オフコース

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オフコース
OFF COURSE
基本情報
出身地 日本の旗 日本 神奈川県
ジャンル フォーク
ロック
活動期間 1969年 - 1989年
レーベル エキスプレス ⁄ 東芝EMI
(1969年 - 1983年)
ファンハウス
(1984年 - 1989年)
事務所 パシフィック・エンタープライズ(プロダクション) ⁄ ボン・ミュージック(音楽出版)
1969年 - 1973年
サブミュージック・パブリシャーズ・オフィス
1973年 - 1976年
オフコース・カンパニー(プロダクション) ⁄ フェアウェイ・ミュージック(音楽出版)
1976年 - 1989年
公式サイト 公式ウェブサイト
メンバー
小田和正ボーカルキーボード
結成 - 1989年
鈴木康博(ボーカル、ギター
結成 - 1983年
清水仁(ボーカル、ベース
1979年 - 1989年
大間ジロードラムス
1979年 - 1989年
松尾一彦(ボーカル、ギターハーモニカ
1979年 - 1989年

オフコースOFF COURSE)は、1969年から1989年まで活動した日本音楽グループ

概略[編集]

オフコースの始まりは神奈川県横浜市聖光学院高校に在学中だった小田和正鈴木康博地主道夫らが結成したフォーク・グループ。1970年に「群衆の中で」でレコードデビュー、当初は生ギターを中心としたフォークソング的な曲を歌っていたが、長年ヒット曲に恵まれなかった。

結成7年目の1976年ギター松尾一彦ベース清水仁ドラムス大間ジローが加わり、キーボードシンセサイザーを含めたバンドサウンドとなる。結成10年目の「さよなら」の大ヒットで多大なる人気を獲得、それ以降も数多くのヒット曲を生み出し、時代を代表するビッグ・グループになった。しかし、音楽番組全盛の時代にあって、テレビ出演で人気を高めていった他のグループとは一線を画し、テレビ番組にはほとんど出演せず、レコード制作とコンサートに力を注ぐという独自の姿勢を頑なに貫いた。[1]

1982年の鈴木の脱退により一時活動を休止した後、4人での活動再開以降もヒット曲を連発し、変わらぬ人気を博する。その後5年近く4人で活動を続け、結成から19年目の1989年に解散。その後、小田と鈴木はソロとして、松尾、清水、大間は各々のソロ活動の傍ら1999年3月にユニットAcoustic Beatles Clubを結成した[2]。再結成を望む声は根強いが、その可能性は薄いと見られている[3]

音作り[編集]

オフコースは5人で演奏可能なアレンジでレコーディングする方針を取っていた。最初は曲のタイトルも歌詞もない状態でコード進行を作り、そこにメンバーが意見を出し合ってアレンジを加えて行き、最後に詞が作られる。小田は当時「オーバープロデュースは嫌うので、音的には足りない部分もあるが、聴く人が足して聴いてくれればいい」[4]と語っていた。

メンバー[編集]

リーダーで結成から解散まで唯一在籍。神奈川県横浜市金沢区出身。東北大学工学部卒業。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。
結成時のメンバー。1983年8月31日脱退。静岡県田方郡修善寺町(現:伊豆市)出身。東京工業大学工学部卒業。小田とは対照的な男らしい詞を書く。編曲にも大きな力を発揮してきた職人的存在[4]
1979年8月1日に加入。大阪府大阪市西成区出身。尊敬する人は自分というマイペースな人柄[4]ライブでもコーラスをこなす。「ザ・バッド・ボーイズ[5]を経て、1976年10月よりオフコースに参加。
1979年8月1日に加入。本名:大間仁世(おおま ひとせ)。秋田県鹿角郡小坂町出身。秋田県立大館鳳鳴高等学校卒業。高校時代に松尾と出会い音楽活動を共にする。松尾一彦と共に活動していた4人組ロックバンド「ザ・ジャネット」を経て、1976年5月よりオフコースに参加[4]
1979年8月1日に加入。秋田県山本郡八森町(現:八峰町)出身。秋田県立能代高等学校卒業。幼い頃から音楽に目覚め、5歳で作曲したという。オフコース在籍時から他のアーティストに曲を提供している。「ザ・ジャネット」を経て、1976年10月よりオフコースに参加[4]

過去[編集]

結成時のメンバー。1971年2月頃脱退後、竹中工務店に入社。『日刊ゲンダイ』(平成6年6月16日号)で「超売れっ子設計家」として取り上げられた。現在は設計事務所を営む。
結成時のメンバー。1965年脱退。高校3年時の聖光祭に小田・鈴木・地主とともにステージに立つ。卒業後横浜市立大学に進学。 昭和シェル石油勤めのかたわらヨットマンとしても有名になる。
1970年10月頃加入、1972年5月19日脱退。小田・鈴木の聖光学院時代の後輩。加入当時、早稲田大学学生でその後、小田らの勧めで学業に戻る。
1972年5月13日加入、同年5月19日脱退。当時のオフコースのマネージャーで、第1回東京音楽祭出演のため助っ人として加入。
1978年12月加入、1979年1月脱退。1973年 - 1976年、「ザ・バッド・ボーイズ」[5]で“リンゴ”として清水とともに活動。1978年秋のツアー時、病気の大間に代わり一時加入。後に音楽活動を停止。

略歴[編集]

デビュー以前[編集]

