高橋名人

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高橋 利幸
たかはし としゆき
生誕 1959年5月23日(55歳)
日本の旗 日本 北海道札幌市西区
職業 会社役員

高橋名人(たかはしめいじん、本名:高橋 利幸(たかはし としゆき)、1959年5月23日 - )は、日本のゲーム関係者、歌手。ファミコン全盛期にファミコン名人として一世を風靡した。所属事務所はBe.Brave Group、アミュレート

北海道札幌市西区琴似出身。身長163cm、体重68kg。なお、「高橋名人」という名称はハドソンが商標登録している[1]が、ハドソンとの話し合いにより退社後も役職として名人を使用している。

経歴[編集]

札幌市西区生まれ。東海大学付属第四高等学校卒業後、北海道自動車短期大学に進学するが、スーパーマーケット札幌フードセンター」でのアルバイトに熱中しすぎて3ヶ月で退学し、そのまま入社した[注 1]

3年間働いて[注 2]青果部の主任に昇格した1981年春、仕入れや在庫の管理、伝票整理のわずらわしさから逃れるため、たまたま入ったマイコンショップでシャープのMZ-80Bを購入したのがゲーム業界に関わる切っ掛けとなった[6]。せっかく購入したものの、当時のパソコンは使う側にかなりの知識を要求したにも関わらず特に知識もなかったため埃を被っていたところを、毎月手元に届けられるローンで支払わねばならない金額を見て一念発起し、BASICのコマンドを30程度覚えた所で札幌フードセンターを退職、その後カルチャーセンターの講師に就き、教える側になる。そこで生徒から様々な質問を浴びせられる内に、それに応える為に自身も知識を深めていった[5]。そうして培った技能を元に1982年8月、友人の影響でハドソン[注 3]で面接を受け入社[注 4]。当初は営業部に所属していたが、ハドソンのファミリーコンピュータ参入をきっかけに宣伝部に移る[注 5]

1984年7月にハドソンがナッツ&ミルクロードランナーを発売してから、月刊コロコロコミック編集部との親密な関係が始まり、週の内五日は同編集部に通うという状態が一年間は続いた。当時コロコロはすがやみつる原作の『ゲームセンターあらし』の連載が終了し、次の人気連載となる作品を模索していた所、ほどなくしてそれがすがやの元アシスタントであったあさいもとゆき原作の『ファミコンロッキー』などに代わり同社の作品が作中で使われる事が多かった為、ハドソンと名人が絡んで行く事になる[10]

1985年3月15日、百貨店[注 6]の屋上で行われた月刊コロコロコミックの催し「コロコロまんが祭り」にハドソン社員として参加[12]し、1000人ほどの親子連れの前でファミコンの『チャンピオンシップロードランナー』を実演した所、2~300人が残ってサインをねだる事態となった[11]。この催しの成功を受けて、ハドソンはハドソン全国キャラバンなどの立ち上げを急遽決定。ゲームの実演役として高橋が指名され、また将棋や囲碁に倣い「名人」という呼称を使うことになった[注 7]。ここに「高橋名人」が誕生し、5月3日の「コロコロまんがまつり・スターフォース発売前ファミコン大会」にて名人として初登場した[11][注 8][注 9]

同年に行われた全国キャラバン(『スターフォース』)で「16連射」を披露し、これがコロコロコミックで取り上げられると一躍子供たちのヒーローになった。また、毛利名人を筆頭に他社からも続々と名人が名乗りを上げ、ファミコン名人という流行を作り出すことになった[15]。その中でも本家本元の高橋名人は人気が別格であり、8月14日にはTV出演[16]、晴海国際貿易センターに四千人を集めた12月22日の「クリスマスファミコンフェスティバル」は翌日の東京新聞[17]で特集され、さらにフライデー、週刊文春でも取り上げられることで、ファミコンが一大現象になっていることを一般社会に知らしめた[18]。翌1986年にはこども電話相談室準レギュラーに就任した[19]のを始め、CDデビュー、漫画化、映画化、ゲーム化など積極的にメディアミックスを図り、キャラクターとしても愛される存在になっていく。

しかし、翌1987年にハドソンがNECホームエレクトロニクスと共同開発したPCエンジンが発売されると、PCエンジンソフトの宣伝に回されることになり、ファミコン業界から離れることになる。煽りを受けることになったのはコロコロコミックで連載されていた漫画『ファミコンランナー高橋名人物語』(河合一慶原作)で、表題に「ファミコン」の名称が使われていた為途中打ち切りとなり、最終巻が発売されなかった[20][注 10]

その後は、後進の指導などにあたり、1998年から2000年にかけてハドソンの子会社「未来蜂歌留多商会」へ営業部部長として出向、トレーディングカードの制作販売を監督する。2000年、ハドソン大阪支社を経て、ハドソンがコナミの子会社になって自社流通事業から撤退したのを機に東京支社へと戻る。

2000年代初頭に起きた新世代テクノポップバンドの盛り上がりの中で、高橋名人再評価の機運が高まり[注 11]、2001年に宇宙ヤングと楽曲を発表。2002年5月から2003年11月にかけて3回行われた宇宙ヤング主催の『高橋名人のBugってナイト』では、かつて発表した楽曲の歌唱はもとより、16連射スイカ割りなども披露した。この直後からレトロゲームが再評価されるようになり、再び高橋名人として媒体に登場するようになった。

