プリンスホテル

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株式会社プリンスホテル
PRINCE HOTELS, INC.
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種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 170-8428
東京都豊島区東池袋三丁目1番5号
(サンシャインシティプリンスホテル内)
設立 1956年(昭和31年)6月4日
業種 サービス業
事業内容 ホテル、ゴルフ場、スキー場などの経営
代表者 小林 正則(代表取締役社長)
資本金 36億円(2012年3月31日現在)
売上高 1,366億4,100百万円(2012年3月期)
営業利益 26億400万円(2012年3月期)
純利益 △147億9,900万円(2012年3月期)
純資産 1,292億300万円(2012年3月31日現在)
総資産 5,882億1,000万円(2012年3月31日現在)
従業員数 7,032人(2011年10月1日現在)
決算期 3月31日
主要株主 (株)西武ホールディングス 100%
外部リンク princehotels.co.jp
特記事項:登記上本店は東京都豊島区南池袋一丁目16番15号 光センタービル
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株式会社プリンスホテルPrince Hotels, Inc.)は、西武グループに属し、グループ内でのホテル・レジャー事業会社であり、西武ホールディングスの子会社。また、同社が運営するホテルブランドである。

概要[編集]

西武グループによるホテル・リゾート事業は、国土計画(後のコクド、2006年2月解散)が主導して計画・立案した箱根軽井沢などへの観光地への進出を図ったのが源流である。社名は、敗戦に伴い行われた皇籍離脱後、占領軍によって没収された旧皇族の土地が日本国との平和条約締結によって日本政府に返還された後、安価で購入し、その土地にホテルを開業した事に由来している(後述の千ヶ滝プリンスで命名されたのが起源)。

コクド・西武鉄道の創業者である堤康次郎が1964年に逝去し、三男・堤義明がコクド・西武鉄道の後継者の座に就くと、1971年に西武鉄道のホテル部門を独立させる形で「(初代)株式会社プリンスホテル」を設立し、康次郎の五男で西武百貨店寄りの要職に就いていた堤猶二が社長に就任する(後にセゾン下のIHGの社長・東京テアトル社長を歴任)。同氏によって『プリンスホテルスクール』が設立され、各種学校としてホテリエの育成を手がけ始めるが、1976年に笹川良一率いる日本財団が支援した財団法人日本ホテル教育センターに経営が譲渡され、「専門学校 日本ホテルスクール」として継承されている。ホテル会社によって設立されたホテル養成学校はプリンスホテルスクールが国内では唯一であり、設立に際しては一定の評価がなされている。

1980年代からは義明元会長と政界との繋がりが強まり、大規模なスキーリゾートシティホテルを首都圏・東北・北海道を中心に数多く進出させる。また、時期を前後してアメリカ合衆国ハワイアラスカグアム)・カナダ東南アジア諸国・台湾オーストラリアなどの海外リゾート企業を買収・提携のうえで進出を行い、バブル景気の中でプリンスホテルの母体であったコクドは一大ホテル・レジャー事業を運営する企業へ成長した。

コクドの下で行われてきた事業拡大に合わせて資金調達に用いた手法は、銀行などから巨額の融資を得て土地を取得後、ホテルやレジャー施設を建設して土地の付加価値を高め、値上がりした地価上昇分などでさらに融資を受けて新たな土地開発を進めることだった。マスメディアなどからは「借金経営」と呼ばれ日本の高度経済成長期に続いていた地価の上昇などがこの経営手法を可能にさせた。当時の経営基本は「土地は値上がりを待つ」「利益を押さえ節税する」だった。そごうダイエーも酷似した手法で店舗網を拡大させたが、後に経営破綻をしている。

日本経済がバブル景気にへ突入した1980年代からは地価上昇はさらに加速して、土地本位制経営[1]で融資を受けるビジネスモデルを活かした事業を拡大していたプリンスホテル事業は、さらに積極的なホテルチェーン事業の拡大を推し進めることになった。1990年代のバブル経済崩壊後は地価の価格上昇による事業計画は軌道修正されたが、2004年堤義明がコクド会長を辞任して会社から去るまで平成不況期のプリンスホテル事業は基本的にリストラ・事業再編は実施されず、「東京プリンスホテルパークタワー」の建設など事業の拡大を続けていた。

