浪曲

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浪曲(ろうきょく)とは、明治時代初期から始まった演芸の一つ。「浪花節」(なにわぶし)とも言い、三味線を伴奏に用いて物語を語る。

浪花節は古くから伝わる浄瑠璃説経節、祭文語りなどが基礎になって、大道芸として始まった、その後明治時代初期、大阪の芸人・浪花伊助が新しく売り出した芸が大うけして、演者の名前から「浪花節」と名付けられた。(浪花節と言われ始めたのは1872年頃と言われている。)「浪曲」と呼ぶようになった理由は諸説あり定かではない。東京では関東節の祖と言われる浪花亭駒吉や横浜で祭文語りで活躍していた玉川派の祖と言われる青木勝之助が東京の寄席に出演し人気を博し浪花節は全国的に広まった。以後、桃中軒雲右衛門二代目広沢虎造の活躍で戦前まで全盛を迎えた。太平洋戦争後は娯楽の多様化で衰退し現代まで続いているが、現代に合う新しいスタイルを模索している。

庶民的な義理人情に訴える作品が多い事から、転じて「浪花節にでもでてきそうな」という意味で、義理に流された話を「浪花節的な」あるいは単に「浪花節」と比喩することも多いが、実際は武芸物、出世物、任侠物、悲恋物、ケレン物(お笑い)など多種多様である。

現在、浪曲の定席は東京都台東区浅草の「木馬亭」と、大阪市天王寺区の「一心寺門前浪曲寄席」がある。


目次

[編集] 浪曲の構成

浪曲は一話完結から連続ドラマのように長い話もある。時間にするとだいたいは三十分位の話がほとんどである。

内容は一つの物語を(ふし)と啖呵(たんか)で演じる。節は歌う部分で物語の状況や登場人物の心情を歌詞にしており、啖呵は登場人物を演じてセリフを話す。浪曲を勉強する時は節よりも啖呵が難しいと言われ、「フシで三年タンカで五年」と言われている。

[編集] 節の種類

浪曲で演じられる節には様々な種類があり、簡単に分けると関東節関西節中京節(合いの子節)と地方ごとで三つに分けられる。

関東節は基本的に明るくキイが高めでテンポは早めだが、主流は浪花亭派といい浪花亭駒吉が演じたのが最初でその他にもそこから独立した木村派(木村重友)、上州祭文に瞽女歌をミックスした東家派(東家浦太郎)、でろれん祭文語りを発展させた玉川派(青木勝之助)がある、逆に関西節は単調でキイは低めでテンポは遅めである、主流は京山恭安斎の祖とする京山派と、吉田奈良丸を祖とする吉田派がある。その間に中京節は上手く二つをミックスした独特の伊勢祭文語りの流れをくんだ鼈甲斎虎丸の節がある。 また、それらの節は演者の手で変えられ、人気を博した節は考えた浪曲師の芸名から名づけられたりする。有名な節を作った代表的な浪曲師としては、関東節と中京節をミックスして虎造節を作り、当たり芸「清水次郎長伝」を演じた二代目広沢虎造や、暗めなイメージの関西節を高音でノリのよいテンポの幸枝若節を作り、歯切れの良い啖呵で任侠物の「河内十人斬り」やケレン(お笑い)の「左甚五郎」を演じ戦後の浪曲界を支えた初代京山幸枝若などがいる。

他に中京では浪曲に新内節をミックスして三門節を作り美空ひばりの十八番だった「唄入り観音経」を演じた三門博が挙げられる。他にも伴奏が三味線ではなく、戦前はピアノの伴奏で演じる楽浪曲や、主に関西でやられるギターと三味線で伴奏をするモダン浪曲があり、オーケストラをバックに浪曲を語る歌謡浪曲などは三波春夫中村美律子など浪曲出身の演歌歌手が演じている。現在歌手ではなく浪曲師として歌謡浪曲を演じているのは関西の浪曲師真山一郎の一門である。戦後の関西(上方)では漫才のの人気により多くの浪曲師は漫才師に転向し漫才の中に浪曲の節回しを取り入れたりして人気者になったコンビも多い。主に暁伸・ミスハワイ宮川左近ショウタイヘイトリオ東洋朝日丸・日出丸ジョウサンズ等がいる。(浪曲漫才) 尚上方には古くから節劇といわれる浪花節を歌舞伎義太夫節(チョボ)のように使って演ずる劇がある。

[編集] 浪曲の舞台セット

演じる時の舞台のセットはまず舞台の中央に金屏風を置き、その前に腰ぐらいの高さの小さめのテーブルを置きその上にテーブルかけをかけてある。真後ろに背もたれの長い椅子がありそこには、それぞれの流派の家紋がある布が掛かっていて、演者は大体は立ちながら演じている。

テーブルかけと言われてはいるが、かけるテーブルかけは普通のではなく、花や動物など華やかで相撲の化粧回しのようにファンが浪曲師に送る物であり、送られるテーブルかけには金糸で寄贈者の名前や会社名が記してある。