2004年12月6日、営業職から宣伝部へ異動[21]。2006年11月には、ハドソン内での役職名も「名人」となる[22]など、名人推しは続いた。(なお、名人という役職だが、事実上はコンシューマコンテンツ事業本部宣伝部部長。)

2011年5月31日、ハドソンを退社し、同年6月1日にゲッチャ・コミュニケーションズに入社。ハドソン退社の理由として、ハドソンの業務からコンシューマーゲームが消えたことを挙げている。なお、ハドソンとの交渉により「高橋名人」の名は引き続き使用できることになった[23][注 12]

2011年12月9日夜、自身がMCとして出演するニコニコ生放送の番組『電人☆ゲッチャ!』で、同日入籍したことを発表した。

2012年10月、ゲッチャ・コミュニケーションズの買収に伴い、ゲームプレゼンテーターとして株式会社MAGES.に移籍[26]

2014年6月、企画、開発、運営まで、ゲームに関わるすべての業務を行う株式会社ドキドキグルーヴワークスを設立し、代表取締役名人に就任[27][28]

人物[編集]

実家は高橋一族の本家で、金物屋などをやっていた。その為、子供の頃の夢は家を継ぐことであった[29]。道産子であったため、ハドソン入社前は暑さに弱かったが、営業で全国各地を回る内に三十五度の高温でも平気になった[30]

風貌については全盛期の髪型から総髪を後ろで束ねた髪型を経て[注 13]、2003年からはスキンヘッドの姿となっている[32]。本人の日記によると趣味であるツーリング時にスキンヘッドの方が便利だからとの記述がある。結婚してからは夫婦でツーリングをしている[29]

帽子を被るようになったのは、おはようスタジオに遅刻した際、バイクで駆けつけたため広がった髪を押さえ付けるためにADから帽子を借りて被ったのが切っ掛けだった[16]

16連射[編集]

ゲーム機のコントローラのボタンを1秒間に16回押す16連射は高橋名人の代名詞となっている。

1985年、ハドソン全国キャラバンのスターフォースで披露したのがコロコロコミックで取り上げられたのがきっかけで話題になった。シューティングゲーム上でのことなので16連打ではなく16連射と呼ばれ[注 14]、ハドソンが連射速度測定玩具『シュウォッチ』を発売したり、同社のゲーム『迷宮組曲』に連射速度測定機能が搭載されるなど、連射を競う流行現象を巻き起こし[注 15]、当時は名人の指に三億円の保険をかけるという話が出たほどだった[34]

当初から瞬間速度では16連打以上も可能だったが、語呂の良さや仕事柄16進数に親しみがあったなどの理由から16連打ということにしたもので[33]、全盛期には『シュウォッチ』でスコア174(17.4連打/秒)の記録を出したこともある[36]

この様な驚異的な連射能力を生んだ背景として、毎日2~3km歩いて山へ遊びに行っていたことや、小学校4年生の時から18キロある灯油缶を毎日持って運んでいたので握力85キロくらいはあり、りんごも片手で潰せたといったことが語られている[8][37]。また、邪道とされる”こすり”、”ピアノ打ち”といった技術を用いることも可能だが、敢えて叩きという正統派の連射しか公式な場で行うことはない[38]

50歳を越えても秒間12~13連射の実力を維持している[39]

映画『GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦』では、16連打でスイカを割る場面があるが、製作側が試行錯誤をこらして作った仕掛けであるとのこと[40][16]

逸話[編集]

裏技[編集]

ファミコン最盛期は数多くのファミコンソフトが開発・販売され、不具合やバグが多かったが、中にはその不具合がゲームの進行の意外な手助けになる事があり、必ずしも悪い効果ばかりではなかった。これがファミコンの雑誌など”裏技”として度々取り上げられたことで、非正規のやり方で本来の仕様上想定されていない(もしくは公開していない)効果を出すことを”裏技”という呼ぶようになったが、この「裏技」を高橋名人が命名したという説がある。

これは、当時ハドソンが開発販売したロードランナーに、梯子で右手を上げた状態のままだと敵がすり抜けるという不具合が発売後に見つかり、発売済み商品の全回収で下手をするとハドソンの倒産も考えられた。これをコロコロコミックに相談したところ、「これは表には出せないから、“裏の技”ということでやったら面白いんじゃないか」と言われて、「そうだ、発表してしまえ。“裏技”(笑)」とその提案に乗って名人が略したのが発端であった[41][42][16]

キャラクターとしての高橋名人[編集]

高橋名人の冒険島』シリーズでは、彼を元にした同名の原人が主人公として登場する[注 16]。この原人姿の高橋名人が、テレビアニメBugってハニー』の主人公の高橋原人の元にもなった。後に、『サターンボンバーマン』や『ドリームミックスTV ワールドファイターズ』(声は高橋本人)、『Original story from FAIRY TAIL 激突!カルディア大聖堂』など、ハドソンの他のゲームへも登場した(なお、同社の看板商品である桃太郎電鉄シリーズ各種には1度も出演していない)。

なお、『高橋名人の冒険島』はもともとエスケイプ(現・ウエストン ビット エンタテインメント)制作セガ販売のアーケードゲームワンダーボーイ』(第1作)をそのまま移植する予定であったが、ハドソン副社長の「名人を主人公にしたほうが面白い」という一言で、制作元に了承を得た上で開発中のゲームの主人公キャラクターを高橋名人に差し替えられる事になったため、本人の特徴とは必ずしも一致しない設定となり、加えてゲーム中のBGMも一新された(ただし同日に発売されたMSX版はワンダーボーイのBGMの流用)、制作元のエスケイプはライセンス認証だけでなく同作の制作にも協力している、翌年に発売されたNES版「Hudsons Adventure Island」では、キャラクターの高橋名人(原人)は「Master Higgins」(マスター・ヒギンズ)という名前に変更されている。

