鈴鹿8時間耐久ロードレース

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鈴鹿8時間耐久ロードレース
Suzuka 8 hours Endurance Road Race
Suzuka 8H 2009.jpg
2009年の鈴鹿8時間耐久ロードレース
イベントの種類 自動車レース
通称・略称 鈴鹿8耐
正式名称 鈴鹿8時間耐久ロードレース
旧イベント名 インターナショナル鈴鹿8時間耐久オートバイレース
開催時期 毎年7月下旬の木曜日から日曜日までの4日間
初回開催 1978年
会場 鈴鹿サーキット
主催 財団法人日本モーターサイクルスポーツ協会
株式会社モビリティランド
後援 文部科学省
観光庁
三重県鈴鹿市
鈴鹿F1日本グランプリ地域活性化協議会
一般社団法人鈴鹿市観光協会
鈴鹿商工会議所
協賛 日本コカ・コーラ株式会社
鈴鹿サーキットへの交通アクセス
最寄駅 鈴鹿サーキット稲生駅
駐車場 あり
公式サイト
鈴鹿8耐が行われる鈴鹿サーキット

鈴鹿8時間耐久ロードレース(すずかはちじかんたいきゅうロードレース)は、FIM世界耐久選手権シリーズ第3戦で毎年夏に鈴鹿サーキットで開催される日本最大のオートバイレース。通称鈴鹿8耐(すずかはちたい)、8耐(はちたい)。

概要[編集]

鈴鹿1000kmと共に夏の鈴鹿を彩る名物レースの一つで、名前の通りオートバイによる8時間の耐久レースである。1978年から開催され、1980年からは世界耐久選手権レースのひとつとして組み込まれ、特に1980年代から1990年代初頭は日本のバイク人口のピークと相まって大いに盛り上がった。当時の鈴鹿市の人口は約14万人だが、1990年の決勝レースはそれをはるかに上回る16万人の観客動員を記録、さらに大会期間中の延べ入場者数は36万8500人を記録した。その頃に比べ二輪車販売が大幅に減少した今もなお、ロードレース界における風物詩として国内有数の集客を誇るモータースポーツイベントである。

1984年より日本コカ・コーラ冠スポンサーとなっている。

かつては世界を目指す若手ライダーの登竜門的な存在であった。ケビン・マギーケビン・シュワンツマイケル・ドゥーハンらは、鈴鹿8耐の活躍でWGPの切符をつかんだ。ワイン・ガードナーは、無名時代の1981年に初出場ながらポールポジションを獲得したことが名を知られるきっかけとなった(WGPデビューは1983年)。そうして成長を遂げた彼らの海外における活躍と相前後し、WGPを退いて間もないケニー・ロバーツと全日本の第一人者平忠彦によるコンビ結成(1985年)も大きな話題となり、以後日本の4大オートバイメーカーが威信を懸けてWGPスーパーバイク世界選手権からトップライダーを送り込んだため、1980年代中盤 - 1990年代の8耐はさながら「レーシングライダー世界一決定戦」とも言うべき活況を呈していた。

近年は、MotoGP(旧・WGP)との日程重複やレース自体の過酷さによる消耗を嫌って海外ライダーの参戦が減少傾向にあるものの、レギュレーションの変更などによる運営上の試行錯誤や全日本選手権等を戦う日本人のエース級ライダーによって、以前に勝るとも劣らない熾烈な戦いが繰り広げられている。

決勝前日にはMFJの国内ライセンスあるいはフレッシュマンライセンス所有者のみが参加できる「鈴鹿4時間耐久ロードレース」も開催される。またオートバイによる来客が多いことにちなみ、二輪車をメインとした市内パレードも催される。かつては暴走族が数千台規模で集まり、警察が出動したこともあった。

前夜祭にはコース上で“ナイトピットウェーク”や“バイクパレード”などさまざまなイベントが行われ、家族連れで大変にぎわっている。2000年にはTRFがヘリコプターを使った演出とライブで前夜祭を盛り上げ、キャンギャルオンステージが行われるなど、盛大に行われた時代もあった。近年は『来場者とレースをもっと近くに』とのコンセプトから、大きなステージは作らず、ナイトピットウォークに時間を割くようになった。2010年からは、SKE48が「鈴鹿サーキットモータースポーツ応援団」として参加し、コース上でライブをするなど、新たな盛り上がりを演出している。非公式ながら『8耐マン』と呼ぶ2人組のキャラクターも出没し、来場者との思い出作りに花を添えている。