1964年(昭和39年)
  • 12月、高校2年のクリスマス・パーティーでバンドの生演奏をしたことがきっかけとなり、翌年の文化祭(聖光祭)のステージに立つことを目指しメンバーの中から小田和正、鈴木康博、地主道夫、須藤尊史の4人でグループが結成される。
1965年(昭和40年)
  • 11月3日、聖光祭に出演[6]
  • 高校卒業後、鈴木康博は東京工業大学制御工学科に、小田和正は東北大学建築科にそれぞれ進学[7]、離ればなれになる。しかし、休日に鈴木が車に機材を積み込んで仙台まで行って練習は続けられた。
1966年(昭和41年)
1967年(昭和42年)
  • 3月27日、「第2回 FOLK SONGの…」開催(横浜勤労会館)。コンサートの後、彼らは名前のなかったこのグループに“THE OFF? COURSE”と命名する。彼らの音楽活動を支援し、コンサートのためにいつも中心となって動く聖光野球部OB会“オフコース(OF COURSE)”に敬意を表してその名をもらった。
  • 大学時代、自主コンサートを毎年開催するほか、聖光学院時代の友達から頼まれて演奏したり、他の大学の文化祭に呼ばれるなど、3人は活発な演奏活動を続けた。
1968年(昭和43年)
1969年(昭和44年)

ジ・オフ・コース[編集]

1970年(昭和45年)
1971年(昭和46年)
  • 2月、地主が建築の道へ進むためにグループを脱退。
  • 5月、パシフィック・エンタープライズに所属。ボン・ミュージックと音楽出版契約。
  • 10月5日、シングル「夜明けを告げに(作詞:山川啓介、作曲:加藤和彦) ⁄ 美しい世界(作詞・作曲:小田和正)」(小田・鈴木・小林)発売。

1972-1974年[編集]

1972年(昭和47年)
  • 4月25日、シングル「おさらば(作詞・作曲:東海林修) ⁄ 悲しきあこがれ(作詞:山上路夫、作曲:東海林修)」(小田・鈴木・小林・吉田)発売。グループ名を「オフ・コース」とする。
  • 5月13日、「第1回東京音楽祭」出場(日本武道館)、「おさらば」を歌う。当時のオフコースのマネージャーだった吉田浩二がコーラスとして加入。
  • 5月19日、メンバーが小田・鈴木の二人となる。
  • 6月9日ラジオ関東“ヤングヤングミュージック・イン・テクニクス”初出演。のちに“オフコースの小さな部屋”のテーマソング「小さな部屋」を生んだ番組。
  • 9月13日、第1回リサイタル“オフコース・コンサート・イン・横浜”開催(横浜市教育会館)。
1973年(昭和48年)
1974年(昭和49年)

1975-1977年[編集]

1975年(昭和50年)
1976年(昭和51年)
  • 1月28日、「オフ・コースとイルカの年賀状コンサート」開催(日本青年館 ゲスト:なぎら健壱)。
  • 2月、小田、早稲田大学大学院を卒業。
  • 2月26日、シングル「ひとりで生きてゆければ」レコーディング開始(2月29日まで)。プロデューサー武藤敏史が以前ディレクターとして担当していた「ザ・ジャネット」の元メンバーの大間ジローをレコーディングに参加させる。
  • 5月5日、シングル「ひとりで生きてゆければ ⁄ あいつの残したものは」発売。同日、大間ジロー参加。
  • 5月18日、「ハイファイセット・オフコース・ジョイント」コンサート開催(中野サンプラザホール)。
  • 5月23日、“オフコースの小さな部屋 Vol.6”–音楽の多様性その1:音楽はいかに映像を助けるか、また映像はいかに音楽を助けるか– 開催(日本青年館大ホール ゲスト:加藤和彦)。清水仁が初参加[19]
  • 8月1日、それまで所属していたサブミュージック・パブリッシャーズ・オフィスから独立、マネージメント会社「オフコース・カンパニー」を設立。
  • 8月15日、アルバム・レコーディング開始(9月15日まで)。
  • 9月5日、“オフコース・ファミリー・コンサート”開催(全電通ホール)。
  • 10月5日、シングル「めぐる季節 ⁄ ランナウェイ」発売。
  • 10月23日、第6回オフコース・リサイタル“秋ゆく街でIII”開催(中野サンプラザホール)。大間と清水に加え松尾一彦が参加、大間・清水・松尾を観客に紹介。
  • 10月24日、学園祭ライブ回り(11月23日まで:オフコース史上最高の10校)。
  • 11月5日、アルバム『SONG IS LOVE』発売。清水は「ザ・バッド・ボーイズ」としての契約がまだ残っていたためレコーディングでは演奏には不参加だが、この頃から実質的に5人のバンドとなった。
  • 11月10日、シングル・レコーディング開始(12月7日まで)。
  • 11月21日白百合女子大学園祭公演。初めてアンコールをもらう。
1977年(昭和52年)

1978-1979年[編集]

1978年(昭和53年)
1979年(昭和54年)

1980-1983年[編集]

