細木数子

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ほそき かずこ
細木 数子
別名義 細木先生 
生年月日 1938年4月4日(76歳)
出生地 日本の旗 大日本帝国東京府東京市渋谷区
(現:東京都渋谷区
職業 卜占師
タレント
活動期間 卜占師1982年 -
タレント: -
主な作品
ズバリ言うわよ!
幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜 

細木 数子ほそき かずこ1938年昭和13年)4月4日 - )は、日本作家タレント・占術家。テレビ出演の際の肩書きは心照学研究家・人間学研究家などと称する場合もある。下記のようにかつては実業家でもあった。東京府東京市渋谷区(現:東京都渋谷区)出身。寅年、八白土星、牡羊座。


経歴[編集]

生い立ち[編集]

東京・渋谷に生まれた。 父・之伴の許には大野伴睦や、松葉会会長の兄などが出入りしており、暴力団関係にも幅広い人脈をもっていた[1]。之伴は太平洋戦争が始まる頃、政治活動から身を引き、「ロマンスクラブ」という名前のカフェを始めた[2]。「ロマンスクラブ」はやがて「南海」という名に改められた。

1945年[3]2月、(数子が満7歳の時)父・之伴は70歳で病没した[4]。店は「娘茶屋」という名に変わった。

16歳のころにはミス渋谷に選ばれた。1955年、東京駅の高架下で「ポニー」というスタンドコーヒーの店を開く。成徳女子高等学校在学中に宝塚音楽学校に合格するが入学辞退した。その後、高校を3年で中退し、店を切り盛りした。17歳の時だった[5]

銀座の女[編集]

ポニーを開店から、わずか半年で売却。その資金をもとに、新橋のガード近くにクラブ「潤」をオープン。翌年には売却する。1958年には、銀座に「かずさ」をオープン。

20歳で銀座クラブを開くなど、若い頃から飲食店の仕事を行ってきた。

1963年、店に来ていた客のプロポーズを受け結婚。相手は静岡眼鏡店の後継ぎ息子だった。しかし3ヵ月で婚家を飛び出し、1966年に離婚した[6]

1975年に4億円の負債を抱えた島倉千代子の後見人としてこれを解決、島倉の興行の権利、レコードの販売権、同歌手の所有していた赤坂のマンションを手に入れた。

1977年 芸能プロダクション「ミュージック・オフィス」を設立。細木は「光星龍」という名前で社長に就任し、島倉の作詞も手掛けるようになる[7]

占い師として[編集]

1982年に、独自の研究で編み出したとされる“六星占術”という占いに関する本を出版。1985年に出した『運命を読む六星占術入門』がベストセラーとなり、以降、「六星占術」に関する著作を次々に発表、「六星占術」ブームを巻き起こし、人気占い師となる[8]

銀座のクラブのママであった1983年(45歳)に、政財界にも力を持つ事で知られる陽明学者の安岡正篤(1898年 - 1983年)と知り合い、結婚の約束を取り交わす。安岡の親族が反対する中、安岡と交わした結婚誓約書をもとに単独で婚姻届を提出し、受理されたが、当時安岡は85歳と高齢であり、入院先の病院での検査では認知症の症状があったとも言われ[9]、安岡の親族が「婚姻の無効」の調停申し立てを行った翌月、安岡は他界した[7]。調停により、婚姻は無効であるとした和解が成立し、初七日には籍を抜くこととなった。

また細木が相談者に先祖供養として勧めていたお墓の購入に関して、1993年には「人の不幸、不安につけこんで不当に高額な墓を買わされた」と霊感商法ばりの損害賠償を求める訴訟が全国各地で起こった[7]。細木は墓の鑑定料として10万円を受取り、相談者は鑑定で勧められた1000万円を越える墓を購入、借金の返済に苦しんだ[7]。当時細木は久保田家石材商店とつながりがあり細木の著書の巻末には同社の連絡先一覧も掲載されていた[7]

1990年代は細木はテレビに出るなどの表立った活動を自粛あるいは避けていたが、それは細木本人が大殺界の時期だったからとしている。ただし、フジテレビ料理の鉄人』へは『テレビはコミュニケーションの場』と、異例のノーギャラで出演していた。

