SIAM SHADE
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| SIAM SHADE | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出身地 | 日本 |
| ジャンル | ロック ハードロック ヘヴィ・メタル プログレッシブ・メタル |
| 活動期間 | 1991年~1993年 (ataru) 1993年~2002年 (SIAM SHADE) |
| レーベル | LEAF Mt. (1994年) ソニーレコード (1995年~2002年) |
| 事務所 | アミューズ |
| 影響 | Van Halen、Dream Theater、Rush、LUNA SEA、聖飢魔II |
| メンバー | |
| 栄喜(ボーカル) (1991年~2002年) KAZUMA(ボーカル、ギター) (1992年~2002年) DAITA(ギター) (1993年~2002年) NATIN(ベースギター) (1991年~2002年) 淳士(ドラム) (1994年~2002年) |
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SIAM SHADE(シャムシェイド)は、かつて存在した日本のロックバンドである。
目次 |
[編集] メンバー
[編集] 元メンバー
- ATARU(アタル:ギター ※前身バンド、アタールのリーダー)
- A(EI)(エイ:ドラム)
[編集] 来歴
- 1991年3月 「女の子にもてたい!」と思った栄喜が友人のNATINを誘ってSIAM SHADEの母体となるバンド「POWER」を結成。
- 1991年 その後、ホットウェーブのコンテストに参加してみごと優勝。演奏曲は「リアライズ・マイ・ドリーム」。ちなみに準優勝したのが「FIFTY50/FIFTY50」という当時KAZUMAがいたバンド(KAZUMAとはコンテストの直前に栄喜とNATINが運命的に会場近辺のパチンコ屋で出会う)。POWERの他のメンバーがやめてしまったので昔から友達だったDAITAを誘ってみるが「音楽が合わない」とすぐに脱退。その後、知り合った「あたる」と新バンド「ataru」を結成。
- 1992年 「FIFTY50/FIFTY50」が解散して「LOVE JETS」というバンドでボーカルをしていたKAZUMAを栄喜が「俺はもうすぐ辞めるから」と言ってメンバーに入れる。結局、栄喜は辞めなかったのでツインボーカルになる。その後DrにEIが加入する。
- 1993年 パチンコでもうけた100万円近くを使って4曲入りデモテープを制作し無料配布する。これと同時にバンド名を「SIAM SHADE」に改名する。意味は「密接する影」。7月、「やっぱりギターはDAITAしかいない」という話になり、行方のわからなかったDAITAを探し出してバンドに入ってもらう。当時はかなりのビジュアル系だったのでDAITAは髪が伸びるまでカツラをかぶってライブに出ていた。
- 1994年 5月に淳士加入。12月、1stアルバムSIAM SHADEがオリコンインディーズチャートで初登場2位を記録。
- 1995年 8月の渋谷公会堂のワンマンライブでの前半のコント内で高木ブーと共演。
- 1995年10月、1stシングル『Rain』でメジャーデビュー。
- 1997年 6thシングルの『1/3の純情な感情』が「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」のエンディングテーマとなり大ブレイクを果たす。
- 2000年 1月1日、横浜アリーナにおいて元旦ライブを行う
- 2000年 8月29日にインディーズ時代からよく行っていた男子限定ライブ「男樹」を渋谷ON-AIR EAST(現在のShibuya O-East)にて行う。なお、前日にも大阪で同様のライブを行っている。
- 2001年 12月28日に念願であった日本武道館で初ライブ。
- 2002年 年頭に解散を発表。
- 2002年 3月10日、再び日本武道館のステージに立ちラストライブを行う。この日をもって解散。
- 2007年 11月18日 一夜限りの再結成。(彼らの元チーフマネージャーである中村新一が逝去した為、追悼の意味を込めて一夜限りの武道館LIVEを決行。)動員数約1万3500人。
[編集] 概要
- バンド名は「密接した陰」という意味の英語に由来する。
- リーダーはNATINである。理由は、インディーズ時代ほかのメンバーが金が無くて電話を止められていたのに対し、NATINだけは実家にいたため、連絡先として重要な役割を果たしていたから。
