雪夫人絵図

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

雪夫人絵図』(ゆきふじんえず)は、舟橋聖一の小説。およびこれを原作とする映画。

小説は『小説新潮』に1948年1月号から1950年2月号まで連載され、単行本は新潮社から刊行された[1]。のち文庫化もされる。

1950年1968年に2度映画化された。

映画[編集]

1950年版[編集]

雪夫人絵図
木暮実千代(左)と山村聡(右)
監督 溝口健二
脚本 依田義賢
舟橋和郎
原作 舟橋聖一
製作 滝村和男
出演者 木暮実千代
久我美子
上原謙
柳永二郎
加藤春哉
浜田百合子
浦辺粂子
夏川静江
山村聡
音楽 早坂文雄
撮影 小原譲治
編集 後藤敏男
製作会社 新東宝
瀧村プロ
配給 新東宝
公開 日本の旗 1950年10月21日
上映時間 88分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
テンプレートを表示

1950年10月21日公開。新東宝・瀧村プロ製作、新東宝配給。

溝口健二監督作品。主演は木暮実千代上原謙

DVD紀伊國屋書店よりハイビジョン・デジタルニューマスター版が2006年8月に発売され、特典として短篇『朝日は輝く』を同時収録している。

出演者[編集]

1968年版[編集]

雪夫人繪圖
監督 成澤昌茂
脚本 成澤昌茂
原作 舟橋聖一
出演者 佐久間良子
山形勲
丹波哲郎
荒木道子
谷隼人
浜木綿子
菅井一郎
浦辺粂子
音楽 渡辺岳夫
撮影 成島東一郎
編集 長沢嘉樹
製作会社 東映東京
配給 日活
公開 日本の旗 1975年4月1日
上映時間 90分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
テンプレートを表示

1968年成沢昌茂監督、主演佐久間良子リメイク[2]東映東京撮影所で製作されたがお蔵入りとなり[3][4][5]、7年後の1975年日活が東映から買い取って公開した[6][7]。タイトルは旧字体を含む『雪夫人繪圖』であるが、1950年版も本来は『雪夫人繪圖』と見られる[8]

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

製作と興行[編集]

1968年1月、女優を美しく撮ることできこえた松竹カメラマン成島東一郎が初めて東映に招かれた[9]。成島は使用するフィルムや、現像のこと、衣装など熱意を込めて語り、東映東京撮影所のスタッフルームは新春にふさわしく優雅な気分に包まれた[9]。成島のチーフ助手だったのが阪本善尚で、同じチーフ助監督だった内藤誠と仲良くなり、1982年内藤監督の『俗物図鑑』でカメラを担当している[9]

1968年1月30日クランクイン[9]、2月雪の野尻湖ロケ[9]3月11日ダビング終了[9]

当時、東映製作のほとんどの映画の題名を変更なしも含め、命名していた岡田茂プロデューサー[10]、さすがに舟橋聖一相手では題名を変えることはできず[11]、原題のまま公開を予定していた[4]

1968年2月の報道では1968年4月11日から石井輝男監督の『続・決着』との併映予定もあったが[12]、テンポが遅いなど、ヤクザとエロ全盛の東映調でないと判断され、封切り日が決まらず[4][13][注 1]、そのままお蔵入りとなった[5]。東映でやらないなら譲ってもらえないかと松竹から申し入れがあったが[14]、佐久間の主演映画を他社には譲れないと断っていた[14]。その後佐久間が東映を退社したため[14]、7年後の1975年日活に売り、日活が『襟裳岬』との二本立てで一般映画枠で公開した[6][7][13]。1970年代に入り、東映が洋画配給(東映洋画)に乗り出し、興行で松竹、東急レクリエーションとSTチェーンを組むようになり、松竹との関係が密になっていたため、さすがに東映も少し気が引け、岡田茂東映社長が側近の鈴木常承営業部長に[15]奥山融松竹専務の元にお詫びに行かせたが[14]、松竹は裏の経緯も全部知っていて、おまけに当時の松竹は寅さんが絶好調で『砂の器』でも大当たりを取り余裕[14]、鈴木をからかう程度で済んだ[14]

日活は1971年から日活ロマンポルノに移行していたが、一般映画を時折作ることは最初から表明していた[16]。日活は経営に苦労し[6]、何か大きな作品を作って通常マーケットに乗せ、突破口を開こうとしていたといわれる[6]。『雪夫人繪圖』『襟裳岬』の二本立ては、良質作品の二本立てとヒットの予想もあったが[14]、興行には失敗した[7][16]

