藤岡弘、

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ふじおか ひろし
藤岡 弘、
本名 ふじおか くにひろ
藤岡 邦弘
別名 藤岡 弘(旧芸名)
生年月日 1946年2月19日(67歳)
出生地 日本の旗 日本愛媛県上浮穴郡
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
身長 180cm
血液型 O型
職業 俳優、国際武道家、声優
歌手ナレーター
ジャンル 映画テレビドラマCM
活動期間 1965年 -
活動内容 1965年:俳優デビュー
1971年:『仮面ライダー
1984年:日本人初のSAG入会
2002年:『藤岡弘、探検隊』
2005年CDアルバムリリース
配偶者 鳥居恵子1987年 - 1990年
非公表 (2001年 - )
公式サイト SAMURAI-DO
主な作品
映画
野獣狩り』『日本沈没
エスパイ』『東京湾炎上
大空のサムライ』『SFソードキル

テレビドラマ
仮面ライダー』『白い牙
特捜最前線』『汽笛が響く!
草燃える』『あすか

備考
『グローバルレインボーシップ』理事
全米映画俳優組合』会員

藤岡 弘、(ふじおか ひろし、1946年2月19日 - )は、日本俳優タレント・国際武道家。本名:藤岡 邦弘(ふじおか くにひろ)[1]、旧芸名:藤岡 弘(最後の「、」がない)。2002年川口浩の後任として『藤岡弘、探検シリーズ』が開始されて以降、“藤岡隊長”が愛称になっている。

愛媛県上浮穴郡久万町(現:久万高原町)出身。松山聖陵高等学校卒業。個人事務所である株式会社SANKIワールドワイド[2]所属。身長180cm、体重79kg(『仮面ライダー』出演当時は約67kg)、血液型はO型。

目次

略歴 [編集]

1946年2月19日、家伝の流派の古武道を継承する武道家で、警察官だった父と、茶道華道の師範だった母との間に生まれる。当時の生家は駐在所で、近所には四国八十八箇所霊場の第四十四番札所である菅生山 大覚院 大寶寺があり、母はよくお遍路さんをもてなしていたという。生まれたばかりの頃は病弱で、肺炎を患った時には「もうダメだろう」と言われる中、「遺影に…」と写真が撮影された程だった。小学校に上がってからも、引っ込み思案で恥ずかしがり屋な子供だったという。6歳頃より、病弱な事を心配した父から武道の手ほどきを受け始め、肉体と精神の修行・鍛練の中、病弱を克服する。少年時代から滝行も経験しているという。

  • 小学校の頃は、父親の仕事柄、転校が多くよく「いじめ」の対象にされた。そんなある日、我慢が出来なくなり相手に反撃、重傷を負わせる。すぐさま母親の知るところとなり、母親は藤岡を仏壇の前に連れて行き、凄まじい形相で「あなたがこれ以上、人様に迷惑をおかけするんだったら、私があなたの命をいただきます。そして私もあなたの後を追います。それでよろしいですか?」と、母子心中も辞さない覚悟で反省を促した。弁解しようとすると「ならぬものはなりません!先祖の血を汚してはいけません、ちゃんと先祖に謝りなさい!」と、一切の反論を認めなかった。その迫力に、藤岡は武道の怖さとともに母の本気を知り、猛省したという。また、父親との思い出としては、家の道場の掃除を言いつけられ、窓の桟や畳の縁など「手抜き」をして掃除をさぼると、父親はそれを見抜き、その場所を指でなぞるとそれを舐め「馬鹿者! お前は自分の心を掃除しているということを忘れたのか! 掃除というのは己の心を掃除することなのだ。心を清らかに、掃除をしたところを舐めてもいいくらいの掃除をお前はしてるのか(怒)」と、よく怒鳴られたという[3]
  • 松山聖陵高等学校時代は柔道部に在籍。主将を務めた。長身で、その整った容姿・容貌がひと際目立つこともあり、よく不良にからまれたという。ある日、数人の不良にからまれ、相手の攻撃は全て見切った上で、かわしたり間合いを外したりしていたが、止まらないため、「堪忍袋の緒が切れて」5人以上は居たという、その集団に1人で反撃。逃げた者もいたが、全て撃退した。ただ、武道を通じて我慢する事、耐える事が日常だったため「堪忍袋の緒は(人より)長いですよ。物凄く我慢強いですよ」と、語っている[4]

1964年、高校卒業後、石油会社に就職するも3ヶ月で退社。少年時代からの映画好きが高じ、アクションスターを夢見て上京。劇団NLT俳優教室に入所。多種多様なアルバイトやホームレス生活まで経験し、必死に食い繋ぎながらデビューのチャンスを待つ日々を送る。

1965年アルバイト先で知り合った桑野みゆきの父の口利きで松竹映画ニューフェイスとして入社。都はるみの主演映画『アンコ椿は恋の花』でデビュー

1966年、青春スターとして新藤恵美とコンビ(チャームカップル)で売り出し『風にきけ雲にきけ』で主演を務めるが、知名度の向上にはあまり繋がらなかった。その後、『小さなスナック』など歌謡映画にも出演。藤岡は当時の松竹のこうした路線が気風が合わず移籍を模索するが、当時の映画界は五社協定で俳優の引抜が禁じられており、移籍は極めて困難だった。また当時、藤岡は元来のシャイな性格から周囲の人間との関係構築にコンプレックスを持っており、後に「世間そのものがショッカーのようだった」と語っている。悩んだ末、藤岡は会社に対して新人奨励金を受け取らない代わりに、協定に拘らずに各社のオーディションに応募させて欲しいと要求。邦画業界は60年代末から70年代にかけ、テレビの普及で衰退期を迎えていた事もあり、許可を取り付ける。テレビ初主演作かつ代表作となる『仮面ライダー』(東映毎日放送制作)も松竹在籍中、こうしたタイミングで得た仕事の一つである。

1970年、アクションドラマ『ゴールドアイ』(日本テレビ系、東映制作)第12話「密売大組織」(1970年5月1日放送分)より、「藤弘」役としてレギュラー出演。後に『仮面ライダー』で共演する千葉治郎も同じ回からレギュラー入りしている。

1971年特撮テレビドラマ『仮面ライダー』(毎日放送 - NET系、東映制作)に、主人公本郷猛 / 仮面ライダー1号役で出演。これがきっかけで一般に広く知られるようになり、一躍人気スター俳優となる。これを機に松竹を正式に退社。

