男闘呼組

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男闘呼組
基本情報
別名 OTOKOGUMI
出身地 日本の旗 日本
ジャンル ポップス
ハード・ロック
活動期間 1985年 - 1993年
レーベル BMGビクター
共同作業者 小竹正人(作詞)
小関純匡(ドラムス)
江口信夫(ドラムス)
平山牧伸(ドラムス)
田中厚(キーボード)
メンバー
成田昭次
高橋一也
岡本健一
前田耕陽
旧メンバー
遠藤直人
土田一徳

男闘呼組(おとこぐみ)は、1980年代に、ジャニーズ事務所からデビューした4人編成のロックバンド1993年6月30日付で解散。現在、ジャニーズ事務所に所属しているのは、岡本健一だけである。

メンバー[編集]

プロフィール 担当楽器
成田昭次
(なりた しょうじ)
1968年8月1日(46歳)、A型愛知県名古屋市熱田区出身 ヴォーカル、リードギター
高橋一也
(たかはし かずや)
1969年5月20日(45歳)、O型東京都世田谷区出身 ヴォーカル、ベース
岡本健一
(おかもと けんいち)
1969年5月21日(45歳)、O型東京都新宿区下落合出身 ヴォーカル、リズムギター
前田耕陽 (リーダー)
(まえだ こうよう)
1968年8月16日(46歳)、A型東京都八王子市出身 ヴォーカル、キーボード (以前はドラムス)
初期参加メンバー プロフィール 担当楽器 備考
遠藤直人
(えんどう なおと)
1969年4月20日(45歳)、東京都足立区出身 キーボード 結成時に参加したが、「やはりダンスがしたい」と社長に頼み脱退。
土田一徳
(つちだ かずのり)
1969年6月28日(45歳)、北海道川上郡弟子屈町出身 キーボード 結成時に参加。

遠藤・土田が抜けて、一時は成田・高橋・岡本の3人だけで活動していたが、すぐに「東京男組」時代から時折サポート的に参加してきた前田が正式加入した。

バンドサポートメンバー[編集]

  • 小関純匡 (こせき すみただ。初代ドラマー。後に「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」のバックミュージシャンに。現在は高橋、前田と「Midnight Angel」として活動)
  • 江口信夫 (二代目ドラマー。松原秀樹らと共に「Vibes」のメンバーとしても活躍。)
  • 平山牧伸 (三代目ドラマー。2009年夏ごろからはTHE TRIPLE Xのメンバーとしても活動している。愛称・ヒラぽん)
  • 田中厚 (キーボード担当。 但しコンサートでのメンバー紹介の際には、バンド内にキーボードが2人も居るという矛盾点を不自然に思わせないよう、敢えて“ピアノ”と紹介されていた。)

概要[編集]

