダの密猟は重罪とされている。過去には死刑が最高刑であったが、1997年以降法律が改正され、現在は20年の懲役刑が最高刑となっている[14]。死刑が最高刑であった時代に、実際に処刑(主に銃殺刑)が行われたこともある。密猟はジャイアントパンダを食料にしたり、高値で取引される毛皮を手に入れるために行われることが多く、主な原因としては、中国における自然保護の管理システムの問題と、ジャイアントパンダの生息地における住民の経済的基盤の問題が挙げられている[14][29]。
経済発展が続く中華人民共和国では生息地域だった土地の開発が進むにつれて、ジャイアントパンダが孤立する傾向にあり、繁殖期になっても交尾の相手が見つからないといった事態が起きている。また、本種の主食である竹は約60年から120年に1度、一斉に開花して枯れてしまうため、一種類しか竹が生えていない地域の場合、この時期に食料にありつけず餓死してしまうことがある[22]。以前であれば竹枯死の発生していない他の地域に、ジャイアントパンダ自身が移動することによってその事態を回避することもできたが、20世紀後半以降は道路建設や森林伐採、住宅や農地の開発などによって人間が生息地を分断したことによって移動できなくなった地域もあり、竹枯死の影響が大きくなるとみられる[14][28]。そのような問題点を改善するために、生息地域付近の開発制限、保護区の拡大、他地域のジャイアントパンダ同士が相互に交流できるように「緑の回廊(ワイルドライフコリドー、グリーンコリドー、en)」を造る計画を進めている[14]。
ワシントン条約の附属書I(絶滅のおそれのある種で取引による影響を受けており、または受けることがあるもの)に掲載され、取引が厳しく制限されている。
2006年、生育センターなどで飼育中のジャイアントパンダは計217頭、野生では約1,590頭が生育している。この数は1980年代末より約40%増えている。
[編集] ジャイアントパンダを見られる施設
- 日本国内
- 神戸市立王子動物園:兵庫県神戸市 (旦旦[タンタン]、メス)
- アドベンチャーワールド:和歌山県白浜町 (永明:オス、良浜:メス、愛浜:メス、明浜:オス、梅浜:メス、永浜:オス、海浜:オス、陽浜:メス)
- 良浜の母である梅梅(2008年10月15日死亡)は来日前に中華人民共和国で双子の姉妹(奇縁:メス、奇珍:メス)を出産した経験があり、第3子である良浜を妊娠した状態で来日した。良浜の父は中華人民共和国にいる哈藍(哈蘭とも書く。2006年成都動物園にて死去)であり、永明と良浜の間に血縁関係はない。
- 愛浜、明浜(および、成都にいる雄浜、隆浜、秋浜、幸浜)は永明と梅梅の間の子である。
- 永明は梅梅の双子の姉(蜀蘭)との間に、人工授精により、2002年に中国で生まれた子(蘭宝:オス)がいる。
- 2008年9月13日に良浜がメスとオスの双子(梅浜:メス、永浜:オス。2008年11月13日命名)を出産した。これらは日本初の3世代目のジャイアントパンダである。なお、父親は永明である。
- 2010年8月11日に永明と良浜の間にオスとメスの双子(海浜:オス、陽浜:メス。2010年10月8日命名)が誕生した。9月4日より、一日2回、20分間一般公開されている。
- 東京都恩賜上野動物園:東京都台東区 (リーリー:オス、シンシン:メスの2頭、2011年4月1日より公開[30])
- 陵陵(リンリン)が2008年4月30日に死亡したため、東京都恩賜上野動物園からパンダが居なくなったのと同時に、日本が所有権を持つジャイアントパンダはいなくなった[31]。現在、日本国内で飼育されているジャイアントパンダはすべて中華人民共和国から借り入れている。なお、陵陵は血縁上、永明の伯父にあたる。
- 2011年2月21日に上野動物園へ力力(リーリー)と真真(シンシン)が到着した。公開は2011年3月22日から予定していたが、東日本大震災の影響で4月1日からとなった。
- 日本国外
[編集] 日本における飼育個体
| 名前 | 性別 | 生年月日 | 来日年月日 | 死亡日/現住地 | 日本出国日 | 日本国内居住地 (滞在地) |
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|---|---|---|---|---|---|---|---|
| カタカナ名 | 漢字名(英語名) | ||||||