1980年(昭和55年)
1981年(昭和56年)
1982年(昭和57年)
1983年(昭和58年)
  • 3月、海外用デモテープ・レコーディング[28]
  • 6月6日、大間ジロープロデュースシングル「tomorrow –すべては時の中に–」(あんべ光俊)発売。
  • 8月21日、鈴木康博ソロデビュー、シングル「愛をよろしく ⁄ ラララ〜愛の世界へ〜」とアルバム『Sincerely』を同時発売。
  • 8月21日、大間ジロープロデュースアルバム『HEARTS』(あんべ光俊)発売。
  • 8月29日、栃木県のジュンクラシックカントリークラブ(ゴルフ場)にて行われた合宿でメンバー、スタッフを含むミーティング実施。4人での再出発を決める(9月1日まで)。
  • 8月31日、鈴木、正式脱退。
  • 10月21日、アルバム用プリプロダクション開始(1984年5月4日まで)。
  • 10月29日、日中文化交流協会主催による中国旅行(11月22日まで)。答礼式で「いつもいつも」を披露。
  • 11月3日、アルバム『YES-YES-YES』発売。
  • 12月8日、清水の友人、リッキー&リボルバーの誘いで急遽、渋谷エッグマンで行われたジョン・レノン追悼コンサートに飛び入り出演。「Long Tall Sally」など3曲を演奏、4人での最初の演奏。

1984-1986年[編集]

1984年(昭和59年)
1985年(昭和60年)
1986年(昭和61年)

1987-1989年[編集]

1987年(昭和62年)
1988年(昭和63年)
1989年(平成元年)
  • 2月1日、アルバム『君住む街へ 1984→1988』発売。
  • 2月3日、「STILL a long way to go」ツアー最終日(日本武道館)で、小田がステージから飛び降りる。
  • 2月26日、「The Night with Us」東京ドーム公演を実施、ファンやスタッフの強い働きかけで実現したスペシャルライブ[31][32]。同日オフコース解散。

1990年-[編集]

1996年(平成8年)
  • 2月1日、小田和正『LOOKING BACK』発売。オフコース時代の楽曲のセルフカヴァー・アルバム。
  • 10月23日、鈴木康博『BeSide』発売。オフコース時代の楽曲のセルフカヴァー・アルバム。
1999年(平成11年)
2000年(平成12年)
2001年(平成13年)
  • 5月26日、小田和正『LOOKING BACK 2』発売。オフコース時代の楽曲のセルフカヴァー・アルバム第2弾。
  • 9月26日、DVD『Off Course 1969-1989 Digital dictionary』発売。
2002年(平成14年)
2003年(平成15年)
2004年(平成16年)
  • 12月8日、鈴木康博『FORWARD』発売。オフコース時代の楽曲のセルフカヴァー・アルバム第2弾。
2006年(平成18年)
  • 12月6日、ベストアルバム『i(ai)』発売。グループ解散後初の、全メンバー公認のオール・タイム・ベストアルバム。オリコンアルバムチャート第5位を記録した。
2010年(平成22年)
  • 10月1日、松尾一彦『せつなくて』発売。オフコース時代の楽曲「せつなくて」(Piano:小田[33])と「哀しき街」(Cho:清水)を収録したミニ・アルバム。

エピソード[編集]

  • “オフコース(OFF COURSE)”という名前はコンサートのためにいつも中心となって動く聖光野球部OBが作った草野球チームの名前が“勝ってof course”、“of course 勝つ”という意味で“OF COURSE”だったことから。コンサートを始めてなにか名前をつけるということで“調子っ外れ”とひっかけて“OFF COURSE(THE OFF? COURSE)”にしたという[34]
  • <さよなら>[35]、<Yes-No>[36]、<YES-YES-YES>[37]、<君が、嘘を、ついた>[38]などのヒットで当時、TBSの人気番組『ザ・ベストテン』に何度となくランクインしたが、この番組を含むすべての音楽番組には出演しなかったため、「オフコースの皆さんはコンサート活動に専念するため…」とお詫びのお辞儀をする久米宏の姿が毎週のように見られた。<YES-YES-YES>[37]では一度、レコーディング・スタジオから中継で小田が単独でコメントを出したことがある。その一方で『笑っていいとも』と『オレたちひょうきん族』には出演したので、フジテレビの音楽番組担当プロデューサーは、バラエティ担当プロデューサーを羨ましがったという。
  • オリコンシングルチャートでは<さよなら>[35]、<君が、嘘を、ついた>[38]が最高2位止まり、アルバムチャートでは『We are[39]と『over[40]が1位になっている。なお、小田が作った曲のシングルチャート1位は、彼がソロシンガーとしてデビュー後、<ラブ・ストーリーは突然に>[41]で達成された。
  • 『Three and Two』[42]でのインタビューで小田は「去年初めて『銀河鉄道999』の(映画)音楽をやらないかって話があってね、さんざん考えた末、やろうっていう気になったら映画会社とかレコード会社の問題とか、いろいろいきさつがあって、結局ゴダイゴということになっちゃって」と、実現しなかったいきさつを語っている。
  • 1981年3月28日宮城県民会館で行われた「OFF COURSE CONCERT “We are”」最終公演のアンコール、<愛を止めないで>[43]のエンディングにさしかかった瞬間、舞台の袖から200本のカーネーションがスタッフの手によって投げ入れられた。これについて小田は「僕たちの制作するものの中で特に、レコーディングとステージに関しては何がどうなっているか知らぬ部分はない。だから、僕らの想像を超えて何かが創造されるということは全く考えたことがなかった。しかしそれは起こった。他人が聞けば他愛のないシャレに過ぎないかも知れないが、それが僕にとっては今度のアルバム・レコーディング、そしてこのコンサート・ツアーのすべてが覆されるほどの衝撃だった。だから僕は『ヤラレタ…』と思ったのだった。そして、あんなことが起こったのが心から嬉しかった」と語っている。この時の写真がベスト・アルバム『SELECTION 1978-81[44]の中袋に掲載されている。
  • シングル<I LOVE YOU>[45]のエンディングのコーラスは当初、少年合唱団によるテイクを予定していたが、結果的にはレコーディングスタジオ近くの公園にいた子供たちやその親を迎え、さらにそこにメンバーやスタッフも加わってレコーディングしたテイクに変更された。また、この曲はアルバムI LOVE YOU[46]収録の際、ビル・シュネーの友人がジョン・レノン死亡の新聞記事をニュース調に読み上げたナレーションが間奏部に挿入された。
  • シングル<YES-YES-YES>[37]に女性の声(ねぇ、私のこと好き?)が入っていると、テレビのオカルト番組で取り上げられることがあるが、この声の主はレコーディングのとき、同じ録音スタジオを使っていた“レモンツリー”という男女デュオの女性である合沢尚子で、意図的に収録されていることが当時の音楽雑誌『ギターブックGB』(ソニー・マガジンズ)の記事に掲載されている。
  • 1982年の日本武道館10日間公演中の6月23日、ツアーの追加公演という形で横浜スタジアムでのコンサートが8月に計画されたが、7月5日に鈴木からの「区切りをつけたい」との申し入れにより中止となった。横浜スタジアム公演は後に小田がソロとして1992年8月29日、 30日の“MY HOME TOWN”で実現させている。
  • <僕等の時代>[47]名古屋テレビオープニングBGMとして使われた[48]
  • <僕等の時代>[47]の詞がオフコースの写真・プロフィールと共に、中学校国語教科書[49]に採用されている。
  • <言葉にできない>[50]のフェードアウト直前に、当時の解散を示唆する“We are”, “over”, “thank you”のナレーションが収録されている。
  • シングルのA面はほとんどが小田の曲だが、最初から小田の作品がA面と決められていたわけではなく、メンバー(ほとんどは小田か鈴木)が曲を持ち寄り、コンペティションを行った結果だった。このことは小田が『たしかなこと』[51]で、鈴木が自身のホームページでのファンからの質問への回答で、それぞれ異口同音に語っている。結果として小田の曲が多くA面に採用されたことについて、小田は「ヤス(鈴木)に対して申し訳ないと思っていた」、鈴木は「そういう結果だから仕方ないと思っていた」と語っている。鈴木はよく自身のオフコース時代を“B面人生”と自嘲したりしたことがあったが、A面の選ばれ方自体には特にわだかまりは無いと思われる。
  • 全米デビューへの足がかりの一環として『Back Streets of Tokyo[52]が制作された1985年以前に、全米デビューを打診されていたことがある。松尾によれば、『We are』[39]と『over』[40]を聴いてオフコースを気に入ったBS&Tの元メンバーで当時キャピトル・レコードのプロデューサーだったBobby Colombyから<きかせて>と<せつなくて>で是非アメリカ・デビューを、との話をもらったという。すぐに英詞の仮歌によるデモテープが制作されたものの、直後に鈴木の離籍とグループの解散問題が浮上したため、それきりになったという[53]