グループの成り立ち
  1. 1984年、事務所内で仲の良かった成田と高橋の2人が、「でたらめロックバンド」というプライベートバンドを結成。
  2. 同年12月末、雑誌『マイアイドル』(1985年3月号分)の撮影に、成田・高橋・岡本の3名が初めて揃って、「ジャニーズJr.」として参加。(この3月号の誌上で、ジャニーズJr.の中から更に数名を集めてバンドグループを結成するという企画が発表された。)
  3. 1985年になり、この3名に対して「東京」というグループ名を社長が命名。
  4. 新たに遠藤直人が加わり、4人で出演した明治製菓のチョコレート「アーモンドゴールド」のCMが、同年2月からオンエア開始。(CMソングは彼らの初オリジナル曲「誠 ほれたぜ」)
  5. 守屋二郎が補佐メンバーとして新たに加わる。その後、「東京」の他に「東京男組」(後述)とも名乗るようになり、同時期に2つのグループ名が存在した。
  6. 更に補佐メンバーとして、前田耕陽が「東京男組」の時にのみ参加。
  7. 同年3月、守屋二郎が「高校受験の為」との名目で脱退。 そして、高橋の紹介により社長にスカウトされて事務所に入った土田一徳が、守屋との入れ替わりで加入しキーボードを担当。成田・高橋・岡本・遠藤・土田の5人で、グループ名も新たに「男闘呼組」となり、同年4月3日からはテレビ朝日欽ちゃんのどこまでやるの!?』にも出演開始。しかしその後、土田がメンバーから外される。以後、土田は俳優活動に専念。
  8. 同年4月末、成田・高橋・岡本・遠藤に、前田を加えた計5名で「アーモンドゴールド」の新バージョンCMの撮影をする。(放映開始は同年9月から)
  9. やがて、キーボード担当だった遠藤も脱退。以後、少年忍者のメンバーとなる。
  10. 元々の主要メンバーである成田・高橋・岡本の3名だけでの活動が少し続き、明治製菓のチョコスナック「おばけランド」のCMに出演。
  11. 「東京男組」の時から時折サポート的に参加していた前田耕陽が、ドラム担当として正式に男闘呼組に迎え入れられる。これにより、高橋の担当楽器がドラムからベースギターに変更。しかし、間もなくして前田の担当楽器もドラムからキーボードへと変わった。 その後は、2人のプロミュージシャン(ドラムとキーボード)をサポートメンバーとして迎え、6人編成のバンドスタイルで活動していく。
  12. 1986年1月、初の冠番組『アイドル花組おとこ組』放送開始。
  13. 同年4月27日、名古屋市民会館にて念願だったファーストコンサートを開催。
  • 本格派ロックバンドをコンセプトとしていた。「DAYBREAK」(1988年発表シングル、オリコン最高チャート1位)でレコードデビュー。その際のキャッチフレーズは、「ジャニーズ事務所のおちこぼれ」だった。続いて「秋」「TIME ZONE」などの楽曲がヒットし、 1991年発表のシングル「ANGEL」からは自作曲が中心となる。また、事前にメディアへのメンバーの露出が多かったことや、事務所側の期待の大きさもあったせいか、レコードデビューより1年半前の1987年3月の時点で、当時の音楽番組の雄であったフジテレビ『夜のヒットスタジオ』への初出演を果たしている。
  • 1993年6月30日付けで、突如グループが活動休止(実質的な解散)となる。その理由は、高橋が事務所を解雇された事に端を発する。以前から高橋による反抗的な行いが続いており、事務所の副社長であり実質的な経営権を握るメリー喜多川が激怒。同年6月5日 - 6月30日にメンバー4人で主演していた舞台『スラブ・ボーイズ』が終了すると同時に、高橋を解雇した。これによりグループは活動休止(解散)を余儀なくされ、予定されていたその年の夏のコンサートツアーも、全公演のチケットが完売だったにもかかわらず全て中止となってしまった。当時全くの謎とされていたこの解散劇については、後に高橋が「一也」から「和也」に改名した際の女性週刊誌(誌名未詳)のインタビュー記事にて初めて明らかとなった。 また、当時の写真週刊誌では高橋のドラッグ使用疑惑にも触れられており、「疑わしきは罰する」というジャニーズ事務所特有の掟により解雇通告・解散命令となったとされている。 岡本が解散後に「(グループ名の通り)本当に闘いを呼んでしまった。」と言っているように、活動中は闘いを呼ぶグループであった。
  • 解散後は、成田はシンガーソングライターとして、高橋・前田・岡本の3人は、俳優としての活動を始めた。

エピソード[編集]

  • デビュー前より音楽的志向が強く、後にコンサートにて「ペンライトは使うな」と呼びかけるようになった。また、イメージ的にパンクロック的なノリを持っており、「ビートルズなんてクズだ」という発言をしてしまった為、当時の音楽ファンから大きな非難を浴びた事もある。そして、“所詮はジャニーズのアイドルバンド”との偏見や批判の声もあったが、4枚目のアルバム発表時からはメンバー自身が作詞作曲を手掛けるのが常となってアーティスト色も強まり、アイドルバンドとの呼び声も消えていった。 後に前田はバラエティ番組内で、楽器経験のなかった前田自身は「初期は演奏しているフリだけだったが、自作曲をプレイしていた後期は演奏を行っていた。」と語っている。
  • 1989年に『紅白歌合戦』に出場した際には司会の武田鉄矢から「男の闘志を呼ぶ組」と紹介された。
  • 成田と岡本は事務所の先輩の野村義男に師事してギターを学んだ。(その後、SMAP木村拓哉が岡本にギターを師事している。)
  • 男闘呼組の解散に関しては、諸説が存在する。
  1. 高橋が素行不良で1993年6月30日付けで解雇された事によりグループを脱退。この時をもって解散と見るのが一般的な説(解散後まもなく、高橋本人が女性週刊誌に事務所を解雇された経緯についてのインタビューに答えている)。
  2. 1994年の春に男闘呼組のファンクラブが解散となった為、この時が解散だという説。
  3. そもそも男闘呼組は解散宣言をしていない。「高橋が解雇されたからグループも解散」とは一部のマスコミによる見方であり、あくまで“活動休止状態”に過ぎないという説。
しかし、岡本が現在でもジャニーズ所属という点や、高橋の一連の解雇までの経緯などから、再結成はほぼ絶望的だとされている。
  • TOKIO城島茂がデビュー時の男闘呼組とドラマ出演など頻繁に行動を共にしていた。
  • 2009年9月27日、成田は大麻取締法違反で、警視庁渋谷署に現行犯逮捕された[1]

