白金 (東京都港区)

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白金
—  町丁  —
白金アエルシティ
白金の位置(東京23区内)
白金
白金
白金の位置
座標: 北緯35度38分36.99秒 東経139度43分36.59秒 / 北緯35.6436083度 東経139.7268306度 / 35.6436083; 139.7268306
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 Flag of Minato, Tokyo.svg 港区
地区 高輪
人口 (2014年(平成26年)6月1日現在)[1]
 - 計 16,513人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 108-0072(高輪局管区)
市外局番 03(東京MA)
ナンバープレート 品川
※座標は区立朝日中学校付近[2]

白金(しろかね)は、東京都港区の地名・町名。狭義には現在の町名(白金一~六丁目)を指す。また、広義には現在の港区白金に、隣接する白金台などを含めた旧芝白金地区全域を指すことがある。本稿では主に現在の白金について述べる。

地理[編集]

港区の南部に位置し、古川(渋谷川)を隔てて北は南麻布、南は白金台、東は高輪、西は渋谷区恵比寿にそれぞれ接する。東京都道305号芝新宿王子線(通称 恵比寿通り)が東西に横断していて、主に準工業地域の用途指定を受ける丁目が奇数の白金一、三、五丁目と、主に第一種中高層住居専用地域指定である丁目が偶数の白金二、四、六丁目に分けている(道路沿いは商業地域指定)。古川沿いの低地には町工場や商店街が開けており、南部の台地は聖心女子学院初等科・中等科・高等科及び聖心女子専門学校などの学校やマンションが立つ閑静な住宅街となっている。近年地下鉄の開通に伴い、白金高輪駅付近を中心に大規模な再開発(白金アエルシティ)が行われている。

町域内には聖心女子学院・北里研究所などの施設や私企業が山林として所有する敷地があり、隣接する白金台の旧白金御料地(国立科学博物館附属自然教育園など)・東京大学医科学研究所などと一帯となり、東京23区内でも指折りの緑地帯を形成している。これらの緑地帯は江戸時代に大名屋敷があった名残であり、広い区画が残っていたために財界人などの邸宅も見受けられ、高級住宅地として知られている地域もある。

「白金」の読み[編集]

一般に「しろかね」と「しろがね」が混用されて読まれる白金だが、町名の白金は正しくは「しろかね」と発音し、「しろがね」ではない[3]。一般にはどちらの読み方もされてきたが、

  1. もともと町名の起源となった白金長者(応永年間に白金地区を開墾した柳下上総介)は、白金(しろがね=プラチナ)ではなく、大量の銀(しろかね)を保有していたために白金長者と呼ばれるようになったこと
  2. それを裏付けるように、『小田原衆所領役帳』では「白銀」と記されていること

などの歴史的事情を考慮して、1969年昭和44年)1月1日に白金地区に住居表示が実施された際、港区が「しろかね」を正式町名として採用したという経緯がある。

歴史[編集]

沿革[編集]

  • 応永年間、南朝国司であった柳下上総介が当地を開墾、白金村を開く。(白金村は武蔵国豊島郡荏原郡の境界線上にあったため長いこと所属が定まらず、江戸時代は入会地とされた)
  • 慶安4年(1651年)、白金村より白金台町1~11丁目と白金猿町が分離する(現在の港区白金台)。
  • 明治元年(1868年)、東京府成立にともない、白金村は東京府の所属となる。
  • 明治2年(1869年)、白金氷川社門前などの寺社地を合併して、新たに白金錦町が起立される。
  • 明治5年(1872年)、武家地に白金志田町・白金上三光町・白金下三光町が、寺社地に白金丹波町が新たに起立される。
  • 明治11年(1878年)、芝区の成立に際して、白金猿町・白金台町・白金丹波町・白金志田町が芝区の所属となる。
  • 明治12年(1879年)、白金村に隣接する荏原郡今里村・白金上三光町・白金下三光町・白金錦町が、白金村に編入される。
  • 明治22年(1889年)、白金村が芝区に編入され、東京市成立にともない東京市芝区白金村となる。
  • 明治24年(1891年)、芝区白金村のうち旧今里村の区域は白金今里町に、その他の地域は白金三光町となり、白金村が消滅する。
  • 明治末期  この頃より、それまで郊外の田園地帯に過ぎなかった白金地区に住宅・商店・工場が増え、急速に発展した。
  • 昭和22年(1947年)、芝区が赤坂区麻布区と合併して新たに港区が成立。それにともない白金地区の町名に「芝」の冠称がつく。
  • 昭和42年(1967年7月1日住居表示の実施にともない、白金地区のうち芝白金志田町・芝白金丹波町・芝白金三光町・芝白金猿町の一部ないし全部が港区高輪となる。
  • 昭和44年(1969年1月1日、白金地区の残余部分に住居表示が実施され、麻布新広尾町の一部と麻布田島町・芝三田老増町をあわせて現行の港区白金が成立する。同時に、芝白金台町・芝白金今里町・芝白金猿町・芝白金三光町と芝二本榎西町の一部ないし全部は港区白金台となる。
  • 平成12年(2000年9月26日、地下鉄白金高輪駅が開業する。

変遷[編集]

実施後 実施年月日 実施前(各町名ともその一部・かつての芝白金地区は太字
白金一丁目 1969年1月1日 芝白金三光町芝白金志田町、芝三田老増町、麻布新広尾町二丁目、麻布田島町
白金二丁目 芝白金三光町芝白金台町一丁目、芝三田老増町
白金三丁目 芝白金三光町、麻布新広尾町三丁目、麻布田島町
白金四丁目 芝白金三光町
白金五丁目 芝白金三光町、麻布新広尾町三丁目、麻布田島町
白金六丁目 芝白金三光町
白金台一丁目 1969年1月1日 芝白金台町一丁目芝白金今里町
白金台二丁目 芝白金今里町芝白金猿町、芝二本榎西町
白金台三丁目 芝白金台町一丁目芝白金台町二丁目芝白金今里町
白金台四丁目 芝白金台町一丁目芝白金台町二丁目芝白金三光町
白金台五丁目 芝白金台町二丁目芝白金三光町
高輪一丁目 1967年7月1日 芝白金三光町芝白金志田町芝白金丹波町など (その他については高輪の項を参照のこと)
高輪三丁目 芝白金猿町など (その他については高輪の項を参照のこと)

地区内の施設[編集]

白金一丁目[編集]

白金二丁目[編集]

白金三丁目[編集]

白金四丁目[編集]

白金五丁目[編集]

白金六丁目[編集]

交通[編集]

鉄道[編集]

路線バス[編集]

道路[編集]

著名出身者[編集]

ギャラリー[編集]

参考図書[編集]

  • 権田保之助1974-5『権田保之助著作集』
  • 『まち探訪ガイドブック』 2007年度版 港区発行

脚注[編集]

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  1. ^ 港区公式ホームページ/高輪地区総合支所管内 2014年6月(町丁目別人口・世帯数(高輪地区総合支所管内))より。2014年6月21日閲覧。
  2. ^ Google Earthより
  3. ^ 作家今東光は、谷崎潤一郎と話していて、うっかり「芝のしろがね町の……」と発言したために、「芝はしろかね。白金と書いてしろかねと言うんだ」「牛込のはしろがね。白銀と書いてしろがねと発音するんだ。明治になってから、田舎っぺが東京へ来るようになって、地名の発音が次第に滅茶苦茶になってきたな」と怒鳴りつけられたとのこと(『十二階崩壊』中央公論社1978年。p.250)

関連項目[編集]