オーストラリアの総督

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オーストラリア総督
総督
連邦
Badge of the Governor-General of Australia.svg
紋章
Peter Cosgrove 2014.jpg
現職:
ピーター・コスグローブ
AK, MC
2014年3月28日より
敬称: His Excellency
任命者: エリザベス2世
オーストラリア女王
初代: ジョン・ホープ (初代リンリスゴー侯爵)
成立: 1901年1月1日
任期: 陛下の仰せのままに
官邸: 総督官邸キャンベラ
アドミラルティハウスシドニー

ウェブサイト: www.gg.gov.au/
オーストラリア総督の旗(1936年制定)

オーストラリア総督(オーストラリアそうとく、Governor-General of Australia)は、オーストラリア元首たるオーストラリア国王イギリス国王と同一人物)の代理人である。

概要[編集]

イギリス国王がオーストラリアに滞在しているときは、その地位はオーストラリア国王になるが、実際にオーストラリアに滞在する事はそうない。そのため、国王の代理として総督が派遣され、首都に滞在することになる。現在ではオーストラリア政府が指名した人物をイギリスの元首(すなわち国王)が任命することになっており、首都キャンベラに常駐する。現在は名誉職とされる。

連邦総督制度[編集]

19世紀までにはイギリスは各植民地にそれぞれ6人の総督を派遣していたが、1901年自治領オーストラリア連邦が発足すると、「連邦総督」というポストが生まれた。オーストラリア総督はその連邦総督の1つである。

これは名誉職であり、貴族や国会議員、高級官僚のキャリアに大きく資するものであった。この連邦総督というものはイギリス国王の代理であり、イギリスの国家主権を代表する存在であった。そのため、「自治領オーストラリア政府」がイギリス本国に意思疎通を図るときは連邦総督を経由しなければならなかった。連邦総督はイギリス本国に対しては植民地省と協働し、イギリス本国の政策決定のオーストラリアへの伝達やオーストラリアの情報のイギリス本国への報告などをしていた。現状分析のレポートは毎月作成された。これらのレポートにはオーストラリアにおける最近の国情が政治・経済など多岐わたって記録されており、極秘扱いで植民地大臣の元へと送られた。これによってイギリスは、アメリカ独立の轍を踏まないように、巧みな植民地経営をおこなった。

オーストラリア人のオーストラリア連邦総督[編集]

1931年にはオーストラリア生まれのサー・アイザック・アイザックス高等法院(最高裁判所)長官が連邦総督に就任した(在任1931年-36年)。これはジェームズ・スカリンオーストラリア首相の推薦を受けたものであり、オーストラリアの自治が進むと同時にイギリスの面子が維持されることとなった。

アイザックス以降5人の連邦総督は再びイギリス本国から任命派遣されたが、1965年リチャード・ケーシー元外務大臣がオーストラリア政府の指名によって連邦総督に就任すると、このオーストラリア政府が指名した人物をオーストラリア国王(イギリス国王)が任命するという形式が確立されて今に至る。

権限[編集]

オーストラリア憲法上は、オーストラリア首相の任免(同64条)、法案の裁可(同58条)、下院の解散権(同5条)、法案について上下両院異なる判断をしたときに条件付きで上下両院を同時解散(同57条)できる権限のほか、オーストラリア国防軍の最高指揮権を有する(同68条)。また、ココス諸島及びクリスマス島の行政官の任免権も有する。

総督、首相を罷免[編集]

第二次世界大戦後はイギリスのオーストラリアへの影響力が低下するに従い、連邦総督の名誉職化が進行する。だが1975年には上院での予算案の審議拒否を始めとする政治的な混乱を解決するためとしてジョン・カー連邦総督が憲法64条の規定に従いゴフ・ウィットラム首相を罷免し、野党自由党党首のマルコム・フレーザーを暫定首相に任命する事件が発生した。この後、フレーザーの助言に従って上下両院も解散され、総選挙が実施された。

首相の罷免は確かに憲法の条文に違反しないものの、総督が従うべきと考えられていた憲法的慣習にそぐわない行為であったため、その是非を巡って論争が行われる事となった。この過程で、いまだに植民地時代の憲法が効力を持っていることをオーストラリア人は再認識するに至った。

これを契機にオーストラリア政府は政治的野心の少なく、穏健で、人々の尊敬を集めるような人物を連邦総督に指名する傾向が強くなった。

「改憲、共和制」論争[編集]

