ザ・トップテン
| ザ・トップテン THE TOP10 |
|
|---|---|
| ジャンル | 音楽番組 |
| 放送時間 | 月曜日20:00 - 20:54(54分) |
| 放送期間 | 1981年4月6日 - 1986年3月31日 |
| 放送国 | |
| 制作局 | 日本テレビ |
| プロデューサー | 遠藤克彦 原薫太郎 向笠正夫 田中義一 増田一穂 |
| 出演者 | 堺正章 榊原郁恵 徳光和夫 小倉淳、ほか |
| 音声 | ステレオ放送 |
『ザ・トップテン』(THE TOP10)は、1981年4月6日から1986年3月31日まで、日本テレビ系列で、毎週月曜日の20:00 - 20:54に生放送されていた音楽番組。愛称は『トップテン』。
毎週生放送で、独自の邦楽ランキング上位10曲をカウントダウン形式で発表し、ランキングされた曲を歌手が披露する音楽番組。前番組の『NTV紅白歌のベストテン』の公開放送スタイルに、当時人気の高かったTBSの『ザ・ベストテン』をミックスしたような番組構成であった。
目次 |
[編集] 司会
[編集] メイン司会
[編集] サブ司会
毎週第4位までを歌い終えた後、合間のランク圏外の11 - 20位を紹介する「もうすぐトップテン」の担当として、東京・麹町にあった日テレHスタジオ(番組の中継受けサブ[OAサブ]でもあった)に「エレクトリックおじさん」として、当時局アナだった徳光がスタンバイしていた。当時の徳光は『ズームイン!!朝!』の司会との掛け持ちであったが、『ズームイン!!』司会のために日本テレビの近くに住居を借りていたため出演が可能であった。1982年9月より「エレクトリックお兄さん」こと小倉アナにバトンタッチされ(しかし半年も経たないうちに小倉が結婚したため、「〜お兄さん」は短命に終わり、以後は「エレクトリックご主人」に改称)。また代役として小林完吾アナが出演した時は「エレクトリック上司」だった。
[編集] 司会者に関する補足
堺が出演できないとき、高島忠夫や徳光などがピンチヒッターで司会を務めたことがある。
[編集] ランキングの決定方法
ランキングの基準は「レコード部門」・「有線部門」・「ネット局部門」・「リクエスト部門」の4部門を合わせたポイント制で決定。
番組では毎週のランキングは20位までしか発表されていないが、100位まで出されている(ザ・ベストテンは70位まで)。
尚、各部門の配点比率は未公表。
[編集] 放送場所
ただし、他の興行やメンテナンスのため使用できないとき、日本青年館・東京郵便貯金ホール(現メルパルク東京)・日テレGスタジオのいずれかに場を移して生放送された。
歌手が関西方面に集中し、大阪・池田市民会館から生放送したことがあった。
当日会場に来られない歌手が、各地から中継で登場することもあった。中継が度々あるのはザ・ベストテンと同様。
毎回番組の冒頭で会場にきた、修学旅行の中学生や、高校生たちの姿がよく紹介されていた(この紹介コーナーは前番組の『NTV紅白歌のベストテン』より継承された)。
[編集] イベント要素
- オープニング、エンディングの各タイトルバックにそれぞれ、ザ・バーズ(日本テレビ音楽学院(現・日テレ学院タレントコース)のレッスン生。渡辺プロダクションのスクールメイツに相当する)がオープニングで「全国高等学校サッカー選手権大会」のテーマ曲「ふり向くな君は美しい」に合わせて踊り、その最後に『10』・エンディングは『END』の人文字を作り盛り上げるシーンがあった。
- トップテンに初登場した歌手は必ず記念写真を撮影する。撮影した写真は会場のセットに掲示された。撮影の際の掛詞は「(堺)親子で」「(榊原)ブーッ!」であった。
- ザ・トップテンの中継には、当時まだかけ出しだった小堺一機やテレビ新潟入社前の堀敏彦などの浅井企画所属タレント、系列局のアナウンサーらがリポーターとして出演していた。
- ザ・トップテンではザ・ベストテンのように4要素ランキングは発表されなかったが、代わりに4月~翌年3月の要素別ランキングを発表していた。
- 曲のイントロ部分で視聴者からのはがき紹介や、ゲストの小話をするザ・ベストテンと異なり、ザ・トップテンではイントロにナレーションをかぶせない配慮がなされていた。
