森進一

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森進一
基本情報
出生名 森内一寛
出生 1947年11月18日(66歳) 
出身地 日本の旗 日本, 山梨県甲府市
血液型 O型
学歴

甲府市立北新小学校転校

鹿児島市立長田中学校卒業
ジャンル 演歌
職業 歌手
担当楽器
活動期間 1966年 - 現在
レーベル ビクターエンタテインメント
事務所 渡辺プロダクション
森音楽事務所
公式サイト 森進一 ホームページ

森 進一(もり しんいち、1947年(昭和22年)11月18日 - )は、日本歌手作曲家社会福祉活動家。本名は森内 一寛(もりうち かずひろ)。身長167cm、体重49kg、血液型O型。

人物概要[編集]

演歌歌手という括りで扱われることが多いものの、本人は演歌歌手と呼ばれるのは不愉快とし、流行歌手であるとしている[1]。そのため、演歌の枠に捉われず常に新たな音楽の領域に挑戦し続ける幅広い音楽性の持ち主でもある。一聴して森と分かる、独特のハスキーボイスを特徴とする[2]。「演歌の枠にとらわれず、いい音楽であれば何の障壁もなく耳を傾け、自分の世界に取り込みたい」という彼の思いに共感する松本隆大瀧詠一など他ジャンルのアーティスト達と積極的に交流し、提供曲を精力的に歌い、発表した。

1968年(第19回)『NHK紅白歌合戦』に初出場して以来、2013年(第64回)の紅白まで46回連続出場をしており、これは連続出場記録としては紅白歴代第1位の記録である。通算出場回数も北島三郎に次いで第2位。初めてトリを務めたのは、出場2回目である1969年第20回)の「港町ブルース」で、白組におけるトリ歴代最年少記録を持つ。トリ通算出場回数は9回で、美空ひばり五木ひろし、北島三郎(いずれも13回)に次いで歴代第2位。トップバッターは2回務めている。

大原麗子森昌子との結婚歴があり(いずれもその後離婚)、昌子との間に誕生した3人の息子のうち、長男森田貴寛はロックバンド「ONE OK ROCK」のボーカリスト、次男はテレビ東京の社員[3]、三男森内寛樹はロックバンド「MY FIRST STORY」のボーカリストである。

また、俳優の小倉一郎は親戚(互いの祖母が姉妹同士)であり、森は自らの座長公演で小倉と度々共演している。

後述の『じゃがいもの会』などの社会福祉・篤志活動でもその名を高めた。また、日本中央競馬会に馬主登録をしており、フォーレストムーンなどを所有していた[4]

来歴[編集]

生い立ち[編集]

山梨県甲府市で生まれる。母子家庭に育ち、沼津下関などを各地を転々とした。最終的には母の郷里の鹿児島に落ち着き、中学卒業と同時に集団就職大阪に出て移住した。金の卵と呼ばれた若年労働者として、家族に仕送りするために少しでもいい賃金を求めて17回も職を替えた[5]

デビュー[編集]

1965年(昭和40年)、フジテレビ系の「リズム歌合戦」に出場して優勝。チャーリー石黒にその才能を見出され、渡辺プロダクション(ナベプロ)に所属した。元は普通の声であり、ルックスもいいことからポップス系でデビューさせる予定でスクールメイツ入りさせた。しかし個性が弱いとして、チャーリー石黒は売れるためには声を潰し、演歌を歌うしかないと森と渡辺プロを説得。翌1966年、猪俣公章作曲、吉川静夫作詞による「女のためいき」でデビューした。「恍惚のブルース」でほぼ同時期にデビューした青江三奈と共にため息路線として売り出された。猪俣はその後の彼の数多くの代表曲を手がけることになる。美声歌手が主流だった当時の歌謡界において、かすれ声で女心を歌う森のデビューは衝撃的であり、世間からは「ゲテモノ」「一発屋」と酷評された[5]。しかしその後も「命かれても」「盛り場ブルース」と立て続けにヒットを重ね、ついにはデビュー3年目の1968年、ヒット曲「花と蝶」で第19回NHK紅白歌合戦に初出場を果たした。

円熟期[編集]