ウィットラム首相の罷免劇に直面したオーストラリアでは憲法改正や共和制導入が議論されたが、いまだに連邦総督制度は残っている。

歴代オーストラリア総督[編集]

期間 人物
1 1901年1月1日 - 1903年1月9日 第7代ホープトン伯爵ジョン・ホープ閣下 [1], KT, GCMG, GCVO, PC
2 1903年1月9日 - 1904年1月21日 第2代テニスン男爵ハーラン・テニスン閣下, GCMG, PC
3 1904年1月21日 - 1908年9月9日 初代ノースコート男爵ヘンリー・ノースコート閣下, GCMG, GCIE, CB, PC
4 1908年9月9日 - 1911年7月31日 第2代ダドリー伯爵ウィリアム・ウォード閣下, GCB, GCMG, GCVO, TD, PC
5 1911年7月31日 - 1914年5月18日 第3代デンマン男爵トマス・デンマン閣下, GCMG, KCVO, PC, JP
6 1914年5月18日 - 1920年10月6日 サー・ロナルド・マンロー=ファーガスン閣下, GCMG, DL
7 1920年10月6日 - 1925年10月8日 初代フォースター男爵ヘンリー・フォースター閣下, GCMG, PC, DL
8 1925年10月8日 - 1931年1月21日 初代ストーンヘイヴン男爵ジョン・ベアード閣下, GCMG, DSO, PC, JP, DL
9 1931年1月21日 - 1936年1月23日 サー・アイザック・アイザックス閣下, GCB, GCMG
10 1936年1月23日 - 1945年1月30日 初代ゴーリー男爵アレグザンダー・ホア=ラスヴェン准将閣下, VC, GCMG, CB, DSO, PC[2]
11 1945年1月30日 - 1947年3月11日 グロスター公ヘンリー殿下, KG, KT, KP, GCB, GCMG, GCVO
12 1947年3月11日 - 1953年5月8日 サー・ウィリアム・マッケル閣下, GCMG[3]
13 1953年5月8日 - 1960年2月2日 サー・ウィリアム・スリム元帥閣下, KG[4], GCB, GCMG, GCVO[5], GBE, DSO, MC
14 1960年2月2日 - 1961年8月3日 初代ダンロッシル子爵ウィリアム・モリスン閣下, GCMG, MC, QC, PC
15 1961年8月3日 - 1965年5月7日 初代ド・リール子爵ウィリアム・シドニー閣下, VC, GCMG, GCVO, GCMG[6], PC
16 1965年5月7日 - 1969年4月30日 ケイシー男爵リチャード・ケイシー閣下, KG, GCMG, CH, DSO, MC, KStJ, PC
17 1969年4月30日 - 1974年7月11日 サー・ポール・ハズラック閣下, GCMG, GCVO[7]
18 1974年7月11日 - 1977年12月8日 サー・ジョン・ロバート・カー閣下, AK, GCMG, GCVO, GCVO[8], QC
19 1977年12月8日 - 1982年7月29日 サー・ゼルマン・コウエン閣下, AK, GCMG, GCVO, QC
20 1982年7月29日 - 1989年2月16日 サー・ニニアン・スティーヴン閣下, KG, AK, GCMG, GCVO, KBE, QC
21 1989年2月16日 - 1996年2月16日 ウィリアム・ヘイデン閣下, AC
22 1996年2月16日 - 2001年3月29日 サー・ウィリアム・パトリック・ディーン閣下, AC, KBE
23 2001年3月29日 - 2003年5月28日 ピーター・ホリングワース師閣下, AC, OBE
24 2003年5月28日 - 2008年9月5日 マイケル・ジェフリー少将閣下, AC, CVO, MC
25 2008年9月5日 - 2014年3月28日 デイム・クエンティン・ブライス閣下, AC[9], CVO[10]
26 2014年3月28日 - 現在 サー・ピーター・コスグローブ大将閣下, AK, MC

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1902年以降はリンリスゴー侯
  2. ^ 在任中の1937年に枢密顧問官となる
  3. ^ 在任中の1951年11月13日に受章し、サー・ウィリアム・マッケルと名乗る
  4. ^ 在任中の1959年4月24日に受章
  5. ^ 在任中の1954年2月16日に受章
  6. ^ 在任中の1963年3月14日に受章
  7. ^ 在任中の1970年5月29日に受章
  8. ^ 在任中の1977年3月30日に受章
  9. ^ 在任中の2014年3月25日にADを受章し、デイム・クエンティン・ブライスと名乗る
  10. ^ 在任中の2011年10月26日に受章