- メインの提供スポンサーは花王石鹸(現・花王)であった。ザ・トップテンの場合は、毎回番組の最後に花王ヘアケアシリーズ(エッセンシャルシャンプー、トリートメントなど)の視聴者プレゼントがあった。プレゼントは他に、江崎グリコの商品(アーモンドチョコレート、ポッキーなど)、コカコーラのノベルティグッズ、ネッスル(現・ネスレ日本)のギフトセット、日清食品のカップヌードル1ケースなどもあった[1]。これらはハガキで曲をリクエストし、かつ抽選で選ばれた視聴者(1週につき30名まで)でない限りもらえなかった。
- ランキング発表時に画面にコンピュータ表示されるサルの顔の表情によって順位変動が示される(上昇=笑顔(舌を出す)。変わらず=普通。下降=困った顔(涙をこぼす),但し1位をキープした場合は笑顔)。サルが使われたのは、堺が日テレ系ドラマ『西遊記』で孫悟空を演じていた名残。末期のCGにはなくなる。
- 堺は榊原の事を「トントン」と終始呼び、「じゃあトントン次のランキングに・・」という会話だった。
- TBSの「ナショナル劇場」(現:「パナソニック ドラマシアター」。『江戸を斬るVI』、『水戸黄門第12部~第15部』、『大岡越前第6部~第9部』)が裏番組だった(『トップテンシリーズ』の視聴者は若者層で『水戸黄門』『大岡越前』『江戸を斬る』の視聴者は中高年だった)。
- 放送はプロ野球の試合が基本的にない月曜日であったため、通常は放送休止になることはめったになかったが、特に9月から10月にかけて(主に予備日として)月曜日に急遽試合が組まれた場合は読売ジャイアンツ戦中継が優先された。生放送、また前もって出演者のスケジュールが調整されていたこともあり(更には雨天中止もありえる後楽園球場が本拠地の時代であったため)放送休止とはいかず、多くは翌火曜日夕方に録画放送された(スポンサーはなし)。
- また同じく月曜日には1985年3月までフジテレビの音楽番組「夜のヒットスタジオ」が生放送されており(22時台の生放送番組ではあるが、リハーサルのために事前にスタジオ入りしていなければならないため)、ヒットスタジオへの出演を優先する歌手が多数いたことから、前番組の「紅白歌のベストテン」の時代と同じくランキングされている出演者のスケジュールをあけてもらうのに相当苦心したと言われている(欠席の理由を「スケジュールの都合で」とだけ言っていた)。
[編集] 歴史
- 1981年3月30日、番組開始に先立ち、前夜祭が行われた。
- 1981年4月6日、放送開始。第1回の1位は寺尾聰「ルビーの指環」。
- 1981年9月28日、西田敏行が「もしもピアノが弾けたなら」で初登場したが、「写真映りが気に入らないから」と3週に渡って記念撮影をした。3回目の撮影には両手に1・2回目の写真を持っていた。
- 1982年3月29日、大山のぶ代が話題曲コーナーに出演し、他局のアニメであるにもかかわらず『ドラえもん』のエンディングテーマ「まる顔のうた」を歌った。
- 1982年5月17日、最高視聴率の28.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録。この週の1位は近藤真彦の「ふられてBANZAI」。
- 1983年4月4日、藤村美樹の「夢・恋・人。」が10位にランクイン。当時、藤村は結婚と同時に芸能活動休止を表明。奇しくもこの日が結婚式の日(キャンディーズの解散日でもある)で、披露宴会場からの生中継で同曲を熱唱。歌唱中感極まって泣き出す場面もあった。
- 1985年4月、番組の各種要素をリニューアル。番組テーマ曲が新しいアレンジのものに変更。ランキング発表のGGが過去3週の折れ線グラフに変更。またエレベーターもリニューアルされた。
- 1985年10月14日、番組の各種要素をリニューアル。この番組の名物の一つともなっていた歌手登場時の「エレベーター」がなくなり「自動ドア」形式のものに変更。またCGも変更され、以前よりも詳細的なものとなった。
- 1986年2月、中山美穂の「色・ホワイトブレンド」と杉浦幸「悲しいな」が10位に同点で2曲同時にランクイン。
- 1986年3月31日、番組は最終回を迎え、1986年4月7日に『歌のトップテン』に引き継がれるまで5年間続いた。この週の1位は中森明菜の「DESIRE」。
[編集] ザ・ベストテンとザ・トップテンの相違点