1972年NHKドラマ『赤ひげ』のオーディションを受け、合格したが、『仮面ライダー』の制作元である東映毎日放送には無断でのことだったためトラブルが発生、『赤ひげ』への出演を見合わせることになった[5]。その後藤岡は一時失踪。このことは『仮面ライダー』のTVシリーズ第66 - 68話および劇場版『仮面ライダー対じごく大使』の制作に影響を及ぼしている(詳細は『藤岡弘の失踪と制作中断』を参照)。

『仮面ライダー』終了後は、『白い牙』(大映テレビ制作、日本テレビ系)などに主演、千葉真一らと共にこの当時のアクション主体のテレビドラマ・映画には欠かせない俳優としてその地位を確固たるものにする。

1973年12月29日公開の東宝映画日本沈没』(監督森谷司郎)に主演。1974年邦画部門興行収入第1位の大ヒットとなる。1976年には、坂井三郎・著の同名の自伝的ノンフィクションの映画化『大空のサムライ』(監督:丸山誠治、東宝)に主演。

1974年NHK大河ドラマ勝海舟』の坂本竜馬役に抜擢。

1977年4月6日テレビ朝日系でスタートした東映制作の刑事ドラマ特捜最前線』に桜井哲男(哲夫)警部役でレギュラー出演。以後、10年間に及ぶ人気長寿番組となり、二谷英明本郷功次郎らと共にレギュラー陣の中枢を支える。

1979年、NHK大河ドラマ『草燃える』に三浦義村役で出演。

1981年、NHK大河ドラマ『おんな太閤記』に織田信長役で出演。

1982年、この年出演した「リアルゴールド」(日本コカ・コーラ)のCMでのコピー「スパークする役者バカ」が話題となり、当時のお笑い番組等でもパロディーネタにされている。

1984年アメリカ映画SFソードキル』(監督:J・ラリー・キャロル)で主演。日本人として初めて全米映画俳優組合会員となる。

1985年、NHK大河ドラマ『春の波濤』に奥平剛史(モデルは奥宮健之)役で出演。

1986年東京国際ファンタスティック映画祭でヒーロー賞を受賞。翌1987年には『白い牙』で共演した女優鳥居恵子と結婚したが、3年3ヵ月後に離婚。

1989年、NHK大河ドラマ『春日局』に織田信長役で出演。

1992年統一教会の信者であると報じられたが、関与はないと語った。この件については「俳優以外の活動」を参照。

1994年、NHK大河ドラマ『花の乱』に大内政弘役で出演。

その後、本人曰く「最も信頼していた者達の裏切り」に遭い、多額の負債を抱える。また、同時期に健康を害したことで暫く芸能活動を休止する事態となったが、1997年11月からオンエアーされたセガサターンテレビコマーシャルでイメージ・キャラクター「せがた三四郎」を1年間務め、大人気となる[6]これを契機に本格的に芸能活動を再開。『仮面ライダー』のリバイバルブームも追い風となり、このことで藤岡自身の再評価にもつながった。彼が出演したこのCMと翌年のオートレースのコマーシャルが、CM大賞を受賞している。

1999年、10月からNHK連続テレビ小説あすか』に竹内結子演じるヒロインの父親役で出演。11月には「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」に招かれている。

2001年11月に、24歳年下の女性と再婚。同年12月には第一子となる女児も誕生している。

2002年、テレビ朝日系列で放送されていた『川口浩探検隊シリーズ』を復活させるべく、川口の後任として、藤岡が二代目隊長に起用され『藤岡弘、探検隊シリーズ』が開始。

2007年8月23日、知人から融資実態がないにも拘わらず2億円の抵当権を設定され、民事訴訟を起こされる。最高裁の決定により藤岡への4億5000万円の支払い命令が確定する[7]

2008年テレビ愛知 - テレビ東京系『トミカヒーロー レスキューフォース』の劇場版『トミカヒーロー レスキューフォース 爆裂MOVIE マッハトレインをレスキューせよ!』(監督:岩本晶、制作:ドッグシュガー、制作・配給:松竹)では、俳優としての古巣である松竹作品で、変身ヒーロー役、刑部零次 / R0役で出演。「37年ぶりに仮面ライダー以外のヒーローに変身する」として話題となった。この役についても、藤岡自身から「謎の男っぽさや過去の出来事をイメージ」して顔や手の傷、衣装、「変身後は(汚しや傷を入れて)少し古いデザインのスーツに変えてもらえないか」などスタッフに役作りのアイデアが出されている(ただ、変身後のスーツは「全員が同じスーツを着用する」と言う番組上の制約のためデザインの変更はされていない)。また『レスキューフォース』の続編である『トミカヒーロー レスキューファイアー』(2009年4月~2010年3月、テレビ愛知 - テレビ東京系)でも同じ役を演じている。

人物 [編集]

俳優以外の活動 [編集]

俳優として確固たる地位を確立した藤岡は、その活動の傍らお笑いコンビ、とんねるずダウンタウンのバラエティ番組に積極的に出演するようになる。どちらも1960年代の生まれで、『仮面ライダー』世代であり、共に藤岡の大ファンである事を認めている。とんねるずは、『オールナイトフジ』で藤岡と初共演した際には狂喜乱舞、『とんねるずのみなさんのおかげです』では『仮面ライダー』のパロディ『仮面ノリダー』を演じ、人気コーナーにした。また『とんねるずの生でダラダラいかせて』では藤岡とカートレース対決を行っている。

ダウンタウンは自身の番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』の1コーナー「藤岡弘と遊ぼう!」で藤岡と共演。鬼ごっこ、ドッジボール、ハンカチ落としなどの遊びを展開。子供に扮したレギュラーメンバーが、大真面目に遊びに取り組む藤岡を集中的に負けに追い込む様子が、笑いを誘った。藤岡はその後も2001年浜田雅功主演のドラマ『明日があるさ』(第7話「健康ダイエット!」)、『ダウンタウンDX』へのゲスト出演や『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』での企画「藤岡弘、とサバイバル」(2009年11月29日放送分)など、交友は続いている。

民間ボランティア団体『グローバルレインボーシップ』(理事長:五味武 /『国会タイムズ』社会長)の理事として、ボランティアに加え、宗教、政治といった分野でも国内外問わず幅広く救済活動を行い、その経験を生かした青少年育成や防犯のための講演会活動も精力的に行っている。

