ポール・モーリア

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ポール・モーリア
基本情報
出生 1925年3月4日
フランスの旗 フランス マルセイユ
学歴 マルセイユ地方音楽院
死没 2006年11月3日(満81歳没)
フランスの旗 フランス ペルピニャン
職業 指揮者ピアノチェンバロ奏者
活動期間 1952年2000年
レーベル RGM/BEL AIR/フィリップスポニーキャニオン/ALL ACCESS
著名使用楽器
ピアノチェンバロ

ポール・モーリア(Paul Mauriat、1925年3月4日 - 2006年11月3日)は、フランス作曲家編曲家指揮者ピアニストチェンバロ奏者。特に日本では「ラブ・サウンドの王様」と呼ばれ、イージーリスニング界の第一人者として有名。

目次

[編集] プロフィール

フランス南部マルセイユに生まれ、6歳でアマチュア音楽家だった父親からピアノの手ほどきを受け、10歳でマルセイユ地方音楽院に入学。ソルフェージュ1939年)とピアノ(1940年)をともに主席で修了して1941年に卒業。その後、アマチュアジャズバンドを経て、1943年にマルセイユのダンスホール「ブラッスリー・ラ・クーポール」専属オーケストラでピアニスト兼アレンジャーとしてプロ・デビューし、翌年には同楽団の指揮者を兼任する。

1948年、ギタリストのマルセル・ビアンキ[1]が率いるオーケストラに創設メンバーとして加入、同年12月から9ヶ月間に渡るエジプト・ツァーに参加する。

1951年パリ進出。近郊のダンスホールで演奏していたフランク・プゥルセル楽団にピアニストとして参加するが、翌年マルセイユに帰郷し、同7月28日にイレーヌ・ボボと結婚。ダンスホール「ル・ヴァンピング」でのオーケストラ活動が評判となり、1957年にRGMレーベルからレコードデビュー。

1959年に再度パリへ進出。音楽プロデューサーであるレオ・ミシールに誘われ、バークレー傘下で新進アーティストを扱う新興レーベル「BEL AIR」よりレコードを発表[2]。また、多忙となったプゥルセルに代わってグロリア・ラッソのためにポール・フェルサンの変名を使って編曲・伴奏する一方、シャルル・アズナブールに対して120曲を超えるアレンジを提供、1960年12月のアランブラ劇場公演などでオーケストラの指揮をとる。さらに、ミレイユ・マチューのデビュー曲『愛の信条』を作曲し、専任オーケストレーターとして1966年9月のオランピア劇場公演などで指揮をとり、フランシス・レイらとともに全米プロモーションツァーにも同行している。このほか、モーリス・シュヴァリエの新作レコーディングを機に、同じバークレー社の同僚であったレイモン・ルフェーブル1962年から3年間に渡って仕事を共にしている[3]

1965年、BEL AIRレーベルとの契約満了に伴ってフィリップスとレコード発売契約を結び、ポール・モーリア・グランド・オーケストラLE GRAND ORCHESTRE DE PAUL MAURIAT)を結成。1968年に『恋はみずいろ』が全米ヒットチャートで連続5週トップを記録したのを機に世界的にヒット(約500万枚)、RIAAゴールドディスク、ACCディスク大賞などを受賞する。この年、モーリアは全米でのプロモーションのために単身渡米し、テレビ番組「エド・サリバン・ショー」に出演、1969年以降、北米を中心にコンサート・ツァーを開催するが、オーケストラ・メンバーに対するフランス人奏者の人数制限やプロモーターに対する不信などから、3度目となる1971年を最後に全米ツァーを打ち切る。

『恋はみずいろ』以降も、フランス語圏や英語圏のヒット・ポップスや映画音楽を中心にレコーディングを続けるが、1970年代後半から1980年代前半にかけてはブラジル音楽に傾倒。1977年にはアシスタントのジェラール・ガンビュスらとリオデジャネイロに渡り、現地ミュージシャンを起用したアルバム『夜明けのカーニバル/ポール・モーリア・ラブ・サウンズの熱い風』を制作。その一方で、1978年には自らフュージョンをコンセプトとしたアルバムを企画、ニューヨーク・パワーステーション・スタジオでウィル・リーランディー・ブレッカーマイケル・ブレッカー等を起用したオリジナル・アルバム『オーバーシーズ・コール/ポール・モーリア・イン・ニューヨーク』を制作する。