- 初期は「ロック界のザ・ドリフターズ」を自称するほどコメディに走っており、ツアーごとにショートコントムービーを作っていた。(ビデオ「SIAM SHADE」に、その一部が見られる)また、エンドロール後に「TIME'S」のパロディ版が収録されている)なお、所属していた事務所・アミューズの俳優陣がゲスト出演しており、後にNATINと結婚する伊藤かずえも出演している。
- メンバー全員がLUNA SEAを尊敬していたり、インディーズ時代に町田PLAY HOUSEを拠点としていた為、LUNA SEAの弟分バンドでもある。特に、栄喜は元LUNA SEAのボーカル河村隆一を尊敬している。また、淳士は元LUNA SEAのドラマー真矢に憧れてドラムを始め、一時期LUNA SEAのローディーをしていた為に、師弟関係でもある。LUNA SEAの2ndアルバム「IMAGE」のスタッフの中に、ローディーとして、淳士の名前がある。ただし、スペルは"JYUNZI"と表記されている。LUNA SEAのインディーズ時代のライブビデオ「IMAGE OR REAL」に真矢のアップになると淳士の頭が映る。
- 1994年頃当時LUNA SEAのRYUICHI(現・河村隆一)がDJを務めていた『ミッドナイト・ロック・シティ』(※FM NACK5でオンエアされていたラジオ番組。月~金曜日25時~27時でLUNA SEAは木曜日担当。後SIAM SHADEも火曜日担当になるが、後述の栄喜脱退騒動もあって半年で降りている。)の『インディーズ・ナイト』というコーナーに呼ばれ、デモテープの曲をかけてもらって以降、口コミで一気にライブでの動員数が増えた
- メンバー全員が格闘技好き、さらには全員何らかのスポーツを好んでいた事からライブでのMCやライブのノリはスポコン調であった。
- ボーカルの栄喜の先輩に吉田秀彦がおり、その縁もありバンドは何かと世話になっていた。殆どのアルバムの[special thanks]のところに彼の名前が載っている。ちなみに解散後、彼の紹介でJ-ROCKの社長を紹介してもらいACIDやソロ活動をしている。
- 広島のライブハウスでライブをしたときに観客の重みで床が抜けたことがあり、後に弦楽隊3人が雑誌「バンドやろうぜ」で「バンドでのエピソードは?」と聞かれたときに3人そろってその事件を答えていた。結局そのときは棟梁が来るのを待ってライブを再開したようである。
- 1997年4月、栄喜は一度脱退を宣言し、一時工事現場で働いていたことがある。そのときは、工事現場の同僚にSIAM SHADEのファンがいて、その人の説得によりすぐに復帰している。
- 後の韓流ブームよりずっと前の2000年に、当時日本人の大規模公演が解禁されたばかりの韓国で行われた釜山ロックフェスティバルに日本のロックバンドとして初めて参加するなど韓国のメディアからも注目を集めた。
- あまり知られてはいないが、ツインボーカルのバンドである。本来、別のバンドに移籍するはずだった栄喜が、後釜としてKAZUMAを紹介したのだが、栄喜がそのまま居座ったため、この形になった。(KAZUMAを引き込む為に「自分は移籍するから後は頼む」と言っただけで、そもそも移籍する気はなかったともいう。)
- 栄喜は、1996年まではCHACKと名乗っていた。由来は、先輩から「好きなミュージシャンは誰だ?」と聞かれ、「セバスチャン・バック(元スキッド・ロウ)です」と答えたら、「お前はこれからイマスチャン・チャックだ」と言われたことから来ている。
- 故人中村新一(元チーフマネージャー)追悼の意を込め、2007年11月18日、日本武道館にて一夜限りの再結成ライブを行なった。なお、翌19日は中村氏の誕生日であり、存命であれば50歳であった。ライブ終了後メンバー+極少数のスタッフで中村への追悼の意をこめた打ち上げを行った。
[編集] 音楽的特徴
非常に高度な演奏力で知られ、他のロック・バンドではあまり見る事のない変拍子を多用する等のプログレッシヴな方向性であった。この事も手伝い、当時は特にバンドマンに人気があり、若い高校生や学生のバンドマンに多く楽曲をコピーされていた。楽曲自体の演奏難易度が非常に高い為、当時は演奏技術の指針の一つとしてSIAM SHADEの曲をどれだけ正確にコピー出来るか等を競っていた高校生や学生も多い。その為か、当時流行していた多くのヴィジュアル系バンドよりも平均的に男性のファンが多かった。また、バンド側も男性限定ライブ等、男性ファンを意識した活動、楽曲方向を考慮していた部分も多い。 初期には当時起こりつつあったヴィジュアル系ブームに乗る形で活動しており、ヴィジュアル系として見られていた部分も多く、本人たちもそれを利用していた。しかし、メジャーデビューの頃にはそういった格好はしなくなった。