奥尻島地震津波災害のおりに「映画撮影の際にお世話になったので」とボランティア用の水などを持てるだけ持って駆けつけ、当時の新聞もこの行動に「仮面ライダーは実在した」と大きく記事になった。また、2011年東日本大震災の際にも、被災地へ1トンの米を寄付している[10]

1990年頃より雑誌、新聞で統一教会との関連性が報道されるようになる。1992年9月、「東京スポーツ」などで「統一教会の信者」と報じられた。桜田淳子などが統一教会(統一協会)の合同結婚式に参加して問題になった後だった。詳細は統一教会の名を隠した自己啓発セミナーの広告塔になっていただけであり、本人はまったく関与がなかった。なお、藤岡はこの件に関しては一切コメントを出していない。

2005年9月11月福岡市で開催された国内外のヒーロー映画を上映する映画祭「FUKUOKAヒーローフェスタ2005」の実行委員長に就任。イベント前の記者会見では「子供たちに夢と希望と生きる勇気を与えてきたヒーローの復権を訴えたい」と語った。そして映画祭の期間中行われたトークショーでは盟友ショッカーO野の進行で往年の映像を交えながら自らの人生を熱く振り返り、最後には「レッツゴー!! ライダーキック」を熱唱した。

英会話を得意としており、アメリカ映画への出演を通じて知り合った映画監督のジェームス・キャメロンとは「キャメロン」「サムライ」と呼び合うほど親交が深い。2009年5月に出版された『藤岡弘、の武士道入門』(並木書房)は、著者の小峯隆生が、ある日、旧知の仲で来日中だったキャメロンと浅草で蕎麦を食べている際に、キャメロンから「明日サムライに会いに行くんだ」と、藤岡を紹介されたことがきっかけで小峯が藤岡に「弟子入り」し出版に至った書籍である。またこの中で藤岡は元アメリカ陸軍大尉で軍事評論家の飯柴智亮と対談を行っているが、その際、飯柴からアフガニスタンの戦場で実際に使用した護身用ナイフを譲られている。

エピソード [編集]

『仮面ライダー』関連 [編集]

番組開始時、藤岡は本郷猛役だけでなく変身後のコスチュームも着用し、スーツアクターも兼任。危険度の高いアクションを除いて、トランポリンを使用したアクションやオートバイで階段を登るバイクアクション等もこなしており[11]、当初のレザー(鹿皮)製のライダースーツは汗をかくたびに身体を締め付け、マスクは覗き穴の問題で前が充分に見えず、勘だけを頼りに撮影をすることも多かったという。

レザー製の動きにくいライダースーツを、毎回現場でスタッフが手直ししながら撮影しており、藤岡自身が「ヒーローのスーツはどうあるべきかの実験台になった」といった側面もあったそうである。視界の悪いマスクを着けてのアクションでは、武道の有段者でもある藤岡の突きや蹴りが、ショッカー役の大野剣友会の俳優たちに手加減なく入り、歯を折ってしまったりすることもあったそうだが、彼らは笑って許してくれたという。藤岡は彼らのアクション魂や心意気に深く感じ入ることも多く、後年のアメリカでの映画出演の際にも彼らを招こうとしたが、契約問題や組合との兼ね合いなどもあって果たせなかったと語っている。

こうして心機一転取り組んだ『仮面ライダー』だが、第9・10話[12]撮影中のこと、下り坂をバイクで走り降りるシーン[13]の撮影時、コーナーを曲がる際にオーバースピードに加え、工事中の場所だったため砂利道になっておりスリップ。コーナーを曲がりきれないまま電柱のワイヤーに突っ込み、その際ワイヤーに足がひっかかりワイヤーがバウンドし、そのままその反動でバイクといっしょに飛ばされる、というアクシデントに見舞われる。藤岡は2~30メートルを転がり、この結果、全身打撲の上、左大腿部を複雑骨折。骨が粉砕し、筋肉に刺さっている状態で、全治3カ月~6カ月の重傷と診断され長期休養を余儀なくされる。事故直後にはまだ意識のあった藤岡は、背中の後ろの方から肩越しに見えていた自分の左脚を元の位置に戻し、靴がぬげていたため親指が動くか確認し、かすかに動いた事に安心したところで意識を失ったという[14]。後にこのときの事故の瞬間のラッシュ・フィルムを見せて欲しいとスタッフに頼んだが、一切見せてくれなかったという。この事故以降、仮面ライダーシリーズの主演俳優は演出上の一部の例外を除いて、スーツアクターを兼任する事は無くなり[15]大野剣友会やジャパン・アクション・クラブ(JAC、現・JAE)所属のスタントマンが全面的にスーツアクションを担当するようになった。

藤岡が救急搬送され、最初に手術を受けた町田市内の病院は骨の接合手術に関して旧態依然とした技術しか持っておらず、同じ病院で手術を受けた患者から「自分も大腿部を複雑骨折し、同様の手術を受けてここに1年ほど居るが、まだ完治していない」と聞かされ、愕然とし、車いす生活すら覚悟したという。その後、この状況を知った知人の紹介で渋谷区千駄ヶ谷(当時)の前田外科病院へ転院できることとなったが、当初、最初の病院は転院希望を拒否。その後転院先が正式に決まった後も「(転院に関して)当院は一切保証しない」と、移動のためのストレッチャー等を用意する事も無く黙視し、カルテレントゲン写真などの必要な情報提供も拒む中、ようやく転院出来たという。その後、前田外科病院で再手術。ベトナム戦争傷痍軍人のために開発されたという方法で、バラバラになり、筋肉に刺さり込んだ左脚の骨片を丹念にすべて拾い集め、大腿骨の中に金属パイプを通してその周りに骨片を細いワイヤーで巻きつけるというもの。それまで日本では殆ど実例が無く、当時最新のこの接合手術を受け無事に成功。しかし、『仮面ライダー』第1話の放送は入院先のベッドで観ざるを得なかった。その後ギプスが外れると、看護師の眼を盗んで、筋肉がすっかり委縮して痩せ細った左脚の筋力強化のため、周囲が寝静まった時間帯にトレーニングを始めるが、その過酷さのため、夜ごと床に汗だまりができ、日中になるとおとなしくベッドに横たわる毎日で、看護師からは「寝てばかりいる」と怒られる始末だったという。[14][16]