1999年に勃発した浅香光代野村沙知代のバトル(ミッチー・サッチー騒動)の際には、野村と親交があることから彼女を擁護する立場を取っていた。

その後、2003年頃から、細木が人生相談を行う特別番組が20%前後の高視聴率を挙げるようになったことから、各局で多くのレギュラー番組を持つようになり、「視聴率の女王」と呼ばれるようになった。そして、野村やデヴィ・スカルノらに代わって、熟女タレントの代表的存在とされるようになった。

テレビ出演[編集]

京都府内に豪邸があり、所有する多数の高価な骨董品等が『ウンナンの気分は上々。』などのテレビ番組で紹介されている。

2004年後半にはブームのピークを迎え、8月にはTBSズバリ言うわよ!』、10月にはフジテレビ『幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜』と2本のレギュラー番組が始まった。出演タレントくりぃむしちゅーネプチューン等。両者2番組に出演していた頃は態度の悪い一般人・芸能人に対して容赦なくスパルタ指導していた。

タレントなどに対して改名を促したことでも度々話題となった。テレビ番組やインタビューなどで「すぐにでも名前を元に戻したい」と発言していたモンキッキーハッピハッピー。、結局旧芸名のX-GUNに戻した丁半コロコロ、映画『ゴーストシャウト』など、改名しても目立った成果が得られなかったケースばかりで、次長課長のように改名を拒否した後にブレイクしたケースもある。また、他人に対する厳しい叱責や、歯に衣着せぬ自由奔放な発言(「地獄に堕ちる」「私を誰だと思ってる」「あなたは死ぬ」など)は毒舌と非難されることも多い。

事実上のテレビ出演セミリタイアとその後[編集]

「テレビの仕事の充電期間を設けたい」「本業の仕事に専念する」との理由により、2008年3月を以ってテレビでのレギュラー出演を終了させた。『ズバリ言うわよ!』と『幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜』は細木の降板に伴い打ち切りとなった。以後、テレビ出演は稀に行う程度となった(後述)。

この後も『六星占術』関連のCM等には出演している。

2013年1月2日放送のTBS『有田とマツコと男と女 新年から禁断の大バトル!!〜細木数子も緊急参戦〜』に出演し、約5年ぶりのくりぃむしちゅー・有田哲平とのテレビ共演を果たした。この間では、爆笑問題と共演したTBSの特別番組爆!爆!爆笑問題』がある。

批判[編集]

細木に対しては過去の経歴やメディアでの言動に関して、以下の批判がある。

  • 2005年6月、日本愛友党総裁・早川明生は、当時のTBS井上弘社長に以下抗議文を突きつけた。

 <日本愛友党は、TBSに対し、詐欺師・細木数子の正体を暴露し抗議する>

  • 細木数子は複数の暴力団幹部の娼婦だった。
  • 細木数子は脱税容疑者である。
  • 細木数子は京都の久保田家石材と共謀し、霊感商法で墓石を売り、暴利を貪っている詐欺師である。
  • 細木数子の出演は、社会道徳と風紀の糜爛(びらん)をもたらし、社会に害悪を及ぼす。
  • 以上のような反社会的な人物を出演者に起用して、視聴者を欺瞞し、さらに公共の電波を視聴率至上主義の名のもとに金儲けするTBSは、即座に細木数子の出演を中止せよ。しからずんば日本愛友党は、TBSを細木数子の共犯者として弾劾する。

