兵藤ゆき

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ひょうどう ゆき
兵藤 ゆき
本名 兵藤 由紀子
(ひょうどう ゆきこ)
生年月日 1952年4月15日(59歳)
出生地 日本の旗日本愛知県名古屋市
民族 日本人
血液型 O型
ジャンル タレントエッセイスト
活動期間 1970年 -

兵藤 ゆき(ひょうどう ゆき、1952年4月15日 - )は、日本タレントエッセイストである。

愛知県名古屋市出身。ジェイピィールームアップフロントグループ)所属。

目次

[編集] 来歴

高校卒業後、常盤女学院服装デザイナー科に進み、ファッションショーの演出や構成を手がける。東海ラジオで、投稿葉書整理を担当していた時に、ラジオ番組のパーソナリティのピンチヒッターを務め、そのままレギュラー番組を持つようになり、タレントとしてのスタートを切る。名古屋のローカルタレント時代の代表的な番組としては、1976年より20年間にわたり続けた『ナゴヤフォークタウン』や、1983年8月まで放送された看板深夜番組『ミッドナイト東海』、つボイノリオとのコンビで司会を担当したCBCラジオの『土曜天国』などがある。

1983年、『笑っていいとも!』(フジテレビ)出演をきっかけに、全国区になる。さばさばした性格と、コミカルなキャラクターで、「ゆき姐(ゆきねえ)」と呼ばれ、人気を博す。

天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)で、人気は不動の物となり、共演者であった高田純次とのデュエット曲「CHANCE!心ときめいて」をリリースした。

ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)のコント「西日本番長地図」では、「悩みの相談、兵藤ゆき」と名古屋名物のひとつに数えられている。

1996年ミュージシャン文田博資と結婚後、夫の大学留学のため、1997年春から、家族とともに、アメリカニューヨーク市で生活。1996年に長男を出産。夏休みの7、8月頃に日本に帰国して何番組かゲストでテレビ出演することが恒例となっていた他、子育てやニューヨークでの生活を題材としたエッセーの執筆活動を行う。留学の目的であった夫の社会学博士号取得の目処が立ったため、2007年7月に帰国して東京に在住している[1]

[編集] エピソード

野沢直子などと同様に、日本の若者女性に「…よ」「…じゃない?」から「…だよ」「…じゃん?」というような言葉を広めた一人でもある(若者言葉)。

年に500回は料理するほどの料理上手であり、2006年9月13日に放送された『愛のエプロン』(テレビ朝日)では、その腕前を披露して特エプを獲得した。

[編集] 出演番組

[編集] 現在の出演番組

[編集] 過去の出演番組

[編集] 著書

  • 「猫ナンパ日記」(KKベストセラーズ
  • 「僕が僕である理由」(双葉社
  • 「ぶんちんタマすだれ」(ワニブックス
  • 「ゆき姐のニューヨーク裏うら散歩」(ワニブックス)
  • 「でこぼこなクラス写真」(ワニブックス)
  • 「ニューヨーク熱血井戸端会議」(集英社文庫
  • 「頑張りのつぼ」(角川書店
  • 「子どもがのびのび育つ理由 ニューヨークで見た子どもと大人のいい関係」(マガジンハウス
  • 「ゆき姐の漫画エッセイ 英語と格闘 in New York」(日本放送出版協会

[編集] 音楽

[編集] シングル

  • Chance!心ときめいて(1988年) - 高田純次とのデュエット、作詞も担当
  • DEAR MY FRIEND(1988年) - ばんばひろふみとのデュエット
  • 地図にない街(1989年)
  • 僕たちの日々(1989年)
  • ときめきエール(1991年) - 兵藤ゆき&ABブラザーズ名義
  • ギター覚えた頃(1991年) - 兵藤ゆき&ABブラザーズ名義
  • ぼくとディジャヴ / だってネコだもん(1993年)

[編集] アルバム

  • 僕たちの日々(1989年)
  • やっ!(1990年)

[編集] 賞歴

[編集] 脚注

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  1. ^中日スポーツ2007年7月14日号。
  2. ^ 「ノリサメ」で、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』で共演していたタレントの高田純次とともに受賞。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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