化政文化

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化政文化(かせい ぶんか)とは、文化文政期(1804年1829年)を中心とする江戸時代後期(化政時代)に発展した町人文化である。政治・社会の出来事や日常の生活を風刺する川柳が流行した。また、文学では、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』のように、庶民生活を面白おかしく描いた、滑稽な作り話が好まれた。版画では、多彩な色彩を表現できる技術が向上し、そのような技術で作られた版画は錦絵と呼ばれた。江戸から発生し、商人などの全国的交流や、出版教育の普及によって各地に伝えられていった。また、これに伴い、内容も多様化していき、庶民へと浸透していった。風俗上で時代劇の舞台とされることが最も多いのがこの時代である。

江戸時代前期に栄えた町人文化である元禄文化のときには、文化の中心は上方であったが、このころから文化の重心は江戸に移っていく(ただし、音楽における京流手事物陶芸京焼のように、上方で著しく発展を見たものもある)。また近年では元禄文化と化政文化の中間である18世紀後半の宝暦明和安永天明年間に文化の転換期を見ることも多い(→宝暦・天明文化:戯作文学の誕生・錦絵の勃興・天明狂歌の隆盛・「江戸っ子」の成立)。

文学[編集]

儒学[編集]

国学[編集]

蘭学[編集]

経世家・農学者[編集]

教育[編集]

美術[編集]

東洲斎写楽 画『市川蝦蔵
円山応挙 画『孔雀図』

工芸[編集]

芸能[編集]

音楽[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ たとえば、『日本史B 新訂版』(文部科学省検定済教科書高等学校 地理歴史科用。平成9年3月31日文部科学省検定済。教科書番号:7実教 日B 582)p 211には、「江戸中・後期には, 将軍の城下町として繁栄した江戸に文化の中心が移り, 旗本・御家人や富裕な町人が文化のにない手となった。この時期の文化はとくに田沼時代や文化文政時代に栄え, 後者は化政文化といわれ, 爛熟した様相を示した。」と記載され、同書p 212に「俳諧では, 天明期に上方に与謝蕪村が出て, 洗練された感覚による写生的な句や幻想的な句をのこすいっぽう, 和詩(俳体詩)にすぐれた作品を発表した。」と記載されている。
  2. ^ たとえば、『中学社会 歴史』(文部省検定済教科書中学校 社会科用。平成8年2月29日文部省検定済。教科書番号:17教出・歴史762)p 149には、「俳諧では与謝蕪村が絵画的な美しさを表現し, 小林一茶は農民の感情を詠みこんだ。歌舞伎もさかんになった。浮世絵では, 喜多川歌麿の美人画, 葛飾北斎・歌川(安藤)広重の風景画が生まれた。このような19世紀前半の江戸の町人文化を, 化政文化という。」と記載されている。
  3. ^ たとえば、『日本史B 新訂版』(文部科学省検定済教科書高等学校 地理歴史科用。平成9年3月31日文部科学省検定済。教科書番号:7実教 日B 582)p 213に「田沼時代に出た鈴木春信は錦絵とよばれる多色刷りの版画をはじめ, 清楚な美人画などに傑作をのこした。」と記載されている。

関連項目[編集]