この番組は「ザ・ベストテン」とタイトル、中身も良く似ていたのだが、それぞれ異なるところがある。
| ザ・ベストテン | ザ・トップテン | |
|---|---|---|
| 観客の公開 | 原則非公開[2] | 公開 |
| 歌手の登場 | ミラーゲート(回転扉) | エレベーター(末期は自動ドア) |
| ランキング表示 | フラップ(回転式ボード) | コンピューター表示 |
| 得点表示 | 4桁 | 5桁(11~20位は表示なし) |
| 初登場の儀式 | サインを記帳 | 記念撮影 |
| 1位歌手の祝福 | くす玉割り[3]・記念品贈呈 | 特になし |
| 歌詞表示 | なし→初登場曲→全曲に表示 | なし |
| 作詞・作曲者表示 | 表示あり | なし |
| 11~20位の紹介 | PV等の映像による紹介 (前面にチャートの折れ線グラフ) |
コンピューター表示 (名称:「もうすぐトップテン」) |
| 注目曲の紹介 | 今週のスポットライト | 話題曲コーナー |
[編集] ザ・ベストテンでは10位内に入った事がないが、ザ・トップテンでは10位内に入った曲
アイドル歌手の曲はザ・ベストテンよりも比較的高順位で、ランクインもしやすい傾向にあった。
[編集] ザ・ベストテンでは1位になった事がないが、ザ・トップテンでは1位になった曲
基本的に1位の得点は50000点〜60000点程度である。 またザ・ベストテンのように長期間1位になる曲が少なく、順位変動も激しかった。
- ヨコハマ・チーク(近藤真彦)
- キミに決定!(田原俊彦)
- 悲しみ2(TOO)ヤング(田原俊彦)
- 風立ちぬ(松田聖子)
- ジェームス・ディーンのように(Johnny)
- 野ばらのエチュード(松田聖子)
- シャワーな気分(田原俊彦)
- ボヘミアン(葛城ユキ)
- 矢切の渡し(細川たかし)
- 時をかける少女(原田知世)
- ロイヤル・ストレート・フラッシュ(近藤真彦)
- エル・オー・ヴイ・愛・N・G(田原俊彦)
- ラヴ・イズ・オーヴァー(欧陽菲菲)
- 一番野郎(近藤真彦)
- ワインレッドの心(安全地帯)
- 騎士道(田原俊彦)
- ピンクのモーツァルト(松田聖子)
- 顔に書いた恋愛小説(田原俊彦)
- The Stardust Memory(小泉今日子)
- 常夏娘(小泉今日子)
- BOYのテーマ(菊池桃子)
- SAND BEIGE -砂漠へ-(中森明菜)
- 雨の西麻布(とんねるず)
- 歌謡曲(とんねるず)
[編集] ランキング・出演データ
[編集] 年間トップテン1位獲得曲
| 年度 | 曲名 | 歌手名 |
| 1981年(昭和56年) | ルビーの指環 | 寺尾聰 |
| 1982年(昭和57年) | 北酒場 | 細川たかし |
| 1983年(昭和58年) | 矢切の渡し | 細川たかし |
| 1984年(昭和59年) | 長良川艶歌 | 五木ひろし |
| 1985年(昭和60年) | 悲しみにさよなら | 安全地帯 |
[編集] 連続トップワン記録(6週連続以上のものを掲載)
- 10週-寺尾聡「ルビーの指環」
- 8週-中森明菜「セカンド・ラブ」
- 7週-近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」・チェッカーズ「星屑のステージ」・中森明菜「DESIRE(歌のトップテンにて継続)」
- 6週-中村雅俊「心の色」・安全地帯「悲しみにさよなら」
[編集] データ圏外からの初登場で高順位を獲得した曲
- 初登場第2位-松田聖子「ハートのイヤリング」・中森明菜「DESIRE」・チェッカーズ「OH!! POPSTAR」
[編集] トップテン入りしながらも一度も出演しなかった歌手
- 矢野顕子 「春咲小紅」(1981年)
- 松山千春 「長い夜」(1981年)
- 松任谷由実 「守ってあげたい」(1981年)
- 中島みゆき 「悪女」(1981年)
- 小林麻美 「雨音はショパンの調べ」(1984年)
- 一世風靡セピア 「前略、道の上より」(1984年)
- 井上陽水 「いっそセレナーデ」(1984年)(紅白歌のベストテンには出演)
- 大沢誉志幸 「そして僕は途方に暮れる」(1985年)
- 松任谷由実&小田和正&財津和夫 「今だから」(1985年)
