山ノ内町

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山ノ内町
やまのうちまち
日章旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 長野県
下高井郡
団体コード 20561-3
面積 265.93km²
総人口 13,835
推計人口、2009年6月1日)
人口密度 52人/km²
隣接自治体 中野市高山村木島平村栄村
群馬県六合村
町の木 ツガ
町の花 リンゴ
町の鳥 ウグイス
山ノ内町役場
所在地 〒381-0498 長野県
下高井郡山ノ内町平穏3352-1
電話番号 0269-33-3111
外部リンク 山ノ内町ホームページ

山ノ内町位置図(長野県)

:市 / :町・村
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山ノ内町(やまのうちまち)は、長野県の北東に位置するである。町内の志賀高原湯田中渋温泉郷などは観光地として有名である。

目次

[編集] 地理

東西約39Km、南北12km、標高は十三崖の424mから裏岩菅山2341m。 面積の90%以上が山林原野である。河岸段丘や扇状地には集落・田のほか、リンゴ・ブドウ・モモなどの耕作地が斜面に広がっている。河川流域には火山活動の影響により温泉地が広がる。

冬は日本海からの湿った空気が高山にぶつかるため降雪が多く、山腹はスキー場として利用されている。また、降水量が多く、火山性の地質であり、標高差が激しいことなどから、夜間瀬川水系はたびたび水害が発生した。県境をまたぐ信濃川・千曲川の支流の為、一級河川として国が管理している。

高原には、火山活動の痕跡のため、大小70以上の湿原、池が点在し、高山植物や、野獣鳥が生息するほか、石の湯の源氏蛍をはじめ珍しい植生が観察できる。

[編集] 隣接している自治体

[編集] 歴史

旧石器時代黒曜石頁岩で作った石器が発掘されている。縄文時代は上条遺跡、伊勢宮遺跡、佐野遺跡などで発掘されている。縄文晩期前半の佐野遺跡で出土された土器は佐野式として指標となっている。 古墳時代は夜間瀬地区に9つの古墳が残り、奈良平安時代には薬草が朝廷に献上され、平安時代には朝廷の馬を育てる御牧が設けられていた。

鎌倉南北朝、室町時代には地方有力豪族高梨氏夜交氏小島氏の支配下となり、後にこれら豪族は上杉氏家臣となり、慶長3年に上杉氏の会津転地とともに移転していった。江戸時代には慶長3年から寛永元年までの26年の間に多くの領主交代があった。寛永元年からは天領(徳川家直轄地)と松代藩(真田)領となり、幕末まで徳川幕府の統治が行われた。

徳川幕末時点の人口はおよそ8000人ほど。人口に比べ耕作地が少なかったため、米はほとんど年貢として納め、雑穀を主食としていた。竹細工、木工品、薪、炭の生産と、草津街道の運搬補助、湯治場が主な産業であった。

また、水利権争いが度々起きていた。平穏や和合会などの名称は地域の争いが起きないように願いつけられた。奥志賀高原では木島平村と夜間瀬村の水争いもあった。

夜間瀬川水系の水利権は、下流の中野市側にあったことや、耕作地が少ないことから、原野開拓が盛んに行われた。

特に徳川幕末、松代真田藩領では佐久間象山が高井郡沓野村・佐野村・湯田中村の利用係となり、頻繁に指導、鉱山開発などもした。(無給の使役に対する沓野村農民の松代直訴、天領上条の湯女騒動などもあった)

山林原野は歴史的に地域共同体としての所有をしていた。 明治政府により国有とされた時期があったが、多くを奪還し以降の土地所有権は入会権をもって山岳部は共同保有され、上信越国立公園の中の志賀高原の殆どの所有権は財団法人の共有名義となっている。

