目黒のさんま
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目黒のさんま(めぐろのさんま)とは落語の噺の一つである。下魚(低級な魚)を無造作に食べると美味く、丁寧に調理すると不味くなるという滑稽噺で、落語の中では「寿限無」や「まんじゅうこわい」に並びよく知られている。古典落語として知られるが、成立時期は不明。
3代目三遊亭金馬が得意としていた演目である。
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[編集] 背景
江戸時代、目黒は将軍の鷹狩場として知られ、また近辺に徳川幕府の庇護(ひご)下にあって繁栄した目黒不動があり、参詣・鷹狩のあとに近辺の茶屋で休息することがあったという。この茶屋は彦四郎という名の百姓が開いたとされ、将軍家光が彦四郎の人柄を愛し「爺」と呼びかけたことから、爺が茶屋という名がついた。この爺が茶屋は歌川広重の「名所江戸百選」にも題材とされている。「目黒のさんま」の話はこの茶屋での出来事だといわれる。なお、同工異曲の噺に「ねぎまの殿様」というのがあり、5代目古今亭今輔が得意とした。
[編集] 主人公の「殿様」とは誰か
単に「然る御大名」とだけ描き、名前を付さない演出も多い。
2代目禽語楼小さんの設定では、「殿様」を出雲国(出雲の国なので「雲州」とも呼ばれる)、松江藩藩主・松平家(松平出羽守)の当主としている[1]。この設定を以降多くの落語家が踏襲している。何代目かは特に設定されない。噺の設定は寛永年間にとっているので、松平直政とも推察できる。
なお、林家彦六(稲荷町)は、この殿様を徳川将軍家という設定にした。それだけでなく、さんまを、江戸・日本橋で水揚げされたものとせず、徳川御三家の一つである水戸で水揚げされたものという、スケールの大きな話に仕立てている。
注意:以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。
[編集] あらすじ
ある江戸の殿様が目黒まで遠乗り(あるいは鷹狩)に出た際に、供が弁当を忘れてしまった。殿様(大抵の場合、赤井御門守)一同腹をすかせているところに嗅いだことのない旨そうな匂いが漂ってきた。殿様が何の匂いかを聞くと、供は「この匂いは下衆庶民の食べる下衆魚、さんまというものを焼く匂いです。決して殿のお口に合う物ではございません」と言う。殿様は、「たわけ! こんなときにそんなことを言っていられるか! さんまを持ってこい!」と言い、供にさんまを持ってこさせた。食べてみると非常に美味しく、殿様はさんまが大好きになった。
それからというもの、殿様はさんまを食べたいと思うようになる。ある日、殿様の親族の集会で好きなものが食べられるというので、殿様は「余はさんまを所望する」と言う。殿様がさんまなど庶民が食べるような魚を食べるわけがないから、さんまなど置いていない。急いでさんまを買ってくる。
しかし、さんまを焼くと脂が多く出るので体に悪いということで脂をすっかり抜き、骨がのどに刺さるといけないと骨を一本一本抜くと、さんまはグズグズになってしまう。こんな形では出せないので、椀の中に入れて出す。殿様はそのさんまがまずいので、「いずれで求めたさんまだ?」と聞く。「はい、日本橋魚河岸で求めてまいりました」「ううむ。それはいかん。さんまは目黒に限る」
日本橋魚河岸から取り寄せた新鮮なさんまが、家臣のいらぬ世話により醍醐味を台無しにした状態で出されたため、世俗に無知な殿様は目黒のような海から遠い場所(直線距離で4km程度、徒歩で2~3時間)で求めたさんまの方が美味いものだと思ってしまった、というくだりが落ち。
後半については、最初に目黒で食べてきた殿様ではなくその美味しさを吹聴された他の殿様達のうちの一人が、されば余も、と所望したところやはり台無しな椀物を供されたため、最初の殿様に苦情を申し立てて落ちの問答に繋がるというパターンもある。
[編集] 目黒のさんまは美味かったのか
脂や骨が抜かれたさんまは、落語の通りに美味しくない。反対に、落語の中では殿様が食べた「目黒のさんま」は前提なしに美味しいという設定となっている。その理由として、「空腹だから美味しく感じた」「運動の後だから美味しく感じた」などの解釈は誤りである。