1969年(昭和44年)には全国の港町の情景を織り込んだ「港町ブルース」を発表。22歳の若さで第11回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞を受賞、さらに出場2回目にしてこの年の「第20回NHK紅白歌合戦」のトリを務めた[注 1]1971年(昭和46年)には「おふくろさん」(作詞・川内康範、作曲・猪俣公章)が発売され、同曲で2度目の最優秀歌唱賞を受賞した(第13回日本レコード大賞最優秀歌唱賞)。また、「第22回NHK紅白歌合戦」にも同曲で出場し、3年連続でトリを務めた。

1972年(昭和47年)、森の狂信的なファンの女性から婚約不履行、未成年者略取[注 2]で告訴された。実際には女性の主張していた内容は全くの狂言だったが、彼女がそうした妄想にとらわれるようになったのは、以前病気療養中の森の母を見舞った際に母から親切に対応されたのがきっかけだった。このことを苦にした母は翌1973年に自殺。山口地裁が森の全面勝訴を言い渡したのはその半年後だった。

1974年(昭和49年)にはフォークソング全盛期の黄金コンビ、岡本おさみ作詞、吉田拓郎作曲の「襟裳岬」を発表。同曲で第16回日本レコード大賞、第5回日本歌謡大賞など多くの音楽賞を獲得し、「第25回NHK紅白歌合戦」で自身初の大トリを務めた。この「襟裳岬」との出会い以降彼の曲の世界は転換期を迎え、通常の演歌歌手には無い趣向を持ち始める。

独立[編集]

1979年(昭和54年)2月に、デビュー以来約14年間に渡り在籍したナベプロから独立し、「森音楽事務所」を設立した。しかし一流スターが多く在籍する大手事務所からの独立は芸能界における自身の居場所を失う可能性を示唆していた。しかし同年夏、再起を賭けて発表した「新宿・みなと町」がヒット、以降の活動に弾みをつける契機となった。このころ、ナベプロ時代の同僚だった既婚者の大原麗子との関係が取り沙汰され、1980年(昭和55年)に大原と結婚。

1982年(昭和57年)に松本隆作詞、大瀧詠一作曲(両者とも元・はっぴいえんど)による「冬のリヴィエラ」を発表した。ポップス系のこの曲により従来とは異なる新たなファン層を開拓した[5]。この頃の活動は、公私共に充実し順風であるとしながらも、実際の夫婦生活は既にすれ違いが生じていたと言われる。1984年(昭和59年)に大原麗子離婚した。

社会福祉活動[編集]

離婚後、新しい挑戦として社会福祉活動「じゃがいもの会」を設立した。デビュー当時より面識があり、社会福祉活動に力を注ぎその前年からユニセフ親善大使の職を拝命されていた黒柳徹子がこれに賛同した。さらに歌手仲間である原田直之、小林幸子森昌子らが参加した。この「じゃがいもの会」での活動により歌手以外の社会的活動家としての「森内一寛(本名)」の一面が開花し、1998年(平成10年)の長野オリンピックの委員会理事、カンボジア地雷除去キャンペーン活動の発起人、在日外国人を支援援助する社会福祉法人「さぽうと21」の理事など、以後数多くの福祉・社会的活動に参画している。この活動には独立当初の騒動で迷惑を掛けた人々への感謝と贖罪の意味があったと言う。この活動は新しい出会いを作るきっかけともなり、約1年半の交際を経て、1986年(昭和61年)9月に森昌子と結婚した。昌子はこれを機に歌手を引退。3児を授かり非常に仲睦まじい森夫妻の在り方は、一般に理想的な家庭像・夫婦像のイメージとして広く認知されるようになった。

1988年(昭和63年)の「京都去りがたし」でシングルとしては2回目の作曲を手掛け、はじめて作曲者「森進一」のクレジットでリリースする。

闘病[編集]