- 渡辺美里 「My Revolution」(1986年)(歌のトップテンには「Long Night」と「恋したっていいじゃない」で出演)
尚、矢野顕子、松山千春、松任谷由実、井上陽水、渡辺美里の5組については、ザ・ベストテンにはいずれも上記ランキング曲での出演経験がある。
[編集] オリコンで20位以内に入らなかったがザ・トップテンでは10位以内に入った曲
- 港・ひとり唄(1981年)五木ひろし-(オリコン21位-トップテン7位)
- ガラスの夏(1981年)柏原芳恵-(オリコン21位-トップテン10位)
[編集] ハプニング・事件事故
生放送であったがゆえにハプニングも多々あった。ここでは、特に知られたものについて紹介する。
- 1981年10月5日、この日番組に出演する予定だった河合奈保子がNHKホールで転落事故(レッツゴーヤングの収録中)に遭ったという第一報が伝えられた。この第一報に対し堺は、『奈保子ちゃんにね、激励の拍手を送ってあげてください、みなさん!』と観客に呼びかけていた。河合はその後、11月末まで休業する事となる。
- 1983年3月28日、番組に直接関係していることではないが、沖縄から生中継される予定だった松田聖子が、番組開始直前のコンサート会場で「渚のバルコニー」を歌唱中に乱入してきたファンから突如暴行を受け、中継ができなくなるという事件がおきた。この沖縄コンサートの事件の模様は日本テレビが放送用に収録している最中に起き、テレビニュースなどで何回も放送がされた。奇しくもこの日はザ・トップテン自体が「八元生中継」という非常に生中継が多い日というのを目玉にしていた中で起きたもので、番組冒頭では司会者の2人にまだ事件のことが伝わっておらず、淡々と中継説明をするに終始していた。
- 1983年6月27日、河合奈保子の『エスカレーション』が8位にランクイン。コンサートで訪れていた名古屋市のホテルにあるプールから中継出演した。この時は名古屋でダンスの世界大会が行われていたが、その大会へ出場する為に同ホテルへ宿泊・プールで泳いでいた西ドイツ(当時)の男性が中継に気付くや否や、曲に乗って突然踊りだした。更に曲が終わった後はカメラの前に乗り出し乱入する等の行動に出たので、河合は笑いを必死で抑えながら何とか歌唱した。当然ながら渋谷公会堂も大爆笑に包まれ、「なんちゅう奴だ」と堺が突っ込む程であった。この男性は、翌週には日本テレビ側から打診され、4位にランクインした河合と共演する結果となった。この出来事は2012年2月27日放送の『人生が変わる1分間の深イイ話』で取り上げられた。
- 1984年5月28日、堀ちえみの「稲妻パラダイス」が10位にランクイン。右足を上げる振り付けがあり、その際に右足のヒールが脱げてしまった。スタッフがヒールを取りに行っている間、堀は右足のみパンストだけを穿いた状態で歌った。この回は後に、堀が日本テレビ系列の番組へ出演する際に頻繁に放映されている。
- 1984年8月6日、石川優子とチャゲの「ふたりの愛ランド」がランクイン。この日は日本テレビ本社Gスタジオからの生放送だったが、セットに本物のペンギンがいて、おどけて踊りながら歌っていたチャゲは、ドライアイスで足を滑らせ転倒、ペンギンに噛まれた(間奏で石川が「チャゲ大丈夫?!」と叫んでいる)。
- 1984年10月22日、中森明菜の「十戒」が5位にランクイン。エレベーターで会場に中森が登場と同時に、会場の観客から「帰れ」コールを喰らわされたことがあった。この時、司会の堺・榊原は明らかに慌てていたが、中森自身は何事もなく、むしろ該当の観客達を睨みつける様にしながら「イライラするわー」と歌詞をシャウトするなど、毅然としていた。同年末の『トップテンスペシャル』で堺はこのことについて触れ、『あれはよくなかった。歌う方が出てくるときは気持ちよく迎えてあげるべきである。』とのコメントを述べた。
- 1985年3月11日、その近藤真彦の「ヨイショッ!」が2位にランクイン。近藤は会場に登場する際におどけてエレベーターの降りる位置を間違え、中間の柱の部分に立ち、司会者の堺と榊原は呆然としていた。