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

# タイトル カップリング 発売日 形態 品番 収録アルバム(初出のみ) 順位
EXPRESS ⁄ 東芝音楽工業(1970-1973年)
01 群衆の中で 陽はまた昇る 1970年04月05日 EP EP-1224 「ジ・オフ・コース」名義  
02 夜明けを告げに 美しい世界 1971年10月05日 ETP-2527  
03 おさらば 悲しきあこがれ 1972年04月25日 ETP-2647 「オフ・コース」名義  
04 僕の贈りもの めぐり逢う今 1973年02月20日 ETP-2809 オフ・コース1 ⁄ 僕の贈りもの』(僕の贈りもの)
「オフ・コース」名義
 
EXPRESS ⁄ 東芝EMI(1974-1983年)
05 もう歌は作れない はたちの頃 1974年04月05日 EP ETP-2996 この道をゆけば ⁄ オフ・コース・ラウンド2
「オフ・コース」名義
 
06 忘れ雪 水いらずの午後 1974年10月20日 ETP-20074 「オフ・コース」名義  
07 眠れぬ夜 昨日への手紙 1975年12月20日 ETP-20214 ワインの匂い
「オフ・コース」名義
48位
08 ひとりで生きてゆければ あいつの残したものは 1976年05月05日 ETP-20259 SONG IS LOVE』(ひとりで生きてゆければ)
「オフ・コース」名義
 
09 めぐる季節 ランナウェイ 1976年10月05日 ETP-10081 『SONG IS LOVE』
「オフ・コース」名義
 
10 こころは気紛れ あなたがいれば 1977年02月05日 ETP-10158 『SONG IS LOVE』(こころは気紛れ)
JUNKTION』(あなたがいれば)
「オフ・コース」名義
 