街頭インタビュー[編集]

2006年9月6日朝、銀座数寄屋橋付近(出勤のため、有楽町駅から築地のハドソンへ向かう途中であった)の街頭で、秋篠宮妃紀子の出産についてテレビ東京から街頭インタビューを受け、11時6分頃、その模様が同局の番組『NEWS MARKET 11』内で放映された。これは「親王誕生の喜びに沸く街の声」としての扱いであり、全く偶然の出来事であった。かつてテレビ東京に多く出演していたにもかかわらず、テレビ東京の人員は全く気づいていなかった様子である。同日の『速ホゥ!』でもこの映像は使用された[注 17]

放映前の時点で、既に本人のブログにインタビューを受けたことが書かれており本人と判明していたため、インタビュー放映直後からインターネットコミュニティ上で爆発的な話題となった。放送されていたインタビュー画面を取り込んだ画像や動画が第三者により公開され、ハドソン本社に問い合わせや「インタビューを受けたことに関しての取材」の申し込みが殺到したり、「東京スポーツ」の記事として取り上げられるほどであった[注 18]

思想[編集]

「ゲームは1日1時間」[編集]

「勉強でも何でもやりすぎは良くない、ゲームにだけ夢中にならず、いろいろなことを経験しよう」という意味を込めて高橋名人が放っていた言葉[44][注 19]

この発言は、直後に問屋などから「ゲーム会社の人間がゲームをするなとは何事か」と文句がつけられ、ハドソンで役員会が開かれるほどの物議を醸したが、逆に社長の決断で会社として『ゲームばかりで遊ばない、他のこともしよう』という健全な方向性を打ち出していくことになり、高橋名人に標語の作成が名じられた[45]

  • 「ゲームは一日一時間」
  • 「外で遊ぼう元気良く」
  • 「僕らの仕事はもちろん勉強」
  • 「成績上がればゲームも楽しい」
  • 「僕らは未来の社会人!」

結果、上の五つが標語となり、以後、ハドソン製ゲームソフトの取扱説明書や、「コロコロコミック」などでもこの言葉が掲載されていた。これらはあくまで子供へ向けたものであり、自己管理の出来る大人に関しては何時間ゲームしていても自己責任であるという見解である[43][8]

発言の根本的な所は名人の「小学生はゲームより先に、基礎体力や基礎の知恵を付けた方がいい」という信条にあるが[43]、直接的な切っ掛けはそれまで子供ばかりだったゲームの催し物の会場に大勢の親が訪れたことだった。当時、不良文化と結びついた悪印象を持たれていたゲームセンターのそれがファミコンにももたれてしまうことへの危惧もあったが[45]、名人はテレビゲーム文化がすぐに飽きられ一時的な流行で終わってしまうことを懸念しており[49]、ゲームと社会との間に健全で長期的な関係が育まれるようにとの想いから生まれたものであった[注 21]

2014年、オックスフォード大学のAndrew Przybylski博士率いる研究団が、イギリス全土の10歳から15歳の子供5000人に対して、ゲームに費やす時間とともに生活への満足度や友人との関係性などを質問し、ゲームをプレイしない子供達と比較すると、1日1時間以内ゲームをする子供達は生活への満足度が高く、社交的で、1人もしくは他の子供とビデオゲームをプレイすることにより幸福感や、一体感を得られることを示し、逆に、1時間以上プレイする子供達には、落ち着きがなくなったり、注意力散漫になったりするという問題が見られ、これはゲーム以外の活動の機会を逃すことが原因と考えられる、といった調査結果を発表し、直感で高橋名人が語っていたことが学術的にも裏付けられた[50]

子供達との接し方[編集]

「子供を指導するのではなく、一緒に遊んでいるお兄ちゃんでいよう」というのが基本的な姿勢で[51]、その為、家族で楽しめる”ファミコン体操”など様々なことを考え、催しで実演していた[43]

自分も名人になりたいという人への忠告として、ゲームの巧い下手はさして重要でないとする。観客に楽しそうに見せたり、紹介するプレイと高得点を狙うプレイは全く異なっており、面白そうに見せながら死なないようにする、といった魅せるプレイが必要で、下手でも楽しそうにプレイしている姿を見せてやればそれが一番と語る[52]

ゲームジャンル[編集]

  • FPSは嫌いだが、名人は3D酔いを苦にする訳ではなく、その理由は「人を撃ったり、蹴ったりするのは嫌いだから」で、相手が宇宙人や化け物であれば問題ない[29]
  • 弾幕系シューティングに対して否定的で、「避けゲー」、「シューティングゲームとはジャンルをわけてほしい」などと発言しており、「シューティングゲームで遊ぶ人が減った原因は弾幕系が初心者に敷居の高さを感じさせたため」との考えをとっている。この考えに対してはネット上で賛否を分けたが、本人も議論が起きることは承知の上で苦言しているとのこと(「これ言うと、またいろいろ非難されると思うんだけど」等)[53][54]
    • ただし、倒すと敵弾が消える仕様から、頑張って撃つことが道を切り開くことに繋がるバレットソウルは高く評価している[55]

