ジャッキー吉川とブルー・コメッツ

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ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
Jackey Yoshikawa & His Blue Comets
基本情報
別名 ブルー・コメッツ
ブルコメ
出身地 日本の旗 日本
ジャンル グループ・サウンズ
活動期間 1957年 -
レーベル CBSコロムビア
(1966年-1968年)
日本コロムビア
(1968年-1972年)
ビクター音楽産業
(1973年-1984年)
事務所 大橋プロダクション
オフィス・アタック
公式サイト http://www.bluecomets.jp/
メンバー
旧メンバー
本文参照
ビートルズ

ジャッキー吉川とブルー・コメッツ(ジャッキーよしかわとブルー・コメッツ)は、日本のバンドで1960年代に一斉を風靡したグループ・サウンズのひとつ。1957年に結成されたロックコンボが母体。グループ名の由来は[1]「どの星よりも光り輝く彗星のように」である。当時の所属芸能事務所は大橋プロダクション(渡辺プロダクションと業務提携)。現在[いつ?]の所属事務所はオフィス・アタック。略称「ブルコメ

メンバー[編集]

「ジャッキー吉川とニューブルーコメッツ」のメンバーを含む(正式な加入脱退時期は不明)。

略歴[編集]

ジャッキー吉川とブルー・コメッツの前身であり母体であるブルー・コメッツは、1957年9月大橋道二ロジェ滋野ら米軍キャンプ回りのバンドマンを中心に結成された。専属シンガーを付け、渋谷のジャズ喫茶を中心に活動した。1959年6月には、来日したジーン・ヴィンセントの地方巡演のツアーバンドに選ばれる程までに音楽性を高めた。1959年9月、一旦解散するが、彼らのファンだった鹿内タカシによって再興され、1960年4月に新メンバーで再スタートした。

1961年に小田啓義が加入するが1年で脱退。 1962年に大橋の引退により高橋健二が加入。 1963年からはジャッキー吉川がリーダーになり(ジャッキー吉川を参照)、高橋が脱退し江藤勲に交代。また井上忠夫が加入。 1964年に小田が復帰し、三原綱木も加入。 1965年に江藤が脱退し、高橋が復帰したことにより、グループ・サウンズ全盛時代を築くメンバーがほぼ揃った。[2]この頃尾藤イサオバックバンドとしても活動していた。ある時、尾藤のコンサートに尾藤と一緒に開催地に向かったが、尾藤が列車から降り損ね、開催が不可能になってしまった。観客に尾藤が来ていないことを説明したところ、観客から「何か歌ってくれ」と求められ、井上忠夫が即席で歌って観客に受けたことからグループ・サウンズとしての本格的なブルー・コメッツ独自の活動が始まったとされている。このような経緯から日本における歌うエレキバンド=グループ・サウンズが誕生し、その先駆者となった。

1966年日本コロムビア(レーベルは洋楽部門のCBSコロムビア[3])から発売されたデビュー曲「青い瞳(英語盤)」が10万枚、「青い瞳(日本語盤)」が50万枚のヒットになった。このヒットの頃にザ・ドリフターズ内田裕也らとともにビートルズの日本公演に前座として出演。その際彼らはビートルズとは別のステージでメンバーの井上忠夫作曲のビートルズ讃歌「ウェルカム・ビートルズ」を歌った。その後も「青い渚」「何処へ」など順調にヒットを連ねていき、1967年に発売された「ブルー・シャトウ」は自身最大の150万枚の大ヒットを記録し、この年の第9回日本レコード大賞で大賞を受賞した。

「グループ・サウンズ=不良」のイメージが強かった1960年代当時、数多のグループ・サウンズの中でザ・ワイルドワンズと共にNHKへの出演が許され、NHK紅白歌合戦第17回(1966年)から3回連続で出場した。これは他のグループ・サウンズと違い、外見が短髪でスーツ姿=銀行員風と言うのが世間一般に評価されたことによるものである。もっとも、メンバーにしてみれば、長髪が似合わなかったから短髪にしていただけで、NHKへの出演を意図していたものではなかった。逆にコンサートなどでかつらを被って長髪を試したところファンに不評だった(ただし、70年代に入ると三原やジャッキーが髪を伸ばすようになっている)。しかし、ビジュアルイメージを考えていなかったわけではなく、ショーン・コネリーが演じるジェームズ・ボンドをコンセプトに、全員が移動時におそろいのアタッシュケースを持っていた(デビュー曲が「サンダーボール」のカバーだったことからもその姿勢が伺える)。また音楽面での演奏品質が高く、楽器演奏のみならずダイナミクス、声色などを巧みに使い分けられ、ロックから歌謡曲、クリーンサウンドからガレージパンクまでどのジャンルをやらせても高い完成度で演奏できる、いわば職業演奏グループだった。