プログレッシヴな方向性としては本人たちが言及している通り、Dream Theater、Rushからの影響が非常に大きい。 また、DAITAが「(80年代、90年代初頭)当時は、聖飢魔IIくらいしか変拍子とかそういったプログレッシヴな演奏をメジャーシ-ンでしているバンドはいなかった」と語っているように、聖飢魔IIからの影響もある程度は受けているようである。これに対し、聖飢魔IIのギタリストSgt.ルーク篁III世は「俺が今すごく共感出来る若いバンドってSIAM SHADEくらいなんだよね」「すごくハードロックなんだけどキャッチーで聴きやすくて、いわゆる外人崇拝じゃない」と評価している。
プログレッシヴな変拍子や細かい技巧を駆使した複雑な演奏と、当時としては氷河期と呼べるほど下火になっていたハードロック/ヘヴィメタルといった音楽性を考慮すると、通常は一般層には支持されず飽くまで技巧派・実力派のマニアックなバンドで終わってしまう可能性が非常に高かったが、それでありながら一般層にまで支持されたのには、栄喜の柔らかく延びの良いハイトーンや、前述のルーク篁が語るように、メロディラインが非常にキャッチーで聴きやすかったこと等が挙げられる。キャッチーでポップな分かりやすい進行やリフ等はVAN HALENからの影響も強い。
また、一般層や若いバンドマンだけでなく、ハードロック/ヘヴィメタル氷河期の中にあってこの音楽性を貫き通した事や演奏技術から、旧来の実力派ハードロック支持層からも高評価を得る事に成功していた。
楽曲方向性は二面性が知られている。他のバンドによくある「静と動」の二面性とは異なり、両面ともハードロック/ヘヴィメタル/プログレッシヴ・メタルの演奏様式、サウンドスタイルが基本ではあったが、ポップ面と過激面という点で大きく異なっていた。シングル曲にはキャッチーなナンバーが多く選ばれ、シングル・カップリング曲やアルバム内にはメタリカやパンテラを彷彿とさせる程の過激なナンバーも多く収録されており、熱烈なファンではない者がこういった過激な面を知ると驚く事が多い。
ファン以外には知られている事が少ない事実ではあるが、歌のパートは栄喜とKAZUMAのツイン・ボーカルである事もSIAM SHADEの他のバンドとは違う大きな特徴の一つである。純粋なデュエットやメインとハーモニーの別の他、パートごとにメインが入れ替わる、一単語ずつ交代に歌う、果ては一文字分ずつ交代で歌いトータルで一つの歌詞を構成するなど、演奏だけでなく歌のパートまでもが非常に複雑な技術をこらしていた。
[編集] DISCOGRAPHY
[編集] インディーズ
[編集] デモテープ
- FORYOU
- DOLL
- END OF LOVE
- SIAM SHADE (1993年5月1日) (限定500本無料配布)
[編集] シングル
- DOLL (1993年12月19日)(初ワンマンLive無料配布CD)
[編集] アルバム
- SIAM SHADE (1994年12月10日)
[編集] オムニバスアルバム
- EMERGENCY EXPRESS 1994 (1994.02.01)9曲目『END OF LOVE』で参加。
1曲目には当時淳士がいたバンドの曲が収録。
[編集] オムニバスビデオ
- AREAII (1993年)(『END OF LOVE』収録)
- AREAIV (1993年)(『時の川の中で』収録)
[編集] メジャー
[編集] シングル
- RAIN (1995年10月21日)
- TIME'S (1996年2月1日)
- Why not? (1997年2月12日)
- RISK(1997年5月21日)
- PASSION (1997年7月30日)
- 1/3の純情な感情 (1997年11月27日)
- グレイシャルLOVE (1998年5月13日)
- Dreams (1998年8月5日)
- NEVER END (1998年10月28日)
- 曇りのち晴れ (1999年2月24日)
- BLACK (1999年9月15日)
- 1999 (1999年9月29日)
- せつなさよりも遠くへ (2000年4月19日)
- Life (2001年4月11日)
- アドレナリン(2001年9月27日)
- LOVE (2001年11月28日)
- 「RAIN」~「曇りのち晴れ」は、2007年11月14日に12cm化として再発。
[編集] 配布・企画シングル
- A HAPPY NEW YEAR 1995 SPECIAL CD like a EDISON (1995年配布)(リズムにのせて今年の抱負を語る)