十大重要作品[編集]

物事の決断[編集]

ハドソンという会社の社風とも重なるが、「会議室で決めた話は成功しない。飲み屋で決めた話は成功する」と決断の秘訣を語る。「会議室でいくら頭の中で知恵を絞ったところで、それはひねった意見」「遊んでいる雰囲気の中で、ざっくばらんに言っている意見をみんなが聞けるような姿勢でないと、面白いことというのは発展的にならない」と自身の経験に裏打ちされた信条を述べている[43]

多くの職種を経験した学生時代を振り返り、若い時にさまざまなアルバイトをしてみることを推奨している。給料が高くて効率がいいものより、安くても雑多な経験ができるものがよく、自分の技能獲得に繋がるだけでなく、自分はどんなことが好きなのか、どんなことに向いているのかが見えてくる、と語る[56]

余談[編集]

逮捕・死亡説[編集]

高橋名人の人気絶頂期であった1986年から1987年頃にかけて、子供達を中心に「高橋名人が警察に逮捕された」「高橋名人が死亡した」といった類の都市伝説)が急速に広まった[57]。当時高橋名人に警視庁からの牛込警察署一日署長の依頼があった(一日署長自体は日程の都合で実現しなかったと、後にmixiの日記などで語っている)。それが子供達を中心に誤った内容で伝聞され(「一日署長をするために警察に行く」→「警察に行った」→「捕まった」)、「高橋名人逮捕」という情報になり、日本の広範囲に広まったといわれている。

噂には派生種類がかなりあり、その中でも有名なのは「ゲームのコントローラーのボタンにバネを仕込んで連射速度をごまかした」というものであり、その他にも「バネを仕込んだコントローラは1回押すと4回押したことになる」、「非合法なクスリで手首を痙攣させていたのが逮捕の理由」、「そのクスリのせいで死んだ」、「連射のし過ぎでコントローラーが爆発して死んだ」など。「月刊コロコロコミック」連載の『熱血!ファミコン少年団』(さいとうはるお)では、この噂に題材を取った話も描かれた。

噂が流れた当時、ハドソン本社・営業所に業務に支障が出るほど問い合わせの電話が殺到し、「変な噂のせいで仕事にならない」と副社長に怒られたという[58]。なお、この噂は21日で日本中に広まったとラジオにて語っている他、巡り巡って名人本人の耳に入った時「そりゃいいやと思って実際にコントローラのボタンにバネを仕込んでみたが、バネの厚みでボタンが押せなくなった」と後に述懐している。

その他の逸話[編集]

  • ハドソン時代、弟子として島田名人・川田名人がいた。川田はアニメキャラ化もされている。PCエンジン用ソフト『邪聖剣ネクロマンサー』の覚醒のことば(パスワード)で、ある言葉のあとにこの三人の名前を入れると高レベルの状態からはじめられるという裏技がある。
  • ズームイン!!朝!』の放送中、日本テレビマイスタジオにいつも並んでいたという。
  • ハドソンが元々札幌にあり歓楽街であるススキノも近かったことから、夜の街へ繰り出すのも好きだったが、人気絶頂の名人時代は変な風評が立たないようにと禁止されており辛かったという[18]
  • 全く面識のないタレントが「高橋名人にファミコンを教えてもらいました」と発言しているのを聞いて仰天したこともあるという。
  • 夕やけニャンニャン』のゲーム紹介コーナーに出演した際にそのコーナーが終了してもまだゲームを続けていたため、 シブがき隊薬丸裕英に「うるせーよ!!バーカ!!」と言われていた。以後、テレビ・ラジオ等で薬丸は高橋名人のことを「あのバーカ」などと発言していた。[要出典]
  • 好物は激辛料理。普通の人では食べられないほどの激辛カレーも平気で食べることができる。その実例として、マジックスパイス下北沢店の常連であり、同店のアクエリアス(同店が掲げる辛さ表記で最高位)を普通に食すことができるとイオシスが提供するネットラジオ内でパーソナリティの口から語られている。
  • が大好き。しかし現在居住するマンションはペット禁止のため、飼えずにいる。
  • オーディオが趣味。オートバイのツーリングも趣味の一つ[59]であるが、一時期会社から乗らない様に言われていたことがあったと、ミスターバイク誌のインタビューで答えている。
    • 現在の愛車はホンダゴールドウイング1800
    • かつては、オーディオを装着した逆輸入車のパンヨーロピアンに乗っていたが、ゴールドウィングには純正のオーディオが付いているため乗り換えた。

音楽家として[編集]

ゲーム関係者としての印象が強い名人だが、音楽家としてもその活動は長い。中学に入った時に井上陽水の演奏を聞いてギターを弾いてみたいと思ったのがきっかけで、中学高校と一貫してフォークソング部に所属し、学園祭で演奏などをしていた[3]。後に、マイク・オールドフィールドが『チューブラーベルズ』ですべての楽器を一人ですべて演奏していることに感銘を受け、独学で色んな楽器に手を出すようになる。大学を中退して会社に入った頃に、テープのカラオケが出回り始め、飲み屋や居酒屋で頻繁に歌いまくるようになり、1985年に高橋名人として登場した後、コロコロの社員とよくスナックに行ってはカラオケで歌っていると、その歌の上手さが知れ渡って、「RUNNER」で歌手として登場することになった[60]

