毛利名人

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毛利名人(もうりめいじん、1966年9月7日 - )は、高橋名人に並んでファミコンゲームで有名なファミコン名人の一人。本名は毛利公信(もうりきみのぶ)。

[編集] 概要

ファミコン名人で高橋名人に次ぐ人物として知られる。1986年には高橋名人との対決を描いた映画『GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦』に主演。

高橋名人の16連射に対し毛利のそれは14連射(実際は9〜10連射とも)と数は劣るものの高橋よりも命中率が高く(高橋の命中率が80%であるのに対し毛利は90%)互角の実力と紹介された。

ハドソンは『チャンピオンシップロードランナー』全面クリア達成者にナンバー入りのゴールド認定証を発行していたが、毛利名人はその3000人目の達成者(1人目は高橋名人)である。当時、同作品の広告に顔写真付きで紹介されたことがある。以後、同社のゲーム大会などに名人(司会者も兼ねる)として出演。大会の全国キャラバンでも西日本を高橋名人、東日本を毛利名人が担当するなど、高橋とほぼ同格の扱いを受けるようになった。

テレビ東京系『ファミっ子大集合』内の「ファミっ子チャレンジランド」のコーナーにて、難易度の高い『忍者龍剣伝』を挑戦者である当時の小学生9人相手にもかかわらず、あっさりと放送時間内(放送収録時間内)に一人だけ全面クリアするという離れ業を数回やるほどの腕前。『悪魔城ドラキュラ』でも最低装備でボスのドラキュラを無傷で倒す離れ業を披露した。

また、当時のマネージャーである叔父が番組プロデューサーにギャラの値上げを要求(一説によると1回の出演で100万円)、却下されたことに腹を立て降板する[要出典]

[編集] 所属の誤解

毛利名人はバンダイ所属あるいはナムコ所属、コナミ所属という誤解が多いようであるが、フリーの名人だった。

高橋名人の話によると、正確にはフリーではなく、ハドソンとアルバイト契約があったという(2006年8月16日 高橋名人の『16SHOTRADIO』 vol.5)。

ナムコ所属と言う誤解は「毛利名人」を一躍有名にした企画であるJICC出版局(現・宝島社)のムック『ファミリーコンピュータ必勝本』掲載の「ゼビウス1000万点に挑戦」が読者に強烈なインパクトを与えたことに起因すると思われる。

また、コナミ所属という誤解はコナミのファミコンゲーム攻略ムック発売に起因すると思われる。

なおファミコン名人ハドソンと言えば高橋名人バンダイと言えば橋本名人ナムコと言えば河野名人テクモと言えば辻名人である。

[編集] 「名人」の後

1989年に面接を受け、「ファミ通」(当時の名称は「ファミコン通信」)編集部に入る。主に『グランツーリスモ』などレースゲームの攻略を担当する。入れ替わりの激しい編集部内で古参の1人として貴重な人物であったが、2008年10月3日号から「ファミ通」の編集スタッフから外れている。