芝公園
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芝公園
- 東京都港区に所在する公園。本稿で記述する。
- 上記の公園とその周辺を占める東京都港区の町名。住居表示実施に伴う町名変更で一丁目から四丁目まである。当地域の人口は、1032人(2008年4月1日現在、住民基本台帳による。港区調べ)。
座標: 北緯35度39分23秒 東経139度44分54秒 / 北緯35.65639度 東経139.74833度
| 芝公園 | |
|---|---|
増上寺を中心とする芝公園
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| 所在地 | |
| 開園 | 1873年10月19日 |
| 事務所 | 芝公園サービスセンター |
| 事務所所在地 | 〒105-0011 東京都港区芝公園4-10-17 |
芝公園(しばこうえん)は、東京都港区にある公園である。一般的に、都立芝公園と港区立芝公園の総称。
目次 |
概要[編集]
芝公園は増上寺を中心とした緑地帯(都立公園)であり、1873年(明治6年)の開園と、東京都内でも上野恩賜公園などと並ぶ古い公園である。元々は増上寺境内の敷地を公園としていた。しかし戦後の政教分離の考えにより、増上寺の敷地とは独立して宗教色のない都立公園として新たに遊具や運動施設などが設けられ、整備された。そのため、現在の公園の敷地は増上寺を取り囲むような形状になっている。
公園内にホテル、学校、図書館などの施設が点在するほか、グラウンドや散策路などがあり広大な公園施設となっている。また、園内には前方後円墳の芝丸山古墳、丸山貝塚もある。
東端には港区役所、西端には東京タワーが建ち、特に東京タワーを正面に望む東側の散策路はデートスポットとして、ロケ撮影地として親しまれる。
また、芝公園の名称は周辺一帯の町名(芝公園一丁目から芝公園四丁目)としても使われている他、地下鉄の駅名(都営地下鉄三田線芝公園駅)や高速道路の出入口の名称(首都高速都心環状線芝公園出入口)にもなっている。
沿革[編集]
- 1598年(慶長3年) - 増上寺が徳川家康によって麹町から現在の芝の地に移される。
- 1873年(明治6年)10月19日 - 芝公園が開園する。また、公園敷地が芝公園地1-25号地の計25区画に振り分けられる。
- 1878年(明治11年) - 芝区成立に伴い芝公園は芝区に編入され、東京府芝区芝公園地となる。
- 1889年(明治22年)5月1日 - 東京市の成立に伴い東京市に所属し、東京市芝区芝公園地となる。
- 1890年(明治23年)、増上寺五重塔を増上寺から芝公園に移管する。
- 1899年(明治32年) - 初代陸地測量部長小菅智淵工兵大佐の銅像が公園内に建立される(後に戦時中の金属供出で撤去)。
- 明治末期、次第に住所である芝公園地の「地」が省略されるようになり、東京市芝区芝公園となる。
- 1929年(昭和4年) - 芝区役所(現在の港区役所)が芝公園6号地に移転。
- 1945年(昭和20年) - 戦災により、増上寺境内の五重塔と徳川家霊廟などほとんどが焼失する。
- 1947年(昭和22年) - 芝区が赤坂区・麻布区と合併し、新たに港区が成立。それに伴い、東京都港区芝公園となる。
- 1958年(昭和33年)10月14日 - 東京タワーが芝公園20号地に完成する。
- 1965年(昭和40年)7月1日 - 芝公園の一部が西新橋三丁目に編入される。
- 1972年(昭和47年)1月1日 - 住居表示の実施に伴い、芝公園の一部が芝大門一丁目に編入され、残りの芝公園1-25号地に周辺地区をあわせ、現在の芝公園一丁目-四丁目が成立する。
- 1977年(昭和52年)9月1日 - 芝栄町の一部を芝公園三丁目・芝公園四丁目に編入する。
- 2006年(平成18年)4月1日 - 指定管理者制度により、芝公園が財団法人東京都公園協会の管理となる(-2011年(平成23年)3月31日まで)。
住居表示実施前後の町名の変遷[編集]
| 実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) |
|---|---|---|
| 芝公園一丁目 | 1972年1月1日 (芝栄町のみ1977年9月1日) |
芝公園5~9号地 |
| 芝公園二丁目 | 芝公園10-15号地、芝片門前一丁目、芝片門前二丁目 | |
| 芝公園三丁目 | 芝公園3号地・4号地・21-25号地、芝栄町 | |
| 芝公園四丁目 | 芝公園1号地・2号地・16-20号地、芝栄町、麻布飯倉町五丁目 |
施設・名所[編集]
- 芝公園一丁目
- 芝公園二丁目
- 芝公園三丁目
- 芝公園四丁目
外部リンク[編集]
関連項目[編集]
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