歌唱力には定評があり、「Bugってハニー」収録の際は、録音へ行く途中の車内で初めてテープを渡され、そこで三回ほど聞いただけで歌唱をこなしたほどであった[61]

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

RUNNER B面:FIGHTER
1986年4月18日に発売されたデビュー曲。アニメ映画『RUNNING BOY-スターソルジャーの秘密-』主題歌と挿入歌。
スターソルジャーのテーマ B面:青春惑星
1986年7月発売。『RUNNING BOY-スターソルジャーの秘密-』挿入歌とエンディング。
ホの字のゲーム B面:高橋名人のシンクロナイズド冒険島
Fun Houseに移籍。それに伴いアーティスト表記を「高橋名人」から「高橋利幸(高橋名人)」に変更。
1986年9月発売。『高橋名人の冒険島』主題歌。
愛はメリーゴーランド B面:Bugってハニー
1986年11月発売。アニメ『Bugってハニー』の初代エンディングとオープニング。
A面は「高橋利幸&はるな友香」名義。A面・B面共に小林亜星作曲。
友だちよ B面:青春惑星
1987年発売。映画『はっちゃき先生の東京ゲーム』主題歌。
グレートキャラバン'87
1987年9月5日発売。ゲーム『ヘクター'87』のキャンペーンソング。
B面は荘真由美歌唱の「私と踊ってくれませんか」(アニメ『Bugってハニー』の2代目エンディング)。
お魚のうた はいだしょうこ&高橋名人
2008年4月22日発売。ゲーム『めざせ!!釣りマスターDS』のオープニングソング。
A面はコーラス担当で、B面の「高橋名人のお魚のうた」でメインを担当。

アルバム[編集]

RUNNING BOY スターソルジャーの秘密
1986年7月発売。
Bugってハニー
1986年12月発売。
高橋名人ソングコレクション〜16連射 20TH ANNIVERSARY〜
初のベストアルバム。2005年10月5日発売。
高橋名人伝説 -魂の16連射-
ハドソンのインディーズレーベルBeat Shake Recordsからリリースされた。
2010年1月27日発売。
ファミソン8BITスタジオ〜邦楽編
チップチューンアルバム。「初恋」一曲のみの歌唱。2013年11月27日発売。
ファミソン8BIT SP〜ゲームソング編
桃井はることの共作。2014年3月26日発売。

参加作[編集]

ハートに16連射
高橋名人としては13年ぶりに発表された新曲。2001年発表。「宇宙ヤングwith高橋名人」名義。
ファミってオールナイト!〜黄金の指伝説〜
2003年発表。ファミコン生誕20周年記念公式ソング。「宇宙ヤングwith高橋名人」名義。
ロッケンロール・ランデブー featuring 高橋名人
2005年発売のYMCKのセカンドアルバム『ファミリーレーシング』収録曲へのゲスト参加

出演[編集]

テレビ番組[編集]

レギュラー出演[編集]

ゲスト出演[編集]

写真のみ出演他[編集]

  • 速ホゥ!(テレビ東京、2006年9月6日)-前述したように、インタビューを担当していたテレビ東京のアナウンサーに一般人と間違えられる。
  • ラジかるッ(日本テレビ、2006年9月7日)-上記のテレビ東京の映像写真を、翌日になって「高橋名人が一般人としてインタビューされた」というニュースとして放送。
  • やりすぎコージー(テレビ東京、2007年10月20日(21日))-Wiiソフトの『めざせ釣りマスター』の告知でケンドーコバヤシが「高橋名人は宇宙人である」という都市伝説を言っていた際、本人の写真を使う。

映画[編集]

GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦
毛利名人と対決。「東京国際ファンタスティック映画祭2003」でも上映。高橋名人の舞台挨拶、トークショーも開催された。会場は「万雷の拍手」であったと言われている。
はっちゃき先生の東京ゲーム
監督:深沢清澄  内容は北海道ニセコの分校を舞台にした高橋名人主演の心温まるストーリー。ヒロイン役には、公開時にデビューして間もない頃の鈴木保奈美が出演していた。このことは、当時彼女がまだ無名の女優であった為に一般にはあまり知られていない。他には、ハナ肇藤田弓子春川ますみ草野大悟及川ヒロオあき竹城平田満が出演。
ピョコタン・プロファイル
元ハドソンで部下だった梶野竜太郎初長編デビュー作。もんじゃ屋の客役で登場

テレビドラマ[編集]

テレビアニメ[編集]

ラジオ番組[編集]

CM[編集]

動画[編集]

書籍[編集]

連載[編集]

関係する人物[編集]