- 1985年8月12日、番組冒頭に報道センターから臨時ニュースがあり、小林完吾キャスター(日本テレビアナウンサー:当時)[4]が速報で、日本航空123便が行方不明になったこと[5](日本航空123便墜落事故)を報道した。その後も時折番組を中断して報道センターから最新情報[6]を伝えた。「500人以上を乗せた飛行機の墜落」というあまりに重大な惨事が判明してからは、渋谷公会堂もさすがに重い空気となってしまい、小泉今日子や安全地帯、薬師丸ひろ子など出演者の一部もこの件について述べ、終始硬い表情で終わった。翌週の放送では、堺・榊原が冒頭で追悼コメントを述べている。
[編集] スタッフ
- 監修:阿久悠
- 構成:玉井冽(現:玉井貴代志)、太田イサム、尾間恩、植竹公和、富田和実、矢頭浩
- 音楽:永作幸男
- 振付:土居甫、日本テレビ音楽学院、ザ・バーズ
- 演奏:ガッシュアウト、新音楽協会
- コーラス:コスモス、マイム
- ディレクター:西田弘一、土屋泰則、福地由憲、棚次隆
- プロデューサー:遠藤克彦、原薫太郎、向笠正夫、田中義一、増田一穂
- 演出・プロデューサー:吉岡正敏
- 製作著作:日本テレビ
[編集] 放映ネット局
- 系列は放送終了時のもの。
| 放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 関東広域圏 | 日本テレビ | 日本テレビ系列 | 制作局 |
| 北海道 | 札幌テレビ | ||
| 青森県 | 青森放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
|
| 岩手県 | テレビ岩手 | 日本テレビ系列 | |
| 宮城県 | ミヤギテレビ | ||
| 秋田県 | 秋田放送 | ||
| 山形県 | 山形放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
|
| 福島県 | 福島中央テレビ | 日本テレビ系列 | 1981年9月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 |
| 山梨県 | 山梨放送 | ||
| 新潟県 | テレビ新潟 | ||
| 長野県 | テレビ信州 | テレビ朝日系列 日本テレビ系列 |
|
| 静岡県 | 静岡第一テレビ | 日本テレビ系列 | |
| 富山県 | 北日本放送 | 放送当時日テレ系列局のなかった石川県の中継も担当 | |
| 福井県 | 福井放送 | ||
| 中京広域圏 | 中京テレビ | ||
| 近畿広域圏 | 読売テレビ | ||
| 鳥取県・島根県 | 日本海テレビ | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
|
| 広島県 | 広島テレビ | 日本テレビ系列 | |
| 山口県 | 山口放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
|
| 徳島県 | 四国放送 | 日本テレビ系列 | |
| 香川県 →香川県・岡山県 |
西日本放送 | 1983年3月までの放送エリアは香川県のみ | |
| 愛媛県 | 南海放送 | ||
| 高知県 | 高知放送 | ||
| 福岡県 | 福岡放送 | ||
| 長崎県 | テレビ長崎 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 |
1981年10月5日からネット開始[7] |
| 熊本県 | くまもと県民テレビ | 日本テレビ系列 | 1982年4月開局から |
| 大分県 | テレビ大分 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
|
| 宮崎県 | テレビ宮崎 | ||
| 鹿児島県 | 鹿児島テレビ | フジテレビ系列 日本テレビ系列 |
1982年10月からネット開始[8] |
| 沖縄県 | 沖縄テレビ | フジテレビ系列 | 1983年10月よりネット開始[9] |
[編集] CSでの再放送
| チャンネル名 | プラットフォーム | 放送期間 | 放送回数 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 日テレプラス | スカパー!・スカパー!光 スカパー!e2・CATV |
2010.1. - 2010.5 | 16 | |
| 第一興商スターカラオケ | スカパー!・スカパー!光 CATV |