- SIAM SHADE IV DRAMATIC TIGER (1998.02.08)(リズムにのせて今年の抱負を語る)
- LOVESICK ~You Don't Know~(Unplugged Version)」(1998年)(「SIAM SHADE V」の購入応募特典で配布)
- KICK UP THE DUST II 5th Anniversary Message (2000年)(Live Tour 2000 KICK UP THE DUST IIで配布)
[編集] オリジナル・アルバム
VIIIとIXはベスト版であり、VII はボーカルを差し替えたミニアルバムなのでオリジナルアルバムとしてはⅥが最後になる。
- SIAM SHADE II (1995年11月11日)
- SIAM SHADE III (1996年10月2日)
- SIAM SHADE IV・Zero (1998年1月21日)
- SIAM SHADE V (1998年12月2日)
- SIAM SHADE VI (2000年7月26日)
[編集] ベストアルバム・企画アルバム
- SIAM SHADE VII (2001年11月29日) 全英語詞mini Album
収録曲にさらに3rd~5thまでのインストゥルメンタルの収録曲を加えた形で当時日本語詞の禁止されていた韓国でも発売された - SIAM SHADE VIII B-side Collection (2002年1月30日) c/w集
- SIAM SHADE IX A-side Collection (2002年3月6日) Single集
- SIAM SHADE X The Perfect Collection (2002年11月27日) 10枚組BOX限定盤
- SIAM SHADE XI COMPLETE BEST 〜HEART OF ROCK〜 (2007年9月26日)
[編集] オムニバスアルバム
- hide TRIBUTE SPIRITS (1999.05.01)5曲目『ピンクスパイダー』で参加
[編集] ビデオ
- SIAM SHADE (1997年3月1日)
- SIAM SHADE V2 Clips '95 - '97 (1998年3月1日)
- SIAM SHADE V3 (1999年3月20日)
- SIAM SHADE V4 Tour 1999 MONKEY SCIENCE FINAL YOYOGI (1999年8月30日)
- SIAM SHADE V5 (2000年9月6日)
- SIAM SHADE V6 LIVE 男樹 (2000年12月31日)
- SIAM SHADE V7 Live in 武道館 LEGENE of SANCTUARY (2002年3月27日)
- SIAM SHADE V8 START & STAND UP LIVE in 武道館 2002.03.10 (2002年5月29日)
- SIAM SHADE V9 The Perfect clip (2003年1月8日)
[編集] DVD
- SIAM SHADE V4 Tour 1999 MONKEY SCIENCE FINAL YOYOGI (1999年9月22日)
- SIAM SHADE V5 (2000年9月6日)
- SIAM SHADE (2000年12月6日)
- SIAM SHADE V2 clip '95 - '97 (2000年12月6日)
- SIAM SHADE V3 (2000年12月6日)
- SIAM SHADE V6 LIVE 男樹 (2000年12月31日)
- SIAM SHADE V7 Live in 武道館 LEGEND of SANCTUARY (2002年3月27日)
- SIAM SHADE V8 START & STAND UP Live in 武道館 2002.03.10 (2002年5月29日)
- SIAM SHADE V9 The Perfect Clips (2003年1月8日)
[編集] 未発表曲
- ガラスの華のように
- DRAMATIC TIGER
- 出だしが4thアルバム「SIAM SHADE IV・ZERO」に収録されている「誰かの気持ちを考えたことがありますか?」の前奏が使われている。内容はメンバーのノリだけで今年の抱負を語っているというもの。1998年頃に制作された。
- I.B.O.
- L.A.P.E.MAN
- Don't Tell Lies(日本語Version)
- インディーズ頃に某ライブで発表された。内容は、この時までの総理大臣のことを言っているが、「嘘つき」などそれぞれを侮辱している内容である。メジャーでは、一度も披露されていない。
- DARK DULL CITY