| カンカン | 康康(Kang Kang) | オス | 1970年11月(推定) | 1972年10月28日 | 1980年6月30日 | (日本国内で死亡) | 東京都恩賜上野動物園 |
| ランラン | 蘭蘭(Lan Lan) | メス | 1968年11月(推定) | 1972年10月28日 | 1979年9月4日 | (日本国内で死亡) | 東京都恩賜上野動物園 |
| フェイフェイ | 飛飛(Fei Fei) | オス | 1967年(推定) | 1982年11月9日 | 1994年12月14日 | (日本国内で死亡) | 東京都恩賜上野動物園 |
| ホアンホアン | 歓歓(Huan Huan) | メス | 1972年(推定) | 1980年1月29日 | 1997年9月21日 | (日本国内で死亡) | 東京都恩賜上野動物園 |
| チュチュ | 初初(Chu Chu) | オス | 1985年6月27日 | (日本国内生まれ) | 1985年6月29日 | (日本国内で死亡) | 東京都恩賜上野動物園 |
| トントン | 童童(Tong Tong) | メス | 1986年6月1日 | (日本国内生まれ) | 2000年7月8日 | (日本国内で死亡) | 東京都恩賜上野動物園 |
| ユウユウ | 悠悠(You You) | オス | 1988年6月23日 | (日本国内生まれ) | 2004年3月4日 | 1992年11月13日 | 東京都恩賜上野動物園 |
| リンリン | 陵陵(Ling Ling) | オス | 1985年9月5日 | 1992年11月5日 2001年4月25日 2002年4月24日 2003年4月26日 |
2008年4月30日 | 2001年2月9日 2001年11月12日 2003年1月27日 (日本国内で死亡) |
東京都恩賜上野動物園 |
| シュアンシュアン | 双双(Shuan Shuan) | メス | 1987年6月15日 | 2003年12月3日 | チャプルテペック 動物園(メキシコ) |
2005年9月26日 | 東京都恩賜上野動物園 |
| シャンシャン | 珊珊(Shan Shan) | オス | 1955年 | 1980年3月23日 | 1985年6月 | 1980年6月2日 | 福岡市動物園 |
| パオリン | 宝玲(Bao Ling) | メス | 1963年 | 1980年3月23日 | 1988年12月 | 1980年6月2日 | 福岡市動物園 |
| ウェイウェイ | 偉偉(Wei Wei) | オス | 1973年 | 1981年1月6日 | 1992年3月 | 1981年 | 上海雑技団 (日本国内巡回) |
| サイサイ | 寨寨(Zhai Zhai) | オス | 1975年 | 1981年3月10日 | 1999年2月 | 1981年9月17日 | ポートピア'81博覧会 |
| ロンロン | 蓉蓉(Rong Rong) | メス | 1964年 | 1981年3月10日 | 1993年 | 1981年9月17日 | ポートピア'81博覧会 |
| トントン | 東東(Dong Dong) | オス | 不明 | 1989年9月15日 | 成都動物園(中華人民共和国) | 1989年11月12日 | こうふ博'89+パンダ展 |
| ビンビン | 冰冰(Bing Bing) | メス | 1986年8月6日 | 1989年9月15日 | 合肥野生動物園(中華人民共和国) | 1989年11月12日 | こうふ博'89+パンダ展 |
| コウコウ(初代) | 興興(Xing Xing) | メス | 1996年8月12日 | 2000年7月16日 | 碧峰峡基地(中華人民共和国) | 2002年12月5日 | 神戸市立王子動物園 |
| タンタン | 旦旦(Tan Tan) | メス | 1995年9月16日 | 2000年7月16日 | 神戸市立王子動物園 | 神戸市立王子動物園 | |
| コウコウ(2代目) | 興興(Xing Xing) | オス | 1995年9月14日 | 2002年12月9日 | 2010年9月9日 | (日本国内で死亡) | 神戸市立王子動物園 |
| ※名前なし | ※名前なし | 不明 | 2008年8月26日 | (日本国内生まれ) | 2008年8月29日 | (日本国内で死亡) | 神戸市立王子動物園 |
| シンシン | 辰辰(Shen Shen) 申申? |
