粗忽長屋

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粗忽長屋(そこつながや)は、古典落語の演目の一つ。


注意:以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。免責事項もお読みください。


[編集] あらすじ

朝、浅草観音詣でにきたが、人だかりに出くわす。行き倒れ(身元不明の死人)があったのだ。遺骸を見れば(八の見たところではまぎれもなく)親友の熊公

「おい熊、起きろぉ!」と遺骸を抱き起こす八に、居合わせた人たちが「知り合いかい?」と尋ねると、落胆しきった八いわく「ええ、今朝も長屋の井戸端で会いやした。あんなに元気だったのに……こりゃ本人に引き取りに来させないと」

話を聞いた群衆が「ちょっと待て、あんたそれは間違いじゃ……」と制止するのも聞かず、八は長屋の熊の所へすっ飛んでいく。

当の熊は相変わらず長屋で元気に生存している。八から「浅草寺の通りでおまえが死んでいた」と告げられた熊、最初は笑い飛ばしていたのだが、八の真剣な説明を聞いているうち、やがて自分が死亡していたのだと考えるに至る。落胆のあまりあまり乗り気ではない熊を連れて、八は死体を引き取りに浅草寺の通りに戻る。

「死人」の熊を連れて戻ってきた八に、周囲の人達はすっかり呆れてしまう。どの様に説明しても2人の誤解は解消できないので、世話役はじめ一同頭を抱える。

熊はその死人の顔を見て、悩んだ挙句、「間違い無く自分である」と確認するのだった。「自分の死体」を腕で抱いてほろほろと涙を流す熊と見守る八。2人とも本気の愁嘆場、周囲の人々は全く制止できない。

と、そこで熊、八に問う。

「抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺はいったい誰だろう?」

[編集] 主観性

立川談志は、主観性が余りに強すぎたが為に自分自身が死亡していたか否かと言う事すらも、正しく判断できなかったのだとしている。このため、談志をはじめとする落語立川流では「主観長屋」の題で演じられる。

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