11 秋の気配 恋人よ そのままで 1977年08月05日 ETP-10270 『JUNKTION』  
12 ロンド 思い出を盗んで 1977年11月20日 ETP-10343 『JUNKTION』(思い出を盗んで) 89位
13 やさしさにさようなら 通りすぎた夜 1978年04月05日 ETP-10400 SELECTION 1973-78  
14 あなたのすべて 海を見つめて 1978年07月20日 ETP-10444 FAIRWAY』(あなたのすべて) 82位
15 愛を止めないで 美しい思い出に 1979年01月20日 ETP-10524 Three and Two』(愛を止めないで)
『FAIRWAY』(美しい思い出に)
31位
16 風に吹かれて 恋を抱きしめよう 1979年06月05日 ETP-10583 SELECTION 1978-81』(風に吹かれて)
『Three and Two』(恋を抱きしめよう)
41位
17 さよなら 汐風のなかで 1979年12月01日 ETP-10655 『SELECTION 1978-81』(さよなら)
『Three and Two』(汐風のなかで)
02位
18 生まれ来る子供たちのために この海に誓って 1980年03月05日 ETP-10707 『Three and Two』(生まれ来る子供たちのために) 48位
19 Yes-No 愛の終わる時 1980年06月21日 ETP-17003 We are』(Yes-No)
『SELECTION 1978-81』(愛の終わる時)
08位
20 時に愛は 僕等の時代 1980年12月01日 ETP-17100 『We are』 35位
21 I LOVE YOU 夜はふたりで 1981年06月21日 ETP-17169 『SELECTION 1978-81』(I LOVE YOU) 06位
22 愛の中へ Christmas Day 1981年12月01日 ETP-17230 over』(愛の中へ) 23位
23 言葉にできない 君におくる歌 1982年02月01日 ETP-17280 『over』 37位
24 YES-YES-YES メインストリートをつっ走れ 1982年06月10日 ETP-17362 I LOVE YOU』(YES-YES-YES)
『over』(メインストリートをつっ走れ)
06位
ファンハウス(1984-1989年)
25 君が、嘘を、ついた 愛よりも 1984年04月21日 EP 07FA-1001 The Best Year of My Life 02位
26 夏の日 君の倖せを祈れない 1984年07月18日 07FA-1008 『The Best Year of My Life』(夏の日)
IT'S ALL RIGHT OFF COURSE SELECTION III 1984-1987』(君の倖せを祈れない)
15位
27 緑の日々 CITY NIGHTS 1984年09月21日 07FA-1011 『The Best Year of My Life』(緑の日々) 14位
28 call 2度目の夏 1985年02月21日 07FA-1023 『IT'S ALL RIGHT OFF COURSE SELECTION III 1984-1987』(call) 07位
29 たそがれ LAST NIGHT 1985年05月22日 07FA-1037 『IT'S ALL RIGHT OFF COURSE SELECTION III 1984-1987』
30 夏から夏まで ぜんまいじかけの嘘 1985年09月21日 07FA-1055 09位
31 ENDLESS NIGHTS EYES IN THE BACK OF MY HEART 1985年11月30日 07FA-1061 Back Streets of Tokyo 26位
32 IT'S ALL RIGHT (ANYTHING FOR YOU) IT'S QUITE ALL RIGHT
(INSTRUMENTAL)
1987年03月04日 07FA-1107 as close as possible』(IT'S ALL RIGHT (ANYTHING FOR YOU)) 20位
33 もっと近くに (as close as possible) Tiny Pretty Girl 1987年05月25日 07FA-1113 『as close as possible』 29位
34 君住む街へ 君住む街へ
(INSTRUMENTAL VERSION)
1988年01月25日 EP 07FA-1150 Still a long way to go』(君住む街へ) 11位
君住む街へ
(Another Version)
1988年02月25日 SCD 10FD-3001
35 she's so wonderful 陽射しの中で 1988年07月25日 EP 07FA-5030 『Still a long way to go』 80位
SCD 10FD-5030
36 夏の別れ 逢いたい 1988年10月25日 EP 07FA-5046 82位
SCD 10FD-5046

アルバム[編集]

# タイトル 発売日 形態 品番 順位 備考
EXPRESS ⁄ 東芝音楽工業(1973年)
01 オフ・コース1 ⁄ 僕の贈りもの 1973年06月05日 LP ETP-8258   「オフ・コース」名義
EXPRESS ⁄ 東芝EMI(1974-1983年)
02 この道をゆけば ⁄ オフ・コース・ラウンド2 1974年05月05日 LP ETP-8293   「オフ・コース」名義
03 秋ゆく街で ⁄ オフ・コース・ライヴ・イン・コンサート 1974年12月20日 LP ETP-72024   1974年10月26日中野サンプラザホールでのリサイタル“秋ゆく街で”を収録したライブ・アルバム。
「オフ・コース」名義
04 ワインの匂い 1975年12月20日 LP ETP-72123 62位 「オフ・コース」名義
05 SONG IS LOVE 1976年11月05日 LP ETP-72212 34位 「オフ・コース」名義
06 JUNKTION 1977年09月05日 LP ETP-72269 21位  
07 SELECTION 1973-78 1978年05月05日 LP ETP-80015 16位 『僕の贈りもの』から『JUNKTION』までの12曲に、シングル2曲を加えた初のベスト・アルバム。
08 FAIRWAY 1978年10月05日 LP ETP-80040 08位  
09 Three and Two 1979年10月20日 LP ETP-80107 02位  
10 LIVE 1980年05月05日 2LP ETP-60380-1 16位 「Three and Two」ツアー(1979-80年)を中心に、それ以前のコンサート音源も収録したライブ・アルバム。
11 We are 1980年11月21日 LP ETP-90038 01位  
12 SELECTION 1978-81 1981年09月01日 LP ETP-90106 『FAIRWAY』から『We are』まで、オリジナル・アルバム未収録曲も収録した2作目のベスト・アルバム。
13 over 1981年12月01日 LP ETP-90150  
14 I LOVE YOU 1982年07月01日 LP ETP-90180  
15 NEXT SOUND TRACK 1982年09月21日 LP ETP-90200 1982年9月29日、TBS系特別企画番組で放映された特別番組『NEXT』のサウンドトラック・アルバム。
ファンハウス(1984-1989年)
16 The Best Year of My Life 1984年06月21日 LP 28FB-2002 01位  
17 Back Streets of Tokyo 1985年08月01日 LP 28FB-2020 全米進出のために制作された英語版セルフカバー・アルバム。
18 as close as possible 1987年03月28日 LP 28FB-2081 03位  
19 IT'S ALL RIGHT OFF COURSE SELECTION III 1984-1987 1987年07月05日 LP 28FB-2101 11位 1984年以降のシングル曲に、映画挿入歌「時代のかたすみで (せめて今だけ)」を加えた3作目のベスト・アルバム。
CD 32FD-1068
20 Still a long way to go 1988年06月09日 LP 28FB-7007 03位  
1988年08月06日 CD 32FD-7007