影響[編集]

佐久間良子は1964年頃から予定していた話題作の出演取り消しが相次ぎ[17]、特に田坂具隆監督作品の出演が次々流れ、東映との関係が悪化した[17][18]1967年、田坂と共に恩人である岡田茂企画本部長が[19]、刺激のより強いエロ路線に乗り出し[17][20]、『大奥物語』を企画[21]、佐久間を主役に抜擢した[22]。しかし佐久間はこの題名に不満があり[17]、続編『続大奥物語』を降板した(代わりに抜擢されたのが小川知子[23]。本作『雪夫人絵図』も女優生活10年目の意欲をかけ、岡田の意向に出来るだけ沿うようありったけのお色気を全部出し切って熱演したにもかかわらず[24]、お蔵入り。佐久間は契約更改(春闘)でギャラアップを要求して東映と揉めていて[25][26]、自身が映画化を希望した『石狩平野』が製作延期になり[27]、「列車シリーズ」『喜劇初詣列車』に次いで製作を予定していた『喜劇・新婚列車』の出演を拒否[27][28]、コンビを組んでいた渥美清順法闘争に出て東映での「列車シリーズ」は終了した[27][28]。直後に松竹から『わが闘争』の主役オファーがあったことから、東映は佐久間に充てる作品もなく、佐久間の希望通り『わが闘争』で初めて他社出演した[26][注 2]。『わが闘争』は大ヒット[18]。しかし1968年8月、メキシコで開催された日本映画見本市に出席した佐久間が帰国を延期し「どうせ映画の予定はゼロですから」と話し[30]、次いで三船敏郎が大川社長に三船プロ製作・東宝配給の『風林火山』の由布姫役に佐久間を借りたいと直に申し入れて了承され[27]、佐久間が二作連続で他社出演することになり[31]、佐久間はフリーになるのではとマスメディアが騒ぎ、東映を慌てさせた[18]。佐久間はあくまで東映女優と宣言し、1969年の東映カレンダーにも登場、東映も佐久間を中心に女性オールスター路線をスタートさせると約束、『大奥絵巻』製作を決定し[18]、一旦矛を収めたかのように見えた[18]。しかし次作小幡欣治原作による『あかさたな』は、東宝芸術座の舞台にかかった芸術作品という触れ込みであったが[4][18][32]、岡田茂企画本部長が「『あかさたな』では客は来ない。『日本一のホルモン男』でも弱い。タイトルは『妾二十一人 ど助平一代』や」と題名を変更した[4][33]。助監督の内藤誠が改題を伝えると佐久間は号泣したという[4][34]。今度は公開され内容的には高評価とするものと[35]、「題名もひどいものだが、内容もドタバタお粗末エロコメディー」とするものがあるが[32]、館内は爆笑の連続で、観客は身をよじって笑い転げたとされ[32]、大ヒットしたとされる[4]。本作の題名を大きく書いた看板が、新宿の中央通りに突き出て、その下を通る女子学生が、そっと見上げて、笑いながら足早に駆けて行った[32]。佐久間は宣伝のため当時出演した『スター千一夜』でもこの題名を口にできなかったといわれ[36]、自身の将来に不安を感じた佐久間は東映から気持ちが離れ、以降、テレビドラマや舞台に活動の場を移した[17][37]。岡田製作本部長は7000万円の製作費で作った1968年の『徳川女系図』(石井輝男監督)が興行収入2億7000万円の大当たりを取ったことに味をしめ[38]、製作費の高いヤクザ映画の割合を減らし[38][39]、1969年の東映新路線として"性愛もの"シリーズを打ち出し[38][40]、1969年東映ラインナップとして『異常・残酷・虐待物語・元禄女系図』(『残酷・異常・虐待物語 元禄女系図』)『異常性愛記録 ハレンチ』『㊙女子大生・妊娠・中絶』(『㊙女子大生 妊娠中絶』)『㊙トルコ風呂・指先の魔術師』『婦人科秘聞・下半身相談』『温泉ポン引女中』『不良あねご伝』『やざぐれのお万』[注 3]の製作を発表していた[38]。岡田は「どんなに悪者扱いされようと大衆が喜ぶものを作るだけ。笑わせる、泣かせる、握らせる(手に汗を)映画を作りたい」と開き直っていた[32]