日本においては、1965年12月に他アーティストのシングル盤B面収録曲として『夜のメロディー』が初めて発表され[4]、翌年5月に『魅惑のヨーロッパ・トップ・ヒッツ』『赤いサラファン/永遠なるロシア~ポール・モーリア・ストリングス・ムード』の2枚のアルバムが発売されて以降は、1990年代はじめまでは概ね年間2~3枚のペースでコンスタントに新作アルバムが発表された。1968年の『恋はみずいろ』以後も『蒼いノクターン』『エーゲ海の真珠』『涙のトッカータ』『オリーブの首飾り』『そよ風のメヌエット』等と立て続けにヒットを重ねた。とりわけ『オリーブの首飾り』のヒット効果は大きく、ベストアルバムとして発売された『ポール・モーリア・グレイテスト・ヒッツ・リフレクション18』(1976年)がオリコン年間アルバムチャート21位に、『ポール・モーリア・グレイテスト・ヒッツ24』(1977年)が同11位に記録される。それ以前にもモーリア版『ヘイ・ジュード』がテレビドラマ「おふくろの味」のテーマ曲に起用されたのをはじめとして、CMや天気予報、ラジオ番組などのテーマ曲やBGMなどに多岐に渡ってモーリアの演奏作品が使用されている。

親日家として知られ、1976年に国内11都市の印象を綴ったオリジナルアルバム『ポール・モーリア/ラブ・サウンズ・ジャーニー』を発表、1979年にはFM情報誌の読者投票で選ばれたニューミュージック楽曲のカバーを依頼する企画をアルバム『愛のメッセージ/ポール・モーリア』として実現するほか、池田満寿夫監督の日合作映画窓からローマが見える』の音楽担当や、来生たかおのアルバム『LABYRINTH』を編曲・プロデュース、また1995年阪神・淡路大震災の際には『カルテット・フォー・神戸』を作曲し、フランク・プゥルセル(バイオリン)、フランシス・レイアコーディオン)、レイモン・ルフェーブル(フルート)との4人で「ザ・フォー・フレンチメン」名義で発表した同曲が収録されたチャリティーアルバムを制作するなどの活動が知られている。さらに、1978年4月から1年間に渡って東海ラジオ放送の制作で自らの音楽観を中心に語る番組「ポール・モーリアの世界」が放送されたほか、1976年以降「メルシャンワイン」「UCCコーヒー」などのCMにも自ら出演している。

1969年に初来日して以来、1970年・1978年を除いて1986年まで毎年、その後、1988年1990年1996年1997年1998年と来日し約1,200回の公演を開催。1990年のコンサートツァーをもって一度はステージ活動を休止するが、パリカテリーナ・ヴァレンテとのジョイントコンサートが決定したことを機に急遽1996年1月に来日公演が実現、同年11月には前回開催できなかった都市を中心に公演を開催した。1997年には公演直前になってモーリアが体調を崩して来日が遅れ、最初の3公演はジェラール・ガンビュスの実弟であるジル・ガンビュスが指揮することとなった。このことが1998年のジャパンツァーを「さよならコンサート」としたことに大きく影響したと見られている。それ以後の来日公演は、ジル・ガンビュス2000年2002年2003年2004年)、ジャン=ジャック・ジュスタフレ2005年2009年)を指揮者として行われた。なお、公式ライブアルバムは全て日本国内で録音された。

1993年、所属していたフィリップスの本国担当者との対立からポニーキャニオンへ移籍。翌年リリースされた『CHAGE & ASKAコレクション/ポール・モーリア』を皮切りに、契約期間4年の間に7枚のアルバムを制作する。