1980年に世界選手権シリーズに昇格するまでの(1977年以前は6時間耐久)時代はレギュレーションが緩やかであったため、ホンダ・CBX1000カワサキ・Z1000スズキ・GS1000、からヤマハ・RD350までの市販車改造車と、ホンダ・RSヤマハ・TZなどの純レーサーが、クラス分けもなく混走していた。その中で、500cc単気筒エンジンを搭載した40馬力ほどのプライベーター製車両(後のヤマハ・SRの原型となった「ロードボンバー」)が8位入賞(1978年)するなどの出来事もあった。TT-F1時代は前輪に片持ハブセンターステアのユニット、後輪に片持スイングアームユニットを持ち、かつメインフレームがないelfのような意欲的なマシンや、あえて軽量コンパクトさで勝負に挑んだホンダCBR600、トラストでチューンされたターボチャージャーを搭載するスズキGSX-R400、ヤマハのフレームを使用したBMW K75など、プライベーターでは個性豊かなマシンが出場していた。

2007年には俳優の岩城滉一が大会の名誉顧問に就任している。

歴史[編集]

大会名[編集]

  • 1978年 - 1979年 インターナショナル鈴鹿8時間耐久オートバイレース
  • 1980年 - 1983年 世界選手権シリーズ 鈴鹿8時間耐久オートバイレース
  • 1984年 - 1987年 世界選手権シリーズ “コカ・コーラ”鈴鹿8時間耐久オートバイレース
  • 1988年 世界耐久選手権シリーズ “コカ・コーラ”鈴鹿8時間耐久ロードレース
  • 1989年 - 1990年 FIM耐久カップシリーズ “コカ・コーラ”鈴鹿8時間耐久ロードレース
  • 1991年 - 1996年 FIM世界耐久選手権シリーズ “コカ・コーラ”鈴鹿8時間耐久ロードレース
  • 1997年 FIM世界耐久選手権シリーズ “スプライト クール”鈴鹿8時間耐久ロードレース
  • 1998年 - 1999年 FIM世界耐久選手権シリーズ “スプライト”鈴鹿8時間耐久ロードレース
  • 2000年 - 2006年 FIM世界耐久選手権シリーズ “コカ・コーラ”鈴鹿8時間耐久ロードレース
  • 2007年 QMMF FIM世界耐久選手権シリーズ “コカ・コーラ ゼロ”鈴鹿8時間耐久ロードレース
  • 2008年 - QTEL FIM世界耐久選手権シリーズ “コカ・コーラ ゼロ”鈴鹿8時間耐久ロードレース

優勝者&優勝チーム・マシン[編集]

