久我美子
| くが よしこ 久我 美子 |
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『醉いどれ天使』での久我美子 |
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| 本名 | 小野田 美子 (おのだ はるこ) 久我 美子(旧姓) (こが はるこ) |
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| 生年月日 | 1931年1月21日(82歳) | ||||||||||
| 出生地 | (現:東京都新宿区) |
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| 国籍 | |||||||||||
| 民族 | 日本人 | ||||||||||
| 職業 | 女優 | ||||||||||
| ジャンル | 映画、テレビドラマ | ||||||||||
| 活動期間 | 1946年 - | ||||||||||
| 配偶者 | 平田昭彦(俳優) (1961年 - 1984年) |
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| 主な作品 | |||||||||||
| 映画 『醉いどれ天使』(1948年 黒澤明) 『また逢う日まで』(1950年 今井正) 『白痴』(1951年 黒澤明) 『あの手この手』(1952年 市川崑) 『にごりえ』(1953年 今井正) 『あにいもうと』(1953年 成瀬巳喜男) 『噂の女』(1954年 溝口健二) 『女の園』(1954年 木下惠介) 『彼岸花』(1958年 小津安二郎) 『青春残酷物語』(1960年 大島渚) 『119』(1994年 竹中直人) |
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久我 美子(くが よしこ、1931年1月21日 - )は、日本の女優。旧姓:久我 美子(こが はるこ)、本名:小野田 美子(おのだ はるこ)。所属芸能事務所はワタナベエンターテインメント。久我家(こがけ)は村上天皇まで遡る村上源氏の流れを汲む華族の家柄。身長153cm[1]。
目次 |
経歴 [編集]
東京市牛込に生まれる。1946年、 学習院女子中等科在学中、東宝第一期ニューフェイスに合格。同期に三船敏郎、堀雄二、伊豆肇、若山セツ子、堺左千夫らがいる。1947年、学習院を中退し、『四つの恋の物語』で映画デビューを果たす。
1950年、今井正監督の『また逢う日まで』での岡田英次との窓硝子ごしの接吻が話題となった(日本の映画界では1960年代のはじめ頃まで接吻のクロースアップはタブーだった)。
1954年、岸恵子、有馬稲子とともに文芸プロダクションにんじんくらぶを結成した。
1961年、俳優と結婚する気はなかったが、平田昭彦からの猛烈な求愛の末に結婚した。
1969年より約1年間、『3時のあなた』(フジテレビ)の司会を務めるなど、1970年代以降はテレビ・舞台を中心に活躍する。
2004年、義姉にあたる女優・三ツ矢歌子(久我の方が年上)死去の時に、久々に公の場に姿を見せた。
人物 [編集]
撮影所では本名の「はるこちゃん」と呼ばれた。稲垣浩は礼儀正しい久我のファンで、『柳生武芸帳 』(東宝、昭和32年)で竜造寺の姫君役で起用したのは、いつか折を見て『風林火山』映画化が実現した際に「由布姫」役にと考えていたからだったという。結局映画化は10年後(昭和44年)になり、稲垣は「私の夢は果たせなかった」と悔やんでいる。
また稲垣は久我について、「日本が戦争に負けたおかげで、侯爵の姫君が女優となったのだが、もし戦争に勝っていれば美子さんは尼寺の人となっていたかもしれない、そう思うと敗戦は久我家にとって幸福とは言えなかっただろうが、美子さんにとっては自由に生きる道がひらかれたと言っていいのかもしれない」とし、黒澤映画での「はる子ちゃん」は、「まる顔で、はつらつとしていた」、「太い眉毛、八重歯、特徴のある声帯、どれもこれもそれまでの映画女優になかった新鮮さがあった」と評している。
稲垣はロケ先で久我とマージャンをしてよく負けたが、久我に「先生、お願い、上らせて」と言われると「魔術にかかったように彼女に振り込んでしまった」という。「少しも口惜しいと思わなかった、たぶん、(久我に)いかれていたのだろう」と語っている。稲垣は藤本真澄の頼みで、久我と平田昭彦の結婚媒酌人を務めている。両者の馴れ初めは、稲垣の『大坂城物語』(東宝、昭和36年)での共演からで、それから半年ものあいだ、映画界にも週刊誌にも気づかれなかった二人の巧妙な恋愛は、さすが東大出身と元侯爵令嬢だけあると噂されたという[2]。