事故発生時はまだ放映開始前で、番組の存続に関わる一大事であり、普通なら躊躇なく番組降板となる事態に、緊急企画会議では毎日放送側からは本郷猛を死亡させる案も出た。しかし、東映プロデューサー・平山亨は「子供達のオールマイティーの夢を壊すことは出来ない」としてこれに強硬に反対。代わりに2号ライダー登場のアイデアを取りまとめ、番組継続を決めたという。これが功を奏し、番組は第14話[17]から登板となった藤岡の劇団NLT時代の同期である佐々木剛演じる一文字隼人 / 仮面ライダー2号の人気で社会現象となるほどの大ヒット作となった[18]。その後藤岡は復帰することとなるが、後年、こうして自分の復帰を待っていてくれたことを述懐し、平山を生涯の恩人として敬意を表している。また、「この事故で自省したことで今の自分がある。事故がなければ自分は、アクションができるということを鼻にかけ、もっと嫌な人間になっていたかもしれない」とも振り返っている。

『仮面ライダー』での本格復帰は第53話[19]からであるが、第40話・第41話[20]にゲスト出演という形で現場復帰を果たし、1971年末の九州・桜島阿蘇山でのロケに参加する。この時、骨折箇所にはまだ金属パイプと固定用のボルトが入っており、傷口は絆創膏と包帯で抑えた状態だった。主治医からは、「今ロケに行くなんてとんでもない、下手をすると、脚のパイプが曲がって抜けなくなるばかりか、一生歩けなくなるかもしれない」と猛反対されたが、藤岡はこの舞台を用意してくれたスタッフのために、それでもかまわないとロケを強行。ただ、ファーストショットがバイクのシーンで、事故を起こしたバイクが目の前に置かれていた時にはさすがに「頭が真っ白になった」と語っている[21]。撮影時には、傷口にタオルを当てて臨んだが、撮影が終わると傷口から血が滴り、洗面器が真っ赤になるほどだったという。こうした事実をひた隠し、無事ロケを終えた後、主治医に言われた「大丈夫です。脚は異常ありません」との言葉は、一生忘れられないとのことである。回復後の左脚はわずかに長くなってしまい、長年の「腰痛の元になってしまった」と自伝で述べている。

こうしたアクシデントを乗り越えて、『仮面ライダー』で全国的知名度が上がったものの、あまりの人気ぶりに、当初は自分自身がそのイメージで固定されてしまうのを藤岡が怖れたほどだった。後続の仮面ライダーシリーズでは、本郷猛役での客演が実は少ない[22]

1975年頃の『アップダウンクイズ』(毎日放送 - TBS系)において、シルエットクイズのゲストとして出演した際に、トークの場面で司会者の小池清に「変身ポーズをやって見せてくれませんか?」とリクエストされたが、照れ笑いをしつつ「忘れました」と答えてやんわりと拒否したこともあった。ただ、本人は自分の役者としての飛躍があの作品をきっかけにしたものであったことは当時から忘れておらず、俳優として地歩を築くことに成功した現在では、「『仮面ライダー』は僕の青春でした」と語り、テレビゲームソフトなどでも本郷猛を演じている。また、「自分の代わりに怪我をしてくれたアクションチームの裏方のみんなを差し置いて、ヒーロー役だったということで今さら自分だけが表に出るわけにはいかないと思った」とものちに語っている。1999年にフジテレビで放送された『快進撃TVうたえモン』(1999年4月27日放送分)では佐々木剛と出演し、藤岡が「おい、変身しようか」と佐々木に声をかけ、そろって変身ポーズをとり、視聴者だけでなく、この時の番組出演者を大いに喜ばせた。

1995年11月、愛媛県久万町で新たな2つの小惑星が発見され、2000年3月にそれぞれ「Fujioka(藤岡)」「Kamenrider(仮面ライダー)」と名付けられた。これは、藤岡が久万町出身であることと、『仮面ライダー』にちなんだもので、小惑星に漫画のキャラクターの名前が付けられたのはこれが初めてであった[23]

2001年、『劇場版 仮面ライダーアギト PROJECT G4』では直接に本郷猛役と明示はないものの警視総監役で出演し、主人公達に「現在の俺に出来ないことを君達がやってくれ」と激励するという、初代仮面ライダーからのメッセージとも取れるシーンで話題となった。

2011年4月1日公開の『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』で仮面ライダー1号の声を担当することが発表された。声のみとはいえ映像作品で1号を演じるのはストロンガーの特番以来35年ぶりとなった。丸の内TOEIにて行われた舞台挨拶にも登壇しコメントを述べたが、壇上で同じく声の出演となった佐々木剛と宮内洋(風見志郎 / 仮面ライダーV3役)がそれぞれ変身ポーズを披露した流れで、観客から「変身ポーズをみせてほしい」とのリクエストが出され始める。藤岡は俯いて困ったような仕草を見せたが、ちょうど隣にいた仮面ライダー1号(のスーツアクター)が機転を利かせ、藤岡に代わってポーズを披露し、事無きを得た、という一幕があった。

藤岡は歴代の仮面ライダーを演じた俳優の中で、BLACK」と「RX」の連続2作品で主役を演じた倉田てつをの98回に次いで59回(事故発生後の第11話から13話を除く)と2番目に多くTV版で主役の仮面ライダーを演じている(第3位は「スカイライダー村上弘明の54回)。

日本の特撮作品が人気のタイでは仮面ライダー1号はつとに有名で、藤岡は愛称で『赤アリ野郎』と呼ばれている。

2012年12月29日、平山亨とともに仮面ライダーの企画に携わり、『仮面ライダーストロンガー』までシリーズに関わった東映の元・チーフ・プロデューサー阿部征司拡張型心筋症のため75歳で死去。藤岡は思い出として「とにかく子供が好きで、子供のための番組を真剣に作り、何度も現場に足を運んでいたこと」が印象に残っており、「現場では『ヨッ!』と気さくに声をかけてくれましてね。今思えば、僕たちにプレッシャーをかけない配慮だった」と故人の人柄を偲ぶとともに「尊敬すると同時に、自分もその遺志を受け継ぎ、子供たちを失望させることなく、夢を与える責任を持って生きていきたい」とコメントを寄せている[24]

芸名に読点(「、」)を付けるまで [編集]