2000年サンスターCM曲として1982年にモーリアが作曲しながらスタジオ録音が実現しなかった『私は風が好き』を含む4曲をプライベート録音、2003年の来日コンサート会場および発売元のプロモーター「ミュージックリーグ」の通信販売限定でリリース。これがモーリアの最終レコーディングと目されている。

2006年10月末、フランス南部ペルピニャンの別荘に滞在中、体調不良を訴え検査入院したところ、急性白血病であることが判明。同年11月3日午前1時、急性白血病による心不全のためペルピニャンの病院で逝去。6日に火葬に付された。

同年11月6日JFN系のFMラジオ番組JET STREAM」では、急遽彼の追悼特番を放送、同年12月17日放送のTBSラジオラジオ番組バックグラウンド・ミュージック」でも追悼リクエスト特番が放送された。また、同年12月15日放送のタモリ倶楽部でも追悼プログラムが構成された。

2009年11月、ジャン=ジャック・ジュスタフレ指揮ポール・モーリア・メモリアル・オーケストラによる追悼コンサートが日本および大韓民国で開催された。同公演につき、未亡人は「日本のファンとプロモーターに対する特別の配慮で実現させたものであり、故人の遺志によりモーリアの死とともにオーケストラは消滅した」と後日コメントしている[5]

[編集] 作品の特徴

モーリアがレコードデビューしたRGMレーベルからBEL AIRレーベルに至る時期には、それ以降に見られるサウンド面での顕著な特徴は見られていない。対するに、フィリップスに移籍してスタートした、世に知られる「ポール・モーリア・グランド・オーケストラ」では、1965年の移籍当初から他のオーケストラとの差別化を図るべく[6]、それまでポピュラー音楽では使用される機会が少なかったチェンバロを積極的に起用してピアノと同一旋律を演奏させるなど、バロック音楽的な手法を採用して音色を特徴づけている。レコーディング・エンジニアとしてドミニク・ポンセが参加した1969年以降は、ドラムスをステレオ収録したり、ブラス・セクションをオンマイクで収録するなどにより、リズムセクションを中心にクリアーなサウンドが実現されている。さらに、1972年にモーリアのアシスタントとしてジェラール・ガンビュスが加入すると、電子楽器の一層の積極的導入が図られ、それまでピアノと同一旋律を演奏していたチェンバロに替わってエレキ・チェンバロやシンセサイザーが用いられるようになり、ガンビュスによるリズム・セクションのアレンジと相俟って、他のオーケストラと一線を画した、いわゆるポール・モーリア・サウンド[7]が確立される。1980年代半ば以降のスタジオ・レコーディングでは、トランペットトロンボーンなどで演奏される旋律を、ジル・ガンビュスがプログラミングしたシンセサイザーに移行されるケースが多くなった。1990年代に入ってポニーキャニオンに移籍してからは、一部を除いてストリングスロンドンのエンジェル・スタジオでイギリス人奏者を起用して録音された。

[編集] 代表曲[8]