映像ソフト[編集]

2010年4月に東映ビデオからDVDが発売されている[41]

同時上映[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『続・決着』は、予定してた山内鉄也監督・平幹二朗主演の『炎鬼十郎・惨殺』が中止になり、一番組前に出て鶴田浩二主演、小沢茂弘監督『博奕打ち 殴り込み』との併映に変更[12]
  2. ^ 佐久間貸し出しの代わりに、松竹から香山美子を借り、鶴田浩二と香山のコンビで『裏切りの暗黒街』を製作(公開直前に『殺られたら殺れ』からタイトルを変更)[29]。香山は他社作品初出演[29]
  3. ^ 1973年の池玲子主演映画にこれに似たタイトルが使われる。

出典[編集]

  1. ^ 舟橋聖一 『雪夫人絵図』 | 新潮社
  2. ^ 「佐久間良子・成沢昌茂のコンビで描く甘美なエロチシズム 雪夫人絵図」『映画情報』、国際情報社、1968年4月号、45頁。 
  3. ^ 由原木七郎「連載 写真で見るスターの歴史(9) 佐久間良子」『映画情報』、国際情報社、1981年3月号、35頁。 
  4. ^ a b c d e f g 内藤誠『監督ばか』彩流社〈フィギュール彩(16)〉、2014年、62-63頁。ISBN 978-4-7791-7016-4 
  5. ^ a b 『日本映画俳優全集・女優編』キネマ旬報社、1980年、324-325頁。 
  6. ^ a b c d 「映画・トピック・ジャーナル 苦しい日活・大映の"転生"の道」『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1975年5月下旬号、163頁。 
  7. ^ a b c 追悼特集 成澤昌茂 映画渡世”. シネマヴェーラ渋谷. 2022年2月27日閲覧。
  8. ^ 雪夫人絵図 - IMDb(英語)
  9. ^ a b c d e f 内藤誠『監督ばか』彩流社〈フィギュール彩(16)〉、2014年、56-57頁。ISBN 978-4-7791-7016-4 
  10. ^ 坪内祐三、名田屋昭二、内藤誠『編集ばか』彩流社〈フィギュール彩(40)〉、2015年、25頁。ISBN 978-4-7791-7041-6 
  11. ^ 坪内祐三・名田屋昭二・内藤誠『編集ばか』彩流社〈フィギュール彩(40)〉、2015年、23頁。ISBN 978-4-7791-7041-6 
  12. ^ a b “東映動画は年一本製作秋田東映地鎮祭を了えた大川専務談”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 5. (1968年2月24日) 
  13. ^ a b 「人妻・佐久間良子七年前のヌード」『週刊文春』1975年3月12号、文藝春秋、19頁。 
  14. ^ a b c d e f g 「映画界東西南北談議 映画復興の二年目は厳しい年 新しい映画作りを中心に各社を展望」『映画時報』1975年2月号、映画時報社、35-37頁。 
  15. ^ 「映画界東西南北談議 企業防衛を運営方針の基本に各社、合理化と収益部門の拡大を意図」『映画時報』1975年3月号、映画時報社、37頁。 
  16. ^ a b 寺脇研『ロマンポルノの時代』光文社、2012年、112-115頁。ISBN 978-4-334-03697-3 
  17. ^ a b c d e “(私の履歴書)佐久間良子(14) 出演取りやめ、歯車狂う東映の路線とのズレ広がる”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 40. (2012年2月15日) 東映カレンダー on Twitter: "2012年2月15日の日本経済新聞
  18. ^ a b c d e f 「トピックコーナー 女性路線スタート」『映画情報』、国際情報社、1968年9月号、67頁。 
  19. ^ 東映株式会社映像事業部『東映映画三十年 あの日、あの時、あの映画』東映、1981年、125頁。 “(私の履歴書)佐久間良子(11) ヤクザの情婦 体当たりでの真剣勝負 「人生劇場」"汚れ役"に開眼”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 40. (2012年2月11日). https://www.nikkei.com/article/DGKDZO38718940Q2A210C1BC8000/ 日経スペシャル 私の履歴書 ~女優・佐久間良子(前編)2015年5月17日”. 私の履歴書. BSジャパン. 2018年1月25日閲覧。