1984年アメリカ映画SFソードキル』で、「現代のアメリカにタイムスリップした日本の」を演じる事になった。藤岡は、武道家としての精神修養や大河ドラマなど時代劇の役作りなどを通して、かねてから「葉隠」に代表される武士道精神に心酔していた。しかし手元に届いた台本を見ると、外国人が想像する「侍」は史実のそれとは全く異質なものであった。戸惑った藤岡は、通訳を通して日本の伝統文化における侍の地位、役割を粘り強く説明。苦労の甲斐あって藤岡の演じる「侍」は各国で高い評価を得て、パリ国際ファンタスティック&SF映画祭批評家賞を受賞し日本人として初めて米国俳優協会の会員となる。その熱意に深く感銘した現地のスタッフも藤岡のことを「ヒロシさん」と呼び、敬意をもって接するようになったという。

この出来事がきっかけとなり、「昔の武将は一度"、"を打って決意した。周囲に流されることなく立ち止まり自分を見つめる」という覚悟と「『我未だ完成せず』との意味を込めて」芸名の最後に“読点”を付けることに踏み切った。一方で「、」には「てんでダメな男」というシャレもかけられているという[25]

本人にとっては一つの大きな決心であったが藤岡自身が声高に公言しなかったこともあり、番組クレジットなどにも「、」は殆ど表示される事は無く、一部を除いてこの事実は知られなかった。しかしモーニング娘。などの台頭で藤岡の「、」も注目され次第に業界関係者に浸透しはじめる。当初は“句点”を付けたモーニング娘。の人気に肖ったものとの見方が多くを占めていたが2003年1月8日関西テレビの『痛快!エブリデイ』に生出演した際、司会の桂南光に芸名について質問されるとそこに至る経緯を説明し句読点及び記号ブームの元祖は藤岡であることが公となり、それ以降は番組クレジットなどでも「、」が表示されるようになった。

藤岡弘、探検シリーズ [編集]

近年、藤岡の幅広い人気を決定的にしたのはテレビ朝日の『スイスペ!』枠で不定期に放送された「藤岡弘、探検シリーズ」である。もともと同局では1978年3月から『水曜スペシャル』枠で俳優川口浩を探検隊長に「川口浩探検隊シリーズ」が放送されており人気番組となったが、1985年10月に同局の『アフタヌーンショー』で発覚した「やらせリンチ事件」の影響や、川口のがん発病もあり、同年11月に終了。その後、川口が1987年11月17日に死去したことで自然消滅の状態になっていた。

しかし、探検シリーズ復活を希望する声が途絶えないことと、藤岡のワイルドなイメージや以前から旅番組や海外紀行番組を通じて、旅好き・アウトドア好きは知られていた事もあり、藤岡を2代目隊長に起用し2002年12月25日に復活。「藤岡弘、探検隊」はこれまでに6度の探検を行っている。その展開や発生するアクシデントなど、やらせではないかという指摘がある一方でテレビ評論家からは「一生懸命な姿を、家族全員で、肩の力を抜いて見られる番組」と、1つのバラエティ番組として高く評価する声もあり、あくまで演出であることを前提にその過程を楽しむ番組として全国紙4紙が「今日の注目番組」として推薦したこともある。

視聴率には至らなかったが、これ以降、川口浩に代わり「隊長といえば藤岡弘、」と広く認知され、パブリック・イメージ、タレントキャラとして浸透することとなった。バラエティ番組などに出演する際のスタイルとして、サファリ・ルックやサバイバルベストが定番となったのもこの頃からである。〈なお、隊長と初めて呼ばれたのは『深夜戦隊ガリンペロ』(2002年10月26日~2003年3月22日フジテレビ系)で、探検隊復活もこの番組がきっかけといわれている〉。しかし、2005年3月19日の第6弾を最後に放送されておらず、事実上の最終作となった。また、2012年現在まで、再放送などの機会は得られていない。単発では2009年2月1日に放送された『よゐこの無人島0円生活』(テレビ朝日開局50周年記念番組)内のコーナーとして4年振りに復活している。

  1. 今夜復活! あの伝説の探検隊が帰ってきた! アマゾン奥地1500km! テラプレータの密林に 謎の猿人 ジュンマは実在した!(2002年12月25日放送)
  2. ベトナム・ラオス国境地帯 死の密林踏破! 呪われた竜の使い ヅォン・ドゥーは実在した!(2003年4月9日放送)
  3. 失われた大地・・・南米ギアナ高地 切り裂かれた大地の闇に 謎の地底人 クルピラは実在した!!(2003年10月1日放送)
  4. エチオピア奥地3000km! 幻の白ナイル源流地帯! 古代裸族に人類の原点を見た!!(2004年1月2日放送)
  5. アマゾン奥地6000km! 密林の恐怖 イプピアーラ 大追跡! これが半魚人伝説の正体だ!(2004年9月8日放送)
  6. ミャンマー奥地 赤い密林縦走3000km! 伝説の野人 ナトゥーを追え!(2005年3月19日放送)
  • 番外. 衝撃!無人島の大蛇伝説! 松の木よりもでかい蛇!(『よゐこの無人島0円生活』内にて放送。隊員は内藤大助&よゐこ

また、『シルシルミシルさんデー』(テレビ朝日系)では探検シリーズのパロディとして、藤岡が企業や巷の謎を調査するコーナー「藤岡弘、探検隊」を放送している(不定期)。


出演 [編集]

映画 [編集]