恋はみずいろ』 L'amour Est Bleu "Love Is Blue"
アンドレ・ポップ作曲。ヴィッキーが歌った1967年度ユーロビジョン・ソング・コンテスト4位入賞曲。モーリアが取り上げ、1968年に全米ヒットチャート5週連続1位の大ヒットとなり、世界的に有名になった。日本ではアルバム『パリのあやつり人形/ポール・モーリア・ヨーロッパ・トップ・ヒッツ』より1967年10月1日にシングルカットされ、オリコンチャート最高18位、約12万枚のセールスを記録している[9]。1976年にディスコ・アレンジでリリースした『ラブ・イズ・スティル・ブルー~恋はみずいろ'77』のほか、オリジナル・アレンジでも1982年・1988年・1994年・2000年に新録音テイクを発表している。
『蒼いノクターン』 Nocturne
モーリアの自作曲で、1970年代半ばまでは来日コンサートのアンコール曲として演奏されることが多かった。初レコーディングは1966年だが、日本では1969年にアルバム『輝く星座/ポール・モーリアの世界の詩情』で発表された。1973年と1996年のライブアルバムに収録されたほか、オーケストラによるスタジオ録音では、1988年・1994年にもレコーディングされている。
『口笛の鳴る丘』 Siffler Sur La Colline "Uno Tranquillo"
ジョー・ダッサン1969年のヒット曲だが、アルバム『裸足のイサドラ/ポール・モーリア』で発表されたモーリアの演奏が「玉置宏の笑顔でこんにちは」(ニッポン放送)"晴れ晴れリクエスト"でテーマ曲としても使用された。
『ポール・モーリアのR&B』 Etude En Forme De Rhythm & Blues "Etude In The Form Of Rhythm & Blues"
1969年の全米ツァーのオープニングテーマをモチーフに1970年の訪米中に完成させたとモーリアが後に述懐、『ポール・モーリアのテーマ』の曲名でも知られる。来日公演でも1970年代半ばまでオープニング曲として使用された。1987年には同一モチーフによる『愛のエチュード』が発表されている。
『エーゲ海の真珠』 Penelope "L'eternel Retour"
スペインのアウグスト・アルグエロ作曲で、本来はメキシコ向けの録音。日本では1970年12月20日にシングル盤で発売され、オリコンチャート最高40位・約7.5万枚のレコードセールスを記録している。このテイクではダニエル・リカーリが中間部のスキャットを担当していた。ファッションブランド「ロペ」やメルシャンワインのCM曲、TBSラジオ林美雄パックインミュージック」第2部エンディングなどにも使用された。公式ライブ・レコーディングでは必ず取り上げられたほか、1976年にディスコ・バージョンが発表され、1988年・1994年には1983年以降の来日ステージでの演奏に準じたアレンジのスタジオ録音が発表されている。
『想い出のランデ・ヴー』 Rendez-Vous Au Lavandou
1958年にダリダの歌唱でヒットしたモーリアの自作曲。1972年にアルバム『想い出に生きる/ポール・モーリア・フレンチ・トップ・ヒッツ』で発表されたモーリアの演奏版が、日本テレビ「あすの全国の天気」で1980年から10年間に渡りBGMとして使用された。
『涙のトッカータ』 Toccata
フランスの音楽家ガストン・ローラン[10]の作曲。モーリアは1951年、フランク・プゥルセル楽団のピアニストとしての採用オーディションで初見演奏している。その後、引退音楽家のための高齢者施設に住むローランからレコーディング許諾を得て1973年に発表した。日本ではアルバム『ラスト・タンゴ・イン・パリ、天使のセレナード/ポール・モーリア』より1973年7月25日にシングルカットされ、オリコンチャート最高63位・約6.6万枚を記録、1980年代までの来日ステージではモーリア自らピアノを演奏した。1973年・1982年・1998年の各ライブアルバムに収録されたほか、1988年・1994年にも新録音テイクが発表されている。
『天使のセレナード』 La Chanson Pour Anna
もともとはウクレレ奏者ハーブ・オオタのためにアンドレ・ポップが書き下ろした作品だが、1973年にアルバム『ラスト・タンゴ・イン・パリ、天使のセレナード/ポール・モーリア』で取り上げて以降はモーリアの人気ナンバーとなった。NHKの音楽番組「世界の音楽」のテーマ曲としても使用された。1988年にも再録音テイクが発表されている。
『白い渚のアダージョ』 Le Piano Sur La Vague