  • はるな友香 - 1986年に行われた「高橋名人の妹コンテスト」でグランプリに輝き、芸能界デビュー。高橋とともにレコーディングやテレビ番組出演、イベント出演を精力的にこなした。現在、うちやえゆか名義で歌手として活動中。
  • 川田名人 - 1986年『高橋塾』の第1期生から誕生した名人。『第2回TDK全国キャラバンファミコン大会』と、『第3回TDK全国ツインファミコン大会 ザ・グレートキャラバン』では南キャラバンを担当した。同時期に放映されていたテレビアニメ『Bugってハニー』では、「カワダチュー」というキャラクターのモデルにもなっている。後に『スーパースターソルジャー』など、ハドソン製のゲームの企画・製作・監修なども務めるようになった。
  • 桜田名人 - 川田名人と同じく1986年『高橋塾』の第1期生から合格、新たに誕生したファミコン名人。『第2回TDK全国キャラバンファミコン大会』では北キャラバンを担当。尚、桜田と川田の両名は高橋名人の弟子という設定であった。
  • 島田名人 - 1987年に開催の『第3回TDK全国ツインファミコン大会 ザ・グレートキャラバン』にて、新名人として桜田名人に代わり北キャラバンを担当した。
  • 毛利名人 - 高橋名人と同時期に活躍、『TDK全国キャラバンファミコン大会』では北キャラバンを担当した。好敵手として映画『GAME KING』でも対決した。
  • 橋本名人 - 高橋名人と同時期に活躍。赤い縁のメガネが特徴的。現在はスクウェア・エニックスHD専務執行役員。
  • 井上明子 - テレビ『高橋名人の面白ランド』で相方を務めた。
  • 田中秀幸 - アニメ映画『RUNNING BOY スター・ソルジャーの秘密』(「GAME KING〜」と同時上映)で高橋名人の声を務めた声優
  • 水島裕 - テレビアニメ『Bugってハニー』で、高橋名人をモデルにした「高橋原人」というキャラの声を務めた声優
  • 悠仁親王 - 誕生したときにテレビ東京より街頭インタビューを受けた。ネット上で話題になり東京スポーツでも記事になる。
  • 遠藤雅伸 - 同い年ということもあって親交が深い。
  • 有野晋哉よゐこ) - 有野が出演するTV番組『ゲームセンターCX』の第1シーズンの第5回にて、高橋名人よりスターフォースのラリオス攻略法を直伝された。
  • 志倉千代丸 - 株式会社MAGES.の代表取締役社長であり、高橋名人の上司に当たる。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 一族の本家に生まれたため、簿記の習得を命じられたが、やりたいことではなかったので退学した。アルバイトで経験を積んでいたため、入社当初から責任者扱いという立場にあった[2]
  2. ^ アルバイトから含めれば四年、正社員では三年[3]
  3. ^ 当時はアマチュア無線機器とパソコン用ゲーム関連事業が主だったが、後者が八割程度の売上を占めた[5]
  4. ^ 採用の決め手はプログラミングの技術だけではなく、面接前に偶然名人が勤める店を当時社長であった工藤裕司が訪れた際、屋外で果物などを販売していた名人の声の大きさに「こんな声がデカくて八百屋みたいなやつがこの業界に入ってきたら面白い」と思い、その印象が強く残っていた所に、面接に来た名人を見た社長は一発で採用した[7][8]
  5. ^ そもそもハドソンに入社した動機の一つは「家から近いこと」だったが、入社四日後に「東京に行け」と命じられ、出張のつもりであったのにそのまま東京に住むことになった。宣伝部に移っての最初期の仕事はファミリーベーシックの説明書作成[9]
  6. ^ 東京・松坂屋銀座店
  7. ^ 最初はラジオ体操の先生みたいなものとして考案された。[13]
  8. ^ 当時ハドソンの宣伝部でファミコン担当は名人一人で、催しの内容も自身で考え出した。[14]
  9. ^ また、それまでコロコロコミックに本名で登場していたが、この決定を受けて、翌月発売の号から高橋名人に切り替えられている。
  10. ^ ただし、同作は名人と札幌に関係づけて出鱈目な創作を繰り広げた作品であった。なお、ゲーム『高橋名人の冒険島』シリーズはその後もファミコン、スーパーファミコンで発売されている
  11. ^ 電子音楽であるテクノゲームミュージックはその距離が近く、欧米ではデモシーンを通じてクラブなどで格好のいい音楽として子供だけでなく若者に受けていた。その流れはチップチューンとして花開いていく。
  12. ^ ハドソン自体は半年後にコナミに吸収され消滅した[24]。その際には以下の様に述べ、元同僚の身を案じている。「ところで、昨日、ハドソンが吸収というニュースが入ってきました。 私たちリストラ組がやめる直前に開催した飲み会で、そんな事になるんだろうなぁという事を話してましたがまさにそうなったんだなぁという感触です。 今後、ブランドが残るかどうかわかりませんが、昨年末までには、東京のメンバー全員がコナミに転籍していた様なので、あまり驚く程の事ではないと思います。 ブランドを残すのも大事ですが、それ以上に、働いていたみんながどうなるのか?という事が大事だと思います。 会社あっての社員ですが、社員あっての会社でもありますから… とにかく、残った社員の方には、頑張って貰いたいなと思います。」[25]
  13. ^ 髪を後ろで束ねるようになったのは、1990年に入ってからで、メイクの人が面倒臭いと縛ったのが気に入ったため。[31]
  14. ^ なお、実際はファミコンの処理速度の問題があり、16回ボタンを押したからといって確実に16発の弾が出るわけではない[33]
  15. ^ 夏休みの催しとして行われたシューティングキャラバンでは、『スターソルジャー』を基に連打回数の測定のみを目的としたソフトも登場した(ただし展示のみであり、市販はされていない)。
  16. ^ 原人は果物で体力回復し、ミルクで体力が全て回復する。本人も果物は好きであるが、牛乳はお腹を壊してしまうため飲めないそうである。ちなみに、パワーダウンアイテムに設定されているナスは、「こすり合わせたときの音が嫌い」なだけで平気で食べることができる。
  17. ^ なお、この日は大阪で商談があったため、私服である普段とは違いスーツ姿で出勤していた。
  18. ^ この件でインターネットでのアクセスが百万越えたため、会社のサーバーが落ちてしまったという[29]
  19. ^ 1985年7月26日、福岡のダイエー香椎店にて行われたゲーム大会「ゲームキャラバン」で、高橋名人が即興で語ったのが最初である。
  20. ^ 「レベルX」展(2003~4年に東京都写真美術館で展示)については、[47][48]を参考。対談は展示企画者とのもの。
  21. ^ 「昔、私はテレビゲームは文化になる」と言って笑われましたが、今、ゲームはまさに日本が発信する文化になりました。80年代半ばの創成期から、子どもたちと「テレビゲーム」という遊びを共有し続けてこられたことが私の宝です。この宝物をこのままで終わらせたくないと思っています。」[9]