2001年(平成13年)の「第52回NHK紅白歌合戦」で妻・昌子と共演。しかし、これがきっかけで夫婦仲が悪化する。2002年(平成14年)から昌子とジョイント・コンサートを行うようになる。デュエットソングも2曲発表している(書籍扱いという異色の発売方法)。昌子との意見の相違等により、結婚19年目の2005年(平成17年)3月に別居。その心労もあってか、彼は間も無くして長年の持病であったC型肝炎を悪化させ入院した。4月19日には所属事務所から2人の離婚が発表された。闘病中、うつ病にかかるが、2006年(平成18年)3月に回復して退院した。

2008年(平成20年)10月5日に、台東区蔵前にあるビクターのショールームで新曲「波止場」の発表を兼ねたファン限定のミニライブを開催、そのステージ上で二年前にC型肝炎が完治したことを報告した。

2014年(平成26年)5月10日に放送された『ザ・インタビュー〜トップランナーの肖像〜』で、肺がんの手術を行ったことを明かしている[6]

おふくろさん騒動[編集]

2007年(平成19年)2月、おふくろさん騒動が勃発、川内康範との確執が表面化した[注 3]。両者はついに和解に至ることのないまま、2008年4月6日に川内は逝去した。2008年(平成20年)11月に、森と川内の遺族が和解したことが明らかになり、1年9ヶ月に及んだおふくろさん騒動に一応の終止符が打たれた。話し合いの席には関係者らと森やレコード会社が同席したという。同年の「第59回NHK紅白歌合戦」に出演した際に「おふくろさん」を歌唱した。この時、冒頭で川内康範に謝罪を行う場面があった。

2009年(平成21年)11月25日には尾崎豊の「I LOVE YOU」や石川さゆりの「天城越え」など、演歌からJ-POPまで様々なジャンルの曲を集めたカバーアルバム『Love Music』をリリースした。コブクロの「」では、自身初の多重録音によるハーモニーを聴かせている[7]

音楽作風[編集]

先述の通り、演歌歌手と呼ばれることを嫌い、流行歌手として[1]、固定観念に捉われず様々なジャンルの作品を歌うことを信条としている。一般的に形式を重んじ急激な変化を好まない演歌界においては森のようなスタイルは稀少である。楽曲提供者には岡本おさみ吉田拓郎大瀧詠一松本隆井上陽水谷村新司シャ乱Qメンバー、須藤晃長渕剛[注 4]細野晴臣松山千春BORO坂井泉水ZARD)、小室哲哉といった多彩な顔ぶれが名を連ねる。演歌嫌いを公言して憚らなかった淡谷のり子からもその音楽性を賞賛された[注 5]。森はこうした自身の多彩な活動について「僕が歌ってきたのは演歌ではなく流行歌です」と説明している[5]

日本の国民的な作曲家である古賀政男の知遇を得てその薫陶を受けたこともまた特筆すべきである。プロ歌手として3年目の1968年(昭和43年)には古賀メロディーを集めたアルバム『影を慕いて』が製作された。「人生の並木路」の録音の際には歌の内容を自らの人生に重ね合わせてしまい、涙を抑えることができなかった。後日の録り直しを申し出る森に対し、古賀は「歌は生き物だからこれでいいんだ」とそのままOKを出したという[5]

エピソード[編集]

1974年発売の「襟裳岬」は、「森に何か新しい発想のレコードをという」方針で、作曲者の吉田拓郎が「森さんみたいな人に書いてみたい」という話をしており実現に至った。しかし、ビクターレコード上層部や渡辺プロダクションのスタッフの反応は「フォークソングのイメージは森に合わない」「こんな字余りのような曲は森に似合わない」と評され、拓郎もこれ以上直せないところまで推敲を重ねたものの、当初はB面扱いだった。当時の森は、母親の自殺や女性問題から苦境に立たされていたが、当時森と同様のスキャンダルに巻き込まれていた拓郎からの思いやりと、同曲の3番の歌詞に感動した森が渡辺プロダクションのスタッフの反対を押し切り、両A面という扱いに変更して発売した[8][9][10]。また、森が「襟裳岬」で自身初めて大トリを務めた「第25回NHK紅白歌合戦」では、レコード大賞からの移動で慌てていたこともあり、ズボンのファスナーを開けたまま歌唱し、間奏のときに白組の先輩歌手らが森のズボンのファスナーを閉める一幕があった。

