岡田裕介

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おかだ ゆうすけ
岡田 裕介
本名 岡田 剛(つよし)
生年月日 1949年5月27日(62歳)
出生地 日本の旗 京都府京都市
民族 日本人
ジャンル 俳優
活動期間 1969年 - 1974年
備考
現在東映代表取締役社長、ティ・ジョイ社長、映画プロデューサー

岡田 裕介(おかだ ゆうすけ、1949年5月27日 - )は、日本映画プロデューサー俳優、。本名は岡田 剛(つよし)。東映代表取締役社長、ティ・ジョイ社長。


目次

[編集] 来歴・人物

俳優としては主に東宝の青春映画で活躍、独特の口跡で話題を呼んだが、東宝が自社製作を大幅縮小したこともありプロデューサーに転向した。

父の岡田茂(元、東映社長・会長を経て最晩年は名誉会長)は、サラリーマン社長であったが、実子の裕介を社長にした。妹は高木美也子コメンテーター日本大学総合科学研究所教授)。

1949年5月27日
京都市に生まれる。
1969年
スカウトされ、テレビドラマ『レモンスカッシュ4対4』(NET)でデビュー。
1970年
赤頭巾ちゃん気をつけて』(監督森谷司郎東宝)で、日比谷高生役を演じる。
  • 岡田は都立日比谷高校を卒業しており、役は一つ下の学年に当たる[1]
以後も、エリート高級官僚の息子役を演じた『初めての旅』(東京映画)まで、森谷司郎監督作品に主に出演。
1973年
慶應義塾大学商学部卒業。
1974年
岡本喜八作品『吶喊』で、岡本の抜擢を受け主演兼プロデューサーを務める。喜八プロとATGの超低予算による戦争時代劇という困難な仕事をやりおおせた。この作品を機に徐々に俳優の仕事を減らし、以降は、主にプロデューサー業に転じた。
1988年
東映に入社。
1990年
東京撮影所長(のちに取締役、常務取締役)。
2001年
シネコンを運営するティ・ジョイ社長に就任。
2002年
東映社長に就任。
2007年
内閣官房「美しい国づくり」企画会議委員を務めた[2](同年9月21日解散)。

ほかに、テレビ朝日北海道テレビ放送東映アニメーション東映ラボ・テックなどの取締役、シ-ズ・シネマズの代表取締役会長を務める。また、秋田経済法科大学(現ノースアジア大学)総合研究センター客員教授、政府の海外交流審議会委員なども務めている。

[編集] エピソード

  • 俳優としてデビューしたきっかけは、慶応大学二年の夏休みに京都へ来て、たまたまクラブで飲んでいたとき、プロデューサーの逸見稔が横顔のよく似た石坂浩二と間違えてスカウトしたもの。父親の岡田茂とはそれ以前から仕事の付き合いがあり、父親の了解を得て裕介は『レモンスカッシュ4対4』でデビューした[3]

[編集] その他の出演作

1970年
江戸川乱歩シリーズ 明智小五郎』(東京12チャンネル
1972年
赤ひげ』第5話「三度目の正直」(NHK
1974年~1975年
鳩子の海』(NHK)
1974年
しあわせ』(東宝) - 南信隆
1975年
『実録三億円事件 時効成立』(東映)
1976年
グッドバイ・ママ』(TBS
1977年
Gメン'75』第130話「一卵性双生児殺人事件」(TBS)
『森村誠一シリーズ・腐蝕の構造』(MBS、東映) - 土器屋貞彦
1978年
ブルークリスマス』(東宝
森村誠一シリーズ・人間の証明』(MBS、東映)
1981年
夢千代日記』(NHK)
ねらわれた学園 (映画)』(角川春樹事務所
1986年
火宅の人』(東映)

[編集] 映画プロデュース

吉永小百合主演作のほか、多数の作品を手掛けている。

1980年
動乱』(監督森谷司郎)
1984年
『天国の駅』(監督出目昌伸
1985年
夢千代日記』(監督浦山桐郎
1986年
『玄海つれづれ節』(監督出目昌伸)
  • 岡田も出演。
1993年
眠らない街 新宿鮫』(監督滝田洋二郎
1995年
きけ、わだつみの声』(監督出目昌伸)
1996年
『霧の子午線』(監督出目昌伸)
1997年
北京原人 Who are you?』(監督佐藤純彌
2001年
千年の恋 ひかる源氏物語』(監督堀川とんこう
2005年
北の零年』(監督行定勲

[編集] 脚注

  1. ^ 高校同期に宮澤喜一長男の宮澤裕夫(建築家)など 『文藝春秋』(2010年10月号)。
  2. ^ 「美しい国づくり」企画会議サイトの岡田裕介プロフィールを参照。
  3. ^ 逸見稔『黄門様はテレビ好き』、近代映画社、1993年、p96、97

[編集] 外部リンク

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