主な出演作品[編集]

ソロ出演作はそれぞれのメンバーの項目に記載。

テレビドラマ[編集]

バラエティ番組[編集]

  • 欽ちゃんのどこまでやるの!?1985年4月3日 - 7月3日、テレビ朝日
    司会の萩本欽一が休養していた3ヶ月の間、高橋・岡本・成田・遠藤・土田で出演(しかし遠藤と土田はグループ脱退の為すぐに降板)。パステル系の黄・桃・緑のカラーを使った黒子型の衣装を着て、番組中盤に番組テーマソング「ちょっと待ってどこまでやるの!」を歌っていたが、レコードデビューの約1年後、番組で競演していたコサキンのラジオ番組にゲスト出演した際、「あの番組に出たのは忘れたい」と異口同音に語り、スタジオを凍り付かせた。
  • おじゃまします(1985年9月17日 - 11月1日、TBS
    高橋一也がレギュラー出演していた番組で、男闘呼組もゲストという形で多数出演した。新宿南口にあった「新宿コメディシアター」からの生放送番組。制作:東阪企画、演出:澤田隆治。低視聴率の為、早々に打ち切りとなり、最終回では演出の澤田が視聴者に、番組打ち切りの旨を謝罪発表した。また、コメディシアターはその後閉鎖され、成人向け映画館となった。
  • アイドル花組おとこ組日本テレビ1986年1月 - 同年3月。)
  • ヤンヤン歌うスタジオテレビ東京
  • ここんちプラネット (テレビ東京、1986年4月 - 同年8月)
  • 夜のヒットスタジオDELUXEフジテレビ

ラジオ[編集]

映画[編集]

舞台[編集]

  • スラブ・ボーイズ(The Slub Boys)(1993年6月5日 - 30日、PARCO劇場
    演出:ロバート・アラン・アッカーマン。「男闘呼組」として人前に出た最後の仕事。

CM[編集]

  • 明治製菓「アーモンドゴールド」(1985年)
  • 明治製菓 チョコスナック「おばけランド」(1985年)成田・高橋・岡本の3名のみ
  • 服部セイコー 腕時計「AVENUE」(1989年)
  • 江崎グリコ「アーモンドチョコレート」(1989年)

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

  1. DAYBREAK (1988年8月24日、8月31日の2週にわたりカップリング曲とジャケットの違うヴァージョン4種を2種類ずつ発売、オリコンシングルチャートCD初の週間1位となったシングル)。1988年度オリコン年間順位4位である。
  2. (1988年12月27日)
  3. TIME ZONE (1989年2月28日 セイコーのCMとタイアップ)
  4. CROSS TO YOU/ROCKIN' MY SOUL (1989年8月2日、両A面シングル)
  5. DON'T SLEEP (1990年1月24日)
  6. ANGEL (1991年1月17日)
  7. 眠りにつく前に (1992年6月3日)
  8. THURSDAY MORNING (1992年7月1日)
  9. THE FRONT (1992年8月5日)
  10. TOKYOプラスティック少年 (1993年8月21日)

オリジナルアルバム[編集]