[編集] 沿革

  • 1855年(安政2年)湯田中村沓野組が分村
  • 1871年(明治4年)湯田中村、沓野村が合併し湯田中村
  • 1875年(明治8年) 【この年】高井郡寒沢村、菅村を編入。
  • 1876年(明治9年)5月 高井郡湯田中村、上条村が合併し平穏村となる。
  • 1879年(明治12年) 【この年】下高井郡制施行。高井郡平穏村、夜間瀬村、佐野村、寒沢村、戸狩村は下高井郡に属する。
  • 1889年(明治22年)4月1日 市町村制施行。下高井郡平穏村、夜間瀬村。合併を伴わずに発足。下高井郡佐野村、寒沢村、戸狩村が合併し穂波村が発足。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 下高井郡平穏村。町制を施行し平穏町となる。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 下高井郡平穏町。夜間瀬村、穂波村と合併し町名を変更。山ノ内町が誕生する。

[編集] 人口

山ノ内町と全国の年齢別人口分布図(比較) 山ノ内町の年齢・男女別人口分布図
紫色は山ノ内町
緑色は日本全国
青色は男性
赤色は女性
1980年 18,964人
1985年 18,546人
1990年 17,680人
1995年 16,951人
2000年 15,900人
2005年 14,704人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 行政

[編集] 経済

[編集] 産業

  • 観光業
  • 農業

[編集] 姉妹都市・提携都市

[編集] 国内

背景:疎開地として当時平穏村人口6千5百人に対して学童疎開人口5千弱、 足立区からは千8百余名を受け入れた事に由来する交流

[編集] 海外

[編集] 地域

[編集] 教育

[編集] 交通

町内に長野電鉄長野線が通り、夜間瀬駅上条駅湯田中駅が置かれている。また、道路は国道292号国道403号が通過している。

[編集] 鉄道

夜間瀬駅上条駅湯田中駅

湯田中駅から遊園地駅、渋安代駅が計画(建設許可済)されていたが、実現しなかった。 遊園地は世界平和観音の近くに観覧車などが作られたが、現在は存在しない。

[編集] 道路

一般国道

県道(一部)

道の駅

[編集] 名所・旧跡・観光スポット

[編集] 名所

  • 横湯山温泉寺
    • 1305年(嘉元3)京都臨済宗東福寺虎関師練国師が草庵を建て温泉の効能を教えた。1556年(弘治2)佐久曹洞宗貞祥寺から節香徳忠禅師を招いて横湯山温泉寺として開山。武田信玄が1564年(永禄7)に伽藍を寄進し寺の紋を武田菱とした。川中島合戦のおり武田方の湯治場となっていた。現在境内には和式サウナが復元されている。
  • 世界平和聖観世音菩薩
    • 昭和13年に護国観音として青銅製33mの大観音を山田山光師が建立、昭和19年金属供出で解体。現在の大観音は昭和39年に完成。25mのブロンズ製で、東洋の金属製観音像としては最大。台座には四国三十三箇所の写し本尊が安置され、地下には回廊が作られている。
  • 上林不動尊千駄焼き
    • 文久年間ころから伝わる。2月立春に御岳教中正講社の行者が五難・七難即滅、雨乞いを祈祷する。燃え盛る炭の上を素足で火渡りする。
  • 御柱
    • 7年に一度の諏訪社による御柱祭り。
    • 天川神社、金倉神社、諏訪八幡社、高井水上神社、湯宮神社
  • 宇木江戸彼岸桜
    • 県下最大の根周径、国土地理院地形図に「千歳桜」と記述、昭和3年天皇御大典を記念して命名。もとは月見桜、見返り桜と呼称。

[編集] 文化財

  • 重要文化財(国指定)
    • 佐野神社本殿(桃山時代):昭和30年6月22日指定
  • 史跡(国指定)
    • 佐野遺跡(縄文晩期):昭和51年12月25日指定
  • 天然記念物(国指定)
  • 登録有形文化財
    • 金具屋旅館:平成15年7月12日登録
    • よろずや旅館:平成15年12月25日登録
    • 湯田中駅旧駅舎:平成16年12月10日登録

[編集] 温泉

山ノ内町の町内には60近くの外湯、160近くの温泉宿泊施設が有る。 長野縣(下高井郡)平穏温泉調査報告 地質調査所月報 第4巻 第3号 1953/3

[編集] 文化施設

[編集] コンサートホール

[編集] 博物館/美術館

[編集] 出身有名人

[編集] ゆかりの人々

[編集] 外部リンク

山ノ内町ホームページ


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