オス | 不明 | 1988年3月25日 (1988年7月9日) (1988年9月19日) |
成都動物園(中華人民共和国) | (1988年7月5日) (1988年9月18日) 1989年1月10日 |
池田動物園 函館EXPO'88 アドベンチャーワールド |
| ケイケイ | 慶慶(Qing Qing) | メス | 1984年9月9日 | 1988年3月25日 (1988年7月9日) (1988年9月19日) |
成都大熊猫繁育 研究基地(中華人民共和国) |
(1988年7月5日) (1988年9月18日) 1989年1月10日 |
池田動物園 函館EXPO'88 アドベンチャーワールド |
| エイメイ | 永明(Yong Ming) | オス | 1992年9月14日 | 1994年9月6日 | アドベンチャーワールド | アドベンチャーワールド | |
| ヨウヒン | 蓉浜(Rong Bin) | メス | 1992年9月4日 | 1994年9月6日 | 1997年7月17日 | (日本国内で死亡) | アドベンチャーワールド |
| メイメイ | 梅梅(Mei Mei) | メス | 1994年8月31日 | 2000年7月7日 | 2008年10月15日 | (日本国内で死亡) | アドベンチャーワールド |
| ラウヒン | 良浜(Liang Bin) | メス | 2000年9月6日 | (日本国内生まれ) | アドベンチャーワールド | アドベンチャーワールド | |
| ユウヒン | 雄浜(Xiong Bin) | オス | 2001年12月17日 | (日本国内生まれ) | 成都大熊猫繁育 研究基地(中華人民共和国) |
2004年6月21日 | アドベンチャーワールド |
| リュウヒン | 隆浜(Long Bin) | オス | 2003年9月8日 | (日本国内生まれ) | 成都大熊猫繁育 研究基地(中華人民共和国) |
2007年10月27日 | アドベンチャーワールド |
| シュウヒン | 秋浜(Qiu Bin) | オス | 2003年9月8日 | (日本国内生まれ) | 成都大熊猫繁育 研究基地(中華人民共和国) |
2007年10月27日 | アドベンチャーワールド |
| コウヒン | 幸浜(Xing Bin) | オス | 2005年8月23日 | (日本国内生まれ) | 成都大熊猫繁育 研究基地(中華人民共和国) |
2010年3月15日 | アドベンチャーワールド |
| ※名前なし | ※名前なし | オス | 2005年8月24日 | (日本国内生まれ) | 2005年8月25日 | (日本国内で死亡) | アドベンチャーワールド |
| アイヒン | 愛浜(Ai Bin) | メス | 2006年12月23日 | (日本国内生まれ) | アドベンチャーワールド | アドベンチャーワールド | |
| メイヒン | 明浜(Ming Bin) | オス | 2006年12月23日 | (日本国内生まれ) | アドベンチャーワールド | アドベンチャーワールド | |
| メイヒン | 梅浜(Mei Bin) | メス | 2008年9月13日 | (日本国内生まれ) | アドベンチャーワールド | アドベンチャーワールド | |
| エイヒン | 永浜(Yong Bin) | オス | 2008年9月13日 | (日本国内生まれ) | アドベンチャーワールド | アドベンチャーワールド | |
| カイヒン | 海浜(Hai Bin) | オス | 2010年8月11日 | (日本国内生まれ) | アドベンチャーワールド | アドベンチャーワールド | |
| ヨウヒン | 陽浜(Yang Bin) | メス | 2010年8月11日 | (日本国内生まれ) | アドベンチャーワールド | アドベンチャーワールド | |
| リーリー | 力力(Li Li) | オス | 2005年8月16日 | 2011年2月21日 | 東京都恩賜上野動物園 | 東京都恩賜上野動物園 | |
| シンシン | 真真(Zhen Zhen) | メス | 2005年7月5日 | 2011年2月21日 | 東京都恩賜上野動物園 | 東京都恩賜上野動物園 | |
[編集] その他の事項
[編集] パンダ外交
中華人民共和国の中国共産党は各国との関係発展のために相手国にパンダを贈呈する、いわゆる「パンダ外交」を展開してきた。これが転じて、アメリカなどでは親中派が「パンダ・ハガー(panda hugger、パンダを抱く人)」と呼ばれることがある。