1975年3月にはラジオ放送を含めたNHK放送開始50周年の記念式典がNHKホールにて行われ、特別来賓として出席した昭和天皇香淳皇后を前に森が「港町ブルース」を披露した。当日は天覧歌唱という舞台でもあった為か、森は1番と2番の歌詞を一部間違え、番ごとに変わるはずの地名の箇所を「宮古 釜石 気仙沼」と2回繰り返して歌ってしまうアクシデントがあった[11]

坂本九日本航空123便墜落事故で不慮の死を遂げた直後の1985年8月21日放送のフジテレビ系「夜のヒットスタジオDELUXE」では、森が坂本への追悼の意を込めて、当日歌唱予定であったオリジナル曲「うさぎ」の歌唱を急遽取り止めて坂本の代表曲「見上げてごらん夜の星を」を涙ながらに熱唱。その際にスタジオにいた出演者・スタッフのみならず多くの視聴者の涙を誘ったこの場面は番組史上に残る絶唱として番組が終了した現在もなお語り草となっている。B'zのボーカル稲葉浩志は後年、プロミュージシャンを志すに当たって強い影響を受けた場面としてこの森による歌唱を挙げた。森はこの後も他のテレビ番組でも幾度か披露したほか、自身のオリジナルアルバムにも同曲を収録した。