その後2006年前半(2005年度末)に西武ホールディングスの元で西武グループが再編される際に、不採算施設については順次売却し、それ以外の(旧)コクド・(初代)プリンスホテル・西武鉄道(西武線沿線施設は除く)が所有するホテル・リゾート事業の不動産については「(二代目・新)株式会社プリンスホテル」のもとに集約・統合された。

2006年の西武グループ再編以前までの「(初代)株式会社プリンスホテル」は、コクドの筆頭株主であった堤義明元会長・オーナーの計画立案により西武鉄道伊豆箱根鉄道近江鉄道西武不動産といったコクドの傘下企業(主に首都圏・近畿)が開発した、あるいは他企業とコクドの合弁や地方自治体の誘致による第三セクター方式で設立した運営会社(海外、苗場・軽井沢以外のスキーリゾートなど)が開発した「プリンスホテル」のフランチャイズや客室販売など対外的なマーケティング事業が主体であり、経営自体は各社が行っているため統一的な戦略はなかった。(初代)プリンスホテルの自社物件は「サンシャインシティ プリンスホテル」のみである。

2006年7月、高輪地区と品川地区の競合解消のため、2名いた総支配人を1名にし、高輪地区を上位とする地区統合を行なった。2007年12月中に、本社を所沢市くすのき台から豊島区東池袋へ移転した。

2007年4月1日より、プリンスホテルは、グレードに応じた3つのカテゴリーに分かれ、ブランドマークやサービスを一新した。

沿革[編集]

運営ホテル・宿泊施設[編集]

ザ・プリンス[編集]

海外の「マウナケアビーチホテル」と共に、プリンスホテルのフラグシップとして位置づけられている最上級クラスのホテル。4施設が該当。

グランドプリンスホテル[編集]

プリンスホテルのうち都市部に所在する上級の施設に対して設定されたブランドで、京都を除いて「○○プリンスホテル」から「グランドプリンスホテル○○」に改称された。4施設が該当する。

  • グランドプリンスホテル高輪(東京都港区高輪) - 1953年開業。旧竹田宮邸跡。現時点で最も古いプリンスホテル(後述の千ヶ滝プリンスホテルを除く)。
  • グランドプリンスホテル新高輪(東京都港区高輪) - 1982年開業。上述のグランドプリンスホテル高輪やザ・プリンス さくらタワー東京に隣接しているが、別館ではなく、別のホテルという扱い。
  • グランドプリンスホテル京都(京都府京都市左京区) - 1986年開業。旧・京都宝ヶ池プリンスホテル。村野藤吾設計。近江鉄道所有・近江観光運営のフランチャイズホテル。旧名称に「宝ヶ池」が入っていたのは、西武グループとは無関係の「京都プリンスホテル」(下鴨神社近くにあり、1987年統一協会に買収された。2000年12月10日閉館)がかつて存在したためである。宝ヶ池公園京都国際会館に隣接しており、建設計画当時、周辺の景観への影響を懸念した市民団体などから反対運動が起こった。その影響からか、周囲にはホテル全体を包み込む様に植樹林が立ち並んでいる。
  • グランドプリンスホテル広島(広島県広島市南区) - 1994年開業。池原義郎設計。

プリンスホテル[編集]

その他の宿泊施設[編集]

プリンスホテルが「プリンスホテル&リゾーツ」と位置づけているその他の宿泊施設。

海外ホテル[編集]

  • ハワイプリンスホテルワイキキ(アメリカ合衆国 ハワイ州ホノルル) - 1990年開業。西武グループ(旧西武不動産・ハワイ現地法人)が開発。
  • ハプナビーチプリンスホテル(アメリカ合衆国 ハワイ州 コハラコースト) - 1994年開業。西武グループが開発。
  • マウナケアビーチホテル(アメリカ合衆国 ハワイ州 コハラコースト) - 1965年開業。1990年に旧西武グループのハワイ現地法人が取得。海外のホテルでは唯一「ザ・プリンス コレクション」にカテゴライズ。
  • グロリアプリンスホテル・台北(華泰王子大飯店 / 中華民国 台北市) - 1972年開業。2001年フランチャイズ提携。
  • 剣湖山プリンスホテル(中華民国 雲林県) - 2003年開業。フランチャイズ提携。
  • ナイスプリンスホテル嘉義(中華民国 嘉義市) - 2006年開業。耐斯企業とのフランチャイズ。
  • プリンスホテル&レジデンス クアラルンプール(マレーシア クアラルンプール) - 2002年開業。フランチャイズ提携。

