元禄文化

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燕子花図(尾形光琳)

元禄文化(げんろくぶんか)とは、17世紀終わり頃から18世紀初頭にかけて、元禄時代(1688年 - 1707年)を中心として、主に京都・大坂(大阪)などの上方を中心に発展した文化である。特色として庶民的な面が濃く現れているが、必ずしも町人の出身ばかりでなく、元禄文化の担い手として武士階級出身の者も多かった。

上方から発生し、朱子学自然科学古典研究が発達した。尾形光琳らによる琳派土佐派などが活躍、野々村仁清本阿弥光悦等による陶芸が発展、音楽では生田流箏曲地歌の野川流が生まれ、また義太夫節一中節などの新浄瑠璃や長唄が生まれた。

元禄文化はM8.1の元禄地震(元禄16年・1703年)と、M8.4の東海・南海・東南海連動型地震の宝永地震(宝永4年・1707年)、同年12月の富士山の宝永大噴火の発生によって終焉した。[要出典]

なお、昭和時代中期(高度経済成長期)頃の文化隆盛を指すものとして、「昭和元禄」(しょうわげんろく)という言葉がある[1]

文芸[編集]

学問[編集]

儒学[編集]

史学[編集]

自然科学[編集]

発微算法』(複製)。国立科学博物館の展示。
貞享暦。1729(享保14)年版。国立科学博物館の展示。

軍書[編集]

美術・工芸[編集]

見返り美人図

音楽[編集]

出典[編集]

  1. ^ “あのとき!1967年 非核の誓い、国会答弁”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2009年3月7日). http://www.asahi.com/information/db/anotoki/2009_0307.html 2011年4月17日閲覧。 

関連項目[編集]