非監修ベスト・アルバム[編集]

# タイトル 発売日 発売元 形態 品番 順位 備考
01 YES-YES-YES 1983年11月03日 EXPRESS ⁄ 東芝EMI LP ETP-90257 02位 シングルのA面コレクション。
02 BEST COLLECTION 1985年08月31日 ETP-90344 06位 “ジ・オフ・コース”名義の「群衆の中で」と「夜明けを告げに」のシングル両面を収録した編集盤。
03 スーパー・ベスト30 さよなら 1989年01月25日 2CD CT20-5401-2 36位 エキスプレス・レーベル時代の作品をテーマ別に収録した6種類のベスト・アルバム。
04 バラード CD CT23-5403  
05 SELECTION ODA CT23-5404
06 SELECTION SUZUKI CT23-5405
07 アコースティック CT23-5406
08 レア CT23-5407
09 君住む街へ 1984→1988 1989年02月01日 ファンハウス CD 28FD-7058 17位 ファンハウス移籍後にリリースされた作品の中から選曲されたベスト・アルバム。
10 オフコーススペシャル ⁄ 小田和正作品集 1990年05月09日 EXPRESS ⁄ 東芝EMI CD TOCT-5675    
11 スーパー・ベスト 1990年09月05日 3CD TOCT-5816-8    
12 TWIN BEST 1996年09月19日 2CD TOCT-9631-2   レコード会社共同企画『TWIN BEST』シリーズの1枚。
「アルバムレコードのAB面」に相当する形で著名曲を『Disc 1』、隠れた良曲を『Disc 2』にそれぞれ収録。
13 OFF COURSE Singles 1998年03月28日 3CD TOCT-10250-2    
14 Off Course GREATEST HITS 1969-1989 1998年05月21日 ファンハウス 3CD FHCF-2418-20 94位 デビューから解散までの全シングルA面を網羅した編集盤。
15 2000 BEST Off Course 2000年05月24日 EXPRESS ⁄ 東芝EMI CD TOCT-24351 47位 『2000 BEST』(ミレニアム・ベスト)シリーズのオフコース編。
収録順は『オフコーススペシャル ⁄ 小田和正作品集』と同じ。
16 i(ai) 2006年12月06日 2CD TOCT-26151-2 05位 レーベルを超えて選曲された、全メンバー公認による初のオール・タイム・ベスト・アルバム。

映像作品[編集]

# タイトル 発売日 発売元 形態 品番
01 NEXT VIDEO PROGRAM 1982年11月21日 東芝EMI VHS TT15-1030
パイオニア LD SM048-3211
02 Off Course 1982・6・30 -Concert in Budokan- 1983年04月21日 東芝EMI VHS TT18-1040H
パイオニア LD SM048-3211
03 Movie The Best Year of My Life 1984年12月01日 東芝EMI VHS 88FE-1002HI
04 RUNNING THROUGH '84 1985年04月 フェアウェイ・ミュージック
ワンダーキッズ
ギルハウス
VHS 580FF-01
05 OFF COURSE TOUR 1987 as close as possible 1987年11月25日 東芝EMI VHS 98FE-1010HI
パイオニア LD SM068-3202
06 Off Course 1969-1989 Digital dictionary 2001年09月26日 ハンズオン・エンタテインメント DVD ORDX-1007
07 Off Course 1981.Aug.16〜Oct.30 若い広場 オフコースの世界 2002年01月30日 東芝EMI DVD TOBH-7038
08 Off Course 1982.6.30 武道館コンサート 2007年06月27日 東芝EMI 2DVD TOBF-5529-30

関連作品[編集]

  1. 第3回全日本ライトミュージック・コンテスト グランプリ1969    3rd ALL JAPAN LIGHT MUSIC CONTEST GRAND PRIX / FOLK1970年4月 LP:MR-1059)
  2. 海と空と太陽の祭典    第一回合歓作曲コンクール入賞曲集!(1970年5月 LP:EP-7750)
    • 1969年にヤマハ主催で行われた第一回合歓作曲コンクールの入賞曲を集めたアルバム。主にヤマハの講師達の作曲による楽曲を、東芝所属のアーティストがレコーディングしたもの。ジ・オフ・コースの歌による「グラジュエイト  Graduate」を収録。
  3. ラブ・ジェネレーション    LOVE GENERATION LIVE IN CONCERT1973年8月5日 2LP:ETP-7695~6)
    • 1973年に全国12か所で行われた東芝レコード所属アーティストによるイベントコンサートのうち、5月1日日本武道館でのステージを収録したライブアルバム。「僕の贈りもの」、「でももう花はいらない」を収録。
  4. コルサの歌 –ヨコハマが似合う奴–1978年 EP:ERS-1331)
  5. RONIN 〜ORIGINAL SOUND TRACK〜1986年1月18日 LP:28K-100)

写真集[編集]

CMソング[編集]

