セイコーホールディングス

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セイコーホールディングス株式会社
Seiko Holdings Corporation
Seiko logo.svg
Ginza-WAKO 2012.JPG
銀座和光(旧・服部時計店、セイコーホールディングスの登記上の本店)
種類 株式会社
市場情報
東証1部 8050
略称 セイコーHD
本社所在地 日本の旗 日本
郵便番号:105-8505
東京都港区虎ノ門2-8-10 虎ノ門15森ビル
本店所在地 郵便番号:104-8129
東京都中央区銀座4-5-11
(登記上の本店・銀座和光内)
設立 1917年10月29日1881年創業)
業種 精密機器
代表者 服部真二代表取締役会長兼グループCEO
中村吉伸(代表取締役社長[1]
資本金 100億円(2013年3月31日現在)
売上高 連結2,837億円、単体87億円
(2013年3月期)
純資産 連結408億円、単体247億円
(2013年3月31日現在)
総資産 連結3,553億円、単体1,621億円
(2013年3月31日現在)
従業員数 連結14,712人、単体95人
(2013年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 三光起業 16.4%
服部禮次郎 8.7%
服部真二 5.5%
(2013年3月31日現在)
外部リンク http://www.seiko.co.jp/
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セイコーホールディングス株式会社英称:Seiko Holdings Corporation)は、東京都港区に本社を置くセイコーグループの中心会社である。ブランド名はSEIKOおよびセカンドラインとしてALBAを使用。

概要[編集]

日本初の腕時計、世界初のクオーツウオッチを製品化し、現在も時計関連で有名であり、オリンピックなどの世界大会などで公式スポンサー、オフィシャルタイマーとしてたびたび参加している。

日本テレビ開局日の1953年(昭和28年)8月28日に前身会社である当時の精工舎が日本最初のテレビCMである正午時報を放映させた。

戦前・戦後から後楽園球場1937年(昭和12年) - 1987年(昭和62年))、東京ドーム1988年(昭和63年) - )、明治神宮野球場1980年(昭和55年) - )と球場のスポンサーになったのを日切りに、スポーツ競技場のタイマーでもおなじみ。

現在も積極的にスポーツイベントに計時支援を行っている。世界的に計時支援は、共同出資の別会社に自社ブランドの看板をもたせて支援させる方式(スイス時計メーカー出資のスイスタイミング社など)が普及しているが、セイコーはグループ内の部署に支援させて技術開発も行うスタイルを維持している。

ちなみに、同社グループの広告・カタログに掲載される時計が示す時刻は、アナログ式が10時8分42秒、デジタル式が10時8分59秒を基準としている。

沿革[編集]

セイコーグループ[編集]

グループ概要[編集]

セイコーホールディングスは、セイコーインスツル株式会社(SII)、セイコーエプソン株式会社(EPSON)とともにセイコーグループ中核3社といわれている。中核3社とその子会社が、腕時計事業を中心に協力関係にあり、セイコーグループを構成する。セイコーインスツルとセイコーエプソンは、服部時計店(現セイコーホールディングス)の製造部門であった精工舎を源流とする。両社は、服部家が大株主になっていたが、セイコーホールディングスとの直接の資本関係は薄く、セイコーホールディングスの子会社ではなかった。いわゆる「兄弟企業」であった。

セイコーホールディングスは、服部時計店の時代から、腕時計の開発・設計・製造をセイコーインスツル(SII、旧 セイコー電子工業(第二精工舎))とセイコーエプソン(EPSON、旧 諏訪精工舎)とに委託しており、店(販売営業部門)と工場(製造開発部門)という関係だった。

セイコーインスツル株式会社
電子デバイス、情報・通信機器、電子辞書
現在もセイコーインスツルは、国内および海外の子会社(盛岡セイコー工業など)でセイコーウオッチ向け腕時計の一貫生産および材料・部品の製造を行っている。ずっと服部家を大株主とする非上場企業であったが、2009年(平成21年)10月1日をもってセイコーホールディングスの完全子会社、セイコーホールディングスグループ(SHDグループ)の一員となった。
セイコーエプソン株式会社
プリンタ等電子デバイス(2005年(平成17年)3月31日現在、セイコーホールディングスの出資は3.12%のみ)
一般的に「エプソン」と呼ばれているが、前身の「第二精工舎」や「諏訪精工舎」時代からの流れで、今も「セイコー」を名乗っている。昔は本社(長野県諏訪市)のビルにEPSONというロゴとSEIKOというロゴが入っていたが、数年前にSEIKOがはずされた。一部の工場にはSEIKOのロゴが残っている。現在もエプソンはセイコーウオッチ向け腕時計の開発と製造を行っている。電子機器・情報関連機器メーカーとして発展を遂げており、売上高や株式時価総額など企業規模はセイコーホールディングスの10倍近くである。2003年(平成15年)の株式公開(東証上場)後も服部家の個人および資産管理会社が同社の大株主であり、経営に対して一定の影響力を有している[3]。2011年度まで同社の副会長ポストには服部家出身者がついていた。

事業子会社(SHDグループ)[編集]

セイコーホールディングス株式会社は、2001年(平成13年)から持株会社制に移行しており、各事業は事業子会社が行っている。

  • ウオッチ事業(腕時計) - セイコーウオッチ株式会社(腕時計のマーケティング)、セイコーインスツル株式会社(旧第二精工舎、腕時計完成品およびムーブメントの製造)、セイコーネクステージ株式会社(ALBAブランドおよび著名ブランドのライセンスウオッチの企画・販売)、セイコーサービスセンター株式会社(腕時計の修理・部品販売))、株式会社クロノス(時計・宝飾・眼鏡の小売)
  • クロック事業(置時計) - セイコークロック株式会社(旧精工舎)
  • 電子部品等事業 - セイコープレシジョン株式会社(旧精工舎、電子デバイス、プリンターなど)、セイコーNPC株式会社(半導体)、セイコーインスツル株式会社(メカトロニクス、電子デバイス、情報システム機器、科学機器など)、セイコーソリューションズ株式会社(システムリューション)
  • 眼鏡事業 - セイコーオプティカルプロダクツ株式会社
    セイコーグループとペンタックスグループの眼鏡レンズ販売事業を統合。2004年(平成16年)1月1日設立。SEIKOおよびPENTAXの両ブランドを活用した商品展開を行っている。
  • その他の事業 - 株式会社和光(高級装飾品等の小売)、セイコータイムシステム株式会社(設備時計、スポーツ計時計測機器など)、株式会社オハラ(光学ガラス、東証1部 5218、持分法適用関連会社、セイコーホールディングスが41.11%の議決権を所有)、京橋起業株式会社(不動産賃貸、有価証券の所有・管理)、株式会社白河エステート(不動産賃貸、有価証券の所有・管理)、ヒューマンキャピタル株式会社(SHDグループ各社に対する事務代行サービスと人材派遣)

経営[編集]

創業当初は、服部一族による家業経営が行われてきた[4]。セイコー創業者は服部時計店を興した服部金太郎であり、時計製造の精工舎も起業した。長男の玄三が二代目社長で、懐中時計や腕時計を製造する別会社の第二精工舎を発足。二男の正次が三代目社長を務め、四代目社長に玄三の長男の謙太郎、五代目社長に二男の礼次郎が就いた。

六代目社長は吉村司郎であり、服部一族以外の人が社長に就いた。七代目は関本昌弘、八代目は井上仲七、九代目は村野晃一である。

2006年(平成18年)、電子部品会社・セイコーインスツルの会長兼社長代行を務めていた服部純市(謙太郎の長男)が取締役会の緊急動議で解任された。

2010年(平成22年)までに、労働組合の調査などで、名誉会長である礼次郎と取締役の鵜浦が和光本館周辺に新たに店を出す「和光スクエア構想」を単独で進めるために、多額の不動産を取得していたことが発覚する。これを背任として、労組は経営陣に対する株主代表訴訟の手続きに入った。経営側も実態を調査し、社外取締役原田明夫(元検事総長)が「刑事事件民事事件の事件になりかねない」と判断、2010年(平成22年)4月30日の取締役会で緊急動議を発動。その場で礼次郎、鵜浦を和光の役職から解任すると同時に、「両氏の専横を止められなかった」として村野晃一をセイコーホールディングス会長兼社長の役職から解任。後任に副社長の服部真二が昇格、村野の解任と自身の新社長就任を自ら発表した。これらについて産経新聞は、「オーナー一族による会社の私物化が、上場企業としての企業統治(ガバナンス)をマヒさせた」[5]と報じた。労働組合「セイコーグループユニオン」に対してパワーハラスメント左遷人事の訴えがあり、組合長の中村昇造は「退職や鬱病になった被害者は報告されただけで50人を超える」としている[5]

歴代社長[編集]

歴代の社長(含・服部時計店、服部セイコー、セイコー社長)[6]
代数 氏名 在任期間 出身校 その他
初代 服部金太郎 1881年 - 1934年 青雲堂 創業者。貴族院勅選議員
第2代 服部玄三 1934年 - 1946年 東京高等商業学校(現・一橋大学 創業者金太郎の長男
第3代 服部正次 1946年 - 1974年 慶應義塾大学経済学部 創業者金太郎の次男。経団連理事・藍綬褒章受章
第4代 服部謙太郎 1974年 慶應義塾大学経済学部 2代目社長玄三の長男
経済史学者、1950〜1951年慶應義塾大学経済学部副手、1951〜1953年同助教授
社長退任後は取締役会長(1987年 死去まで)
第5代 服部禮次郎 1974年 - 1987年 慶應義塾大学経済学部 2代目社長玄三の次男。社長退任後、第9代目まで会長。10代目から名誉会長(2013年 死去まで)
第6代 吉村司郎 1987年 - 1991年 慶應義塾大学経済学部 -
第7代 関本昌弘 1991年 - 1999年 慶應義塾大学法学部 -
第8代 井上仲七 1999年 - 2001年 慶應義塾大学経済学部 -
第9代 村野晃一 2001年 - 2010年 慶應義塾大学経済学部 -
第10代 服部真二 2010年 - 2012年 慶應義塾大学経済学部 4代目社長謙太郎の次男。5代目社長禮次郎の養子。2012年10月1日から代表取締役会長兼グループCEO
第11代 中村吉伸 2012年 - 慶應義塾大学工学部 -

主な製品[編集]

日本最初のラジオCM(時報)[編集]

日本最初のラジオCM時報)は、当時の精工舎の午前7時の時報であった[7]1951年(昭和26年)9月1日に本放送開始直後の中部日本放送(現・CBCラジオ)で放送された。

その内容は、精工舎から中部日本放送に提供された時計の予報音楽(「チンカラコンカラ」というようなリズミカルな音)に続いて通知音が鳴り、「精工舎の時計が、ただ今、7時をお知らせしました」というものだった[8]

日本最初のテレビCM[編集]

日本最初のテレビCMも、当時の精工舎の時報であり、1953年(昭和28年)8月28日に本放送開始当日の日本テレビで放映された。当時の放送関係者の証言によると放送機材の操作に慣れていなかったため、フイルムが裏返しだったので音がまったく出ず、音なしの状態で30秒間放送された(いわゆる放送事故)。当時のフィルムの場合、映像の横に音を再生するためのサウンドトラックがあり、フィルムが逆向きになると音が再生されなかった。なお、時報音はフィルムと関係なく挿入されたため正確に出た。

この放送事故については、「3秒で放送中止となった」ということが定説とされていたが、これは間違いである[9]

ちなみに、同日の午後7時の時報は無事に放映され、これが現存する日本最古のテレビCMである。翌日の正午、テレビCM第1号になるはずだった正午の時報も無事に放映された。

内容[編集]

午後7時の時報編
右上に「JOAX-TV」「日本テレビ」の字、中央に精工舎の社章と英字ロゴタイプが表示され、「こちらは日本テレビでございます」と女性のナレーション。社章とロゴが「精工舎の時計」というテロップに変化する。
ニワトリが置き時計(コメットフラワー)のゼンマイを巻くアニメーションが流れる。同時に「時計のゼンマイは、一定の時刻に静かに一回お巻き下さい」とナレーション。ゼンマイを巻いたニワトリが時計の文字盤と顔を合わせると、文字盤が顔に変わって笑顔で笑う。
最後に時報メロディが流れ、「精工舎の時計が7時をお知らせ致します」というナレーションと共に、7時を指している精工舎の時計が次々と映されて(最後は銀座和光の時計台)締め括られる。
正午の時報編
7時編と同じく中央に社章・英字ロゴタイプが表示され「こちらは日本テレビでございます」とナレーション。社章・ロゴが「時計はセイコー」というテロップに変化する。
ラジオの上に置き時計が置かれている映像が映され「時計をラジオやテレビの上に置かないように致しましょう」とナレーションが入る。
次にテレビの内蔵部品が映され「ラジオやテレビは磁気を帯びている為、時計の時刻が磁気によって不正確になる」といった内容を実験映像やナレーションで解説する。
最後に時報メロディが流れ、「精工舎の時計が正午をお知らせ致します」というナレーションと共に、正午を指している精工舎の目覚まし時計を映しながら「精工舎の目覚時計」のテロップで締め括られる。

提供番組[編集]

広告出演者[編集]

現在
過去

注記・参考資料[編集]

  1. ^ 役員人事のお知らせ セイコーホールディングス株式会社、2012年9月11日
  2. ^ セイコー クオーツアストロン 35SQ(エプソン マイルストンプロダクツ)
  3. ^ アニュアルレポート2006(PDF版,2.7MB) 47ページ「大株主との関係について」を参照
  4. ^ 「工場」軽視が招いたセイコーの落日 日本経済新聞、2010年5月18日
  5. ^ a b “【ドラマ・企業攻防】名門セイコーの“病巣” 血族たらい回しで統治機能マヒ”. MSN産経ニュース. (2010年5月15日). オリジナル2010年5月16日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20100516202608/http://sankei.jp.msn.com/economy/business/100515/biz1005151801008-n1.htm 
  6. ^ 服部謙太郎
  7. ^ 時報を除いた日本最初のラジオCMは、新日本放送(現・毎日放送)のスモカ歯磨のCMである。詳しくは、コマーシャルメッセージを参照。
  8. ^ 検証した内容を記したサイト中部日本放送ホームページ
  9. ^ CMのCMキャンペーン テレビ元年、CMスタート

関連項目[編集]

外部リンク[編集]