ライダー チーム(マシン) ゼッケン 周回数 タイム
1978 アメリカ合衆国の旗 ウェス・クーリー
アメリカ合衆国の旗 マイク・ボールドウィン
ヨシムラジャパン
スズキ・GS1000
2 194 8:02'51"53
1979 オーストラリアの旗 トニー・ハットン
オーストラリアの旗 マイク・コール
チームホンダ・オーストラリア
ホンダ・CB900F
6 197 8:00'23"78
1980 アメリカ合衆国の旗 ウェス・クーリー
ニュージーランドの旗 グレーム・クロスビー
ヨシムラ R&D
スズキ・GS1000R
12 200 8:01'03"54
1981 アメリカ合衆国の旗 マイク・ボールドウィン
アメリカ合衆国の旗 デビッド・アルダナ
ホンダ・フランス
ホンダ・RS1000
1 199 8:00'47"12
1982 日本の旗 飯島茂雄
日本の旗 萩原紳治
ブルーヘルメット MSC
(ホンダ・CB900F)
27 120 6:02'55"83
1983 フランスの旗 エルブ・モアノー
ベルギーの旗 リカルド・ユービン
スズキ・フランス
(スズキ・GS1000R)
6 190 8:02'29"32
1984 アメリカ合衆国の旗 マイク・ボールドウィン
アメリカ合衆国の旗 フレッド・マーケル
アメリカ・ホンダ
ホンダ・RS750R
1 191 8:01'30"35
1985 オーストラリアの旗 ワイン・ガードナー
日本の旗 徳野正樹
チームHRC
ホンダ・RVF750
3 195 8:01'40"102
1986 オーストラリアの旗 ワイン・ガードナー
フランスの旗 ドミニク・サロン
チームHRC
(ホンダ・RVF750)
4 197 8:01'30"738
1987 西ドイツの旗 マーチン・ウィマー
オーストラリアの旗 ケビン・マギー
資生堂 TECH21 レーシングチーム・ヤマハ
ヤマハ・YZF750
21 200 8:01'30"045
1988 オーストラリアの旗 ケビン・マギー
アメリカ合衆国の旗 ウェイン・レイニー
チーム・ラッキーストライクロバーツ・ヤマハ
(ヤマハ・YZF750)
3 202 8:02'21"384
1989 フランスの旗 ドミニク・サロン
フランスの旗 アレックス・ビエラ
Beams ホンダ with イクザワ
(ホンダ・RVF750)
2 202 7:58'34"328
1990 日本の旗 平忠彦
アメリカ合衆国の旗 エディ・ローソン
資生堂 TECH21 レーシングチーム・ヤマハ
(ヤマハ・YZF750)
21 205 7:57'35"859
1991 オーストラリアの旗 ワイン・ガードナー
オーストラリアの旗 マイケル・ドゥーハン
OKI ホンダ・レーシングチーム
(ホンダ・RVF750)
11 192 7:59'25"924
1992 オーストラリアの旗 ワイン・ガードナー
オーストラリアの旗 ダリル・ビーティー
OKI ホンダ・レーシングチーム
(ホンダ・RVF750)
11 208 8:00'07"117
1993 アメリカ合衆国の旗 スコット・ラッセル
ニュージーランドの旗 アーロン・スライト
伊藤ハムレーシング・カワサキ
カワサキ・ZXR-7
1 207 8:01'13"713
1994 アメリカ合衆国の旗 ダグ・ポーレン
ニュージーランドの旗 アーロン・スライト
チームHRC
ホンダ・RVF/RC45
11 183 6:52'49"056
1995 ニュージーランドの旗 アーロン・スライト
日本の旗 岡田忠之
チームHRC
(ホンダ・RVF/RC45)
11 212 8:00'00"468
1996 アメリカ合衆国の旗 コーリン・エドワーズ
日本の旗 芳賀紀行
ヤマハ・レーシングチーム
(ヤマハ・YZF750)
45 214 8:02'06"411
1997 日本の旗 伊藤真一
日本の旗 宇川徹
ホリプロ・ホンダ with HART
(ホンダ・RVF/RC45)
33 186 8:02'03"722
1998 日本の旗 伊藤真一
日本の旗 宇川徹
ラッキーストライク・ホンダ
(ホンダ・RVF/RC45)
33 212 8:01'54"740
1999 日本の旗 岡田忠之
ブラジルの旗 アレックス・バロス
ラッキーストライク・ホンダ
(ホンダ・RVF/RC45)
4 213 8:01'59"918
2000 日本の旗 宇川徹
日本の旗 加藤大治郎
チーム・キャビン・ホンダ
ホンダ・VTR1000SPW
4 215 8:00'31"775
2001 イタリアの旗 バレンティーノ・ロッシ
アメリカ合衆国の旗 コーリン・エドワーズ
チーム・キャビン・ホンダ
(ホンダ・VTR1000SPW)
11 217 8:01'30"173
2002 日本の旗 加藤大治郎
アメリカ合衆国の旗 コーリン・エドワーズ
チーム・キャビン・ホンダ
(ホンダ・VTR1000SPW)
11 219 8:02'04"992
2003 日本の旗 生見友希雄
日本の旗 鎌田学
チーム・桜井ホンダ
(ホンダ・VTR1000SPW)
71 212 8:00'38"909
2004 日本の旗 宇川徹
日本の旗 井筒仁康
セブンスター・ホンダ
ホンダ・CBR1000RRW
7 210 8:01'35"115
2005 日本の旗 清成龍一
日本の旗 宇川徹
セブンスター・ホンダ
(ホンダ・CBR1000RRW)
7 204 8:01'22"351
2006 日本の旗 辻村猛
日本の旗 伊藤真一
F.C.C. TSR ZIP-FM レーシングチーム
(ホンダ・CBR1000RR)
778 214 8:02'07"624
2007 日本の旗 加賀山就臣
日本の旗 秋吉耕佑
ヨシムラ・スズキ with JOMO
スズキ・GSX-R1000
34 216 8:01'35"077
2008 日本の旗 清成龍一
スペインの旗 カルロス・チェカ
ドリーム・ホンダ・レーシングチーム
(ホンダ・CBR1000RRW)
11 214 8:00'20"726
2009 日本の旗 酒井大作
日本の旗 徳留和樹
日本の旗 青木宣篤
ヨシムラ・スズキ with JOMO
スズキ・GSX-R1000
12 183 8:01'59"916
2010 日本の旗 清成龍一
日本の旗 中上貴晶
日本の旗 高橋巧
MuSASHi RT HARC-PRO.
ホンダ・CBR1000RRK
634 215 8:01'13.428
2011 日本の旗 秋吉耕佑
日本の旗 伊藤真一
日本の旗 清成龍一
F.C.C. TSR Honda(ホンダ・CBR1000RRW) 11 217 8:00'50.922
2012 日本の旗 秋吉耕佑
イギリスの旗 ジョナサン・レイ
日本の旗 岡田忠之
F.C.C. TSR Honda(ホンダ・CBR1000RRW) 11 215 8:01'35.450
2013 日本の旗 高橋巧
イギリスの旗 レオン・ハスラム
オランダの旗 マイケル・ファン・デル・マーク
MuSASHi RT HARC-PRO.
ホンダ・CBR1000RRW
634 214 8:00'01.280
2014 日本の旗 高橋巧
イギリスの旗 レオン・ハスラム
オランダの旗 マイケル・ファン・デル・マーク
MuSASHi RT HARC-PRO.
ホンダ・CBR1000RRW
634 172 6:56'13.056