  20. ^ 俊藤浩滋山根貞男『任侠映画伝』講談社、1999年、227-228頁。ISBN 4-06-209594-7 春日太一『時代劇は死なず! 京都太秦の「職人」たち』集英社、2008年、27-32頁。ISBN 978-4-08-720471-1 
  21. ^ 岡田茂「映画界のドンが語る『銀幕の昭和史』」『新潮45』、新潮社、2004年9月号、204頁。 佐々木康『佐々木康の悔いなしカチンコ人生』けやき出版、2003年、224-226頁。ISBN 4-905942-20-9 私と東映』 x 中島貞夫監督 (第3回 / 全5回)岡田茂追悼上映『あゝ同期の桜』中島貞夫トークショー(第1回 / 全3回)
  22. ^ 東映『クロニクル東映:1947-1991』 1巻、東映、1992年、220-221頁。 
  23. ^ 「続大奥(秘)物語 重くて暑い十二ひとえ インタビュー・小川知子さん」『近代映画』、近代映画社、1967年12月号、191頁。 藤木TDC「東映『大奥』シリーズ」『映画秘宝』、洋泉社、2007年8月号、83頁。 
  24. ^ 「邦画・洋画MOVIE CORNERミニミニ情報」『月刊明星』、集英社、1968年5月号、211頁。 
  25. ^ 「ウワサの真相の間強気の女優・佐久間良子の"春闘"ぶり」『週刊大衆』1968年4月11日号、双葉社、84頁。 
  26. ^ a b 「"多角経営"が招いた東映の革命さわぎ」『週刊大衆』1968年5月23日号、双葉社、82-83頁。 
  27. ^ a b c d 「ウワサの真相の間三船敏郎と大川社長の"ある約束"」『週刊大衆』1968年9月12日号、双葉社、80-81頁。 
  28. ^ a b “奇妙!不況下の"おクラ"続出こんどは日活『私が棄てた女』怒る監督や主演者理由も不鮮明『観客層に合わない』”. 東京タイムズ (東京タイムズ社): p. 7. (1969年6月30日) 
  29. ^ a b 「8月の映画コーナー」『月刊明星』、集英社、1968年9月号、212 - 213頁。 
  30. ^ 「週間ダイヤル スクリーン三行メモ」『週刊大衆』1968年8月29日号、双葉社、26頁。 
  31. ^ 「週間ダイヤル スクリーン三行メモ」『週刊大衆』1968年9月19日号、双葉社、14頁。 
  32. ^ a b c d e 初山有恒「エロとヤクザと観客―「東映}独走のかげにー」『朝日ジャーナル』、朝日新聞社、1969年3月30日号、23 - 26頁。 
  33. ^ 妾二十一人 ど助平一代”. 日本映画製作者連盟. 2018年1月25日閲覧。
  34. ^ 【レポート】内藤誠レトロスペクティブはココだけバナシの宝庫!? 映画『明日泣く』最新情報(Internet Archive)
  35. ^ 押川義行「今月の邦画から やくざ映画の袋小路」『映画芸術』、映画芸術社、1969年5月号、79頁。 
  36. ^ 快楽亭ブラック「師匠、てえへんだぁ!第151回『喜劇夫売ります!!』」『映画秘宝』、洋泉社、  2016年11月号、101頁。 
  37. ^ もちろん『花札渡世』の撮影台本も入手。 - kimata kimihiko Twitter、“(私の履歴書)佐久間良子(15) 舞台・テレビに活躍の場 稽古漬け、「春の雪」は連日満員”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 40. (2012年2月16日) 
  38. ^ a b c d 「ピンク色に染まる"ヤクザ東映"」『サンデー毎日』、毎日新聞社、1969年1月5日号、45頁。 
  39. ^ 俊藤浩滋、山根貞男『任侠映画伝』講談社、1999年、227-228頁。ISBN 4-06-209594-7 春日太一『仁義なき日本沈没 東宝VS.東映の戦後サバイバル』新潮社〈新潮新書〉、2012年、112-115頁。ISBN 978-4-10-610459-6 
  40. ^ “〔娯楽〕 現代の映画とセックス ますます大胆な追及 人間の深奥へ”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): p. 9. (1970年3月7日) 
  41. ^ 雪夫人絵図 | 東映ビデオ株式会社

関連項目[編集]

外部リンク[編集]