タイトル 公開年 役名 配給 備考
アンコ椿は恋の花 1965年 松竹 デビュー作
若いしぶき
血と掟 町田雄一
やさぐれの掟 ツトム
さよならはダンスの後に 池原隆一
青雲やくざ
続・青雲やくざ 怒りの男
日本ゼロ地帯 夜の狙え 1966年 恭二
涙の連絡船
雨の中の二人
天下の快男児
東京無宿
青春の言葉より 風にきけ雲にきけ
かあちゃんと11人の子ども
男の顔は履歴書
スチャラカ社員 テキサス・リース日本支社社員
熱い血の男
シンガポールの夜は更けて 1967年
あゝ君が愛
観世小三郎
宇宙大怪獣ギララ 月ステーション通信員
また逢う日まで 恋人の泉
小さなスナック 1968年 三橋昭
初恋宣言
コント55号と水前寺清子の神様の恋人 岩野純一
落ち葉とくちづけ 1969年 ジュン
コント55号と水前寺清子のワン・ツウー・パンチ 三百六十五歩のマーチ 谷口順吉
チンチン55号ぶっ飛ばせ!! 出発進行 ヘルメットの青年
夕陽が呼んだ男 1970年 相良秀司
仮面ライダー対ショッカー 1972年 本郷猛 / 仮面ライダー1号(声) 東映 主演
仮面ライダー対じごく大使
仮面ライダーV3対デストロン怪人 1973年
野獣狩り 舟木明 東宝 主演
日本沈没 小野寺俊夫
野獣死すべし 復讐のメカニック 1974年 伊達邦彦
五人ライダー対キングダーク 仮面ライダー1号(声) 東映
エスパイ 田村良夫 東宝 主演
東京湾炎上 1975年 館次郎
大空のサムライ 1976年 坂井三郎
恋の空中ぶらんこ 松野英一郎
錆びた炎 1977年 北原警部 松竹
SFソードキル 1984年 多賀義光 エンパイア・ピクチャーズ 主演アメリカ映画
香港・東京特捜刑事 1988年 藤岡弘 刑事 松竹富士 香港映画
K2/ハロルドとテイラー 1991年 清水タカネ (米国)
ゴト師株式会社 1993年 菅原 パル企画
愛について、東京 遠藤 パイオニアLDCキネマ旬報社
ヤマトタケル 1994年 クマソタケル 東宝
La VIE 共生! 1995年 清石 Office 90
SHOGUN COP 1999年 真田 (米国)
さくや妖怪伝 2000年 榊備前守芳明 ワーナー・ブラザーズ
劇場版 仮面ライダーアギト PROJECT G4 2001年 警視総監 東映
ホーム・スイート・ホーム2 日傘の来た道 2003年 鉄庵 シネマエンジェル
ファンタスティポ 2005年 武田芳郎 先生 J-STORM
逆境ナイン 校長 アスミック・エース
いらっしゃいませ、患者さま。 三島武雄 松竹
恋まち物語 FireWorks
恋するトマト 2006年 勇作 ゼアリズエンタープライズ
I am 日本人 ジョージ ギャガ・コミュニケーションズ
かにゴールキーパー 藤村 BBMC
日本以外全部沈没 石山新三郎 防衛庁長官 クロックワークス、トルネード・フィルム
ユメ十夜 第八夜 2007年 夏目漱石 日活
トミカヒーロー レスキューフォース 爆裂MOVIE マッハトレインをレスキューせよ! 2008年 刑部零次 / R0(声) 松竹
公式記録映画 インターハイ 2009年 ナレーター アクトプランニング
オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー 2011年 仮面ライダー1号(声) 東映

テレビドラマ [編集]