優勝回数の記録[編集]

ポールポジションの記録[編集]

  • 7回 - 伊藤真一(98, 99, 03, 04, 05, 06, 08)
  • 5回 - ワイン・ガードナー(81, 84, 86, 87, 89)
  • 3回 - グレーム・クロスビー(79, 80, 83)、マイケル・ドゥーハン(90, 91, 93)
  • 2回 - 中須賀克行(12,13)
  • 1回 - デビット・エムデ(78)、ピエール・E・サミン(82)、ケニー・ロバーツ(85)、ウェイン・レイニー(88)、武石伸也(92)、スコット・ラッセル(94)、アンソニー・ゴバード(95)、アーロン・スライト(96)、加藤大治郎(97)、芳賀紀行(00)、梁明(01)、アレックス・バロス(02)、カルロス・チェカ(07)、秋吉耕佑(09)、酒井大作(10)、加賀山就臣(11)、津田拓也(14)

レギュレーションの変遷[編集]

  • 1980年 - 1983年 TT-F1(4ストローク1000cc以下)
  • 1984年 - 1993年 TT-F1(4ストローク750cc以下、2ストローク 500cc以下)
  • 1994年 - 2003年 スーパーバイク(4ストローク4気筒750cc以下、3気筒900cc以下、2気筒1000cc以下)
  • 2004年 - 2006年 スーパーバイク(2006年はワークスのみJSB・4ストローク1000cc以下)、スーパープロダクション、スーパーストック
  • 2007年 スーパーバイク・JSB1000(8耐のみ参戦の国内チームのみJSB・4ストローク1000cc以下)、スーパープロダクション、スーパーストック
  • 2008年 Formula EWC(4ストローク 4気筒1000cc以下 2気筒1200cc以下)およびスーパーストック

主な出来事[編集]