  • CMのために制作された作品のみ列記。

楽曲提供[編集]

  • アーティスト名は50音順、曲名は発売順に列記。作品はグループ在籍期間に限定。

小田和正[編集]

アーティスト 提供曲 作者 収録作品(初出のみ) 発売日 生産番号
ザ・バッド・ボーイズ アイツのせい 作詞 : The Bad Boys
補作詞・作曲 : 小田和正
僕と踊ろう
 ⁄ アイツのせい
1975年8月20日 EP:ETP-20166
牧ミユキ さよならの離陸 作詞 : 竜真知子
作曲 : 小田和正
編曲 : 井上鑑
Fly Like A Bird 1978年11月 LP:LX-7056-A
由紀さおり 永遠のひととき 作詞 : 山川啓介
作曲 : 小田和正
編曲 : 青木望
ルームライト『オリジナル・ア・ラ・カルト』 1973年4月5日 LP:ETP-8238

鈴木康博[編集]

アーティスト 提供曲 作者 収録作品(初出のみ) 発売日 生産番号
杉田二郎 憂世
HAPPY STREET
作詞 : 鈴木康博
作曲 : 杉田二郎
アパートメント1109
APARTMENT 1109
1972年10月5日 LP:ETP-8197
桃井かおり 秋風の吹く夜 作詞・作曲 : 鈴木康博
編曲 : 鈴木茂
FOUR 1980年11月25日 LP:27PL-4
ソロ以降の提供作品は鈴木康博を参照

松尾一彦[編集]

参加作品[編集]

  • 発売順に列記。作品はグループ在籍期間に限定。
発売日 アーティスト 収録作品(初出のみ) 生産番号 収録曲 参加内容
1972年10月5日 杉田二郎 アパートメント1109
APARTMENT 1109
LP:ETP-8197 あの扉をあけて
OPEN THE DOOR
作詞 : 及川恒平
作曲 : 杉田二郎
鈴木康博(The Off Course) : Background Vocal
小田和正(The Off Course) : Background Vocal
君は眠る
YOU'RE SLEEPIN'
作詞 : 山川啓介
作曲 : 杉田二郎
鈴木康博(The Off Course) : Background Vocal
小田和正(The Off Course) : Background Vocal
人力ヒコーキのバラード
AIR PLANE SONG
作詞 : 山川啓介
作曲 : 杉田二郎
鈴木康博(The Off Course) : Acoustic Guitar, Background Vocal
小田和正(The Off Course) : Background Vocal
孤独の広場
LONESOME SQUARE
作詞 : 山川啓介
作曲 : 杉田二郎
鈴木康博(The Off Course) : Background Vocal
小田和正(The Off Course) : Background Vocal
若いというだけで
YOUNGER GENERATION
作詞 : 泉谷しげる
作曲 : 杉田二郎
鈴木康博(The Off Course) : Background Vocal
小田和正(The Off Course) : Background Vocal
ひとりにばれば
LONELINESS
作詞 : 及川恒平
作曲 : 杉田二郎
鈴木康博(The Off Course) : Background Vocal
小田和正(The Off Course) : Background Vocal
憂世
HAPPY STREET
作詞 : 鈴木康博
作曲 : 杉田二郎
鈴木康博(The Off Course) : Background Vocal
小田和正(The Off Course) : Background Vocal
春は寂しいネ
GROOMY SPRING
作詞 : 吉田拓郎
作曲 : 杉田二郎
鈴木康博(The Off Course) : Background Vocal
小田和正(The Off Course) : Background Vocal
1973年4月5日 由紀さおり ルームライト『オリジナル・ア・ラ・カルト』 LP:ETP-8238 永遠のひととき 作詞 : 山川啓介
作曲 : 小田和正
編曲 : 青木望
オフ・コース : Backing Vocal
1977年5月 飛行船 風の時刻表 LP:ETP-72244 青春の踏切で
Seishun no fumikiri-de
作詞・作曲 : 安部光俊
編曲 : 飛行船
鈴木康博(Off Course) : Electric Guitar
小田和正(Off Course) : Hammond Organ
清水仁 : Electric Bass
大間仁世 : Drums
花嫁泥棒
Hanayome dorobo
作詞・作曲 : 安部光俊
編曲 : 飛行船
ブラス・セクション・アレンジメント : 小田和正(Off Course)
小田和正(Off Course) : Strings ensemble
松尾一彦 : Chorus
悲しみのイエスタデイ
Kanashimi no yesterday
作詞・作曲 : 安部光俊
編曲 : 飛行船
ストリングス・アレンジメント : 鈴木康博(Off Course)
五月になれば
Gogatsu ni nareba
作詞・作曲 : 安部光俊
編曲 : 飛行船
ホーンセクション(シンセサイザー)・アレンジメント : 小田和正(Off Course)
小田和正(Off Course) : Mellotron & Synthesizer
大間仁世 : Drums
サンライズサンセット
Sunrise sunset
作詞・作曲 : 安部光俊
編曲 : オフコース & 飛行船
ストリングス & ブラスセクション・アレンジメント : 鈴木康博(Off Course)
鈴木康博(Off Course) : Electric Guitar
小田和正(Off Course) : Acoustic Piano
清水仁 : Electric Bass
大間仁世 : Drums
松尾一彦 : Chorus, Harmonica
オフコース : Chorus
三年目の決心
Sannenme no kesshin
作詞・作曲 : 安部光俊
編曲 : 飛行船
ブラス・セクション・アレンジメント : 鈴木康博(Off Course)
小田和正(Off Course) : Electric Piano
オフコース : Chorus
やさしさはほしいけれど
Yasashisa wa hoshiikeredo
作詞 : 安部光俊
作曲 : 萩原誠
編曲 : オフコース
ストリングス・アレンジメント : 小田和正(Off Course)
小田和正(Off Course) : Acoustic Piano, Electric Piano, Synthesizer
鈴木康博(Off Course) : Electric Guitar
清水仁 : Electric Bass
大間仁世 : Drums & Bell Tree
1977年8月5日 寺尾聰田辺靖雄 16の夏
 ⁄ 坂道を登れば
EP:ETP-10269 16の夏 作詞・作曲 : 寺尾聰 & 田辺靖雄
編曲 : ミッキー吉野
コーラス・アレンジメント : 鈴木康博(オフコース)
オフコース : Chorus
1977年11月5日 加山雄三 地平線の彼方 LP:ETP-72282 足音 作詞 : 岩谷時子
作曲 : 弾 厚作
編曲 : 森岡賢一郎
コーラス・アレンジメント : 小田和正(オフコース)
オフコース : Chorus
もえる草原 作詞 : 岩谷時子
作曲 : 弾 厚作
編曲 : 森岡賢一郎

