高中正義

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高中正義
基本情報
出生 1953年3月27日(58歳)
学歴 武蔵工業大学付属高等学校卒業
出身地 日本の旗 日本 東京都
ジャンル ロック
フュージョン
職業 ギタリスト
ミュージシャン
音楽プロデューサー
担当楽器 ギター
ベース
活動期間 1970年代 -
レーベル LAGOON RECORDS(個人レーベル)
共同作業者 サディスティック・ミカ・バンド
後藤次利
今井裕
他は#提供曲を参照
公式サイト 高中正義公式サイト
著名使用楽器
ヤマハ・SG
フェンダー・ストラトキャスター
モズライト・ギター

高中 正義(たかなか まさよし、1953年3月27日 - )は東京都出身のギタリストミュージシャン音楽プロデューサーである。

目次

[編集] 来歴

出生地は東京都北区王子。中国人(南京市出身)の父親と日本人の母親の間に生まれる。実家は雀荘である。武蔵工業大学付属高等学校現:東京都市大学付属高等学校卒業。 日本のロック界、フュージョン界を代表するギタリストの一人である。使用するギターは本人の特注色であるラグーンブルー(当時のオリジナルはレッドサンバーストとブラウンサンバーストのみ)のヤマハSGが代表的。昨今はフェンダー社製のストラトキャスターモデルを主に使用しているがこの理由について本人は「(歳をとって)SGが重く感じるようになってきたため」としている。ヤマハSGは「音が太いのがいい。特にディストーションを掛けると安定した感じになる」と評価していた。フェンダー・カスタム・ショップで製作、限定で発売された「TAKANAKA-Stratocaster」は自身が所有する1960年代のストラトキャスター(3トーンサンバーストの貼りメイプル指板使用というレアな仕様。アルバム「TAKANAKA」のジャケットのギターである)を元に製作されている。

演奏スタイルはインプロヴィゼ-ションよりも楽曲そのもののまとまりを重要視しておりジャズフュージョンというよりも様式美を重んじるタイプのロックのそれに近い。 また、The Ventures(ザ・ベンチャーズ)の影響を受けたのか、コンサートでモズライト・ギター(ベンチャーズ・モデル)を使用し、ベンチャーズの十番街の殺人やキャラバンなどを演奏している。 ライブにおいてもいわゆるアドリブと呼ばれる部分も初出の音源のものに準じているのが基本であり、長尺の曲の後半でスリリングな演出を仕掛けることが多い。 彼にとっては「アドリブ」部も3メロ、4メロであってそれも含めて作曲されたものが彼の作品なのである。

当初ソロデビュー時は自分でボーカルを取るつもりであったが、「先天的に音痴みたいで(笑)」とのことから、ギターでメロディを取る現在のスタイルになったという。ボーカリストを迎えた曲も存在するが、基本的には自身のギターがメインとなっている。これについても「上手いボーカルを入れればいいんだけど、そうすると自分がメインじゃなくなるから嫌なの(笑)」と語っている。アルバムによってはラッパーを迎えたヒップホップ風の楽曲や、アコースティック色の強いアルバムなど豊富なバリエーションがあるが、基本的には本人のギターがボーカルの代わりとしてメインの位置にいるスタイルが下地となっている。

プロデビュー時は本人の意に反してベースを担当させられていた。柳田ヒログループの一員として、1971年7月日比谷野音で開催された岡林信康の「狂い咲き」コンサート(後にライブ盤も発売)でバッキングを務める。同年8月に、成毛滋つのだ☆ひろストロベリー・パスのサポートとしてロックイベント「箱根アフロディーテ」に出演、1か月後に正規メンバーに迎えられフライド・エッグと改称する。フライド・エッグ解散後、加藤和彦が結成したサディスティック・ミカ・バンドに参加し、ここからギタリストとして活躍。サディスティック・ミカ・バンド解散後は、バンドのメンバーであった高橋幸宏後藤次利今井裕らとサディスティックスを結成し、数枚のアルバムを発表するが、メンバー各自の活動が忙しくなり、数年後に自然消滅(九段会館で解散コンサートは実施)した。同時期、スタジオミュージシャンとしても活動し、特に筒美京平には気に入られ、多くのアイドル歌手のレコーディングに参加している(クレジットされていないことも多い)。その後、井上陽水矢沢永吉等のサポートギタリストを経る一方、サディスティックス時代からソロにて活動している(「SEYCHELLES」が「Sadistics」の前にリリースされている)。ちなみに高橋幸宏や小原礼とは高校生のころからの知り合いらしい。