運営しているスキー場(ロープウェイ・普通索道)[編集]

狭山スキー場西武レクリエーションが運営している。

運営している有料道路[編集]

その他の運営施設[編集]

所属スポーツ選手[編集]

2004年のグループ再編に伴うリストラ策により売却・廃止した施設[編集]

プリンスホテル(コクド・西武鉄道・伊豆箱根鉄道の保有・運営施設を含む)は堤義明の意向などで進出した地方などで不採算の施設も多く、2004年に発覚した西武鉄道株式の有価証券報告書虚偽記載問題による上場廃止で着手された経営再建にあたり、約40箇所の施設を売却または閉鎖した。売却先の意向によって転売されたり、営業終了を検討している施設もあり、運営面で険しい道のりが課せられている。また、西武グループのレジャー施設を網羅した冊子「プリンスホテルレジャーカタログ」(プリンスホテルの売店などで販売されていた)も、2005年版を最後に発行を中止している。

※印はコクド・プリンスホテルの譲渡後に転売もしくは営業休止された施設

シティグループへ売却[編集]

以下の施設(スキー・ゴルフリゾート)はシティグループシティグループ・プリンシパル・インベストメンツ・ジャパン株式会社に売却され、転売されなかった施設については子会社のウィンターガーデン・リゾーツが運営を担っている。

ルートインジャパンへ売却[編集]

以下の施設はルートインジャパンへ売却された。

  • 阿蘇プリンスホテル(熊本県) - 併設するゴルフ場と共に売却。運営最終日は2007年6月1日。2008年4月1日より阿蘇リゾートグランヴィリオホテル。
  • 徳島プリンスホテル(徳島県) - 日本たばこ産業 (JT) の工場跡地に建設されたため、同社の完全子会社「株式会社ジェイティ徳島プリンスホテル」が運営していたが、2004年にプリンスホテルに営業譲渡し、株式会社ジェイティ徳島プリンスホテルは清算されている。純然たる西武グループとしての運営はわずか3年だった(運営最終日は2007年6月1日)。2008年4月1日より徳島グランヴィリオホテル。徳島プリンスホテル建設時の経緯により、現在の徳島グランヴィリオホテルにおいても、館内のレストランには週1日の定休日がある。

アパグループへ売却[編集]

以下の施設はアパグループへ売却された。

  • 幕張プリンスホテル(千葉県) - 2005年12月に売却。「APAホテル&リゾート東京ベイ幕張」)
  • 妙高パインバレープリンスホテル(新潟県) - 松下興産からの運営受託物件。2000年に提携解消し、松下興産直営の「妙高パインバレーロイヤルパインズホテル」としての営業を経て、2005年7月よりアパリゾート妙高パインバレー

クリアックスへ売却[編集]

カラオケ店チェーン『歌広場』などを運営する、株式会社クリアックス/スタディー(東京)は、計3施設を伊豆箱根鉄道近江鉄道から買収、格安ホテルチェーン「伊東園ホテルグループ」として運営している。

  • 大仁ホテル(静岡県) - 名称はそのまま
  • 松崎プリンスホテル(静岡県) - 現・松崎伊東園ホテル
  • 彦根プリンスホテル(滋賀県) - 現・彦根ビューホテル

その他売却・閉鎖された施設[編集]