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

  • 1966年
  • 1967年
    • 女の波止場 1967年1月15日 作詞:吉川静夫/作曲・編曲:猪俣公章
    • 女の酒場 1967年4月15日 作詞:吉川静夫/作曲・編曲:猪俣公章
    • 女の岬 1967年7月15日 作詞:吉川静夫/作曲・編曲:猪俣公章
    • 命かれても 1967年9月10日 作詞:吉川静夫/作曲・編曲:猪俣公章
    • 盛り場ブルース 1967年12月5日 作詞:藤三郎、補作詞:村上千秋/作曲:城美好/編曲:森岡賢一郎
  • 1968年
  • 1969年
  • 1970年
  • 1971年
  • 1972年
    • 波止場町 1972年4月5日 作詞:阿久悠/作曲・編曲:猪俣公章
    • 旅路のはてに 1972年7月25日 作詞:林春生/作曲・編曲:馬飼野俊一
    • 放浪船(さすらいぶね) 1972年10月25日 作詞:阿久悠/作曲・編曲:猪俣公章
  • 1973年
  • 1974年
    • さらば友よ 1974年4月15日 作詞:阿久悠/作曲:猪俣公章/編曲:森岡賢一郎
    • 北航路 1974年9月15日 作詞:阿久悠/作曲:猪俣公章/編曲:森岡賢一郎
    • 湯けむりの町 1974年12月25日 作詞:山上路夫/作曲:小室等/編曲:森岡賢一郎
  • 1975年
    • 女がひとり 1975年4月10日 作詞:阿久悠/作曲:彩木雅夫/編曲:森岡賢一郎
    • 別れの接吻 1975年6月25日 作詞:阿久悠/作曲:平尾昌晃/編曲:馬飼野俊一
    • あゝ人恋し 1975年10月10日 作詞:阿久悠/作曲:浜圭介/編曲:萩田光雄
  • 1976年
    • 故郷 1976年1月10日 作詞:阿久悠/作曲:大野克夫/編曲:馬飼野俊一
    • つくり花 1976年5月25日 作詞:千家和也/作曲:大野克夫/編曲:馬飼野俊一
    • さざんか 1976年8月25日 作詞:中山大三郎/作曲:猪俣公章/編曲:小杉仁三
  • 1977年
  • 1978年
    • 甘ったれ 1978年2月5日 作詞:阿久悠/作曲:アダモ/編曲:川口真
    • 林檎抄 1978年5月25日 作詞:阿久悠/作曲:川口真/編曲:船山基紀
    • 雪よおまえは 1978年9月5日 作詞:喜多条忠/作曲:中山大三郎/編曲:若草恵
    • きみよ荒野へ 1978年12月5日 作詞:岡本おさみ/作曲:鈴木キサブロー/編曲:馬飼野俊一
  • 1979年
  • 1980年
    • 酒場舟 1980年1月21日 作詞:麻生香太郎/作曲:蘭世(森進一のペンネーム)/編曲:竜崎孝路
    • 涙きらり 1980年5月1日 作詞:阿久悠/作曲:猪俣公章/編曲:高田弘
    • 恋月夜 1980年8月5日 作詞:麻生香太郎/作曲:西谷翔/編曲:小谷充
    • 夢という名の女 1980年11月5日 作詞:阿久悠/作曲:浜口庫之助/編曲:薗広昭
  • 1981年
    • 東京みなと 1981年5月1日 作詞:原淳二/作曲・編曲:市川昭介
    • 命あたえて 1981年9月21日 作詞:川内康範/作曲・編曲:猪俣公章
    • それは恋 1981年11月5日 作詞:秋元松代/作曲・編曲:猪俣公章
  • 1982年
  • 1983年
  • 1984年
    • 待たせたね 1984年2月5日 作詞・作曲:松山千春/編曲:馬飼野俊一
    • 人を恋うる唄 1984年3月21日 作詞:たかたかし/作曲:岡千秋/竜崎孝路
    • 北の螢 1984年8月5日 作詞:阿久悠/作曲:三木たかし/編曲:川口真
  • 1985年
  • 1986年
    • わが故郷は心のふるさと/止まり木のブルース 1986年1月21日 作詞:たかたかし/作曲:彩木雅夫/編曲:川口真
    • ゆうすげの恋 1986年7月5日 作詞・作曲:中山大三郎/編曲:斉藤恒夫
  • 1987年
    • 十六夜舟(いざよいぶね) 1987年1月21日 作詞:白鳥園枝/作曲:中村清一/編曲:前田俊明
    • 男ばなし 1987年2月21日 作詞:星野哲郎/作曲:大野雄二/編曲:川口真
    • 悲しいけれど 1987年7月1日 作詞:荒木とよひさ/作曲:三木たかし/編曲:川口真
  • 1988年
    • 挽歌の街から 1988年1月21日 作詞:売野雅勇/作曲:浜圭介/編曲:若草恵
    • 京都去りがたし 1988年5月21日 作詞:売野雅勇/作曲:森進一/編曲:竹村次郎
  • 1989年
    • 冬の桑港(しすこ) 1989年1月1日 作詞:荒木とよひさ/作曲:杉本真人/編曲:川村栄二