真ん中に、テーブルかけのかかったテーブルがあり、観客から見て右手の方に「曲師」と呼ばれる三味線の演奏者が座っている。現在、曲師は定席など正式な舞台では衝立を挟んで観客から見えないようになっているが、それ以外では「出弾き」と呼ぶ客前に出て弾くスタイルである。曲師を隠した理由は明治時代活躍した桃中軒雲衛門が、曲師をしていた美しい妻を、観客が狙わないように隠したことに由縁すると言う説がある。

[編集] 浪曲の代表的な演目(ネタ)

比喩として使う浪花節の意味が最初にあったように、浪曲には義理人情や情愛など人間的な物語を演じることが多い。歌舞伎や講談、文芸、浄瑠璃、その時代のニュースなど多くのジャンルから物語りが作られる。

※右の芸名はその作品で代表的な演者である。

[編集] 任侠物

[編集] 世話物(悲恋・スキャンダル)

[編集] 出世物

[編集] お家騒動物

[編集] 赤穂義士伝

[編集] 戦争物

[編集] 親子物

[編集] 歌舞伎物

[編集] 浄瑠璃物

[編集] 武芸物

                天中軒雲月

[編集] ケレン(お笑い)

[編集] 浪曲師

浪曲師一覧も参照のこと。

[編集] 関東の浪曲師

[編集] 関西の浪曲師

  • 一風亭初月浪曲専属の曲師。
  • 菊地まどか(キクチ マドカ)京山小円嬢の弟子。
  • 初代京山幸枝若(キョウヤマ コウシワカ)
  • 二代目京山幸枝若(キョウヤマ コウシワカ)
  • 京山小円(キョウヤマ コエン)桃中軒雲右衛門、二代目吉田奈良丸と共に第1期浪曲黄金時代をつくりあげた元老の一人。
  • 京山小円嬢(キョウヤマ コエンジョウ)関西女流浪曲の三羽ガラスの一人、夫である曲師との息の合った口演は絶品であった。
  • 京山華千代
  • 京山若丸(キョウヤマ ワカマル)「新談(新作)読み」の自作自演で知られた。桃中軒雲右衛門、二代目吉田奈良丸、京山小円らと第1期浪曲黄金時代をつくった。
  • 幸いってん(コウ イッテン)二代目京山幸枝若の弟子。
  • 酒井雲(サカイ クモ)九州が地盤。文芸浪曲の創始者。村田英雄の師匠であった。
  • 松風軒栄楽(ショウフウケン エイラク)新作浪曲が得意で「乃木大将」や「青山殺人事件」等を語った。
  • 天光軒満月(テンコウケン マンゲツ)菊池寛の「父帰る」や「召集令」など「悲劇詠み」の大家。哀愁を帯びた満月節は絶品。
  • 中村美律子(ナカムラ ミツコ)歌謡浪曲。
  • 梅中軒鶯童(バイチュウケン オウドウ)生涯師匠を持たなかった浪曲師。しかし、多くの師から学びその自由奔放な「鶯童節」で関西の大看板になった。十八番は「紀伊国屋文左衛門」。
  • 春野恵子(ハルノ ケイコ)二代目春野百合子の弟子。
  • 春野ココ(ハルノ ココ)二代目春野百合子の弟子。
  • 二代目春野百合子(ハルノ ユリコ)父が二代目吉田奈良丸、母が初代春野百合子の間に生まれた女流浪曲の大御所。十八番は「西鶴五人女」シリーズ。
  • 日吉川秋斎(ヒヨシガワ シュウサイ)ノリの良い秋斎節で「左甚五郎」や「水戸黄門」を語った。
  • 日吉川秋水(ヒヨシガワ シュウスイ)ケレン(お笑い)浪曲の第一人者。自宅の近所に初代桂春団治が住んでいた事から交友があり、勉強会「春秋会」を開き自分の芸に良い影響となった。
  • 広沢駒蔵(ヒロサワ コマゾウ)ケレン浪曲の中堅。「水戸黄門」「左甚五郎」を得意とした
  • 広沢虎吉弟子に繋がる中には、二代目広澤虎造らがいる。
  • 広沢瓢右衛門(ヒロサワ ヒョウエモン)芸歴79年で売れ出したのが80歳の頃からと言う異例の浪曲師。
  • 藤川友春
  • 宮川左近
  • 巴うの子
  • 二代目吉田奈良丸(二代目ヨシダ ナラマル)関西浪界(浪曲界)の重鎮。桃中軒雲右衛門のライバル。後に「吉田大和之丞」と改名する。
  • 三代目吉田奈良丸節に義太夫節を取り入れ、お家芸の「義士伝」や「勧進帳」を語った。
  • 四代目吉田奈良丸
  • 天龍三郎(テンリュウ サブロウ)最年長の浪曲師。
  • 芙蓉軒麗花(フヨウケン レイカ)「ろうきょく炭坑節」のレコードが大ヒット。

[編集] 中京の浪曲師

  • 天中軒月子
  • 鼈甲斎虎丸(ベッコウサイ トラマル)中京浪曲の第一人者、「安中草三」の連続読みは有名。

[編集] 浪曲師の所属団体

[編集] 参考文献

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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