万世橋

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国道17号標識
万世橋上流側左岸より。後方の丸みを帯びた建物は肉の万世。
万世橋下流側左岸より。後方右側の建物は旧交通博物館。

世界測地系35°41′50″N, 139°46′16″E

万世橋(まんせいばし)は、神田川に架かるの1つ。中央通り国道17号)上にある。

秋葉原電気街の南端に位置し、神田駅へ向かう時に渡る橋。橋の北は千代田区外神田一丁目、南は千代田区神田須田町一・二丁目で、南へ渡ってすぐ、JR中央線のガードを潜る。

右手の交通博物館2006年平成18年)5月閉館)前を通る細い道が、1930年昭和5年)までの旧中央通りだった。神田駅へ向かう新中央通りと、交叉する九段・両国橋を結ぶ靖国通りとが形成する、現在の須田町交差点は1929年(昭和4年)に作られたものである。

上流には昌平橋が、至近には、今は廃された万世橋駅、並びに廣瀬武夫杉野孫七の銅像が存在した。

日曜日・祝日の正午から17時(4月から9月の間は18時まで)は中央通りの歩行者天国のため、自動車は通行できなかったが、 秋葉原で発生した通り魔事件の影響で現在は歩行者天国は行っていない。

目次

[編集] 歴史

  • 万世橋の歴史は、1676年寛文16年)に架けられた筋違橋(すじかいばし)に遡る。当橋は、徳川家将軍が寛永寺に詣でる時に渡る橋で、現在の昌平橋と万世橋との中間にあった。すぐ南に筋違見附があった、というより、橋が見附の付属物であった。
  • 1872年明治5年)筋違見附が取り壊され、翌1873年(明治6年)にその石材を再利用して、筋違橋の場所にアーチ二連の石造りの橋が完成し、当時の東京府知事大久保忠寛が萬世橋(よろずよばし)と命名したが、次第にまんせいばしという音読みの方が一般化した。眼鏡橋とも呼ばれた。日本初の石橋とされる。
  • 上流の昌平橋が1873年(明治6年)洪水に流され、1896年(明治29年)に復旧される迄は、現在の万世橋の位置に仮木橋が架けられ、それが昌平橋と呼ばれた。即ちこの期間は、万世橋の下流に昌平橋があった。
  • 1903年(明治36年)、一時昌平橋と呼ばれた仮木橋の場所(現在の位置)に新万世橋が架け直され、元万世橋と名を変えた上流の眼鏡橋の方は、1906年(明治39年)に撤去された。新万世橋は1923年(大正12年)の関東大震災で被災し、直ちに修復された。
  • 大震災後の帝都復興事業に指定され、東京地下鉄道の渡河工事に伴う水路変更の必要もあって、一旦東側下流の木製仮橋に移転した後、1930年(昭和5年)に長さ26m、幅36m、石及びコンクリート混成の現在のアーチ橋に架け替えられた。南側より北側が広い橋詰広場や、欄干袂の機械室と船着場は、地下鉄建設時の経緯に依る。

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • 明治・大正・昭和・東京周辺一万分の一地形図集成 柏書房(1981)
  • 明治・大正・日本都市地図集成 柏書房(1986)

[編集] 外部リンク

                                        

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