1974年にアルバム『パピヨン~追憶~メロディー・レディ/ポール・モーリア』で発表されたモーリア自作曲。のち1983年にアメリカ映画「オータム・ストーリー」[11]のエンディングテーマ曲として使用され、「オータム・ストーリーのテーマ」と改題されたシングル盤も発売された。1988年・1996年の2度に亘って再録音されている。
『オリーブの首飾り』 El Bimbo
クロード・モルガン作曲で、オリジナルはビンボー・ジェットが演奏した『嘆きのビンボー』[12]1975年1月25日に発売されたシングル盤はオリコンチャート最高61位にとどまるものの、モーリアの演奏シングル盤としては最も多い約12.7万枚を売り上げている。本曲発表後の各種ライブアルバムに収録されたほか、1988年・1994年にも新録音テイクが発表された。1970年代後半からの来日公演では、観客の手拍子をバックにオーケストラ・メンバーを紹介してフィナーレを飾る定番ナンバーとしても演奏された。1976年には本人出演でオンエアされたメルシャンワインのCM曲に使用されたほか、日本テレビ系列の深夜番組「11PM」のコーナーBGMに使用されるなど日本での人気は高い。現在も手品のバックミュージックとしても知られている[13]。なお、日本語カバーとして『ゆうわく』のタイトルでローレン中野&和田弘とマヒナ・スターズが発表している。
『薔薇色のメヌエット』 Minuetto
モーリアの自作曲。1975年に発表されたアルバム『巴里にひとり、リリー・マルレーン/ポール・モーリア』では『ミニュエット』と表記されていたが、シングルカットを機に邦題が改められた。1988年に新録音されたバージョンがTBSテレビのドラマ「女の言い分」のテーマ曲に使用され、CDシングルとして発売されたほか、1994年にも新たにレコーディングされている。
『恋のシャリオ[14]アイ・ウィル・フォロー・ヒム)』 I Will Follow Him "Chariot"
モーリアが「デル・ローマ」の変名を用いて、「J.W.ストール」を名乗ったフランク・プゥルセルとの共作で発表していたことが、1976年に初収録されたアルバム『ラブ・イズ・スティル・ブルー/ポール・モーリア・ディスコ・センセイション』で公表された。リトル・ペギー・マーチの1963年全米ヒットナンバーとして知られるが、後年、映画「天使にラブ・ソングを…」で主題歌として用いられた。モーリアはアレンジを変えて1994年と2000年にも再録音している。
『そよ風のメヌエット』 Petite Melodie
モーリア自身の作曲。1977年春に自ら出演したメルシャンワインCMのオリジナル曲として、アルバム『愛の讃歌/ポール・モーリア・ニュー・ワールド・トップ・ヒッツ'77』で発表された。
『星空のプロムナード』 Pulstar
オリジナルはヴァンゲリスの『パルスター』。1977年の来日公演で初演され、翌年春発売のアルバム『星空のプロムナード/ポール・モーリア・トップ・ヒッツ'78』に収録された。後に、1996年冬の来日公演オープニングで新アレンジで演奏されたほか、モーリア引退後の来日公演でも演奏された。
『渚のプレリュード』 Prelude 59
1973年から1982年までモーリアのブレインだったジェラール・ガンビュスとモーリアの共作曲。オリジナルファッションブランド「ブルー・シーガル」のテーマ曲として、1981年に発表されたアルバム『ポール・モーリアと再会』に収録された。同年および翌年の来日公演オープニング曲として使用されたほか、メドレーに組み込まれてコンサート第一部ラストに使用されることもあった。
『愛のカフェテラス』 Hot On The Scent "Ai No Cafe Terrase"
1982年にアルバム『愛のカフェテラス~ポール・モーリア/マジック』で発表された、モーリア自作によるUCCコーヒーCM使用曲。夫人のイレーヌ・モーリアが作詞したが、ボーカル盤としては発表されなかったとされている[15]。なお、同社CMには後に『愛のかおり』『哀しみのショパン』などの自作曲を提供し、引き続き自身も出演した。
『BOWS』 BOWS
コンサートでアンコール前に、観客がモーリアへ花束を贈る間に演奏される曲。第二部オープニングに使用されることもあった。複数のバージョンがあり、『ポール・モーリアのR&B』をモチーフとしたもの(1973年ライブアルバムに収録、但しクレジットされていない)、『シャレードの休日』をモチーフとしたもの、『オープニング'85』をモチーフとしたもの(1990年ライブアルバム以降に収録されたものは全て本バージョン)などが演奏された。