2011.1 - 2012.2 | 16 | 2012年3月31日閉局 |
| ファミリー劇場 ファミリー劇場HD |
スカパー!HD・スカパー! スカパー!光・スカパー!e2 CATV |
2012.3(予定) | 6(予定) |
- 2010年1月25日よりCS放送・日テレプラスでの再放送を開始した(初回放送分で5月10日まで)。過去のランキング形式の音楽番組がCSで再放送を行うのは当番組が初となった。
- 日テレプラスでの第1回はテレビ長崎でのネットを開始した1981年10月5日放送分を放送。VTRの保存状態や楽曲の著作権等をクリアした回を中心に順不同で放送している。肖像権の問題によりジャニーズ事務所所属歌手とサザンオールスターズ出演の回は放送されなかった。TOP10にランクインしている場合は、欠席の回が放送された。このため、200回以上ある放送回数のうち、日テレプラスで放送されたのはわずか16回となる。
- 2011年1月8日からは2012年2月までは第一興商スターカラオケで再放送された。こちらは月1回の更新で、日テレプラスとは放送リストが異なるものの、うち16回が放送された[10]。
- 2012年3月にはファミリー劇場で再放送される予定で、今回は1982年にデビューしたアイドル、つまり花の82年組[11]をピックアップして放送する[12][13]。なお、ファミリー劇場における歌謡番組の再放送も当番組が初。ただし放送当時の画質(標準画質)で放送されるため、ハイビジョンの場合は画面左右に黒帯(テレビの機種によっては額縁放送)となる。
[編集] 脚注
- ^ 春秋の改編期や年末年始時期に拡大スペシャルを放送する時は、19:00 - 19:30はその枠のスポンサー、19:30 - 20:00は当時この枠を一社提供していたロート製薬が担当するが、これらのスポンサーからはプレゼントは出なかった。なお19:30からの拡大スペシャルでは、ロート製薬のオープニングキャッチは行わなかった。
- ^ 但し、一時期地方での公開生放送公演があった
- ^ 1位の歌手がスタジオに出演した場合のみ
- ^ 前番組「紅白歌のベストテン」以来の出演で、最初に振ったときに「堺さん」と発し、速報を伝えた。本編最後の速報の後に小倉アナ(当時)が「小林さん、ありがとうございました。」の後、視聴者プレゼントのお知らせをした。
- ^ 20時の段階では墜落は未確定だったものの、アメリカ空軍横田基地から運輸省に入った連絡や長野県警に入った住民からの目撃情報などを伝えた。
- ^ 2回目(20時20分頃)の速報で長野県警が「長野県北相木村で墜落した事を確認した」と伝えた。3回目の速報(20時40分頃)は2回目と同じ内容を伝えたが、4回目の速報(20時50分頃)では「北相木村と川上村の間のぶどう峠付近に墜落」と伝えた。
- ^ それまではフジテレビの連続ドラマを放送していた。
- ^ 鹿児島放送の開局に伴いテレビ朝日系列の番組が同局に移動したため放送開始。
- ^ 週末に遅れネット。
- ^ 後番組『歌のトップテン』も本番組に続き日テレプラスで再放送されたが、こちらは日テレプラス放送終了後、2011年7月から12月まで歌謡ポップスチャンネルで再放送された。
- ^ 中森明菜、小泉今日子、堀ちえみ、石川秀美、早見優など。
- ^ ファミリー劇場「来月のおすすめ」 2012年2月1日閲覧
- ^ 2012年3月月間番組表 - ファミリー劇場 (PDF)
[編集] 関連項目
- 渋谷公会堂
- NTV紅白歌のベストテン
- 歌のトップテン
- 歌のワイド90分!
- M-STAGE - 1994年〜1995年に深夜枠(関東ローカル)で放送された音楽番組。木曜日のM-STAGE4で「あの日のトップテン」と題して、過去のランキングを紹介した。
- 速報!歌の大辞テン
- ザ・ベストテン(TBS)
[編集] 外部リンク
- ザ・トップテン - 第一興商スターカラオケ
| 日本テレビ 月曜20時枠 トップテンシリーズ | ||
|---|---|---|
| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
|
ザ・トップテン
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