牧村三枝子

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牧村三枝子
基本情報
出生名 千葉美恵子
出生 1953年12月21日(60歳)
出身地 日本の旗 日本 北海道美唄市
ジャンル 演歌
職業 歌手
担当楽器
活動期間 1972年 -
レーベル RCAレコード
ポリドール
バップ
事務所 サンミュージックプロダクション

牧村 三枝子(まきむら みえこ、本名:千葉美恵子、1953年12月21日 - )は日本演歌歌手である。所属事務所サンミュージックプロダクション北海道美唄市出身。愛称は「ミーコ」。

略歴[編集]

美唄市の炭鉱で育つ。炭鉱夫の父が病に倒れ、以来極貧の生活を送り、中卒後上京し釣り具店に勤務する。

1972年に「少女は大人になりました」で「RCAレコード」からデビュー。その後レコード会社を移籍することとなったが、1978年に、移籍先のレコード会社・「ポリドール」(現在の「ユニバーサルミュージック」)の先輩である渡哲也がかつてアルバムで発表した『みちづれ』を、牧村の強い熱望によりシングルとして発売する(渡はそれを機に『みちづれ』の歌唱を封印)。その後同曲は翌1979年から1980年にかけて、100万枚の売上げを記録する空前の大ヒット曲となった。ほか1980年に『夫婦きどり』、1990年には『友禅流し』などもヒットさせており、『NHK紅白歌合戦』には1981年から1984年まで4年連続出場した。

しかしそれからはヒット曲に恵まれず、演歌リストラが増え始めた1997年に、長年所属していた「ポリドール」との契約を打ち切られてしまった。その後「バップ」へ移籍、演歌歌手を続けていたが、最愛の父を亡くしてから酒に溺れる日々が続き、それが祟って2002年頃、肝硬変食道静脈瘤を患ってしまう。一時は「余命5年」と言われるほどの重病であったが、牧村と同じ女性演歌歌手としてライバルでもあり親友でもある小林幸子を初め、「演歌の大御所」北島三郎や、ほか山本譲二細川たかしなど歌手仲間の励ましを心の支えにして、約2年間の闘病生活の後に無事社会復帰を果たした[1]。病状の方も禁酒とリハビリの効果もあって、現在は快方に向かっている。

牧村は未だに独身を貫いている。インタビューでは自ら「私が結婚したい男性は、同じレコード会社の先輩でお世話になり『みちづれ』を私に下さった渡さんか、亡くなった石原裕次郎さんの二人だけ。それ以外の男性との結婚は考えられない」と語っていた。

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
1981年(昭和56年)/第32回 みちづれ 10/22 細川たかし
1982年(昭和57年)/第33回 2 くちなしの花 12/22 新沼謙治
1983年(昭和58年)/第34回 3 樹氷の宿 8/21 千昌夫
1984年(昭和59年)/第35回 4 冬支度 11/20 村田英雄
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」を表す。

代表曲[編集]

  • 少女は大人になりました(1972年)
  • 赤提灯の女(1976年)
  • いち抜けた(1977年)
  • みちづれ(1978年)
  • 夫婦きどり(1979年)
  • あなたの妻と呼ばれたい(1980年)
  • 樹氷の宿(1983年)
  • 霧雨クラブ(1983年)
  • 冬支度(1984年)
  • 夾竹桃(1985年)
  • 蛍川(1986年)
  • 友禅流し(1989年)
  • 若狭の宿(1991年)
  • 室生寺(1993年)
  • 花あかり~ワルツ~(1995年)
  • 一ぱいのお酒(1996年)
  • 月洩るる窓の下で(1997年)
  • 北越雪譜~雪のロマンを歌うまえに~(2000年)
  • 悲しい歌のくりかえし(2001年)
  • 向島・夕立ち荘(2004年)
  • こぼれ陽(2005年)

など

発売中のアルバム[編集]

主なテレビ出演[編集]

エピソード[編集]

  • 「ポリドール」に移籍が決まった際、「RCAレコード」の人たちに挨拶に行ったところ、宣伝会議中ではあったのに、「移籍のときに挨拶に来たのはミーコ(牧村の愛称)が初めてだ」と喜び、牧村の前途を祝して祝杯を上げてくれたという[2]
  • 実父の死をきっかけに、アルコール依存症ストレスからくる重度の肝硬変などの病に倒れた牧村は、一時体重が35Kgまで激減、肺には水が3Lも溜まる深刻な状況だった。緊急入院してから間もなく、担当医から「余命5年」と宣告された時には「『あと5年しか生きられない』というより『こんな状態で5年も生き続けなければならないのか』という気持ちが強く、暫くの間ずっと病室で落ち込んでいた」と涙を流しながらコメントしていた。

脚注[編集]