若き日より家柄・容姿のみならず、演技面も芯の通った内面と気品が見るものにも伝わる確かな実力があった。日本映画史を代表する数々の名監督達も、こぞって彼女を起用した(下記参照)。平田との結婚後も、そして死別後も、長年にわたって女優活動を続けたが、近年はほとんど活動休止状態となっている。
なお彼女が公家育ちの名家の出身ながら芸能界を志した理由は、祖父の常通が当主だった大正時代から続く久我家の経済状態の悪化を打開するためであった。当時の久我家は、世間知らずの祖父や父親が、高利貸しに金を借りて慣れぬ事業に手を出して失敗し家屋敷を押さえられた上に、さらにその窮状に付け込まれ、ある詐欺事件の首謀者の濡れ衣を一時着せられて新聞沙汰になったこともあるほど経済的に追い詰められており、この事件以降も生活は相変わらず苦しいままであった。
美子の東宝ニューフェイスへの応募は、上記の家庭状況に加え、戦後の華族制度廃止でますます実家の生活が悪化することを憂慮し、家計を助けるため職につきたいという一心からのものであったが、実家からは「体面を汚す」と猛反対された。結局美子が「久我(こが)」姓を名乗らないことと、住所を親類宅に移すことという条件で芸能活動を許された。漢字は同じでも本名「こが はるこ」が芸名「くが よしこ」と異なるのはこのためである。
家族・親族 [編集]
久我家 [編集]
- (東京都)
- 久我家は、村上天皇の皇子具平親王の子源師房を祖とする平安朝の前期(10世紀)から続く公家の名門である[3]。師房は当時の朝廷が藤原氏一色だった時代に、他の姓にもかかわらずに、右大臣、太政大臣になった人物である[3]。
- なお、公家の家格には、第一等の「摂家」から、順に「清華家」、「大臣家」、「羽林家」、「名家」などがあり、久我家は、第二等に位する「清華家」の家格が与えられており、「清華家」の九家の中で筆頭に上げられている[3]。
- 祖父・常通[4](侯爵、貴族院議員)
- 母・与志江[4]
- 与志江の実家は日本橋でべっ甲問屋を営んでいた「篠崎商店」[5]。セルロイドを扱ってかなり大きな商売をしていた商店である[5]。通顕と結婚する時のことについて与志江によれば「当時は実家が平民、嫁ぎ先が華族さまというんで、宮内庁がずいぶん調べたそうです[5]。何でも親族を七代前まで調査するんだとかいわれて平民同士の結婚のように簡単にいかなかったようですよ[6]。わがままいっぱいに育って『お嫁にはいかないっ』ていってたんですが、そこに華族さまからのお話があったんです[6]。祖母が『末代までの誉れです』とすっかり感激して私に頼み込んだものです[6]」という。
- 夫・昭彦(俳優)
- 子どもはない
- 叔父・夏目通利(評論家)
主な出演 [編集]
映画 [編集]
太字の題名はキネマ旬報ベストテンにランクインした作品
- 四つの恋の物語(1947年、豊田四郎監督 / オムニバス映画、第一話「初恋」に出演)
- 醉いどれ天使(1948年、黒澤明監督)
- また逢う日まで(1950年、今井正監督)
- 雪夫人絵図(1950年、溝口健二監督)
- 白痴(1951年、黒澤明監督)
- 長崎の歌は忘れじ(1952年、田坂具隆監督)
- あの手この手(1952年、市川崑監督)
- 戦艦大和(1953年、阿部豊監督
- あにいもうと(1953年、成瀬巳喜男監督)
- にごりえ(1953年、今井正監督、樋口一葉原作)
- 風立ちぬ(1954年、島耕二監督、堀辰雄原作)
- 女の園(1954年、木下惠介監督)
- 噂の女(1954年、溝口健二監督)
- この広い空のどこかに(1954年、小林正樹監督)
- 愛すればこそ(1955年、山本薩夫監督 / 第三話「愛すればこそ」に出演)
- 新・平家物語(1955年、溝口健二監督)
- 太陽とバラ(第14回米国ゴールデングローブ賞 外国語映画賞受賞作品 / 1956年、木下惠介監督)
- 黄色いからす(第15回米国ゴールデングローブ賞 外国語映画賞受賞作品 / 1957年)
- 柳生武芸帳 東宝 夕姫1957.04.14
- 挽歌(1957年、五所平之助監督、原田康子原作)
- 柳生武芸帳 双龍秘剣 東宝 夕姫(竜造寺の遺児多三郎の妻)1958.01.03
- 女であること(1958年、川島雄三監督、川端康成原作)