    • 指輪 1989年7月21日 作詞:麻生香太郎/作曲:森進一/編曲:前田俊明
    • うさぎ 1989年8月21日 作詞:保富康午/作曲:猪俣公章/編曲:猪俣公章
    • 夢をつづけて 作詞:荒木とよひさ,梶賀千鶴子/作曲:三木たかし/編曲:青木望
  • 1990年
    • 移り香 1990年4月21日 作詞:やしろよう/作曲:西谷翔/編曲:竜崎孝路
    • 風のエレジー 1990年8月1日 作詞:阿木燿子/作曲:井上陽水/編曲:萩田光雄
  • 1991年
    • 酒無情 1991年1月1日 作詞:阿久悠/作曲:宮川彬良
    • 泣かせ雨 1991年6月21日 作詞:石本美由起/作曲:市川昭介/編曲:馬場良
    • 愛しい人よ 1991年11月21日 作詞:魚住勉/作曲:馬飼野康二/編曲:ジミー・ハスケル、馬飼野康二 (SEIKO『ドルチェ&エクセリーヌ』CMソング)
  • 1992年
    • 悲しい歌が流行ります 作詞:阿久悠/作曲:三木たかし/編曲:川村栄二
    • 劇場の前 1992年10月21日 作詞:野口雨情/作曲:浜圭介/編曲:川村栄二
  • 1993年
    • わるいひと 1993年5月21日 作詞:久仁京介/作曲:森進一/編曲:馬場良
    • 夢をかざって 1993年8月5日 作詞:里村龍一/作曲:猪俣公章/編曲:馬場良
  • 1994年
    • ふたり坂 作詞:中村修二/作曲:森進一/編曲:馬場良
    • うそつき 1994年4月21日 作詞:たかたかし/作曲:森進一/編曲:馬場良
    • 土俵の鬼 1994年5月21日
  • 1995年
    • 泣きむし東京 1995年1月1日 作詞:売野雅勇/作曲:森進一/編曲:竜崎孝路
    • ひとすじの白い道 1995年3月1日 作詞:中山大三郎/作曲:中山大三郎/編曲:中山大三郎
    • 女恋港 1995年6月21日 作詞:森進一/作曲:森進一/編曲:前田俊明
    • 悲しみの器 1995年9月22日 作詞:谷村新司/作曲:谷村新司/編曲:若草恵
  • 1996年
    • 薄雪草 1996年2月21日 作詞:吉岡治/作曲:森進一/編曲:前田俊明
    • 夜の無言(しじま) 1996年8月21日 作詞:まこと/作曲:はたけ/編曲:十川知司
  • 1997年
    • 北のふるさと 1997年2月1日 作詞:いではく/作曲:遠藤実/編曲:馬場良
    • ライラ ライ 1997年9月22日 作詞:須藤晃/作曲:榊いずみ /編曲:須藤晃
  • 1998年
    • 女心 1998年3月10日 作詞:たかたかし/作曲:弦哲也/編曲:馬場良
  • 1999年
    • 女の愛 1999年1月21日 作詞:土田有紀/作曲:弦哲也/編曲:池多孝春
    • 昭和最後の秋のこと 1999年7月1日 作詞:阿久悠/作曲:浜圭介/編曲:川村栄二
    • 語りかけ 1999年8月2日 作詞・作曲:川内康範/編曲:乃木五郎
    • 裏切り 1999年8月2日 作詞:織田愛/作曲:弦哲也/編曲:池多孝春
  • 2000年
    • ウィスキー色の街で 2000年5月24日 作詞:岡本おさみ/作曲:細野晴臣/編曲:三井誠
    • 終列車 2000年9月21日 作詞:木下竜太郎/作曲:西條キロク/編曲:馬場良
  • 2001年
    • 雨の空港 2001年5月23日 作詞:木下竜太郎/作曲:西條キロク/編曲:佐伯亮
  • 2002年
    • セピアの雨 2002年1月23日 作詞・作曲・編曲:BORO
    • 運河 2002年10月23日 作詞:たかたかし/作曲:森進一
  • 2003年
  • 2004年
  • 2005年
    • はな 2005年6月1日 作詞:阿久悠/作曲:宮川彬良
  • 2006年
    • たずねて小樽 2006年5月17日 作詞:土田有紀/作曲:大谷明裕
  • 2007年
    • 人生ひたすら 2008年5月23日 作詞:田久保真見/作曲:弦哲也
  • 2008年
    • 女の恋 2008年3月19日 作詞 :麻こよみ/作曲:金田一郎
    • 波止場 2008年10月1日 作詞 :麻こよみ/作曲:森進一
  • 2009年
    • ゆらぎ 2009年6月17日 作詞:木本慶子/作曲:金田一郎
  • 2010年
  • 2011年
    • 八甲田 2011年2月23日 作詞:坂口照幸/作曲:大谷明裕
  • 2012年
  • 2013年
    • 情炎 2013年4月24日 作詞: 坂口照幸/作曲:金田一郎
    • 富士山 2013年8月21日 作詞・作曲:新井満/編曲:千住明