磯子区にあった横浜プリンスホテルの建物
  • 札幌北広島プリンスホテル(北海道) - アンビックスに売却、運営最終日は2007年6月1日。2012年現在は「札幌北広島クラッセホテル」として営業中。
  • 札幌北広島プリンスゴルフ場(北海道) - パシフィックゴルフプロパティーズに売却、運営最終日は2007年6月1日
  • 津別スキー場(北海道) - 運営最終日は2007年3月19日
  • 深川スキー場(北海道) - 運営最終日は2007年3月21日
  • 真駒内スキー場(北海道) - 2006年廃止
  • 田沢湖プリンスホテル(秋田県) - 南紀観光(本社・埼玉県草加市)に売却、運営最終日は2007年6月1日  2012年現在は「田沢湖ローズパークホテル」として営業中。
  • 森吉スキー場(秋田県) - 2006年廃止 森吉第1高速リフト(4人乗り)はチェアリフトとしては日本最長の路線であった
  • 森吉ヒュッテ(秋田県)
  • 千畑スキー場(秋田県) - 2005年休止、2006年廃止
  • 金ケ崎ゴルフコース(岩手県) - 南紀観光に売却、運営最終日は2007年6月1日
  • 日光菖蒲ヶ浜スキー場(栃木県) - 2005年休止、2006年廃止
  • 日光プリンスホテル(栃木県) - 1976年開業。佐藤秀三設計。第20回BCS賞受賞。中宮祠林業製材工場跡地。2008年11月24日で営業終了。
  • 西武長瀞ホテル(埼玉県) - 2007年1月15日に営業終了
  • 西武園遊園地スノーボードパーク(埼玉県) - 2005年休止
  • 萩山テニスコート(東京都)
  • 六本木プリンスホテル(東京都) - 2006年2月閉鎖
  • メルシャン品川アイマックスシアター(東京都)
  • メルシャン軽井沢アイマックスシアター(長野県)
    • メルシャンがオフィシャルパートナー契約をコクドと結び、品川プリンスホテル、エグセクテイブタワー、および、軽井沢プリンスホテル敷地内にて開業・運営していた、IMAX上映劇場。日本国内にある数少ないアイマックス上映施設としてマトリックスハリーポッターシリーズなどの上映を行っていた。
  • 横浜プリンスホテル(神奈川県) - 2006年6月30日で閉鎖し東京建物に売却し分譲マンションとなる。同ホテルは丘の上だが、敷地内に長い私道の坂(プリンス坂)があり、JR磯子駅までは比較的近かった。また、麓に立っていた西武系列のマンション(プリンス・ハイツ)に施設利用者専用の直結エレベーターがあり、マンションの屋上と丘の上にある立地のホテル地下フロアはプリンスブリッジで結ばれていた。
  • 横須賀プリンスホテル※(神奈川県) - 2005年フロンティア・ファースト有限会社に売却、2006年4月から三井不動産系のリゾートソリューションが経営するホテルトリニティ横須賀として営業されたが、2008年9月30日で閉鎖、その後、2009年10月1日にメルキュールホテル横須賀にリブランドした。
  • 箱根ピクニックガーデンスノーボードパーク(神奈川県) - 2005年廃止
  • 西熱海ホテル(静岡県)
  • 沼津ホテル(静岡県)
    • 共に伊豆箱根鉄道の所有物件だった。プリンスホテルに売却された下田プリンスホテル共々、2006年8月31日で閉鎖し不動産売却。
  • 燕温泉スキー場(新潟県) - 2006年廃止
  • 妙高温泉室内プール(新潟県) - 2006年廃止
  • 土樽スキー場(新潟県) - 2005年廃止
  • 三国スキー場(新潟県) - 2005年休止、2006年廃止
  • 小千谷山本山高原スキー場(新潟県) - 2005年休止、2006年廃止
  • 野尻湖プリンスホテル(長野県) - 2007年にこやのに売却。 2012年現在は「野尻湖ホテル エルボスコ」として営業中
  • 軽井沢千ヶ滝温泉ホテル(長野県) - 1977年開業。日帰り入浴施設「軽井沢千ケ滝温泉」のみ現存。
  • 湯田中渋温泉ごりん高原スキー場(長野県) - 2007年3月23日廃止
  • 北九州プリンスホテル(福岡県) - 1989年開業。三菱化学(当時は三菱化成)黒崎事業所元社宅跡地に建設し、運営を受託していた。2007年2月25日に運営受託を撤退。ホテルマネージメントインターナショナル社に土地・建物を売却、従業員も移籍させ[2]、同年2月26日からホテルクラウンパレス北九州として営業を開始した。
  • 長崎プリンスホテル(長崎県) - 現在はベストウエスタンプレミアホテル長崎
  • 生駒高原宮崎小林ゴルフコース(宮崎県) - 売却予定
  • 宮崎日向ゴルフコース(宮崎県) - 売却予定
  • 鹿児島鹿屋ゴルフコース(鹿児島県) - 売却協議中