1967年美空ひばりの大ヒット「真赤な太陽」でバッキングを担当。1968年にはエド・サリヴァン・ショーに出演のため渡米→[1]。このときに演奏したのはイントロに琴の音をフィーチャーした、いささか奇妙な「ブルー・シャトウ」で何ともいい難いサウンドに観客の反応は冷ややかだった。すっかり欧米のポピュラーミュージックの奧深さに圧倒された井上忠夫は帰国後すぐにグループの解散を打ち出す姿勢であったが周囲の反対により断念、自らの活動を見直すことによって「脱GS宣言」を出す。同年発売されたムード歌謡的な傾向が強いシングル「さよならのあとで」が快心の大ヒット。その後しばらくはムード歌謡路線が続くも、1971年の「雨の賛美歌」から原点回帰を見せ、かつての「ブルーサウンド」を進化させた独自のサウンドを展開して良曲を次々と発表、またこの年に発売したカバーアルバム「G.S.R.」では当時台頭していたバート・バカラック風のアレンジや、日本における初期のプログレッシブ・ロックとも言えるようなアレンジに挑戦するなど精力的な活動を見せる。しかし、「グループサウンズ」として見られ続けたことが足を引っ張る形となり1969年に入るとレコードの売り上げと人気は急降下、他のGSバンドの解散が続く中でも精力的に活動するが、一度落ちた評価が戻ることはなく1972年10月にコロムビアと契約を打ち切り、井上・高橋・三原の3人が脱退し、新メンバーが加入、ビクターから再デビューした(GSとしてのブルー・コメッツの終焉でもあり、GSブームを支えた名立たるグループは既に早期解散していたことから「最後のGS解散」=遅すぎた解散とマスコミに揶揄された。)。1977年にもメンバーチェンジし、1984年には小田も脱退する。時代が平成に入ると「ジャッキー吉川とニューブルーコメッツ」に改称して活動している。その一方でGS時代のメンバーでも懐メロ番組に出演することが度々あったが、井上が2000年5月に死去したのを期に、2002年にGS時代のメンバーでも本格的に再結成した。全国ツアーを展開するなど精力的に活動を続け、現在に至っている。

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

  1. サンダー・ボール (1966.2.10)
  2. 青い瞳(英語) (1966.3.10)
    • 作詞:橋本淳/作曲・編曲:井上忠夫
    • B面:青い彗星
  3. 愛の終りに (1966.4.10)
  4. 青い瞳(日本語)(1966.7.10)
    • 作詞:橋本淳/作曲・編曲:井上忠夫
    • B面:マリナによせて
  5. 青い渚 (1966.9.1)
    • 作詞:橋本淳/作曲・編曲:井上忠夫
    • B面:星に祈りを
  6. ジングル・ベル (1966.11.1)
    • 作曲:J.Pierpont
    • B面:ブルー・クリスマス
  7. 何処へ (1966.12.5)
  8. ブルー・シャトウ (1967.3.15) - 第9回日本レコード大賞受賞曲
    • 作詞:橋本淳/作曲:井上忠夫/編曲:森岡賢一郎
    • B面:甘いお話
  9. マリアの泉 (1967.6.25)
    • 作詞:万里村ゆき子/作曲:井上忠夫/編曲:森岡賢一郎
    • B面:白い恋人
  10. 北国の二人 (1967.9.15)
    • 作詞:橋本淳/作曲・編曲:井上忠夫
    • B面:銀色の波
  11. こころの虹 (1968.1.25)
  12. 白鳥の歌 (1968.4.25)
    • 作詞:橋本淳/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎
    • B面:雨の舗道
  13. 草原の輝き (1968.6.30)
    • 作詞:橋本淳/作曲:井上忠夫/編曲:筒美京平
    • B面:マイ・サマー・ガール
  14. さよならのあとで (1968.10.15)
    • 作詞:橋本淳/作曲・編曲:筒美京平
    • B面:小さな秘密
  15. 雨の赤坂 (1968.12.25)
    • 作詞:橋本淳/作曲:三原綱木/編曲:筒美京平
    • B面:黒いレースの女
  16. 涙の糸 (1969.4.25)
    • 作詞:橋本淳/作曲・編曲:筒美京平
    • B面:ブルー・シャンソン
  17. 海辺の石段 (1969.10.1)
    • 作詞:なかにし礼/作曲:井上忠夫/編曲:森岡賢一郎
    • B面:冬の嵐
  18. それはキッスで始まった (1970.2.20)
    • 作詞:なかにし礼/作曲:井上忠夫/編曲:森岡賢一郎
    • B面:あじさい色の恋
  19. 泣きながら恋をして (1970.7.10)
    • 作詞:なかにし礼/作曲:井上忠夫/編曲:森岡賢一郎
    • B面:悲しき玩具
  20. むらさき日記 (1970.9.25)
    • 作詞:橋本淳/作曲:井上忠夫/編曲:森岡賢一郎
    • B面:だから今すぐ
  21. 雨の賛美歌 (1971.1.10)
    • 作詞:なかにし礼/作曲:井上忠夫/編曲:森岡賢一郎
    • B面:運命だから
  22. 津軽の海 (1971.4.25)
    • 作詞:橋本淳/作曲:三原綱木/編曲:川口真
    • B面:鏡の中で見た恋は
  23. エデンの東 (1971.7.25)
  24. 生きるよろこびを (1971.8.25)
    • 作詞:橋本淳/作曲・編曲:筒美京平
    • B面:その時 雲は流れてた
  25. 虹と雪のバラード (1971.9.10)
  26. 希望にみちた二人のために (1972.2.10)
    • 作詞:橋本淳/作曲:三原綱木/編曲:高田弘
    • B面:想い出の彼方に
  27. 雨の朝の少女 (1972.8.10)
  28. 哀しい少女 (1973.4.30)
  29. シンデレラ (1973.7.20)
  30. 優等生にはなりたくない (1973.11.20)
    • 作詞:千家和也/作曲・編曲:小田啓義
    • B面:妖精の世界
  31. 雨の晩夏 (1974.9.20)
    • 作詞:林春生/作曲・編曲:小田啓義
    • B面:今日もひとりぼっち
  32. 二人だけの天地 (1975.5.30)
    • 作詞:有馬三恵子/作曲・編曲:鈴木邦彦
    • B面:表通りの恋人
  33. 恋の星座 (1975.11.30)
  34. ピーナッツ (1976.10.25)
    • 作詞:橋本淳/作曲:筒美京平/編曲:小田啓義
    • B面:キスミー
  35. 北国の駅から (1977.9.30)
    • 作詞・作曲:小田啓義/編曲:川口真
    • B面:時の流れに
  36. ミッドナイト・スペシャル (1984.8.21)
  37. ブルー・シャトウ/青い瞳 スーパー・セレクト・シリーズ(1991.7.21)
    • 両A面CDシングル
(1〜27、37 コロムビア 28〜36 ビクター)

アルバム[編集]

  1. グランド・ヒット・パレード(第3集) (1965.8.10)
  2. クリスマスをエレキ・ギターで (1965.10.20)
  3. 青い瞳/青い渚 ブルー・コメッツ・オリジナル・ヒット集 (1966.9.10)
  4. ブルー・コメッツのクリスマス (1966.11.1)
  5. ベスト・ヒット'66 (1966.11.1)
  6. ブルー・コメッツ・リサイタル (1967.2.25)
  7. これぞヤング・ビート (1967.7.20)
  8. ブルー・コメッツ=オリジナル・ヒット第2集 (1967.10.25)
  9. ヨーロッパのブルー・コメッツ (1968.2.25)
  10. アメリカのブルー・コメッツ (1968.12.10)
  11. ベスト・オブ・ブルー・コメッツ (1968.12.25)
  12. ヤング・ビート・ブルー・コメッツ (1969.9.10)
  13. ポピュラーヒット25年史(上巻) (1970.10.10)
  14. ポピュラーヒット25年史(下巻) (1970.10.10)
  15. ベスト・オブ・ブルー・コメッツVol.2 (1970.12.10)
  16. スター・ダブル・デラックス/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ (1971.10.25)
  17. G.S.R. (1971.12.25)
  18. ラヴ・サウンド/ブルー・コメッツ (1972.7.10)
  19. ゴールデン・スター・ワイド・デラックス/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ (1975.10.25)
  20. ジャッキー吉川とブルー・コメッツ・ベスト (1981.10.25)
  21. THE TALES OF BLUE COMETS PAST MASTERS 1965-1972 (2000.9.21)
  22. THE TALES OF BLUE COMETS PAST MASTERS BOX 1965-1972 (2000.11.28)
  23. ブルー・コメッツ フォーエバー (2002.10.20)

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

主な出演[編集]

テレビ番組[編集]

映画[編集]

その他[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 近代映画 1967年12月号 近代映画社 129頁。
  2. ^ GSアイ・ラヴ・ユー ニュー・ロック&アフターGSサウンド世代 音楽出版社 32頁。
  3. ^ 1968年6月30日のシングル「草原の輝き」リリース後に日本コロムビアからCBSレーベルが離脱したため、それ以降の1972年までの作品は「(洋楽レーベルとしての)COLUMBIA」(L盤)の日本ローカル盤からのリリースとなった。

外部リンク[編集]