日本においては[32]、1970年代にジャイアントパンダの大ファンである黒柳徹子が紹介し、その後日中国交正常化により上野動物園に中国から2頭贈られたため、日本中にパンダ・ブームが起こった。
また、2005年に、中華人民共和国と「中国の代表権」をめぐって対立を続けている中華民国(台湾)の比較的親中的な野党である中国国民党および親民党代表団が中華人民共和国を訪問した際に、中国共産党側から中華民国にジャイアントパンダを贈る約束を取りつけた。これに対して民主進歩党出身の陳水扁政権は、ワシントン条約に基づき、中華人民共和国政府が輸出許可書を発行することを求めた。これは「パンダ外交」による国民の反中心情の緩和を警戒したものである。しかし、中華人民共和国政府は「国内移動」として、これを拒否した。そのため、中華民国政府はパンダの輸入を許可していない。しかし2008年の馬英九政権の対中緩和政策でジャイアントパンダを受け入れた。
現在ではワシントン条約とその加盟国が独自に条約運用のために定めた法の影響で学術研究目的以外での取引は難しいため[33]、外交としてパンダが贈られることはなくすべて「中国籍」でレンタルとなっている[33][34][35][36]。過去に贈られたジャイアントパンダはその当事国の国籍を持っているが、その数は少ないため「非中国籍」同士での繁殖は難しく、しかし、片方の親が中国籍であれば生まれた子供はすべて「中国籍」となり、課金対象になってしまう[35][36]。また、そのレンタル料も高額であり、つがい一組で年間1億円程度、自然死であると証明できない死亡における賠償額は5千万円程度で契約されている[35][37]。その資金は本種の研究費や生息地保護資金に充てられている[14][33][36]。このような事情から、資金難から本種を返還した国もあり[35][38]、本種はもはや外交ではなく、ビジネスであるとも言われている[33][34][35]。
[編集] 客寄せパンダ
日本ではジャイアントパンダの人気は高く、本種のいる日本の動物園ではそれを目当てとした来園客が非常に多い。そのため、興行などで集客力のある人気者を指す客寄せパンダという言葉が生まれた。また、1981年6月の田中角栄による東京都議選応援演説における「人寄せパンダ」[39][40][41][42]発言の「人寄せ」部分が変化した という説もある。
[編集] 脚注
- ^ 飼育個体は世界各地に存在するが、極めて少数。
- ^ イギリス人の冒険家によってに発見された。
- ^ パンダ【panda】 Yahoo!辞書(情報元:大辞泉)
- ^ panda - Online Etymoligy Dictionary.
- ^ 例えば、Krämer, Karl-Heinz. Nepli-English Dictionary.
- ^ 同様に、"A Comparative and Etymological Dictionary or the Nepali Language (online version)".
- ^ 別資料の表現では、ヒマラヤ南東部のチベット・ミャンマー語派言語に起源あり。→“panda” (en). Dictionary.com. 2010年5月3日閲覧。
- ^ R&D・モリス著 『パンダ 自然選書』 根津真幸訳訳、中央公論社、1976年1月。ISBN 978-4-12-000620-3。
- ^ 3月11日はパンダ発見の日 OCN TODAY 2008年3月11日
- ^ 【 熊猫 】 中国語学習ノート 2007年2月2日
- ^ 「パンダ」はどこからやってきた? 辞引網 2003年5月30日
- ^ じゃいあんとぱんだ【ジャイアントパンダ】(百科辞書)
- ^ a b 遠藤秀紀 「ジャイアントパンダの分類学的位置と形態学的適応」『脊椎動物の多様性と系統』 松井正文、裳華房、2006年、336-337頁。ISBN 4785358300。
- ^ a b c d e f g 「ジャイアントパンダについて」 WWFジャパン公式サイト
- ^ Wan, Q.-H., H. Wu, and S.-G. Fang. 2005. A new subspecies of giant panda (Ailuropoda melanoleuca) from Shaanxi, China. Journal of Mammalogy 86: 397–402.