出典[編集]

  1. ^ 登録番号 第4994766号
  2. ^ 「テレビゲームとともに~高橋名人の25年~」 p.2
  3. ^ a b 高橋 (2009) 4-5頁 年表
  4. ^ 高橋 (2009) 24頁
  5. ^ a b c “高橋名人”という社会現象――高橋利幸氏、ファミコンブームを振り返る(前編) (1/5) - Business Media 誠
  6. ^ 手取りの給料が10万[4]の時期に、本体27万8000円、フロッピーディスクドライブ29万8000円、メモリー4万円、ドットプリンタ10万円、合計70万円以上の額をローンで購入。当時名人が買った中古のクルマが45万円で、それを遥かに越える金額だった[5]
  7. ^ 「テレビゲームとともに~高橋名人の25年~」 p.1
  8. ^ a b c 「加藤シンペーと話そう 第一回 高橋名人」 加藤 慎平 オフィシャルウェブサイト
  9. ^ a b 「テレビゲームとともに~高橋名人の25年~」 p.3
  10. ^ “高橋名人”という社会現象――高橋利幸氏、ファミコンブームを振り返る(前編) (2/5) - Business Media 誠
  11. ^ a b c “高橋名人”という社会現象――高橋利幸氏、ファミコンブームを振り返る(前編) (3/5) - Business Media 誠
  12. ^ 「看板に「ハドソンの高橋利幸さん来たる。『チャンピオンシップロードランナー』をどうのこうの」と書いてあるんですよ。」とすでに大物扱いであった[11]
  13. ^ もとラジ!第127話 高橋名人特集 12:30
  14. ^ もとラジ!第127話 高橋名人特集 13:30
  15. ^ 16連射、ゲームは1日1時間の裏側――高橋利幸氏、ファミコンブームを振り返る(後編) (5/5) - Business Media 誠
  16. ^ a b c d “高橋名人”という社会現象――高橋利幸氏、ファミコンブームを振り返る(前編) (4/5) - Business Media 誠
  17. ^ 東京新聞 1985年12月23日
  18. ^ a b “高橋名人”という社会現象――高橋利幸氏、ファミコンブームを振り返る(前編) (5/5) - Business Media 誠
  19. ^ 高橋 (2009) p.44-45
  20. ^ 高橋 (2009) p.46-47
  21. ^ HUDSON DIGITAL EXPRESS vol.20 編集後記
  22. ^ “ハドソンの高橋名人、役職も正式に“名人”に就任”. ITmedia. (2006年11月6日). http://plusd.itmedia.co.jp/games/articles/0611/06/news062.html 2011年5月23日閲覧。  - 名刺の画像が見られる。
  23. ^ 高橋名人はいつまでも“名人”です――転職してみてどうですか?”. ITmedia (2011年6月1日). 2011年6月9日閲覧。
  24. ^ 株式会社コナミデジタルエンタテインメント 旧ハドソンindex 2014年4月21日閲覧
  25. ^ 高橋名人 (2012年1月18日). “高橋名人オフィシャルブログ「16連射のつぶやき」”. 26日は、うちやえゆかさんがゲストです. 2012年1月21日閲覧。
  26. ^ 高橋名人がゲームプレゼンテーターとしてMAGES.に入社! - ファミ通.com
  27. ^ 高橋名人が代表取締役名人に就任――ゲームに関わるすべての業務を行う株式会社ドキドキグルーヴワークス設立 - ファミ通.com
    高橋名人:代表取締役名人に ゲーム新会社経営に乗り出す - MANTANWEB(まんたんウェブ)
  28. ^ 世界にドキドキを!|高橋名人オフィシャルブログ「16連射のつぶやき」
  29. ^ a b c d 鳥海鶏太のミュージック・シーバード 第138回『ファミソン8BIT SP~ゲームソング編』特集!! 2014年03月19日 | Blue-radio.com
  30. ^ HUDSON DIGITAL EXPRESS vol.16 編集後記
  31. ^ もとラジ!第127話 高橋名人特集 5:00
  32. ^ HUDSON DIGITAL EXPRESS vol.15 編集後記
  33. ^ a b 高橋名人の16連射は無意味? 当時のファミコンでは、16連射は意味無かった…!?|高橋名人オフィシャルブログ「16連射のつぶやき」
  34. ^ 高橋名人 『公式16連射ブック 高橋名人のゲームは1日1時間』 p.108
  35. ^ 高橋名人 『公式16連射ブック 高橋名人のゲームは1日1時間』 pp.70-71
  36. ^ 毛利名人と対戦した映画でもっとも早い連射のフィルムをコマ送りで数えた結果。[35]
  37. ^ 2011年8月18日ニコニコ生放送内にて本人談
  38. ^ 16連射、ゲームは1日1時間の裏側――高橋利幸氏、ファミコンブームを振り返る(後編) (2/5) - Business Media 誠