売却施設のうち、田沢湖・野尻湖・徳島・阿蘇の各プリンスホテルはプリンスホテルの運営最終日から10か月間(2008年3月31日まで)、ライセンス契約でプリンスホテルの名称を使用できた。

その他の理由(上記リストラ以外)で売却・閉館された施設[編集]

  • 羽田プリンスホテル - 1964年開業。運営会社は西武百貨店子会社の「羽田プリンスホテル」であった。1968年に運営会社の株式を東京急行電鉄(東急)へ譲渡し、1969年に東急が羽田東急ホテルと羽田プリンスホテルを合併させてプリンスホテルは「羽田東急ホテル別館」へ名称変更。2004年9月に「羽田東急ホテル」は閉館した。2004年12月開業の羽田エクセルホテル東急の実質的な前身施設。
  • プリンスホテルスクール - ホテリエ(ホテル従事者)養成校として1971年に開校。1976年に日本財団の支援によって設立した財団法人日本ホテル教育センターへ譲渡され、『専門学校日本ホテルスクール』として開校している。同窓会組織等は同校が承継している。
  • 麻布プリンスホテル - 1976年に六本木プリンスホテルのあった場所にフィンランド領事館の土地と等価交換したことで閉鎖。現在、跡地はフィンランド大使館とプリンスホテルの料亭「有栖川清水」。
  • 成田プリンスホテル - 成田空港の開港にあわせ、現在のティエフケー(元日本航空子会社で機内食製造と飲食店・ホテル「成田エアポートレストハウス」を経営)によって竣工。当初は三菱商事トラベルロッジ(オーストラリア)とのジョイントベンチャーによる経営を目論んでいたが、トラベルロッジが撤退し、三菱商事がプリンスへ運営委託する形態で1978年9月に開業。1988年6月に三菱商事が経営権を家主のティエフケーへ売却し、プリンスホテルとしての運営を終了。成田ウインズホテルへ改称後、1997年にホテル日航ウインズ成田へと名称の変遷を辿り、2007年10月に閉館。不動産が売却され、2007年11月に同じ建物で東横イン成田空港として開業している。プリンスホテルから東横インへ移行した唯一のケースである。
  • 箱根仙石原プリンスホテル - 経営再建策定前の2004年10月に日産自動車に売却し、同社の研修施設となっている。

2011年[編集]

グランドプリンスホテル赤坂(新館)
  • グランドプリンスホテル赤坂(東京都千代田区紀尾井町) - 1955年に「赤坂プリンスホテル」として開業。グランドプリンスホテルにリブランドされた後、2011年3月をもって閉館。新館は取り壊され、旧館は移設予定。

2012年[編集]

  • 蒲郡プリンスホテル(愛知県) - 名古屋の豪商 タキヒヨー滝一族が大正元年に創業した料理旅館・常盤館が母体。昭和9年に蒲郡ホテルを併設。日本初の国際観光ホテル認定を受ける。1980年、タキヒヨー経営不振の為休業していたものを蒲郡市が株式買取の後、昭和62年西武グループが買収。プリンスホテルとして開業。2012年3月に呉竹荘グループに売却され、「蒲郡クラシックホテル」に改称。
  • 奥琵琶湖マキノプリンスホテル(滋賀県) - 1995年開業。2012年3月29日営業終了。マックアースに売却され、翌日より「奥琵琶湖マキノグランドパークホテル」として運営[4]
  • 飯能プリンスホテル(埼玉県飯能市) - 1992年開業。西武池袋線飯能駅の駅ビル「飯能ステーションビル」内に所在。2010年よりレストラン部門はヘリテイジ(同県熊谷市)に移管し「ヘリテイジリゾーツ飯能」に改称。また2012年10月1日より宿泊部門もヘリテイジに移管され「ホテル・ヘリテイジ飯能 sta.」に改称[5][6]、プリンスホテルとしての営業を終了。