[編集] 来日公演の奏者編成

  • 公演年度により若干の増減はあるが、概ね基本編成は次の通りとされた[16]エレキベース(1)、ドラムス(1)、パーカッション(2)、ギター(2)、トランペット(4)、トロンボーン(3)、キーボード(2)、フルート・サキソフォーン(1)、バイオリン(11)、ビオラ(2)、チェロ(2)。
  • 1985年以降は概ね下記の通りにステージ上の楽器配置が統一された。下手側に弦楽器、その手前のグランドピアノの後方と中央中段にキーボード、中央上段にパーカッション上手上段はフルートとトランペット、中段にトロンボーンとラテンパーカッション、前段にはエレキベースおよびギター、その手前にはドラムスが置かれた。
  • 弦楽器は1980年代半ばまではバイオリンのみの場合と、ビオラやチェロが追加される場合があったが、1985年度以降はビオラ(2)・チェロ(2)を追加する編成で統一され、併せてキーボードも3人の奏者となった。なお、さよなら公演(1998年)のみビオラとチェロは各4人で編成された。
  • 1996年度以降は中央最上段にフレンチホルン(3)が追加されるようになった。
  • 1970年代後半まではグランドピアノとチェンバロが並べて配置されていたが、それ以降はシンセサイザーが起用されたことからピアノのみとなった。
  • 初来日当初から3~6人の女声または混声のコーラス隊が参加することが多かったが、1984年度以降はオーケストラのみで開催された。

[編集] ライブ・レコーディング

  • 1973年11月30日・・・大阪フェスティバルホール、後に復刻リリースされたCDでは第二部オープニング曲が収録されなかった。
  • 1982年10月24日・・・東京厚生年金会館、LP・CD・映像ソフトともにリリースされた。
  • 1990年10月10日・・・大宮ソニックシティ、CD・映像ソフトともにリリースされた。
  • 1996年2月1112日・・・人見記念講堂、CD・映像ソフトともにリリースされた。
  • 1998年11月29日・・・大阪フェスティバルホール、CD・映像ソフトともにリリースされた。CDは所属事務所VAL PRODUCTIONの制作によりALL ACCESSレーベルから「ミュージックリーグ」経由でリリースされた。ともに後に海外レーベルからも発売されている。
  • 2009年11月78日・・・東京厚生年金会館、ジャン=ジャック・ジュスタフレ指揮ポール・モーリア・メモリアル・オーケストラ。「ミュージックリーグ」よりリリースされた。

[編集] エピソード

  • 愛妻家として知られ、初来日に先立って確認された契約内容の中で、日本側のプロモーターから夫人の同伴に関して質されたのに対して「認めなければ訪日しない」と回答。以後、1998年まで常に夫人を同伴して来日公演を開催した。
  • モーリア自身のピアノソロ演奏による『蒼いノクターン』『涙のトッカータ』を収録した非売品シングル盤が1977年に制作された。同盤はその後、1990年にオーケストラ結成25周年を記念して発売されたCD全集の全巻購入特典としてCD復刻された。
  • 松本明子は、日本テレビの「進め!電波少年」の企画でアポイントなしでモーリアを訪れて作曲を懇願、ノーギャラで『ネコなんだもん』(原案・松村邦洋作詞ジェームス三木)が作曲された。ただし、松本がリリースしたCDでは安部潤によりJpop風にアレンジされている。モーリア自身も児童合唱団を起用して録音、1994年に『ポール・モーリア/スーパー・ベスト・コレクション』で発表している。
  • 1999年、マジシャンマギー司郎が日本テレビ「あの人は今!?」[17]セーヌ川に停泊中の豪華客船内を訪ねた際、モーリアはフルオーケストラを呼びマギーのために『オリーブの首飾り』をバックで生演奏した。
  • 2002年、フランスの音楽ライターであるセルジュ・エライクがモーリアの半生を1年に渡って取材、「Une vie en bleu - PAUL MAURIAT」として出版。日本では2005年に著者自身による再編集版が翻訳され、2008年に出版されている。
  • フィリップス在籍時代に発売された国内盤オリジナル・アルバムの内、CD発売されていなかった1986年までの作品の大半が紙ジャケットで復刻され、『JAPANESE ORIGINAL ALBUM COLLECTION』として2004年に2BOX・20枚、2007年に2BOX・22枚が限定発売された。
  • 槇原敬之はテレビ番組『ミュージックポートレイト』[18]で、クラシック音楽を愛好する叔父に連れられる形で数回にわたって来日公演に接しており、彼の音楽の原点がモーリアであると語っている。
  • 森村誠一は小説「ステレオ殺人事件」[19]や「鉄筋の畜舎」の中に、モーリアの作品を登場させている。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 参考文献

