日本橋人形町

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日本橋人形町(にほんばしにんぎょうちょう)は、東京都中央区地名で、旧日本橋区地域内である。

郵便番号 103-0013

目次

概要 [編集]

オフィス・飲食店・住居が混在する街並みで、街路は狭く一方通行道路が多い。飲食店が連なる甘酒横丁という通りが有名。また、老舗店舗が多い。

毎年8月に人形町通りで行われる「せともの市」は、夏の恒例行事となっている。

地名の由来 [編集]

江戸時代、堺町と葺屋町が現在の日本橋人形町三丁目の人形町通り西側にあり、歌舞伎小屋の中村座市村座があった。また、薩摩浄瑠璃(薩摩座)や人形芝居(結城座)も行われていた。一般には人形遣いが多く住んでいたから人形町と名付けられたとされている。江戸時代においては、人形町は通りの名で大坂町、島町、住吉町、和泉町、堺町、芳町がこの通りに面していたが、1933年昭和8年)に正式にこれらの町名が「人形町」という町名に変更された。

地理 [編集]

日本橋地域のほぼ中央に位置する。

歴史 [編集]

  • 江戸時代初期には、遊郭で有名な吉原(元吉原)が人形町通り東側の辺りにあった。「大門通り」はその名残である。1657年明暦3年)1月の明暦の大火(振り袖火事)で辺り一帯が焼失した事を機会に、幕府の命で遊郭は浅草寺裏の日本堤付近に移転した(新吉原)。
  • 堺町と葺屋町にあった芝居小屋は、1841年天保12年)12月の火災の後、天保の改革の一環で浅草猿若町(現・台東区浅草6丁目)に移転した。
  • 1951年昭和26年)に東京初のアーケードが完成(現存せず)。
  • 昭和末期頃までは和陶器が集まっていた。 夏の「せともの祭り」はその名残。
  • 下記5町がひとつになり、現・日本橋人形町が成立した。

旧町名 [編集]

  • 日本橋人形町(旧)
  • 日本橋芳町
  • 日本橋蛎殻町(旧・一部)
  • 日本橋小網町(一部)
  • 日本橋浪花町(一部)

地域 [編集]

施設
  • 中央区立日本橋図書館
教育
所轄の警察署・消防署
企業

観光 [編集]

勧進帳の弁慶像 (浜町緑道)
店舗
  • 玄冶店 濱田家 本店 - ミシュランガイド東京版での初三つ星8店のひとつに選ばれ、料亭としては初の三つ星店となる。
  • 玉ひで - 親子丼を考案した店として名高い。週末のランチタイムの長い行列が名物。甘酒横丁交差点そば。
  • 人形町今半 本店 - (事業所本部:日本橋蛎殻町)すき焼き、しゃぶしゃぶ。精肉店、惣菜店も併設。甘酒横丁近く。
  • 柳屋 - たいやき発祥の店。東京「たいやき御三家」のひとつ。味がよく、毎日行列ができる人気の店。一尾ずつ焼き上げる、いわゆる天然物であるため、手間がかかり行列が長くなる模様。甘酒横丁沿い。
  • 日本橋日山 - すき焼き。精肉店も併設。人形町通り沿い。
  • 人形町 松浪 - お好焼・鉄板焼。昭和の民家風の佇まいのお店。「松浪焼き」「芳町焼き」などの人気が高い。人形町二丁目。
  • 魚久 - 京粕漬け。売店だが、イートインも可能。「切り落とし」は毎朝行列ができ、開店と同時に売り切れるほど人気が高い。人形町通り沿い。 
  • 双葉 - 豆腐屋。湯葉、豆乳もおいしい。二階には直営の飲食店があり、同店の豆腐を用いた料理を食べることもできる。一階では、甘酒の販売も行なっている。甘酒横丁沿い。
  • 芳味亭 - 洋食。「ビーフスチュー(シチュー)」が有名。人形町二丁目。
  • 喜寿司 - 江戸前寿司。人形町二丁目。(正確には、店名の「喜」は七が三つ並んだ字(㐂:Unicode:U+3402))
  • 壽堂(ことぶきどう) - 和菓子。「黄金芋(こがねいも)」が有名。人形町通り沿い。水天宮そば。
  • BROZERS' (ブラザーズ)- ハンバーガ。味のよい店として人気がある。ここも長い行列ができる。人形町二丁目。
  • うぶけや - 200年以上続く老舗の刃物店。人形町交差点そば
  • 岩井つづら店 - 国内に3店しかない葛籠(つづら)の専門店。甘酒横丁沿い。
  • ばち英 - 三味線店。甘酒横丁沿い。

交通 [編集]

鉄道
バス
道路

日本橋人形町を舞台とした作品 [編集]

出身人物 ゆかりのある人物 [編集]

料亭「濱田家」の二代目。明治座の元会長。

外部リンク [編集]