  • 1982年 台風の接近でレースを6時間に短縮して開催。6時間後に振られたのは、チェッカーフラッグではなく赤旗であった。
  • 1989年 126周目周回遅れのマシンを抜き損なったマイケル・ドゥーハンが周回遅れと接触し転倒。ドゥーハンは左手薬指と小指を切断するケガをしてリタイアとなる。
  • 1989年 8時間経過後、全車に対してチェッカーフラッグが振られる前に観客がコースへ乱入し、赤旗が提示されてしまった。このためレース結果は1ラップ前でのコントロールライン通過順位となり、3位と4位の順位が入れ替わってしまい、最終ラップにヤマハのピーター・ゴダード/加藤信悟組を抜いたはずのカワサキの塚本昭一/前田忠士組が涙を呑む。また、優勝のサロン/ビエラ組も203周回しながらも記録は202周回となった。その後、「全てのライダーにチェッカーを」を合言葉にマナーアップキャンペーンが始まった。
  • 1993年 トップを快走していたエディ・ローソンがオイルにのってコースアウト転倒、かわりにトップに立ったドゥーハン/ビーティ組のドゥーハンも独走中にオイルにのって転倒。いずれもオイル旗の処理がなかった。
  • 1994年 スタートから30分後に周回遅れの1台のマシンがオイルを吹き転倒して炎上。そこへトップグループが差しかかり、オイルに乗って数台が転倒し炎上する炎の中に突っ込んだ。このため赤旗中断となり、史上初の2ヒートレースとなる。優勝候補の一角、辻本聡/加藤大治郎組は不運にもマシンが炎上し、さらにスペアマシンがなかったためリタイヤを余儀なくされた。また、岡田忠之/宇川徹組は転倒した宇川が負傷したため第3ライダーの匹田禎智で再スタートした。中断によりレース進行が遅れたため、観客の帰りの交通手段の確保を優先し、19時30分に赤旗が振られレース終了となった。
  • 1995年 この年のレーススタートから当時のレース実況アナウンサーのみし奈昌俊が観客に呼びかけて10秒前からの全員でのカウントダウンが始まった。それ以前からもアナウンサーがカウントダウンをしたり観客が自発的に手拍子を取ることはあったが、サーキット観客が一体となって行われたのはこの年が最初であった。このカウントダウンはライダーのフライング防止にも一定の効果があった。また同時に8時間の経過の10秒前からのカウントダウンもこの年から行われ、カウント0とともにアーロン・スライトが前人未到となる鈴鹿8耐3連覇のチェッカーフラッグを受け、10秒前カウントダウンは鈴鹿8耐の定番として定着していった。
  • 2000年 決勝レース中の12時46分に山川守が130Rで転倒。病院収容後に死亡。享年47。鈴鹿8耐史上初の死亡事故となった。
  • 2003年 決勝レースのスタート直後、オーヴァーレーシングのマシンがオイルを吹きながら最後尾を走行し、2周目の1コーナーでこのオイルにトップ集団の数台が乗ってクラッシュしペースカーが入る。その際、渡辺篤や岡田忠之ニッキー・ヘイデンが回収車に乗ってピットに戻ってきたために失格となる。オフィシャルとしては当然の裁定であったが、失格したにもかかわらずそれを無視して岡田が数周にわたり抗議の走行をした。ちなみに岡田が優勝した1995年のレースでは、1コーナーでクラッシュした加賀山と田村がオフィシャル判断にて回収車でピットロードまで運ばれているが、この際には「東コースショートカット」の扱いで1周減算で済んでいる。
  • 2007年 ポールポジションの岡田忠之が8耐史上初のフライングペナルティをとられた。
  • 2011年 東日本大震災を原因とする電力供給不足を考慮し、スタート時間を例年より1時間繰り上げて10時30分とした。これに伴ってゴール時間も18時30分となり、夜間走行時間はなくなった。
  • 2014年 決勝レースのスタート直前の西コースで降雨があり史上初のスタートディレイとなった。これによりスタート時間が12時35分となるが、ゴール時間は従来通り19時30分となった為6時間55分耐久レースとなった。また史上最多となるレース中4度のセーフティーカーランが発生した。

テレビ・インターネットによる中継[編集]

  • 1985年にホンダランド(現 鈴鹿サーキット)と飛鳥映像により公式記録ビデオが制作される。
  • 1986年には上記2社による初の同時衛星中継が行われ、多摩テックとホンダ青山本社に送られた。また、1985年と1986年の模様を一つにまとめたレーザーディスクが発売された。
  • 1985年 - 1999年は、自動車情報番組『MOTORLAND』(テレビ東京系列)でダイジェスト版が放送されていた。
  • Do!スポーツ』(テレビ東京系列)で毎年8耐応援企画の番組を放送。
  • CLUB紳助』(朝日放送)で、毎年8月の番組終了後に島田紳助率いるチーム・シンスケの参戦ドキュメントが放送された(1988年 - 1995年)。また紳助は、当時レギュラー出演していた日曜日朝の生番組『サンデープロジェクト』(テレビ朝日系列)を休んで参戦していたが、同番組が毎回チーム紳助の様子を番組の冒頭とエンディング時に中継で結んでいた。
  • 更に紳助は、2009年2010年に「三輪車12時間耐久レース」を東京・お台場で開催したがこの三輪車と8耐の開催日が偶然にも一緒に。紳助は三輪車レースの総合大会実行委員長を務めている。
  • 1986年 - 1988年TBSで関連番組が放送された。
  • 1989年NHK-BSによる完全生中継が行われた。しかし、スポンサー名を放送しないなどの自主規制を行って放送した。また、1992年と1994年は中盤の4時間が野球中継に切り替わる、1996年はアトランタオリンピックのため生中継が行われないなど完全放送とは言いがたい内容であった。
  • 1989年 - 1997年までNHKによる鈴鹿8耐ハイライトが8月下旬に放送されるようになった。その一部がレーザーディスク(1990年、1991年はBGM変更版)やビデオで販売された。
  • NHK-BS、スカイスポーツ(CS放送、現J SPORTS)を経て、1996年からはTBSが放送権を取得、2002年にはTBS系BSデジタル局BS-iで8時間完全生中継を行った。
  • 2003年からはペイ・パー・ビュー(PPV)番組として、パーフェクト・チョイスにて事前番組及び8時間完全生中継を実施。また、鈴鹿サーキットの公式パートナー局であるテレビ大阪制作のダイジェスト番組がテレビ東京系列で放送されている。
  • 2007年は、テレビ朝日及びメ~テレが特別協力として参加。テレビ朝日系列のBSデジタル局BS朝日およびCSチャンネルテレ朝チャンネルでもダイジェスト番組が放送された。
  • 2013年からは、Twellvで中継放送を実施している。2013年は13時からの遅れ録画放送だったが、2014年は完全生中継を予定している。
  • 2002年からは鈴鹿サーキットがIT企業などの協力を得て、独自のストリーミングによるインターネットライブ動画配信が行われたこともあり、2005年Yahoo! Japanがインターネットライブ中継を実施。なお、2006年のライブ中継実況音声は、CS・ネット共にサーキットで実際に流れているものが使われていた。