- 季節風の彼方に(1958年、高倉健共演)
- 彼岸花 (en) (1958年、小津安二郎監督)
- 風花(1959年、木下惠介監督)
- お早よう (en) (1959年、小津安二郎監督)
- 青春残酷物語(1960年、大島渚監督)
- 大坂城物語(1961年、稲垣浩監督、村上元三原作) - 小笛 役
- ゼロの焦点(1961年、野村芳太郎監督、松本清張原作)
- 士魂魔道 大龍巻 宝塚映画 1964.01.13
- 風林火山(1969年、井上靖原作)
- ゴジラvsビオランテ(1989年)
- 亡き夫・平田昭彦の遺志を受け継いで、当時の史上初の女性官房長官である森山官房長官の話題とシンクロして、女性官房長官役での出演が話題となる。
- 226(1989年)
- 無能の人 (ヴェネツィア国際映画祭国際批評家連盟賞受賞作品 / 1991年、竹中直人監督)
- 空がこんなに青いわけがない(1993年、柄本明監督)
- 119(1994年、竹中直人監督)
- 東京日和(1997年、竹中直人監督)
- 時をかける少女(1997年、角川春樹監督)
- 川の流れのように(2001年、秋元康監督 / 共演:森光子、滝沢秀明)
テレビドラマ [編集]
- 図々しい奴(1963年、TBS)
- 喜びも悲しみも幾歳月(1965年、TBS)
- ザ・ガードマン 第63話「女ひとり」(1966年、TBS) - ※DVD発売
- 連続テレビ小説「旅路」(1967年 - 1968年、NHK)
- 泣いてたまるか(1967年、TBS)
- 冬の旅(1970年、TBS)
- 大河ドラマ「新・平家物語」(1972年、NHK) - 待賢門院 役
- それぞれの秋(1973年、TBS)
- 大河ドラマ「勝海舟」(1974年、NHK)
- 華麗なる一族(1974年 - 1975年、山崎豊子原作、毎日放送) - 万俵寧子 役
- 放浪家族(1975年、毎日放送) - 堀田佳子 役
- 男たちの旅路 (1976年、NHK)
- 火の路 (1976年、NHK)
- だいこんの花 第5部(1977年、テレビ朝日)
- 無邪気な関係(1984年、TBS)
- 火曜サスペンス劇場「刑事の愛した女」(1984年、日本テレビ)
- 月曜ドラマランド「はいからさんが通る」(1985年、フジテレビ)
- 木曜ゴールデンドラマ「先生助けて! 殺意の教室」(1985年、読売テレビ)
- 大河ドラマ「いのち」(1986年、NHK)
- 木曜ゴールデンドラマ「空の色紙」(1986年、読売テレビ)
- 月曜ワイド劇場「気になる隣の新家族」(1986年、テレビ朝日)
- 木曜ゴールデンドラマ「ガラスの中の幸福」(1986年、読売テレビ)
- 連続テレビ小説「都の風」(1986年 - 1987年、NHK)
- 火曜サスペンス劇場「花嫁は眠れない」(1987年、日本テレビ)
- 長七郎江戸日記 第2シリーズ スペシャル「千姫有情、母ありき」(1988年1月5日放送、日本テレビ / ユニオン映画)- 天樹院
- プロゴルファー祈子(1988年、フジテレビ) - 野上静子 役
- 男と女のミステリー「三姉妹は電話がお好き!」(1988年、フジテレビ)
- スクールガール・セレナーデ 桂華學女小夜曲(1988年、日本テレビ)
- 五稜郭(1988年、日本テレビ)
- 妻そして女シリーズ「新・三婆」(1989年、毎日放送) - 主演
- 空と海をこえて(1989年、TBS)
- 木曜ゴールデンドラマ「縁談」(1989年、読売テレビ)
- 課長サンの厄年(1993年、TBS)
- 火曜サスペンス劇場「夜の事情」(1994年、日本テレビ)
- 妊娠ですよ(1994年、関西テレビ)
- うちの母ですが…(1995年、テレビ朝日)
- ドラマ新銀河「ようこそ青春金物店」(1996年、NHK)
- 天涯の花(1999年、NHK)
バラエティー番組 [編集]
- 3時のあなた(フジテレビ) - 司会(1969年10月 - 1970年9月)
他多数
関連書籍 [編集]
- 『水野晴郎と銀幕の花々』(近代文芸社。水野による久我を含む女優達のインタビュー集)
- 『君美わしく 戦後日本映画女優讃』(川本三郎著。文藝春秋。川本による久我を含む女優達のインタビュー集)
- 『小津安二郎新発見 松竹編』(講談社) ISBN 4-06-206681-5
- 『明治・大正・昭和 華族事件簿』(千田稔著。新人物往来社)
脚注 [編集]
外部リンク [編集]
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