※ 話数 / サブタイトルはゲスト出演のみ

タイトル 話数 / サブタイトル 放映年 役名 放映局 備考
NHK劇場 / マイ・ポンコツ車 1967年8月 NHK
ゴールドアイ 1970年2月 - 8月 藤弘 日本テレビ
千葉周作 剣道まっしぐら 1970年11月 - 1971年4月 TBS
仮面ライダー 1971年4月 - 1973年2月 本郷猛 / 仮面ライダー1号(声) 毎日放送 主演、初期はスーツアクターも兼任。
めくらのお市 第2話「荒野に赤い花が散る」 1971年4月 檜左近 日本テレビ
さすらいの狼 第13話「死の追跡」 1972年6月 NET
私は忘れたい 1972年10月 - 1973年1月 哲次 TBS
グランド劇場 / 三年前の約束 1972年12月 よみうりテレビ
はだれゆき 1973年1月 NHK
東芝日曜劇場 / でんでん太鼓2 冬の巻 北海道放送
仮面ライダーV3 1973年2月 - 1974年2月 本郷猛 / 仮面ライダー1号(声) 毎日放送
ご存知時代劇 / 赤城の子守唄 1973年3月 板割りの浅太郎 NET
愛のはじまるとき 1973年4月 - 7月 フジテレビ
思い橋 1973年4月 - 9月 北晴彦 TBS
新選組 第1話「芹沢鴨死す 豪雨止まず」
第6話「三条大橋に黒い人影」
1973年4月 - 5月 藤田精一郎 フジテレビ
夫婦日記 ダーリンは意地っ張り 1973年9月 日本テレビ
人妻だから 1973年10月 - 1974年1月
大河ドラマ / 勝海舟 1974年1月 - 12月 坂本竜馬 NHK
白い牙 1974年4月 - 9月 有光洋介 日本テレビ 主演
東芝日曜劇場 / でんでん太鼓 結婚しますの巻 1974年5月 北海道放送
白い華燭 1975年4月 - 8月 高木 TBS
東芝日曜劇場 / うちのホンカン 1975年5月 北海道放送
銀河テレビ小説 / さようならの夏 1975年8月 二郎 NHK 主演
平家伝説 1975年9月 浜田吾郎 TBS
仮面ライダーストロンガー 第38話「出現! ライダー1号 2号!!」
第39話「さようなら! 栄光の七人ライダー!」
1975年12月 本郷猛 / 仮面ライダー1号(声) 毎日放送
全員集合!7人の仮面ライダー!! 1976年1月
いごっそう段六 1976年4月 - 8月 長谷山 NHK
新・二人の事件簿 暁に駆ける! 第5話「眼には眼を」 1976年8月 朝日放送
愛と死の夜間飛行 1977年1月 - 3月 洋一 NET 主演
土曜ドラマ / 高層の死角 1977年1月 平賀高明 刑事 NHK
特捜最前線 1977年4月 - 1987年3月 桜井哲夫 警部補 テレビ朝日
うさぎ飛ぶ海 1977年11月 TBS 主演
霧氷 1977年11月 - 12月 フジテレビ
汽笛が響く! 1978年4月 - 7月 宮崎康平 関西テレビ 主演
消えた巨人軍 1978年9月 探偵 左文字進 日本テレビ
土曜ワイド劇場 / ある誘拐 裁かれる刑事 テレビ朝日
土曜ドラマ / 松本清張シリーズ・一年半待て 1978年10月 岡島久男 NHK
愛の殺意 1979年1月 TBS
東芝日曜劇場 / ガラスの向う側 北海道放送 主演
大河ドラマ / 草燃える 1979年1月 - 12月 三浦義村 NHK
熱い嵐 1979年2月 前田正名 TBS
土曜ワイド劇場 / 白銀の死闘 鮮血のシュプール 1979年3月 テレビ朝日 主演
望郷の星 長谷川テルの青春 1980年5月 TBS
東芝日曜劇場 / 夢の蘭子 1980年6月 北海道放送
土曜ドラマ / 魂の夏 1980年11月 NHK
銀河テレビ小説 / 海辺の家族 1980年12月 繁太郎
関ヶ原 1981年1月 加藤清正 TBS
大河ドラマ / おんな太閤記 1981年1月 - 12月 織田信長 NHK
木曜ゴールデンドラマ / 大誘拐 1981年3月 戸並健次 よみうりテレビ 主演
木曜ゴールデンドラマ / 北アルプス脱獄誘拐事件 1981年5月
時代劇スペシャル / 二人の武蔵 岡本武蔵 フジテレビ
ドラマ人間模様 / 海峡 1981年10月 下館岩男 NHK
雄気堂々 若き日の渋沢栄一 1982年1月 尾高長七郎
木曜ゴールデンドラマ / 花嫁を求めて幾千里 1982年5月 よみうりテレビ 主演
東芝日曜劇場 / 港町まごころ坂 1982年7月 北海道放送
望郷 美しき妻の別れ 1983年4月 - 5月 石泊守幸 フジテレビ
木曜ゴールデンドラマ / 知床の子 1983年8月 よみうりテレビ
大河ドラマ / 春の波涛 1985年1月 - 12月 奥平剛史 NHK
NHKファミリードラマ / 夢家族 1985年10月 - 1986年1月 八木浩太郎 主演
義経北走 1986年7月 北海道放送
長七郎江戸日記スペシャル 天下を取れ! 仕掛けられた反乱 1988年4月 別木軍兵衛 日本テレビ
土曜ワイド劇場 / 京都神戸殺人事件 1988年7月 中川 テレビ朝日
五稜郭 1988年12月 松平太郎 日本テレビ
大河ドラマ / 春日局 1989年1月 - 12月 織田信長 NHK
オジロの海 1990年6月 龍岡逞也 テレビ東京 主演
月曜・女のサスペンス / 復讐岬に舞う真紅のバラ 1990年7月
平成就職物語 1992年2月
土曜ワイド劇場 / おんな秘密調査員・立花江梨子 1992年11月 笠井実 テレビ朝日
大河ドラマ / 花の乱 1994年4月 - 12月 大内政弘 NHK
ビジネスマン空手道 1995年10月 秋葉勘九郎
鬼麿斬人剣 天下無双の刀鍛冶 1995年12月 清原彦右衛門 テレビ朝日
徳川剣豪伝 それからの武蔵 1996年1月 柳生十兵衛 テレビ東京
事件・市民の判決 第10話「岐路」 1996年12月
天才てれびくん / ザ・ゴーストカンパニー 第5話「ぼくは剣士だ!」 1998年5月 NHK
NHKドラマ館 / 余命半年 1998年11月 岩田純朗
ボイスラッガー 第7話「危うしスーパーヒーロー! 吠える大捜査線」 1999年2月 ヒロシ テレビ東京
ズッコケ三人組 1999年4月 - 6月 平賀源内 NHK
火曜サスペンス劇場 / 事件記者 1999年5月 堅田鉄平 日本テレビ
連続テレビ小説 / あすか 1999年10月 - 2000年4月 宮内禄太郎 NHK
火曜サスペンス劇場 / 事件記者2 1999年12月 堅田鉄平 日本テレビ
たまごを産んだ少女 2000年3月 九州朝日放送
熱血!周作がゆく 2000年10月 - 12月 中西忠兵衛 テレビ朝日
カバチタレ! 第5話「免停と交通違反キップで警察と対決!」
第11話「セクハラ男に置き去られ結婚式で恥をかく」
2001年2月 - 3月 さわやかなライダー フジテレビ
明日があるさ 第7話「健康ダイエット!!」 2001年6月 マッスル佐々木 日本テレビ
月曜ミステリー劇場 / 上条麗子の事件推理 死を呼ぶ離婚慰謝料! 2001年9月 吉川寛平 刑事 TBS
3年B組金八先生 第6シリーズ 2001年10月 - 2002年3月 鶴本佑介
水戸黄門 第30部 第4話「殿を殴った指南役 -松島-」 2002年4月 又部弥七郎
新・ズッコケ三人組 2002年4月 - 6月 音羽警部補 NHK
月曜ミステリー劇場 / 上条麗子の事件推理2 死を呼ぶ早期退職者 2002年7月 吉川寛平 刑事 TBS
月曜ミステリー劇場 / 上条麗子の事件推理3 死を呼ぶ遺産相続 2003年4月
月曜ミステリー劇場 / 上条麗子の事件推理4 死を呼ぶ老後資金 2004年4月
僕の島/彼女のサンゴ 2008年6月 大城大吉 NHK
Q.E.D. 証明終了 第6回「賢者の遺産」 2009年2月 龍門寺虎男
トミカヒーロー レスキューファイアー 2009年4月 - 2010年3月 世界消防庁長官 刑部零次 テレビ東京

オリジナルビデオ [編集]

タイトル リリース年 役名 メーカー 備考
汚れし者の伝説 1991年 日本ビデオ映像 主演
ブラック・ジャック 1996年 本間丈太郎 バンダイビジュアル
必殺! バトルロード 妖剣女刺客 2005年 東映ビデオ

その他のテレビ番組 [編集]

くにとり=== CM・広告 ===

声の出演 [編集]

<記述のない上映・放送・発売日は各記事を参照>


音楽 [編集]

シングル [編集]

題名 B/W・C/W 発売年 レーベル 備考
レッツゴー!! ライダーキック 仮面ライダーのうた(歌・藤浩一 1971年 日本コロムビア 仮面ライダー』主題歌。第13話までのオープニングに使用。主役交代に合わせて第14話からは藤浩一バージョンが使用され、それに伴いシングルの音源も差し替えられた。そのため、藤岡バージョンが収録されているのは初回盤のみ。1980年代以降のLPやCDでは、企画意図によっては藤岡バージョンが収録されることも多い。
夕陽没ちても 霧の友よまた逢おう 1972年 ワーナー・パイオニア
愛の挽歌 1976年 CBS・ソニー
右手に枯れたバラ BYE-BYE MEMORY 1985年 ポニーキャニオン
セガサターン、シロ! セガサターン、シロ!(歌・とみたいちろう 1998年 ワーナーミュージック・ジャパン セガ『セガサターン』CMソング
レッツゴー!! ライダーキック 〜2000 Ver.〜 Power Child(歌・ROLLY) / 君と共にライダーはいる 2000年 日本コロムビア 演奏:RIDER CHIPS
荒野のサムライ〜明日に向って走れ〜 レッツゴー!! ライダーキック2006 / 稲妻の魂(アコースティックバージョン)/ 愛 Part2 2006年 サウス・トゥ・ノース・レコード