  1. 男闘呼組 (1988年9月26日)
  2. 男闘呼組 二枚目 (1989年6月28日)
  3. (1990年3月28日)
  4. I'm Waiting 4 You (1991年2月21日)
  5. 5-1…非現実… (1992年6月21日)
  6. 5-2…再認識… (1992年7月22日)
  7. 5-3…無現実… (1992年8月21日)
  8. ロクデナシ (1993年8月21日)

ベストアルバム[編集]

  1. BEST OF BALLADS(1992年12月2日)
  2. NEW BEST 男闘呼組(1994年11月23日)
  3. HIT COLLECTION (1999年11月20日)

ソロ参加作品[編集]

成田昭次
  • SHOOT THE GUITARIST (ギターインスト曲『DAD & SON』の作曲&演奏、1990年
岡本健一
  • 元「Gastunk」のTatsuのアルバム『ROCK LOVE』 (1992年
    このアルバムの中の『NOBODY KNOWS』という曲で、岡本は作詞とボーカルを担当している。

CD化されていない楽曲[編集]

  • 誠 ほれたぜ (明治製菓「アーモンドゴールド」CMソング)
  • ちょっと待ってどこまでやるの! (『欽ちゃんのどこまでやるの!?』テーマソング)
  • TENSION! (当初のタイトルは「ZERO★TENSION」)
  • 夜を撃て
ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』オープニングテーマとして使用。但し、同番組の為に作られた訳ではなく、それ以前からあった曲である。番組には一時期、男闘呼組も出演した。なお、やはり同番組のエンディングテーマとして使われた「Midnight Train」は、後に「DAYBREAK」のカップリング曲のひとつとなった。
  • 勝負! (男闘呼組が作詞・作曲)
  • 禁断のエロキューション
  • DETARAMEクレイジーナイト (『ヤンヤン歌うスタジオ』テーマ曲、男闘呼組が作詞・作曲)
  • 野性誕生 (『ここんちプラネット』テーマ曲)
  • 下から2番目の男 (成田ソロ曲)
  • バッドボーイズブルース
  • Sister Christian
  • 他多数…

ビデオ・DVD[編集]

  1. Made in U.S.A (1986年)
  2. BEST FRIEND (1987年)
  3. Xing point (1988年)
  4. 少年武道館 (1988年)
  5. 少年武道館II (1989年)
  6. ENDLESS TRIP (1989年9月6日)
  7. HELLO!! L.A. (1989年、グリコCM「アーモンドチョコレート」非売品メイキングビデオ)
  8. 男闘呼組 BIG TOUR '89 in DOME (1989年11月21日 東京ドーム BMG JAPAN)
  9. 男闘呼組 2,050,000秒の軌跡(1990年8月24日)
  10. 彼らと僕・私と自分はみんな仲よし(1992年11月1日)
  11. 男闘呼組 LIVE IN YOKOHAMA 1991 vol.1(2003年11月26日 横浜アリーナ BMG JAPAN)
  12. 男闘呼組 LIVE IN YOKOHAMA 1991 vol.2(2003年11月26日 横浜アリーナ BMG JAPAN)

写真集[編集]

  1. East meets West (ポニカ出版、1988年)
  2. ロック派宣言 LIVE ライヴ らいぶ (音楽専科社、1988年)
  3. BREAK THE SILENCE (音楽専科社、1989年)
  4. NON STOP GETAWAY (音楽専科社、1990年)
  5. ROUGH EDGES (音楽専科社、1991年)

でたらめロックバンド (前身)[編集]

1984年の夏か秋頃に結成されたプライベートバンドで、下記「東京」の前身に当たる。

メンバー

東京 (前身)[編集]

1984年12月に結成された男闘呼組の前身グループ。一応バンド形式。 途中から、「東京男組(とうきょうおとこぐみ)」と名乗る時もあった。結成時は主要メンバーの3人だけ。最終的に7人編成のバンドにする予定だったがメンバーの脱退が相次いだ為、結局4人編成の男闘呼組となる。

主要メンバー
補佐メンバー
  • 遠藤直人 (キーボード)
  • 守屋二郎 (ドラム。「高校受験の為」との名目で脱退)
  • 前田耕陽 (「東京男組」と名乗る時のみに参加)

オリジナル曲[編集]

出典[編集]

  1. ^ “「男闘呼組」成田昭次容疑者、大麻所持で逮捕”. 読売新聞. (2009年9月28日) [1]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]