バハマに永住権を持ち現在は軽井沢在住。元モデルの女性と結婚し子供は女の子が一人。

昔からラメジャンプスーツなどのド派手のファッションで有名。「とにかく派手にしてくれ」とオーダーメイドで洋服屋に作らせたと言う。また1970年代から金髪や緑髪にもしており、被り物もよく被っていた。近年は派手な衣装はあまり着なくなったが、サーフィンギターというサーフボードをくり抜いて作ったギターをライブなどでよく使っている。最近ではフェンダーのリゾネイターギターのトップに鉄道模型の線路を敷いた(実際に自動往復で走らせることができる)ギターを演奏して、観客へのサービス心は健在である。

1981年、イタリアの画家ウル・デ・リコの絵本から得たインスピレーションによって制作したコンセプトアルバム「虹伝説」を発表。日本武道館を皮切りに全国ツアーをおこない、アルバム、ライブは、ともに大反響で、「時」のTAKANAKAブームを巻き起こした代表作となった。また、第23回日本レコード大賞企画賞を受賞した。 翌年は横浜スタジアムを皮切りに、サンタナとのジョイントライブを敢行、リハ不足の中、真夏の熱狂ライブを彩った。 翌々年「ギターファンタジアツアー」を大阪横浜で行い、ツアーメンバーにアメリカのスーパー音楽プロデューサーのナラダ・マイケル・ウォルデンがドラムとして参加した(パーカションはシーラ・E)。なお、海外ミュージシャンとの交流は過去にもアルバムでリー・リトナーリトル・リチャードで果たしている。この他にも、13キャッツデイヴ・コーズマイアミ・サウンド・マシーン等様々な海外アーティストがアルバムやライブに参加している。

主な代表曲に「憧れのセイシェル諸島」、「BLUE LAGOON」、「READY TO FLY」(共にパイオニアステレオCM曲)、「DISCO B」、「ALONE」、「MY SECRET BEACH」・「SAUDADE」(共に1980年日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞車である5代目マツダ・ファミリアのCM曲)、「我ら星の子」、「渚・モデラート」(東芝ビデオデッキのCM曲)、「エビダウロスの風」、「BLUE STRIPE」(α-STATION(エフエム京都)CHUMMY TRAINの挿入曲)などがある。

[編集] ヤマハSGモデル

1970年代の後半から1980年代初頭にかけて、往年のギター少年を魅了したラグーンブルーのヤマハSGにまつわるエピソードとして、ヤマハが当時の高中の人気にあやかり、ブルー系のSGをリリースしたい旨を高中本人に伺いを立てていたが、高中は愛器との同色どころかブルー系そのもののSGのリリースを渋っていたと言う話がある。そのせいか、ヤマハが初めてリリースしたブルー系のSGは、本人のものとは似付かぬメタリックを帯びたものであり、しかもその色が使用されたのはポジションマークやバインディングが極端に違う格下のモデルであったことが、この話に信憑性を持たせている。また、彼が当時SGに差し込んでいたコンプレッサーDan ArmstrongのORANGE SQUEEZER(リー・リトナーなども使用)も飛ぶように売れた。

その後20年近くを経た1998年に、初の公式高中モデル「SG-2000MT」が220本限定で発売されるが、この際にもまったく同色のブルーは認められず、オリジナルよりもやや明るめの色(リリース時の色名は便宜的に「ラグーンブルー」とされている)が指定された。しかし自身の公式『TAKANAKA weblog(2010・2・9)』の中でファンの一人が『あのブルーのSG2000MTは盗難にあったと聞きましたが、本当ですか?』との質問に対し、『もう憶えてない、、です。 とにかく、無いです。』と返答している。続いて『虹ペイントギターも無いとこみると、とうなんですかねえ?』『ってことは、回り回って誰か持ってるのかなあ』との受け答えで、少なくとも伝説のギターが現在高中自身の手元には無いことが明らかにされた。しかしその後、ブルーのSG2000MTについては2010年9月22日(東京:中野サンプラザホール)・23日(大阪:森ノ宮ピロティホール)・26日(愛知:ZEPP NAGOYA)の3日間開催された『2010軽井沢白昼夢TOUR』(高中正義40周年前年祭)のステージ中で復活を遂げ、ファンもその無事の存在に安堵し、時空を超えてブルーSGのその懐かしい音に浸った。