アルバム [編集]

題名 発売年 レーベル 備考
愛こそすべて 合掌、 2005年 サウス・トゥ・ノース・レコード

著書 [編集]

脚注・出典 [編集]

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  1. ^ 『テレビ・タレント人名事典 第5版』 日外アソシエーツ2001年、914頁。ISBN 978-4816916779
  2. ^ a b スタープロフィール / 藤岡 弘、”. Web版TVスター名鑑. 2013年1月7日閲覧。
  3. ^ OGな人びとVol.39「藤岡弘、」1ページ”. OCN TODAY. 2013年1月7日閲覧。
  4. ^ OGな人びとVol.39「藤岡弘、」2ページ”. OCN TODAY. 2013年1月7日閲覧。
  5. ^ 『赤ひげ』の合格を受け、藤岡は1973年大河ドラマ国盗り物語』の織田信長役にもキャスティングされていたが、この騒動のため、信長役には改めて高橋英樹がキャスティングされた。この作品での信長は高橋の当たり役となったが、その後藤岡は『おんな太閤記』(1981年)、『春日局』(1989年)で信長役を演じ、雪辱を果たしている。
  6. ^ せがた三四郎人気はNHK紅白歌合戦1998年)に応援ゲストとして登場するまでの勢いを見せた。この時は舞台上で藤岡がコメントしていると、ショッカー怪人や戦闘員が現れ、舞台上でアクションを展開、ついに変身ポーズの末、仮面ライダーが登場し怪人らを一網打尽、という演出だった。
  7. ^ 週刊ポスト2007年11月23日号より。知人と称するこの人物は、過去にも土地取引で問題を起こし、約6年の服役生活を送っていたなど、詐欺の常習者であった事と、別件で暴力行為による刑事事件も起こしており、藤岡自身も己の未熟さから騙されてしまったと告白している。この人物の娘の結婚式に藤岡が出席。程なく融資話を持ちかけられ、それに応じてしまい、金銭授受のない状態にも関わらず、口車に乗せられ、先方へ借用証書、直筆の領収書、礼状の3点を予め提出してしまった事から敗訴判決が命じられる結果となった。最高裁の判決に対してはあくまで戦うという意志表示を行っている。
  8. ^ 藤岡弘、プロフィール”. タレントデータベース data house aiba. 2013年3月12日閲覧。
  9. ^ 「仮面ライダー」から40年。藤岡弘、驚異の若さを語る”. 日刊SPA! (2011年8月23日). 2012年11月20日閲覧。
  10. ^ “藤岡弘、:被災地へ1トンの米送る 「仮面ライダーから勇気をもらって」とエール”. まんたんウェブ. (2011年4月2日). http://mantan-web.jp/2011/04/02/20110401dog00m200033000c.html 2011年4月2日閲覧。 
  11. ^ シーンによっては、大野剣友会岡田勝中村竹弥中屋敷鉄也らが演じ分けている。
  12. ^ 第9話「恐怖コブラ男」(1971年5月29日放送分)、第10話「よみがえるコブラ男」(1971年6月5日放送分)
  13. ^ このシーンは第10話のラストカットとして使用されている。
  14. ^ a b OGな人びとVol.39「藤岡弘、」3ページ”. OCN TODAY. 2012年12月14日閲覧。
  15. ^ 仮面ライダーV3』のライダーマンは、危険なアクションを伴うシーンを除いて、変身前の結城丈二役、山口暁が変身後も恒常的に演じていた。また、僅かながら一文字隼人役の佐々木剛も周囲に内緒で2号ライダーに扮して擬闘をこなしていた。
  16. ^ 仮面ライダー制作秘話 / 第3回「1号ライダー復活!!本郷猛 決死の現場復帰」”. 仮面ライダーファン. 2012年12月16日閲覧。
  17. ^ 第14話「魔人サボテグロンの襲来」(1971年7月3日放送分)
  18. ^ 佐々木は、藤岡の復帰が正式に決まった際、スタッフから「是非ダブルライダーで引き続き主演を」と依頼されるも、「藤岡君がカムバックするまでという約束で引き受けたのだから、当然、藤岡君に返すべきだ。自分がいたままでは、彼が付録のようになってしまう」と、これを固辞。当初の約束を果たして、第52話『おれの名は怪鳥人ギルガラスだ!』(1972年3月25日放送分)をもって降板した。「仮面ライダー」の項を参照の事。
  19. ^ 第53話「怪人ジャガーマン決死のオートバイ戦」(1972年4月1日放送分)
  20. ^ 第40話「死斗(しとう)! 怪人スノーマン対二人のライダー」(1972年1月1日放送分)、第41話「マグマ怪人ゴースター桜島大決戦」(1972年1月8日放送分)
  21. ^ OGな人びとVol.39「藤岡弘、」4ページ”. OCN TODAY. 2012年12月14日閲覧。
  22. ^ 声のみの出演は『仮面ライダーV3』22話、『仮面ライダーX』劇場版及び『仮面ライダーストロンガー』38話、『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』、顔出し出演は『仮面ライダーV3』1・2・33・34話と『仮面ライダーストロンガー』の最終39話及び正月特番だけである。『仮面ライダー (スカイライダー)』、『劇場版仮面ライダースーパー1』、『仮面ライダーZX』、『仮面ライダーBLACK RX』、『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』にも仮面ライダー1号が登場しているが、藤岡自身は出演しておらず、素顔の本郷猛としての登場シーンはない。仮面ライダー1号の声も別人が担当した。
  23. ^ 「小惑星を『仮面ライダー』『藤岡』と命名」”. 街の灯 (2000年3月27日). 2012年12月17日閲覧。
  24. ^ スポーツ報知 / 社会 「仮面ライダーの父・阿部征司さん死去…東映元チーフプロデューサー」”. ウェブ魚拓によるキャッシュ (2013年1月1日). 2013年3月12日閲覧。
  25. ^ ゲーム雑誌「CONTINUE」のインタビューより
  26. ^ 一般向け情報/JAROのTV-CM・広告”. 公益社団法人 日本広告審査機構. 2013年5月9日閲覧。

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]

先代:
-
仮面ライダーシリーズ
歴代主役ライダースーツアクター
藤岡弘(初代)
1971年、『仮面ライダー』1 ~ 13話)
次代:
中村文弥(2代目)
1971年、『仮面ライダー』13 ~ 52話)