江戸時代の社会背景を前提とすると、実際にも「目黒のさんま」は美味しく、それは「とれたてのさんま」を上回るものだと、プロの落語家間では教えられるのが普通である。さんまは塩を振って2~3時間なじませた後に焼いて食べるのが美味しい。そして、これは芝の浜(芝浜)から目黒まで徒歩で移動する時間と一致する。
江戸時代には目黒は芋の産地で背負いかごを背負った行商が盛んに行われていた。売春宿が併設されていた品川宿と並ぶ、「目黒のいも」の需要地が、大きな魚市場が当時存在していた芝である。朝早く芝まで芋を担ぎ芋を売り、その代金の一部で「芝のさんま」を買って、昼過ぎに歩いて目黒に帰るのが行商人の典型的なパターンだった。これが「目黒のような海から遠い場所」にさんまが存在していた理由である。落語家の古今亭志ん好(柳家三寿、柳家金語、三遊亭金魚、1901-1994年)が明かしている[2]。
音曲師としても活躍できる三寿は戦前、売れに売れていたが、戦争を境に隠居した。5代目古今亭志ん生に請われ50歳を過ぎて落語協会に復帰したが、以降も寄席にはほとんど出演せず、ごく限られた客の前だけで落語を演じた。寄席には落語の基礎的な知識を持つ客だけが来るわけではなく、知識のない客のために以上のような時間のかかる細かい説明を高座でするのを嫌ったからである。
[編集] さんままつり
[編集] 2つの目黒のさんままつり
この噺にちなみ、1996年から毎年9月に目黒駅付近で2つのさんままつりが開催される。目黒のさんま祭と目黒のさんま祭りである。片方は目黒区、片方は品川区で開催される。2つ開催というよりも分裂開催といってもよい。いわゆるご当地合戦で、目黒駅が品川区に属していることから発生した混乱でもある。開催日は異なり、双方とも楽しむことができる。どちらも実際に焼いたさんまが無料で振舞われる。また、無料の落語寄席なども開かれる。ここでの演目はもちろん「目黒のさんま」[3]。
さんまはその場で焼かれ、現地では臭いと煙がむんむんと充満しがちとなる。参加するときは、
- さんまが焼かれた匂いが付着しても問題の無い服装(と帽子)
- 呼吸器に自信の無い人、あるいはバーベキューやキャンプ炊飯などの煙で気分の悪くなった事のある人は、マスク、ゴーグル
の着用が望ましい。なお、焼く係は毎年ほぼ全員マスク・ゴーグル・タオルと重装備でさんまと奮闘している。
[編集] 目黒区 目黒の「さんま祭」
目黒区民まつり実行委員会主催 目黒区・目黒区教育委員会後援「目黒SUNまつり」の一環[4]
- 2007年は9月16日
- 会場:田道広場公園および区営近隣施設
- さんまは宮城県気仙沼産
- 大根おろしは宮城県産
- かぼすを使用。大分県臼杵産
- 落語「目黒のさんま」を演じる落語家:春風亭柳之助(注:2007年)
[編集] 品川区 「さんま祭り」
目黒駅前商店街振興組合青年部主催 「さんま祭り」[5]
- 2007年は9月9日
- 会場:誕生八幡神社
- さんまは岩手県宮古産
- 大根おろしは栃木県産
- すだちを使用。徳島県神山産
- 落語「目黒のさんま」を演じる落語家:三遊亭吉窓、春風亭勢朝、立川志らら、立川吉幸(2007年)
- 漫才:負古太郎・負組(2007年)
- 漫談:うつ八郎・超能力少年ダイジ(西口プロレス)(2007年)
- 丸一日、ミニFM放送を行う。落語やうつ八郎・超能力少年ダイジの漫談などを生放送する。
[編集] となりのさんままつり
目黒駅の隣、恵比寿でも開催される[6]。
恵比寿恵成商店会・となりのサンマ祭り実行委員会共催「となりの恵比寿サンマ祭り」
- 2007年は10月7日
- 会場:ビール坂
[編集] その他
- 目黒区立図書館はマークとしてさんまのイラストを採用している。図書館利用カードにもこのマークが描かれている。また館内のOPAC端末は「さんまくん」という呼称がつけられている。また、1999年に目黒区で配布された地域振興券にはさんまが描かれていた。
[編集] 脚注
- ^ 目黒区 歴史を訪ねて 目黒のさんま
- ^ 山下勝利『芸バカ列伝』
- ^ 2007年9月8日読売新聞夕刊3版15頁、All About Japan
- ^ 区役所地域振興課 webサイト(目黒のSUNまつり 公式サイト)
目黒のさんま祭気仙沼実行委員会 公式サイト - ^ 目黒のさんま祭り 公式サイト
目黒のさんま祭り 応援サイト - ^ となりの恵比寿サンマ祭り 2007

