玉置宏

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玉置 宏たまおき ひろし1934年1月5日 - )は、日本の司会者神奈川県川崎市出身。日本司会芸能協会会長、横浜にぎわい座館長。

[編集] 来歴・人物

生家の家業は米屋。神奈川県立川崎高等学校明治大学商学部卒業。1956年文化放送に入社し、文化放送第1号の男性アナウンサーとなる。

1958年三橋美智也の勧めでフリーに転身。同年から1977年までTBSロッテ歌のアルバム』を19年・1,000回、1967年からNET(現・テレビ朝日)『象印スターものまね大合戦』を10年勤め、人気を獲得する。冒頭の挨拶「一週間のご無沙汰でした。玉置宏でございます。お口の恋人、ロッテ提供、『ロッテ歌のアルバム』…」は当時流行語になる(もちろん『スターものまね大合戦』でも「一週間の…」のくだりは言った)。両歌番組では、多数の歌手や芸能人とのやり取りも見事で、軽妙洒脱なトークも人気だった。芸能界からも大きな信頼を得てきた。このほかコロムビアレコードの専属司会者としても活躍。以後も司会を中心にテレビ·ラジオなどで活動。漫才師のコロムビア・トップ・ライト青空一門の漫才師以外の門人でもある。1979年には、東映映画のヒットシリーズである「トラック野郎」シリーズの最終作『故郷特急便』に、大阪梅田コマのコンサート司会者役で出演した。1981年には真咲よう子とのデュエット曲「東京ラスト・ナイト」で歌手デビュー。同曲は10万枚を売り上げる大ヒットとなった。

演芸評論家としても知られており、子供の頃からの演芸好き。演芸関連の資料も数多く所有している。 演芸関連のレコードやテープ、CD等や、個人的に演芸番組の放送をエアチェックしたり、各方面から入手した落語演芸の録音(録画)音源を数多くコレクションしており、NHKラジオ第1放送で長年放送し番組席亭を務めている『ラジオ名人寄席』ではコレクションしている録音(録画)からの音源を放送をしていた。しかし、2008年3月、玉置が持ち込み当番組内で使用した落語の音源のうち一部が、TBSが収録したものであり、その使用についてTBSから許諾を得ていなかったことが明らかになり、玉置は同番組を降板し、同番組は打ち切られることとなった。番組内で放送の音源には、TBS以外でも許諾を得ていない音源使用も多数あった模様。

2003年からは横浜にぎわい座の館長に就任、大衆芸能の振興に尽力している。 2007年5月12日「第12回林家彦六賞」に於いて、「寄席関係に貢献、話芸の発展に尽力した」との事で「彦六特別賞」が贈られた。前述の「ラジオ名人寄席」での音源不正使用で、横浜にぎわい座の館長の辞任の意を表したが、横浜にぎわい座運営関係者の留意により、その職に留まっている。

生粋の大洋ホエールズ・横浜大洋ホエールズ・横浜ベイスターズファンとしても有名。同球団の1998年の日本一決定までは「私は1960年の大洋のセ・リーグ制覇時の日本シリーズ川崎球場(大洋ホエールズ主催試合)で全試合見に行っているのに、それ以来一度も優勝していないなんて悲しいし情けない。6球団しかないんだからもっと優勝してほしい」と本音まじりの檄を飛ばしていた。ファンになったきっかけは秋山登土井淳と大学の学部で同級であった事である。その甲斐あってか、1998年にベイスターズが38年ぶりのリーグ優勝を決めた日には、『ニュースステーション』の番組冒頭にいきなり登場し、「38年ぶりのご無沙汰でした」のフレーズを披露している。

近年では2006年1月~2月15日まで、TBSラジオ大沢悠里のゆうゆうワイド』内のコーナー「ヨークマートミュージックプレゼント」司会の毒蝮三太夫腸閉塞で入院し、そのピンチヒッターとして火・木曜に登場し”懐かしの昭和歌謡”を玉置のDJで放送した(美空ひばり石原裕次郎舟木一夫橋幸夫島倉千代子テレサ・テンザ・タイガースザ・ピーナッツなどといった1日1人(1グループ)をテーマに当時のエピソードを朗々と語るもの) 。

[編集] 主な出演番組

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