- ^ パンダは白黒だけじゃない 「毛色の違う」亜種も 人民網日本語版 2006年1月12日
- ^ 動物園の人気者、パンダの「シンシン」逝く(2)―陜西省西安市 Record China 2006年11月24日
- ^ a b c 上海野生動物園「パンダの館」
- ^ a b c d e f g h i j k パンダ館「パンダに関する基礎知識」
- ^ a b パンダ村「パンダのコミュニケーション」
- ^ ジョージ・B・シャラー、播文石、胡錦矗、朱靖ほか 『野生のパンダ』 どうぶつ社〈自然誌選書〉、1989年3月。ISBN 978-4-88622-246-6。
- ^ a b THE ANIMALS「ジャイアントパンダ Giant Panda(次のページ)」
- ^ a b c d e f g h 神戸市立王子動物園公式サイト「パンダ図鑑」
- ^ Hideki Endo, Daishiro Yamagiwa, Yoshihiro Hayashi, Hiroshi Koie, Yoshiki Yamaya, Junpei Kimura, Role of the giant panda's 'pseudo-thumb', Nature, 399, 309-310 (1999)
- ^ 遠藤秀紀 『遺体科学の挑戦』 東京大学出版会、2006年9月、209頁。ISBN 978-4-1306-3328-4。
- ^ a b c THE ANIMALS「ジャイアントパンダ Giant Panda」
- ^ Giant pandas see in color(英語) Biology News Net 2006年10月15日
- ^ a b c d パンダ村「パンダの食べ物」
- ^ 一部の地域では「パンダの毛皮で作った物は魔除けになる」「パンダの毛皮で作った寝具で眠ると夢を通して未来を予知できる」等の民間信仰が行われており、高い需要があるとされる。
- ^ ジャイアントパンダ、4月1日から公開します - 2011/03/29 上野動物園
- ^ 上野動物園で死亡したジャイアントパンダはすべて標本として保管されており、フェイフェイ、トントン、ホァンホァンの3頭の剥製は同じく上野恩賜公園内にある国立科学博物館で、ランラン、カンカンの2頭の剥製は多摩動物公園で展示されている。2008年12月23日から2009年4月5日には、国立科学博物館にて『初公開!はく製リンリン-上野のパンダ全員集合』と題した展示が行われ、7頭すべて(ランラン、カンカン、フェイフェイ、ホァンホァン、トントン、リンリンの6体は剥製、チュチュは液浸標本)の標本が集められ、公開された。
- ^ 歴史的史料において、日本書紀巻廿十六、斉明紀四年に「是歳、越国守阿倍引田臣比羅夫、討粛慎、献生羆二、羆皮七十枚」との記述があり、これを元に解釈した本(『おおパンダ!!』 翠楊社、1972年。 『パンダ』 中央公論社〈自然選書〉、1976年。 R&D・モリス著 『世界動物発見史』 根津真幸訳訳、平凡社、1988年。 中国パンダ保護研究センター、斉鳴著 『パンダ育児日記』 日本パンダ保護協会編、二見書房、2007年2月25日。ISBN 978-4-576-07001-8。等)にて「この時代に中国からジャイアントパンダが贈られた」との表現があるが、詳細は不明である(参考資料:日中パンダ交流史試論、TokyoZooNet(財団法人 東京動物園協会)ZooExpress No.125 2003年8月15日)
- ^ a b c d 特集:パンダ貸します ナショナルジオグラフィック日本版 2006年7月号
- ^ a b とくダネ!:中国「パンダ外交」に踊る日本 J-CAST 2008年4月30日
- ^ a b c d e パンダを借りる日本とパンダに会えない中国の子供 中国情報局 2006年10月7日
- ^ a b c なぜパンダはみんな帰ってしまうのですか エキサイトニュース 2005年10月4日
- ^ 神戸のパンダ急死、中国側へ4100万円賠償[リンク切れ] 読売新聞 2010年10月2日
- ^ 韓国は資金難から1999年にパンダを返還している。
- ^ 榊原昭二 『昭和語―60年世相史』 朝日新聞社〈朝日文庫〉、1986年4月20日。ISBN 978-4-02-260370-8。
- ^ 榊原昭二 『'80年代 世相語ガイド〈下〉』 朝日新聞出版〈朝日ブックレット〉、1983年10月。ISBN 978-4-02-268016-7。
- ^ 鷹橋信夫 『昭和世相流行語辞典』 旺文社、1986年11月10日。ISBN 978-4-01-070753-1。
- ^ ガンジーさん。「244.安物の言葉。」 ほぼ日刊イトイ新聞 2001年4月26日
[編集] 関連項目
- 保護・飼育
- 関連する生物
- ギガントピテクス :化石類人猿。一説に、新生代第四紀更新世中期・後期の中国大陸南部にて、竹食を巡ってのジャイアントパンダとの生態的競合があったと考えられ、それが絶滅の一因、あるいは、とどめになったとも推測されている。cf. ギガントピテクス#生態。
- レッサーパンダ
- ニホンカモシカ :日中国交正常化の折、中国側から贈られたパンダと交換された。