その後、細木が関東・関西の暴力団幹部に数億の金を渡して、早川の口封じに動いたことが暴露された。

  • 北朝鮮に賠償金支払いや米の支援を行うよう発言した。
  • 安岡正篤と結婚しようとした時期は、細木自身が新しいことを始めるのはよくないと説明している六星占術における「大殺界」の真っ最中であったことから、細木自身が六星占術のタブーを守っていないとの批判がある。
  • かねてから細木の勧める先祖供養に対し、墓石業者や仏壇業者と組んだ“霊感商法”的な商売ではないかという批判があるが、細木は自著で、業者と組んでいるわけではないと否定し、「そうした疑問を抱く方もときおりおられますが、心が曲がっていることを残念に思います」と述べている[10]。しかし細木の著書の巻末には事務所本部として東京駅前の久保田家石材関連企業の事務所や全国各地にある同社の支店、営業所などの連絡所一欄が載っている[7]
  • 月刊誌 『サイゾー』 は島倉千代子との過去や、占い師業界の中での評価を理由に批判を行っている。
  • 『細木数子の参拝作法』などで放送した、神社の参拝の方法(音を立てないように拍手を打つ、女性は皇后陛下に倣って一拝のみで拍手を打たない、など)が間違っているとして、全国の神社・氏子などから苦情が寄せられ、東京練馬・石神井の「氷川神社」のホームページには「ある占い師が、テレビで間違った作法を教えている」という内容の文章を記載している[11]。また神社本庁も取材に対し「間違った参拝作法をテレビで公言している。(細木サイドに)指導してほしい、という苦情がかなりきています」と明かしている[12]
  • 占いの当たり外れについて「外れた」と攻められた時に「私の占いに一つもはずれはない、断言する、ただし悪い予言は、良い予言に変えられる。」と必ず発言をする。
  • 週刊現代誌上でノンフィクションライター溝口敦の手による「魔女の履歴書」と題した細木の半生を追ったルポ連載内で、売春斡旋や暴力団との深い関係、 神煕玲からの占いパクリ疑惑を指摘された。それに対して細木は2006年6月に連載差し止めと名誉毀損で6億円の損害賠償を求める訴訟を起こした。溝口によると細木の訴えは当時出演していた「ズバリ言うわよ!」「幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜」を継続させるための延命工作で、2008年3月に二番組を細木が降板後、裁判所の和解に応じて、同年7月に細木は訴訟を取り下げた。

家系[編集]

細木数子の父親細木之伴を生んだのは小野藤(ふじ)という女性である[13]。小野家は土佐(現在の高知県)で代々代官をしていた名家であり、藤(ふじ)は同じく土佐の代官をしていた細木家に一度嫁ぐ[13]。しかし今でいう嫁いびりを受けたため実家に戻ってきたが、その時すでに腹の中に子供がいた[13]。それが之伴であり、父方の細木姓を名乗ったが、実際は私生児である[13]
之伴は十代の頃に東京に上り、神田神保町にあった永易弁護士事務所に書生のような形で入り込んだ[13]。近くに下宿屋があり、そこの橋本タイという小田原旧家の娘と結婚し、子供も授かったが後に離婚[13]。その後之伴は東京を離れ富山へ行き、そこで知りあった竹内シケという料理屋の娘と二度目の結婚をした[13]
シケとともに東京に戻った之伴は落合に家を構え、シケには渋谷の円山町芸者屋と料理屋と待合をやらせた[14]。之伴は院外団の壮士として活躍[14]。生命保険会社の代理店も始め、新聞広告で女事務員を募集[14]。これに数子やその兄妹たちの母親長門ミツが応募してきた[14]。之伴は正妻のシケとの間には子供はなかった[14]

著書[編集]

参考文献[編集]

出演していた番組[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 佐野眞一『あぶく銭師たちよ!―昭和虚人伝』184頁
  2. ^ 佐野眞一『あぶく銭師たちよ!―昭和虚人伝』185頁
  3. ^ 佐野眞一著『あぶく銭師たちよ!―昭和虚人伝』185頁には「之伴は昭和二十一年に死亡」とある
  4. ^ 溝口敦著『細木数子―魔女の履歴書』23頁。
  5. ^ 佐野眞一『あぶく銭師たちよ!―昭和虚人伝』186頁
  6. ^ 溝口敦著『細木数子―魔女の履歴書』44-46頁
  7. ^ a b c d e f お墓と“たたり””. しんぶん赤旗 (2005年11月). 2010年8月8日閲覧。
  8. ^ 細木の著書は今日まで100冊以上に上り、その売り上げは総計6500万部以上(KKベストセラーズ発表による)と言われ、「占いの本を世界一売った人」としてギネスブックにも掲載されている[ [1]
  9. ^ 『週刊文春』1983年12月22日・29日合併号
  10. ^ a 細木数子(著)『幸せになるための先祖の祀り方』(KKベストセラーズ)
  11. ^ 石神井 氷川神社「参拝の作法について」
  12. ^ 細木数子の参拝作法は「誤り」全国の神社から苦情(2007年3月1日、J-CASTニュース)
  13. ^ a b c d e f g 佐野眞一著『あぶく銭師たちよ!―昭和虚人伝』219頁
  14. ^ a b c d e 佐野眞一著『あぶく銭師たちよ!―昭和虚人伝』220頁
  15. ^ この番組に細木はノーギャラで出演していた。
  16. ^ 三月場所の11日目。朝青龍の激励に訪れ、食事をしながら歓談している部分が紹介される。

外部リンク[編集]