アルバム[編集]

  1. 影を慕いて(1968年5月24日)
  2. 森進一 女ごころを唄う(1968年8月15日)
  3. 花と涙/森進一のすべて(1969年10月)
  4. 無情の夢(1969年12月5日)
  5. 森進一のブルース(1970年)
  6. 波止場女のブルース(1970年)
  7. 演歌(1971年)
  8. 旅路(1971年)
  9. 森進一(1971年)
  10. 再会(1971年)
  11. 女の詩集(1972年)
  12. 輪廻(1972年)
  13. ベスト・コレクション(1973年)
  14. グランド・デラックス(1974年)
  15. 熱唱の森進一 オン・ステージ(1974年)
  16. ベスト・コレクション'75(1975年)
  17. 湯けむりの町(1975年)
  18. 一番短い小説・男と女がいた(1980年11月15日)
  19. 紐育物語(1983年5月21日)
  20. 北国神話(1985年1月)
  21. 悲しいけれど(1987年9月21日)
  22. こころの雫~平成和讃(2000年9月21日)
  23. 人生ひたすら…(2006年6月21日)
  24. Love Music(2009年11月25日)

出演[編集]

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

※曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある()はトリ等を務めた回数を表す。前半トリとは1990年以降の紅白において、前半戦(ニュース中断まで)で両軍の締めくくりを務めたことを指す。

年度 放送回 回数 曲目 出演順 対戦相手 備考
1968年(昭和43年) 第19回 花と蝶 22/23 黛ジュン トリ前(1)
1969年(昭和44年) 第20回 2 港町ブルース 23/23 美空ひばり トリ(1)
1970年(昭和45年) 第21回 3 銀座の女 24/24 美空ひばり(2) トリ(2)
1971年(昭和46年) 第22回 4 おふくろさん 25/25 美空ひばり(3) トリ(3)
1972年(昭和47年) 第23回 5 放浪船(さすらいぶね) 01/23 天地真理 トップバッター(1)
1973年(昭和48年) 第24回 6 冬の旅 18/22 青江三奈
1974年(昭和49年) 第25回 7 襟裳岬 25/25 島倉千代子 大トリ(4)
1975年(昭和50年) 第26回 8 あゝ人恋し 18/24 小柳ルミ子
1976年(昭和51年) 第27回 9 さざんか 19/24 八代亜紀
1977年(昭和52年) 第28回 10 東京物語 23/24 都はるみ トリ前(2)
1978年(昭和53年) 第29回 11 きみよ荒野へ 23/24 都はるみ(2) トリ前(3)
1979年(昭和54年) 第30回 12 新宿・みなと町 20/23 森昌子
1980年(昭和55年) 第31回 13 恋月夜 22/23 小林幸子 トリ前(4)
1981年(昭和56年) 第32回 14 命あたえて 20/22 都はるみ(3)
1982年(昭和57年) 第33回 15 影を慕いて 22/22 都はるみ(4) 大トリ(5)
1983年(昭和58年) 第34回 16 冬のリヴィエラ 20/21 小林幸子(2) トリ前(5)
1984年(昭和59年) 第35回 17 北の螢 20/20 都はるみ(5) トリ(6)
1985年(昭和60年) 第36回 18 女もよう 20/20 森昌子(3) 大トリ(7)
1986年(昭和61年) 第37回 19 ゆうすげの恋 20/20 石川さゆり 大トリ(8)
1987年(昭和62年) 第38回 20 悲しいけれど… 01/20 八代亜紀(2) トップバッター(2)
1988年(昭和63年) 第39回 21 京都去りがたし 18/21 ちあきなおみ
1989年(平成元年) 第40回 22 指輪 18/20 小林幸子(3)
1990年(平成2年) 第41回 23 おふくろさん(2回目) 29/29 都はるみ(6) 大トリ(9)
1991年(平成3年) 第42回 24 泣かせ雨 25/28 桂銀淑
1992年(平成4年) 第43回 25 劇場の前 23/28 大月みやこ
1993年(平成5年) 第44回 26 さらば友よ 25/26 都はるみ(7) トリ前(6)
1994年(平成6年) 第45回 27 おふくろさん(3回目) 21/25 由紀さおり安田祥子
1995年(平成7年) 第46回 28 悲しみの器 24/25 都はるみ(8) トリ前(7)
1996年(平成8年) 第47回 29 夜の無言(しじま) 10/25 都はるみ(9) 前半トリ(1)
1997年(平成9年) 第48回 30 襟裳岬(2回目) 23/25 石川さゆり(2)
1998年(平成10年) 第49回 31 冬の旅(2回目) 22/25 藤あや子
1999年(平成11年) 第50回 32 おふくろさん(4回目) 24/27 由紀さおり・安田祥子(2)
2000年(平成12年) 第51回 33 終列車 22/28 川中美幸
2001年(平成13年) 第52回 34 それは恋 20/27 坂本冬美
2002年(平成14年) 第53回 35 運河 13/27 中村美律子 前半トリ(2)
2003年(平成15年) 第54回 36 狼たちの遠吠え 15/30 安室奈美恵 前半トリ(3)
2004年(平成16年) 第55回 37 さらば青春の影よ 24/28 倉木麻衣
2005年(平成17年) 第56回 38 おふくろさん(5回目) 23/29 AI
2006年(平成18年) 第57回 39 おふくろさん(6回目) 13/27 石川さゆり(3) 前半トリ(4)
2007年(平成19年) 第58回 40 北の螢(2回目) 26/27 和田アキ子 トリ前(8)
2008年(平成20年) 第59回 41 おふくろさん(7回目) 25/26 天童よしみ トリ前(9)
2009年(平成21年) 第60回 42 花と蝶(2回目) 11/25 川中美幸(2) 前半トリ(5)
2010年(平成22年) 第61回 43 襟裳岬(3回目) 12/22 天童よしみ(2) 前半トリ(6)
2011年(平成23年) 第62回 44 港町ブルース(2回目) 10/25 椎名林檎 前半トリ(7)
2012年(平成24年) 第63回 45 冬のリヴィエラ(2回目) 11/25 絢香 前半トリ(8)
2013年(平成25年) 第64回 46 襟裳岬(4回目) 12/26 SKE48
  • 対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある()はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

