瑞聖寺

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瑞聖寺

大雄宝殿(重要文化財)
(2008年11月24日撮影)
所在地 東京都港区白金台三丁目21番19号
位置 北緯35度38分14.25秒 東経139度43分37.07秒 / 北緯35.6372917度 東経139.7269639度 / 35.6372917; 139.7269639座標: 北緯35度38分14.25秒 東経139度43分37.07秒 / 北緯35.6372917度 東経139.7269639度 / 35.6372917; 139.7269639
山号 紫雲山
宗派 禅宗黄檗宗系単立)
本尊 釈迦如来
創建年 寛文10年(1670年[注釈 1]
開山 木庵性瑫[注釈 2]
開基 青木重兼
札所等 元祖山手七福神布袋
文化財 大雄宝殿(重要文化財)
法人番号 7010405001395 ウィキデータを編集
瑞聖寺の位置(東京都区部内)
瑞聖寺
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瑞聖寺(ずいしょうじ)は、東京都港区白金台三丁目にある禅宗寺院。宗派は黄檗宗系の単立。山号は紫雲山。本尊は釈迦如来。開山は木庵性瑫、開基は青木重兼である。

歴史[編集]

瑞聖寺は寛文10年(1670年)に創建された。開山(初代住持)は日本黄檗宗2代の木庵性瑫である。木庵は日本黄檗主の祖・隠元隆琦の招きで明暦元年(1655年)に中国・明から来日し、寛文5年(1665年)に江戸入りした。開基(寺院創設の経済的基盤を提供した人物)は摂津麻田藩大阪府豊中市)の2代藩主・青木重兼である。重兼は黄檗宗に深く帰依し、晩年には家督を譲って出家している。江戸時代には江戸の黄檗宗の中心寺院として「一山之役寺」と呼ばれていた。『江戸名所図会』によると山門・天王殿・大雄宝殿・禅堂等を備えた巨刹であった[3]が、文政年間に大規模な罹災あう。現大雄宝殿は高輪下馬将軍として名高い薩摩藩主島津重豪により扁額を与えられる共に再建されるに至る[4]

大雄宝殿および通用門1棟は昭和59年(1984年)東京都指定有形文化財に指定され、平成4年(1992年)に国の重要文化財に指定された。

現在は寺の北側の目黒通り側が境内入口になっているが、本来こちらは裏門で、寺の東側が正式の入口であった。もと目黒通り側にあった高麗門形式の旧通用門(重要文化財の附指定)は、明治時代に東側に移築されている[5]

瑞聖寺創建350年記念事業として、既存庫裏老朽化による建替え工事を行っており、工期は平成29年(2017年)1月着工、平成30年(2018年)11月に完成している。

文化財[編集]

重要文化財[編集]

  • 大雄宝殿(附:旧通用門) - 宝暦7年(1757年)の上棟。入母屋造、本瓦葺き、一重裳階(もこし)付き。

その他[編集]

他に江戸最初の七福神巡りとされる元祖山手七福神の一つ、布袋尊像がある。また、宝暦9年(1759年)に鋳造された瑞聖寺の半鐘スイスジュネーヴ民族博物館に保管されているが、国外へ流出した経緯などは記録がないため不明である。

ジュネーブ市の「民俗学博物館」に展示されていた「半鐘」は平成20年6月現在「民俗学博物館」の展示内容を現代美術に変更したため、その存在は不明で職員によると保管庫にあるとのこと。

開基である青木重兼(母親は関氏)の縁からか、新見藩主の関氏の菩提寺となっている。

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 江戸名所図会』では寛文11年[1]
  2. ^ 『江戸名所図会』では開基[2]、開山は黄檗本師[1]

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 斎藤長秋 編「巻之三 天璣之部 紫雲山瑞聖寺」『江戸名所図会』 2巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、77,80-85,89頁。NDLJP:1174144/43 

外部リンク[編集]

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