玉置宏の笑顔でこんにちは

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索

玉置宏の笑顔でこんにちは』(たまおきひろしのえがおでこんにちは)は、ニッポン放送の平日9時台から11時台にかけて放送されていた午前のワイドラジオ番組である。

1978年4月3日から1996年3月29日まで、18年間に亘って放送されていた。

目次

[編集] 概要

この番組のパーソナリティ、玉置宏はニッポン放送において、これより前の1960年代より『平凡アワー・スターハイライトショー』などのパーソナリティを長く務めており、そこから平日午前のワイド番組に起用された。

主に午前9時台ではほぼ10分に1回、曲をかけていたという。スペシャルウィーク中は電リクを行うことが多かった。

リスナー層は大人の世代が主であったが、夏休み冬休みなど子供の休暇期間になると子供を意識した放送も行うことがあり、子供を対象にした電話相談、東大生を交えての宿題相談、また日記自由研究のために休み中の天気を全部教えたりしたこともあった。

常に高聴取率を記録していた番組でもあり、ビデオリサーチ社による調査において、首都圏の全ラジオ番組を通じて1位になったこともある(4.0% = 1989年12月の調査 など)。1980年代後半から1990年代にかけては同じく高聴取率を獲得していた『大沢悠里のゆうゆうワイド』(TBSラジオ)と熾烈な聴取率争い(3.6% = 同じく1989年12月の調査 など)[1]を演じていた。後にその『ゆうゆうワイド』において玉置は、腸閉塞で入院した毒蝮三太夫の代役として2006年の1月から2月15日までの火曜日と木曜日に、『ヨークマートミュージックプレゼント』の放送時間枠にて放送された『懐かしの昭和歌謡列伝』という番組に出演していた。

なお、この番組が『一杯のかけそば』ブームのきっかけになったとも言われている。

オープニングテーマソングは カラベリグランドオーケストラ『太陽の中の恋』

番組タイトルは森昌子1974年発売のシングル『今日も笑顔でこんにちわ』から引用。

  1. ^ 参考:月刊ラジオパラダイス 1990年4月号内の記事

[編集] 放送時間

[編集] パーソナリティ

  • 玉置宏
  • アシスタント
    • 宮崎文子(当時ニッポン放送アナウンサー・1978年4月-1979年9月)
    • 田中千恵(当時ニッポン放送アナウンサー・1979年10月-1983年3月)
    • 勝呂智子(当時ニッポン放送アナウンサー・1983年4月-1985年9月)
    • 西田麻理(当時ニッポン放送アナウンサー・1985年10月-1989年8月)
    • 那須恵理子(ニッポン放送アナウンサー・1989年9月-1992年3月)
    • 野口裕子
    • 阿部宏美(当時ニッポン放送アナウンサー・1992年4月-1993年4月)
    • 仲佐かおり(当時ニッポン放送アナウンサー・1993年5月-1996年3月)
  • レポーター
    • くり万太郎(ニッポン放送アナウンサー)
    • 那須恵理子(ニッポン放送アナウンサー)
    • 上柳昌彦(ニッポン放送アナウンサー)
    ほか

[編集] 主なコーナー

[編集] 9時台

  • ハッピートゥデイ
  • どきどきバンク
  • 今日の一句
  • 私はおんなあの日あの時
  • 家族百景ほのぼのプレゼント
  • ユーモアプレゼント一件落着!
  • ユーモアテレフォンあなたサイコー
  • ハロー!グッドデイ
  • タマタマちょっと気になる話
  • 夫婦くらぶ
  • うれしはずかしタマタマテレフォン
  • 女心のスケッチブック
  • いい日いい歌リクエスト
  • 極楽ファミリー
  • 野次馬ラジオ
  • 女色のページ

[編集] 10時台

  • ザ・ミュージック
  • ミュージックカプセル 子供たちに贈る歌
  • 中継コーナー(10:10頃)
  • ゲストでクイズ ご町内万才!
  • 玉置宏のタマタマ特捜隊
  • ニッポンのハラ時計
  • おまかせホットライン
  • 玉置テレフォン
  • 一パツ解答いきいき相談室
  • タマタマ探検クラブ
  • お便りでこんにちは
  • 私の宝物
  • 心のタマ手箱(日清サラダ油(現・日清オイリオ)提供のNRNネット番組コーナー。)
  • あおぞらリビング
  • 想い出の歌謡曲
  • マイク三軒両どなり
  • こんにちはリクエスト
  • タマタマコンビニエンス

[編集] 11時台

(※ - 内包番組)

[編集] 番組での出来事

  • 1978年11月23日9時01分のAMラジオ周波数改正で、ニッポン放送の周波数が1240kHzから1242kHzに変わったのに伴い、9:01に改めてOPテーマが流れた。(これは国際電気通信連合の取り決めで10KHZステップが9KHZステップに変更されたものであるが、この日の午前5時から試験放送という名目で周波数の変更は既に実施されていた)
  • 1988年4月12日の放送中、玉置が貧血を起こして途中リタイア、胃潰瘍による内出血と診断されたため入院となり番組を休むことになった。復帰するまでの間、玉置と同じ昭和9年生まれで親交のある藤村俊二坂上二郎森山周一郎らが代役を務める。その後経過はよく、5月23日から復帰した。
  • 1990年の日本プロ野球は、4月の時点では大洋(現・横浜)が一時首位に立つなど好調で、大の大洋ファンの玉置もそれを嬉しく思って度々番組中でホエールズの話をしており、その内に同じ大洋ファンだというリスナーの投書が増えるようになっていった。これに目を付け、リスナーと一緒にホエールズを応援しに行こうというイベント企画が立ち上がり、約6000人の応募の中から100人を招待して『玉置宏と行くぞ!大洋 もうすでに優勝!?気分 30年のごぶさたでした応援団』を結成し(“30年”とは、当時大洋が1960年の優勝から30年遠ざかっていたということから)、同年5月8日横浜スタジアムで行われた対巨人戦を観戦した(この時は同じく大洋ファンの塚越孝アナも同行)。しかしこの試合は12-0で大洋の大敗に終わっている。
ニッポン放送 平日 9:00-12:00 (11:30)
前番組 番組名 次番組
玉置宏の笑顔でこんにちは
個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス