浜離宮恩賜庭園
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東京都立浜離宮恩賜庭園(とうきょう とりつ はまりきゅう おんし ていえん)は、東京都中央区浜離宮庭園にある都立庭園である。
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[編集] 概要
東京湾から海水を取り入れ潮の干満で景色の変化を楽しむ、潮入りの回遊式築山泉水庭。江戸時代に庭園として造成された。園内には鴨場、潮入の池、茶屋、お花畑、ボタン園などを有する。
もとは甲府藩の下屋敷の庭園であったが、宮内省管理の離宮を経て、東京都に下賜され都立公園として開園。公園の広さは、250,165.81m²。
有料で一般に開放されている。 開園時間は午前9時から午後5時(入園は午後4時30分まで)。イベント開催などで開園時間が延長される場合がある。みどりの日・都民の日においては、無料で観覧可能。
[編集] 主な見所
- 鴨場 - 鴨の猟をおこなうために作られた池。
- 潮入の池 - 海水を引き入れ、潮の干満による眺めの変化を楽しむことが出来るようになっている。
- 中島 - 潮入の池の中央に位置する小さい島。
- 御茶屋 - 中島にある休憩所。
- 三百年の松 - 江戸時代、徳川家宣が改修したときに植えられたと伝わる。東京都内最大の黒松。
- ボタン園 - 60種800株が植えられている。
- お花畑 - 季節の花が咲きほこる。
- 桜 - 種類が多いため見頃が比較的長い。春はライトアップされる。
- 他の樹木 - 松、ケヤキなど多種。園内には多くの大木が残されている。
[編集] 歴史
江戸幕府が開かれて暫くは将軍家の鷹狩の場であったが、承応3年(1654年)に甲府藩主の松平綱重がこの地を拝領し、埋め立てて別邸を立てた。その後は甲府藩の下屋敷として使用された。このため甲府浜屋敷、海手屋敷と呼ばれるようになった。綱重の子である徳川家宣が6代将軍になると、将軍家の別邸とされ浜御殿と改称して大幅な改修が行われ、茶園、火薬所、庭園が整備された。
幕末、外国人接待所として石造洋館である延遼館(幕府海軍伝習屯所)が建設された。延遼館は、明治維新後も鹿鳴館が完成するまでは迎賓館として使用された。 明治維新後に、宮内省の管轄となり名前も浜離宮と改められた。明治天皇も度々訪れるようになる。
- 1879年(明治12年)- 当時のドイツ皇太子フリードリヒや前アメリカ大統領のユリシーズ・S・グラントが日本を訪問した際、ここで明治天皇との謁見が行われた。
- 1889年(明治22年)- 延遼館が取り壊される。
- 1945年(昭和20年)11月3日 - GHQの要求により東京都に下賜される。
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 都立庭園として開園。
- 1952年(昭和27年) - 旧浜離宮庭園として特別史跡・特別名勝に指定される。
- 2000年前半 - 旧汐留貨物ターミナルが再開発され汐留の高層ビル群が林立し、景観は著しく変わってしまった。しかし「都市的風景」として評価する向きもある。
[編集] 交通
- 大手門口
- 中の御門口
- 水上バス
[編集] 関連項目
- 東新橋 - 浜離宮庭園との区境をえての隣接する港区の町名。
- 海岸 - 浜離宮庭園との区境をえての隣接する港区の町名。
- 関東の史跡一覧
- 日本国指定名勝の一覧
[編集] 外部リンク
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