同音異語のプリンスホテル[編集]

愛媛県松山市の「道後プリンスホテル」、茨城県水戸市の「水戸プリンスホテル」、北海道紋別市の「紋別プリンスホテル」をはじめ、全くの別資本だが「プリンスホテル」の名を冠している宿泊施設は日本全国に多々ある。かつて栃木県塩谷郡藤原町(現日光市)にあり、火災を起こした川治プリンスホテルとも無関係である。北海道でかつて「プリンスホテル」ブランドのホテルを広く展開していた野口観光とも資本関係はない。

日教組全体集会拒否問題[編集]

2008年2月2日と3日の2日間、グランドプリンスホテル新高輪で、日本教職員組合(日教組)の全体集会が予定されていた。ホテルはいったん予約を受理したが、2007年11月になってから、右翼団体の抗議活動による周辺住民への迷惑、特にこの日を中心に行われる入学試験に重大な影響を与えるおそれがあるとして、受け入れ拒否に転じた。

2008年2月には、前年3月に予約を受け付けていた日教組の教育研究全国集会の契約解除通告をめぐり、解約の無効と、使用させる義務があることを確認する東京高等裁判所の仮処分命令を無視して、予定されていた会場の使用を拒否した(宴会場「飛天」で開催されるはずだった)[7]。当日は就職フェア開催を受け入れ、二重予約とした。

これに抗議する意味で、上部組織日本労働組合総連合会がプリンス系ホテル及び関連施設の利用をボイコットする旨を表明した(2009年1月の、日本経団連の新年会に会長が来賓として招かれたが、これにより欠席)。傘下の全ての組合にも同様の行動を呼びかけるという。全国労働組合総連合全日本教職員組合日本弁護士連合会も懸念を表明する談話を出した。

2月18日に衆議院予算委員会における山井和則議員からの質問に対し、鳩山邦夫法務大臣は個別の案件についてではなく一般論であるとして、「いかなる紛争であれ、裁判所が公正な審議を経た上で出した裁判、それを無視して、あえてこれに反する行動をとられる当事者がもしいらっしゃるとすれば、法治国家にあるまじき事態である」との見解を示した。また、舛添要一厚生労働大臣は同ホテルが集会参加者の約190室分の予約を取り消したことについて、旅館業法に違反している疑いが濃厚だとの見解を示した[8]。2月21日以降、港区は旅館業法違反の疑いでホテル側から事情聴取を行った。3月28日の再度の事情聴取の際、渡辺幸弘社長は、宿泊契約の解約が旅館業法に違反することについては「反省している」と述べた[9]

プリンスホテル側は使用拒否の理由として、高裁判決の仮処分命令が出たのは開催予定日の3日前であり、警察当局からの具体的な相談もないことから安全に集会を開催することは困難であること、また、日教組側が周辺住民への事前説明を行っておらず混乱は不可避であったこととする[10]。契約を解除したことについては、予約を受けつけたことが問題の発端とする批判は甘んじて受けるとしつつも、日教組側の説明が実態と大きく異なるものであり、実態を確認したためとする[11]。4月15日、港区はプリンスホテルの「宿泊拒否」が旅館業法違反にあたるとして、口頭で厳重注意する。8月、日教組は刑事告訴し、2009年3月17日、警視庁保安課は、旅館業法違反で、プリンスホテルと渡辺社長ら幹部社員4人と、法人としての同社を書類送検した。2010年7月、起訴猶予処分[12]

また日教組は2008年3月14日、損害賠償を求める民事訴訟を東京地裁に提起し[13]、2009年7月27日、東京地裁はプリンスホテル側に2億9千万円賠償と謝罪広告を命じる判決を下した(日教組の請求を全面認容)[14]。控訴審となり、2010年11月25日、東京高裁はプリンスホテル側に約1億2500万円の賠償を命じる判決を下した。謝罪広告の請求は認められなかった[15]。双方が上告しなかったため、東京高裁判決が確定した。

関連項目[編集]

脚注・参考文献[編集]

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外部リンク[編集]

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