鈴鹿8耐が登場する作品[編集]

文学・漫画[編集]

  • ふたり鷹』(新谷かおる週刊少年サンデー、1981年 - 1985年) - バイク漫画で初めて耐久レースを主題に取り上げた作品。本作では鈴鹿8耐を舞台にした物語が物語中盤と後半に2回描かれている。
  • 『冬のひまわり』(五木寛之、1985年) - 1984年の8耐を舞台とした禁じられた恋愛物語。グランドスタンドの1コーナー寄りには遠野麻子と森谷透の出会いの場所のプレートがある。
  • 風よ、鈴鹿へ』(島田紳助、1988年) - 1986年に初参戦したチーム・シンスケの挑戦を題材にした小説。
  • D-LIVE!!』(皆川亮二週刊少年サンデー、2002年 - 2006年) - 主人公のスーパーマルチドライバー・斑鳩悟が、ACEメカニック・清水初音の依頼で怪我をした8耐ライダーの代わりに出場する。(第5巻 Episode 17)

映画・テレビドラマ[編集]

  • パッセンジャー 過ぎ去りし日々』(1987年) - 劇中の本田美奈子(主演)のコンサートシーンは、1987年の8耐前夜祭で撮影された。
  • 風よ、鈴鹿へ』(TBS、1988年) - 同名の上記小説を原作としたテレビドラマ。
  • ガチンコ! 』(TBS、2001年) - 素人を数カ月の特訓で鈴鹿8耐に参戦させる企画「バリバリ伝説」を放送。
  • 紳助社長のプロデュース大作戦! 』(TBS、2011年)- 一度は引退したライダー・中木亮輔の依頼に応える形で、『がんばろう日本』をスローガンに16年ぶりにチーム・シンスケを復活させた。

ゲーム[編集]

  • 『コカコーラ スズカエイトアワーズ』(ナムコ…現バンダイナムコゲームス、1992年) - 業務用体感ゲーム機。最大4人まで同時プレイ可能でセンターモニターで中継さながらのレースの模様が流れる。8耐冠スポンサーの「コカコーラ」とタイアップしている。
  • 『スズカエイトアワーズ2』(ナムコ…現バンダイナムコゲームス、1993年) - 全4コースが選択可能となった続編。
  • 『スズカエイトアワーズ』(ナムコ…現バンダイナムコゲームス、1993年) - スーパーファミコンへの移植作品。

音楽[編集]

鈴鹿8耐のテーマソングとして白井が作詞・作曲した楽曲である。決勝レースの前夜祭として、白井貴子&CRAZYBOYSが鈴鹿サーキット内の特設野外ステージでライブ『NEXT GATE LIVE』を敢行、大成功を収める。レースの前夜祭に野外ライブが行われるのは鈴鹿サーキット史上初めてである。このライブの大成功がきっかけとなり、以後の鈴鹿8耐では、毎年必ずミュージシャンによる前夜祭ライブが行われることとなった。

 

外部リンク[編集]