  • 「ポール・モーリア」著:セルジュ・エライク、訳:南部全司・山崎俊明、刊行:審美社、2008年
  • 「Une vie en bleu - PAUL MAURIAT」 著:Serge Elhaik、2002年(輸入書籍)
  • 「ポール・モーリア読本」刊行:日本フォノグラム、1980年
  • 「PAUL MAURIAT BOOK」刊行:日本フォノグラム、1990年
  • 「イージーリスニングの本」刊行:共同通信社、1977年
  • 「ポール・モーリア 華麗なる世界」著:永田文夫、刊行:キョードー東京、1977年
  • 各種レコード・CD解説書

[編集] 脚注

  1. ^ 1975年、『エマニエル夫人』などの演奏にスティール・ギタリストとして起用された後、アルバム『マルセル・ビアンキのポール・モーリア・サウンズ(ポール・モーリア・プロデュースによるラブ・サウンズへの新しき挑戦)』を発表、同年の来日公演にもゲスト出演している。
  2. ^ 初年度のみ「エドゥアルド・リュオ」「リチャード・オードリー」の変名を使用、1960年以降はポール・モーリア名義でリリースしている。
  3. ^ 後に、モーリアがフィリップスに移籍した直後に発表したロシア民謡アルバム(邦題『赤いサラファン/永遠なるロシア~ポール・モーリア・ストリングス・ムード』)でも、ルフェーブルがレコーディングをサポートしている。
  4. ^ A面収録曲はフランキー・モンテベルロとゴールデン・ストリングス『ドナ・ドナ・ドーナ』。なお、この時点でのアーティスト表記は「パウル・モーリア楽団」とされた。
  5. ^ http://www.grandorchestras.com/mauriat/misc/irene-mauriat-message.html イレーヌ・モーリアのコメント(英文)
  6. ^ セルジュ・エライク著「ポール・モーリア」
  7. ^ 但し、モーリア本人は「ポール・モーリア・サウンドというものは存在しない」と、来日時のインタビューなどで何度も回答している。
  8. ^ 収録アルバムは日本発売オリジナル盤を元に記述している。
  9. ^ http://www.oricon.co.jp/news/music/38699/#rk
  10. ^ 「来日公演に参加したこともあるトロンボーン奏者」との記述が過去に発売されたレコードの解説などで散見されるが、別人と混同されており、事実ではない。
  11. ^ 但し、同映画本編の音楽はダドリー・ムーアが担当した。
  12. ^ 近年になってアフガニスタンのアーマッド・ザヒル(Ahmad Zahir)作曲の『Tanha Shodham』が原曲であるという説が浮上している。
  13. ^ 国内では松旭斎すみえ手品の際にBGMに起用したことから有名になった、という有力説がある。
  14. ^ アーティストによっては『愛のシャリオ』とも表記されている。
  15. ^ 2007年発売『ポール・モーリア・ジャパニーズ・オリジナル・アルバム・コレクション VOL.4』解説より。
  16. ^ ここではモーリア自身の指揮を前提として開催された来日公演に限定して記述している。
  17. ^ 1999年4月7日放送
  18. ^ NHK Eテレ2011年7月30日放送
  19. ^ 但し、1982年2月11日に放送されたテレビ朝日「春の傑作推理劇場」では、架空の作品に差し替えられている。
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