  39. ^ 2005年12月8日テレビ朝日の深夜番組『やぐちひとり』に出演した際には、12連射であった。その後「あぁ…全然駄目だ恥ずかしい」との発言を残している。のちの2006年8月にPodcastによるインターネットラジオ内で行った10秒間の連打数計測では、1回目が127回、2回目は125回(12.5 - 12.7連打/秒)の記録であった。また、2008年3月28日Wiiウェアで配信された『スターソルジャーR』の記念イベントで連打に挑戦し、12.3連打/秒を記録している。2011年7月4日にニコニコ生放送内でシュウォッチで計測した際には121回(12.1連打/秒)であった
  40. ^ 『16SHOT RADIO』での名人本人の言葉
  41. ^ ニコニコ動画「ゲッチャ」2010年12月22日放送分、11分頃から
  42. ^ ニコニコ動画「ゲームのじかん 8月19日」
  43. ^ a b c d e 16連射、ゲームは1日1時間の裏側――高橋利幸氏、ファミコンブームを振り返る(後編) (4/5) - Business Media 誠
  44. ^ 「「みんながこれから覚えなきゃいけない遊びはもっといっぱいあるのに、テレビゲームしか遊んでなくていいの?」という点が重要なんです。例えば小学生だと、かくれんぼや鬼ごっことかいう遊びがあるわけです。」「子どもたちが成長する過程で、鬼ごっこで外を走ったり、かくれんぼでどこかに隠れたりと、いろんな遊びで知恵を付けてほしいのですが、そういう時期にテレビゲームだけというのは良くないと思うのです。」[43]
  45. ^ a b 16連射、ゲームは1日1時間の裏側――高橋利幸氏、ファミコンブームを振り返る(後編) (1/5) - Business Media 誠
  46. ^ H.D.exp vol.9「レベルX」展を終えて 対談特集
  47. ^ ファミコンが築いたテレビゲームの歴史を一挙に展示!「レベルX」レポート - 電撃オンライン
  48. ^ ゲームの展覧会"レベルX"が開幕 - ファミ通.com
  49. ^ 「今回このようにゲームの展覧会として開催し、多くの人が見に来たということは、それなりにゲームが文化としてある程度認知されてきていると思うんですよ。僕は昔から「ゲームは1日1時間」と言い続けてきましたが、その真意はゲームを文化にしたかったからなんですよ。一時のブームで終わってしまわないように、長く続けて行きたかったが為にポンッと出た標語みたいなもんだったんですが、今となっては意味深い標語になったなと我ながら思っています(笑)。でもこうして改めて「レベルX」展を見て、少しはゲームを文化として認めてもらうのに役に立ったのかななんて思います。そう言った意味で今回の「レベルX」展はゲーム文化を再認識させてくれたんじゃないかなと思います」[46][注 20]
  50. ^ 「ゲームは1日1時間」は正しかった?オックスフォード大学の研究結果より | インサイド
  51. ^ 「テレビゲームとともに~高橋名人の25年~」 p.7
  52. ^ もとラジ!第127話 高橋名人特集 23:10
  53. ^ 16連射、ゲームは1日1時間の裏側――高橋利幸氏、ファミコンブームを振り返る(後編) (3/5) - Business Media 誠
  54. ^ 「Shooting Game Side Vol.01」内インタビュー
  55. ^ もとラジ!第127話 高橋名人特集 15:00
  56. ^ 「テレビゲームとともに~高橋名人の25年~」 p.4
  57. ^ 「特報 ファミコン 20年目のゲームオーバー そして伝説へ 昨年の出荷 6万台でも 部品調達に限界」 - 『中日新聞』2003年6月10日 夕刊3面
  58. ^ 2013年1月18日(17日深夜)放送分の夜遊び三姉妹にて、本人が発言。
  59. ^ HUDSON DIGITAL EXPRESS vol.12 編集後記
  60. ^ 「DNA(記憶)を震わせてくれ! 高橋名人☓桃井はるこ」 『ファミソン8BIT SP~ゲームソング編』ライナーノーツ
  61. ^ 『ファミソン(R)8BIT SP~ゲームソング編』、高橋名人×桃井はるこスペシャル・インタビューが到着!|リスアニ!WEB
  62. ^ 番組のマスコットキャラクター「わくちん」(の着ぐるみ、中の人はアナウンサー横井健一)とWiiで対決し、名人は2連敗してしまった。その後、札幌のスタジオに登場しFC「忍者ハットリくん」の裏技を披露した。
  63. ^ 「アグレッシブであいましょう」という憧れの人と対面する企画で小坊師秀暁あかぼし☆こぼし)が会いに行った。
  64. ^ STAFF&CAST”. BTOOOM!公式サイト. 2012年10月20日18:16閲覧。

参考文献[編集]

  • 高橋名人 『公式16連射ブック 高橋名人のゲームは1日1時間』 エンターブレイン 2009年8月18日 ISBN-13: 978-4757750654
  • 高橋利幸 「テレビゲームとともに〜高橋名人の25年〜」『テレビゲームのちょっといいおはなし 4』 社団法人コンピュターエンターテイメント協会 2007年9月

関連項目[編集]

外部リンク[編集]