CM[編集]

森進一の物真似をする人[編集]

森進一役を演じた俳優[編集]

脚注[編集]

注釈

  1. ^ 出場2回という異例の速さでのトリ抜擢をNHKの製作者サイドに促したのは、紅組のトリとして対戦した美空ひばりだったと伝えられている。
  2. ^ 女性は森との間にできた子供を森が連れ去ったと吹聴し、果てはマネージャーがその子を殺して遺棄したと主張して、鹿児島県警が殺人、死体遺棄の容疑で取調べる事態にまで発展した。実際には女性が子供を産んだとしていたその時期に、彼女は別の男性との間にできた子供を堕胎していたことが地検の捜査で判明した。
  3. ^ 川内は「女のためいき」「花と蝶」「命あたえて」など数多くの森作品の作詞を担当したばかりでなく、私生活でのスキャンダルなどの問題処理を一手に引き受けるなど、森の芸能活動を全面的にバックアップした存在だった。
  4. ^ 長渕夫人の志穂美悦子と森の前妻である昌子が古くからの親友であった関係で親交を持つようになった。
  5. ^ 淡谷は森が自身の代表曲である「別れのブルース」をテレビの音楽番組で披露する際にも快く承諾していたという。

出典

  1. ^ a b 「演歌歌手と呼ばれるのは不愉快、自分は流行歌手」、『週刊ポスト』(2013年1月25日号)、小学館、2013年(平成25年)1月20日閲覧。
  2. ^ 森進一(Mori Shinichi) - ニュース、インタビュー、特集、レビュー、CD、DVD、Blu-ray、動画、試聴 - CDJournal.com
  3. ^ 「とんねるず、テレ東初出演“裏話”も披露」 、『サンケイスポーツ』、産業経済新聞社、2012年(平成24年)8月16日閲覧。
  4. ^ 競走馬データ:フォーレストムーン Netkeiba.com
  5. ^ a b c d e 「幸せの道標 森進一とその時代」、『西日本新聞』(2005年1月1日 - 1月14日連載)、西日本新聞社。
  6. ^ 森進一 がん手術していた 森昌子、長男との確執も語る スポーツニッポン(スポニチアネックス)2014年5月11日配信・同日閲覧
  7. ^ 森 進一、尾崎豊「I LOVE YOU」をカバー ニュース-ORICON STYLE-
  8. ^ 日刊ゲンダイ、連載 森進一「人生ひたすら」2007年4月10〜13日。
  9. ^ 長田暁二 『歌でつづる20世紀』 ヤマハミュージックメディア 2003年 p202、203。
  10. ^ アサヒ芸能徳間書店、2009年6月25日号、p36-39。
  11. ^ 1986年7月5日発売、『ミリオン・セラー/歌謡インストゥルメンタル』(ビクター音楽産業:VDR-5055)に添付の歌詞カード内解説より。

外部リンク[編集]