2007年には「SG-T」が発表された。これは当時の本人のスタイルに合わせ、1980年代から大幅なモディファイが加えられており、ベース器と見られるSG-3000的な装飾のほか、機能面では本来のハムバッキング2ピックアップの中間にシングルコイルタイプのセンターピックアップが設けられている点と、大胆なアーム奏法に耐えうるロック式トレモロユニットが搭載されている点がすぐに目を引く。ボディ色はラグーンブルーというよりは濃いブルーのサンバーストに近く、T、A、K、Nの4文字のアルファベット(言うまでもなく本人の名前)とパームツリーのモチーフが、小型の金色のインレイでランダムにちりばめられている。このデザインは高中本人が映画『サイコ2』のあるシーンから着想したものという。また、初期に製作されたアーム付きの高中モデルSGの中には、ランダムに散りばめられたインレイの中に、細かい短冊状の物(別名「フリカケ」)もあった。アーム付きの高中モデルSGとしては最後となったSG-T2の中には、アルバム『虹伝説Ⅱ』のアートワークのプリントをボディに貼り付けたSG-T2も存在している。

大ブームのひとつの到達点となった「虹伝説」ツアーにおいては、衣装を含め道具類にも数々の虹色の演出が行われたが、このとき虹色にペイントされたSGは、本人がソロ活動初期から使ってきたレッドサンバーストのSGであると言われている。

2005年頃には、ヤマハから提供を受けたSGの試作品を使用していた。従来のSG-Tと比べ、ロック式トレモロユニットが廃され、通常のSGと同様のストップテールピースとブリッジという構成に改められ、ピックアップセレクターユニットの位置が変更、さらにアクティブサーキットが廃された非常にシンプルな構成となった。またボディの厚みも薄くなり、大幅な軽量化が計られていた木目の美しいメイプルを使用したギターで市販が望まれていたが、結局フェンダー・ストラトキャスターに取って代わられ、発売されることはなかった。

[編集] ディスコグラフィ

[編集] アルバム

[編集] DVD/LD/VHS

  • TAKANAKA WORLD
  • SUPER LIVE(1981年)
  • GUITAR FANTASIA(1982年)
  • CAN I SING?(1982年)
  • JUNGLE JANE TOUR LIVE(1986年)
  • THE PARTY'S JUST BEGUN(1988年)
  • ONE NIGHT GIG(1989年)
  • COVERS-Live at The Complex-(1994年)
  • TOUR'97 虹伝説ACT-Ⅰ(1997年)
  • TOUR'97 虹伝説ACT-Ⅱ(1997年)
  • 虹伝説 Rainbow Goblins Story (2000年)ユニバーサルミュージック/kitty MME
  • 晴天 ~Takanaka Live 2003~ (2004年)Lagoon Records/SME
  • 一天 ~Super Takanaka Live 2004~ (2005年)
  • 快晴 ~Crossover Japan '05 Live、そして沖縄~ (2005年)
  • 夕天 ~TAKANAKA SUPER LIVE 2005~ (2006年)
  • 南東風 ~TAKANAKA SUPER LIVE 2007~ (2007年)
  • 南西風 ~TAKANAKA SUPER LIVE 2008~ (2008年)
  • 夏道~TAKANAKA SUPER LIVE 2009~(2009年)
  • 軽井沢白昼夢~TAKANAKA SUPER LIVE 2010~(2010年)

[編集] 提供曲

『SHAKE UP〜抱きしめて』
『スニーカーダンサー』
『CHINA BLUE』
十戒 (1984)
『風のサザン・カリフォルニア』(1985年7月3日)
『なかないで』(NHKみんなのうた
『スロープに天気雨』(アルバム「ラズベリーの風」に挿入)
『カラパナ・ブラックサンド・ビーチ』(アルバム「LOCO ISLAND」に挿入)

[編集] 海外版

  • 鳳飛飛(台湾)
『好好愛我』(THE SUNSET VALLEY)

[編集] CM

  • '70年代後半から'80年代にかけてパイオニアのスピーカーシステム「S-180A」やプリメインアンプの「A-700」等のTV-CMに登場
使用曲は、「RAEDY TO FLY」,「BLUE LAGOON」,「YOU CAN NEVER COME TO THIS PLACE」

[編集] その他

[編集] 外部リンク

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