ザ・テンプターズ
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| ザ・テンプターズ | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | ロック ポップス 歌謡曲 |
| 職業 | グループサウンズ |
| 活動期間 | 1967年~1971年 |
| レーベル | フィリップス・レコード |
| 事務所 | スパイダクション(現・田辺エージェンシー) |
| 影響 | ローリング・ストーンズ アニマルズ キンクス |
| メンバー | |
ザ・テンプターズ(The Tempters)は、日本のグループ・サウンズのバンド。
1967年10月に「忘れ得ぬ君」でデビュー。その後、「神様お願い」「エメラルドの伝説」などのヒット曲を生み、ザ・タイガースとともにグループサウンズの最盛期を支えたバンドの一つ。1971年に解散。 ショーケンこと萩原健一がメインボーカルとして在籍していたグループ・サウンズとしても知られる。
目次 |
[編集] メンバー
- 松崎由治(まつざきよしはる、ヨッチン、1948年4月16日 - )、リーダー、ギター、ヴォーカル
- 萩原健一(はぎわらけんいち、ショーケン、1950年7月26日 - )、ヴォーカル、ハーモニカ
- 田中俊夫(たなかとしお、ブル、1947年11月1日 - 1997年)、ギター、キーボード
- 高久昇(たかくのぼる、ノボル、1948年5月5日 - )、ベース
- 大口広司(おおぐちひろし、ヒロシ、1950年11月28日 - 2009年1月25日)、ドラムス
[編集] 来歴
1966年に埼玉県大宮市(現・さいたま市)で、萩原、大口を除いて結成されたアマチュア・バンドが前身。その後、ジャズ喫茶の演奏中に飛び入りした萩原、弟バンドの「ジュニア・テンプターズ」から大口が参加し、1967年春頃にデビューメンバーが揃う。
1967年5月にザ・スパイダースの田邊昭知が設立した芸能プロダクション、スパイダクション(現・田辺エージェンシー)にスカウトされ、「ザ・スパイダースの兄弟バンド」として売り出しが図られる。6月にヤング720でテレビ初出演、8月には第33回日劇ウエスタンカーニバルに初出場した後、松崎が作詞・作曲したシングル「忘れ得ぬ君」でレコードデビューした。
1968年3月5日に発売された2枚目のシングル「神様お願い」も松崎が作詞・作曲し、オリコンで2位を獲得した。これにより、ザ・タイガースに並ぶ人気グループ・サウンズになった。続く6月に発売された「エメラルドの伝説」はオリコン1位を獲得したことでその人気は頂点に達し、同月には「ザ・テンプターズ・ファースト・アルバム」も発表された。
1969年2月25日には、全曲オリジナル曲で固められたセカンドアルバム「5-1=0 ザ・テンプターズの世界」が発売、3月には初の主演映画「涙のあとに微笑みを」も公開されたが、ブームの衰退とともにセールスが低下(1968年12月発売の「純愛」はオリコン8位、1969年3月発売の「雨よふらないで」はオリコン21位、1969年7月発売の「帰らなかったケーン」はオリコン31位)し、ザ・テンプターズの人気も下降線をたどり始めた。
1969年7月には、同年4月20日に東京厚生年金会館大ホールで行われたコンサートを収録したアルバム「ザ・テンプターズ・オン・ステージ」、12月には日本人アーティスト初のメンフィス録音となった「ザ・テンプターズ・イン・メンフィス」が発表されたが、セールスの低下は止まらなかった。以降、1970年に入ってからは活動範囲が徐々にジャズ喫茶に限られてくるようになり、1971年1月に解散となった(同月に行われた第43回日劇ウエスタンカーニバルはザ・テンプターズとしての出演が予定されていたが、実際に出演したのは萩原だけだった。なお、事実上のラストステージは1970年12月のサンケイ小ホールで行われたコンサートであった)。
[編集] 解散後
萩原健一と大口広司は、1971年1月にザ・スパイダースの井上堯之、大野克夫、ザ・タイガースの岸部一徳(当時は岸部修三)、沢田研二とロックバンド「PYG」を結成。PYG脱退後は両名共俳優に転身。その後も二人は芸能界で活躍していたが、大口は2009年1月に肝臓癌で亡くなった。
松崎由治は、東京キッドブラザースの音楽担当として「南総里見八犬伝」や「THE STORY OF EIGHT DOGS」などの楽曲制作に携わった後、飲食店経営を手掛けている。
田中俊夫も飲食店経営を手掛け、沢田研二が「勝手にしやがれ」で、1977年12月に第19回日本レコード大賞を受賞した際には、萩原健一と共に授賞式の壇上へ姿を見せていた。しかし、1997年に白血病で亡くなっている。
[編集] 特徴
ローリング・ストーンズなど「黒っぽい」ロックのカヴァーを得意とした。また、リーダーの松崎由治が手掛けるオリジナル曲が多く、「アイドル」としての人気が高かったグループ・サウンズのバンドでは珍しい存在となっている。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] シングル
- 忘れ得ぬ君(1967.10.25)
- 作詞:松崎由治/作曲:松崎由治
- 神様お願い(1968.3.5)
- 作詞:松崎由治/作曲:松崎由治
- エメラルドの伝説(1968.6.15)
- おかあさん(1968.9.25)
- 作詞:松岡弘子・松崎由治(補作詞)/作曲:松崎由治
- 純愛(1968.12.14)
- 作詞:なかにし礼/作曲:村井邦彦
- 雨よふらないで(1969.3.25)
- 帰らなかったケーン(1969.7.15)
- 作詞:なかにし礼/作曲:かまやつひろし/編曲:川口真
- エブリバディ・ニーズ・サムバディ(1969.11.25)
- 作詞:Bob Mcdill・松崎由治【訳詞】/作曲:Bob Mcdill
- 愛の終り(1969.12.20)
- 作詞:松崎由治/作曲:松崎由治
- 復活(1970.3.25)
- 作詞:なかにし礼/作曲:川口真/編曲:川口真
- 出来るかい?出来るかい?(1970.6.25)
- 作詞:なかにし礼/作曲:川口真/編曲:川口真
- 若者よ愛を忘れるな(1970.10.25)
- 作詞:松崎由治/作曲:松崎由治
[編集] アルバム
- ザ・テンプターズ・ファースト・アルバム(1968.6.25)
- 5-1=0 ザ・テンプターズの世界(1969.2.25)
- ザ・テンプターズ・オン・ステージ(1969.7.25)
- ザ・テンプターズ・イン・メンフィス(1969.12.20)
- テンプターズ・ゴールデン・アルバム(1970.6.15)
- ザ・テンプターズ・アンコール(1971.1)
[編集] 出演映画
- 濡れた逢引き(1967年、松竹)
- 星影の波止場(1968年、日活)
- ザ・テンプターズ 涙のあとに微笑みを(1969年、東京映画)
[編集] コマーシャル
- 森永製菓「森永チョコレート」

