白金台

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白金台交差点より外苑西通り(プラチナ通り)を望む

白金台(しろかねだい)は、東京都港区にある地名住居表示実施済み地区であり、白金台一丁目から白金台五丁目に分かれている。当地域の人口は、9,877人(2011年8月1日現在、住民基本台帳による。港区調べ)。

郵便番号 108-0071

目次

概要 [編集]

港区の西南端に位置し、西部で渋谷区恵比寿品川区上大崎東五反田に隣接し、東部で高輪に、北部で白金にそれぞれ接する。目黒通りと外苑西通り・桜田通り(国道1号)沿いに商店・マンションが林立し、その他は大部分が閑静な住宅地となっている。町内には歴史的建造物で有名な明治学院がある。

かつてはごく普通の庶民の住宅街だったがバブル景気後半頃より洒落たレストランやカフェ、ブティックが目立ち始め、それらに伴い高級マンションが建つようになり近年は高所得の住民も住むようになった。その一部の女性住民がマスコミにより「シロガネーゼ[1][2]として取り上げられた。そのため、高級住宅街として扱われるようになった。

町名である白金台の正しい読みは「しろかねだい」であり、「しろがねだい」ではない[3]。一般にはどちらの読み方もされてきたが、

  1. もともと町名の起源となった白金長者(応永年間に白金地区を開墾した柳下上総介)は、白金(しろがね=プラチナ)ではなく、大量の銀(しろかね)を保有していたために白金長者と呼ばれるようになったこと
  2. それを裏付けるように、『小田原衆所領役帳』(北條役帳)では「白銀」と記されていること

などの歴史的事情を考慮して、1969年昭和44年)1月1日に白金地区に住居表示が実施された際、港区が「しろかねだい」を正式町名として採用したという経緯がある。

歴史 [編集]

  • 応永年間、南朝国司であった柳下上総介が当地を開墾、白金村を開く。(白金村は武蔵国豊島郡荏原郡の境界線上にあったため長いこと所属が定まらず、江戸時代入会地とされた)
  • 慶安4年(1651年)、現在の目黒通り沿いに形成された町屋が白金村より分離し、白金台町一丁目~十一丁目が成立する。
  • 正徳3年(1713年)、新たに町奉行支配となる。
  • 慶応3年(1867年)、外国人に牛肉を供給していた中川嘉兵衛が、江戸荏原郡今里村(後の芝白金今里町、現在の白金台2丁目)に屠牛場(後の「東京共有屠牛場」)を設立。これが日本における最初の近代的屠場であった。[4]
  • 明治元年(1868年)、東京府成立にともない、白金台町は東京府の所属となる。
  • 明治2年(1869年)、白金台町六丁目に白金瑞聖寺門前を合併する。
  • 明治5年(1873年)、白金台町一丁目~五丁目に瑞聖寺の敷地をあわせて新たに白金台町一丁目とし、白金台町六丁目~十一丁目に白金御料地をあわせて白金台町二丁目とした。
  • 明治11年(1878年)、芝区の成立にともない、東京府芝区白金台町となる。
  • 明治22年(1889年5月1日東京市の成立にともない、東京市芝区白金台町となる。
  • 明治45年(1912年)、神田橋より白金火薬庫前(現・上大崎)まで東京市電が開通する。
  • 昭和22年(1947年)、芝区が赤坂区麻布区と合併して新たに港区が成立する。それにともない町名に「芝」の冠称がつき、港区芝白金台町となる。
  • 昭和42年(1967年12月10日、白金台の都電が廃止される(5系統・目黒駅前~白金台町~永代橋)。
  • 昭和44年(1969年1月1日住居表示実施。従来の芝白金台町に周辺の芝白金三光町・芝白金今里町・芝白金猿町・芝二本榎西町などをあわせて現在の白金台(しろかねだい)成立。
  • 平成12年(2000年9月26日、地下鉄南北線三田線白金台駅が開業。

住居表示実施前後の町名の変遷 [編集]

実施後 実施年月日 実施前(各町名ともその一部)
白金台一丁目 1969年1月1日 芝白金台町一丁目、芝白金今里町
白金台二丁目 芝白金今里町、芝白金猿町、芝二本榎西町
白金台三丁目 芝白金台町一丁目、芝白金台町二丁目、芝白金今里町
白金台四丁目 芝白金台町一丁目、芝白金台町二丁目、芝白金三光町
白金台五丁目 芝白金台町二丁目、芝白金三光町

施設・名所 [編集]

白金台一丁目
白金台二丁目
白金台三丁目
白金台四丁目
白金台五丁目

交通 [編集]

鉄道
道路

関連項目 [編集]

ギャラリー [編集]

参考図書 [編集]

  • 『まち探訪ガイドブック』 2007年度版 港区発行

脚注 [編集]

  1. ^ 実際にはマスメディアが言うところの「シロガネーゼ」に当たるのはほんの一部の住民であった。しかしそのようにマスコミが仕掛け大々的に取り上げたこともあり、外苑西通りは別名プラチナ通りと呼ばれるようになり、通り沿いを中心にレストランやカフェ、ブティックなどが増え、次第に目黒通り沿いにも同様の光景が見受けられるようになった。しかし、地価の急激な高騰と昨今の長期的不況により、店の入れ替わりがいっそう激しくなり、開店して1年も経たずに店が入れ替わるケースもある。
  2. ^ 旧白金台町は空襲の被害を受けなかったことや、長らく住宅街としての位置づけにあったこともあり、目黒通り周辺には近年まで戦前から残る家屋も並んでいた。しかし、地価の高騰や地下鉄開業、目黒通りの拡幅工事によって、地権者や建造物の入れ替わりが進み、他の東京の地区と同様にマンションやオフィスなどのビルが多くを占めるようになっている。
  3. ^ 作家今東光は会話の時うっかり「芝のしろがね町の……」と発言したために、谷崎潤一郎から「芝はしろかね。白金と書いてしろかねと言うんだ」「牛込のはしろがね。白銀と書いてしろがねと発音するんだ。明治になってから、田舎っぺが東京へ来るようになって、地名の発音が次第に滅茶苦茶になってきたな」と怒鳴りつけられたことを記している(『十二階崩壊』中央公論社1978年。p.250)
  4. ^ 東京都中央卸売市場ウェブサイト 食肉市場・芝浦と場 東京食肉市場の歩み

外部リンク [編集]