オフコース : Chorus
1977年11月20日 アイリーン 愛の唄
 ⁄ 私の庭から
EP:ETP-10338 愛の唄
AI NO UTA
作詞・作曲 : 小田和正
編曲 : 青木望 & オフコース
オフコース : Chorus
1978年7月5日 尾崎亜美 STOP MOTION LP:ETP-80022 来夢来人 作詞・作曲・編曲 : 尾崎亜美
ストリングス & オーボエ・アレンジメント : 尾崎亜美
小田和正(OFF COURSE) : Chorus
鈴木康博(OFF COURSE) : Chorus
ストップ モーション 作詞・作曲・編曲 : 尾崎亜美
ストリングス・アレンジメント : 尾崎亜美
小田和正(OFF COURSE) : Chorus
鈴木康博(OFF COURSE) : Chorus
ラスト キッス 作詞・作曲・編曲 : 尾崎亜美
ストリングス・アレンジメント : 尾崎亜美
松尾一彦 : Harmonica
1978年11月5日 PRISMY LP:ETP-80050 気紛れ予報 作詞・作曲・編曲 : 尾崎亜美
ストリングス編曲 : 尾崎亜美
オフコース(小田和正・鈴木康博) : Chorus
コズミック ブルー 作詞・作曲・編曲 : 尾崎亜美
ストリングス編曲 : 尾崎亜美
松尾一彦 : Harmonica
白夜 作詞・作曲・編曲 : 尾崎亜美
ストリングス編曲 : 尾崎亜美
オフコース(小田和正・鈴木康博) : Chorus
1978年12月5日 あんべ光俊 碧空と海のすき間から LP:ETP-80045 星の旅 作詞・作曲 : 安部光俊
編曲 : 木田高介
大間仁世 : Drums
甘い夜 作詞・作曲 : 安部光俊
編曲 : 武藤敏史
大間仁世 : Drums
霧の晴れ間に 作詞 : 安部光俊
作曲 : 松尾一彦
編曲 : 安部光俊
松尾一彦 : Acoustic Guitar
君を夢みて 作詞・作曲・編曲 : 安部光俊
大間仁世 : Drums
鈴木康博 : Slide Guitar
清水仁 : Chorus
松尾一彦 : Chorus
雪の日のひとりごと 作詞・作曲 : 安部光俊
編曲 : 小田和正
小田和正 : Electric Piano, Clarinette & Synthesizer
鈴木康博 : Acoustic Guitar, Percussions
清水仁 : Electric Bass
大間仁世 : Drums
Chorus by OFF COURSE
Kazumasa Oda ⁄ Yasuhiro Suzuki
真夜中の電話 作詞・作曲 : 安部光俊
編曲 : 鈴木康博
鈴木康博 : Electric Guitar, Percussions
小田和正 : Electric Piano
清水仁 : Electric Bass
大間仁世 : Drums
Chorus by OFF COURSE
Kazumasa Oda ⁄ Yasuhiro Suzuki
12月の頃 作詞・作曲 : 安部光俊
編曲 : 木田高介
大間仁世 : Drums
風は知っている 作詞・作曲・編曲 : 安部光俊
ストリングス編曲 : 武藤敏史
大間仁世 : Drums
25歳の冬に 作詞・作曲 : 安部光俊
編曲 : 木田高介
ストリングス編曲 : 木田高介
大間仁世 : Drums
1980年4月20日 オリンポスの果実 LP:ETP-80134 愚かなる冬の自画像 作詞・作曲 : 安部光俊
編曲 : 安部光俊 & 小田和正
小田和正 : Keyboards
清水仁 : Bass
大間仁世 : Drums
ラスト ショウ 作詞・作曲・編曲 : 安部光俊
清水仁 : Chorus
松尾一彦 : Chorus
1980年12月21日 イルカ 我が心の友へ LP:GWP-1003 ふりむけばそこに 作詞・作曲 : イルカ
編曲 : 小田和正
我が心の友へ
ジェレミーの木
夜明けのグッドバイ
幻のタペストリィー
まあるいいのち
1981年10月5日 FOLLOW ME LP:GWP-1011 Follow Me 作詞・作曲 : イルカ
編曲 : 小田和正
1981年10月21日 あんべ光俊 Born to be Wild LP:ETP-90017 さよならMy Boy 作詞・作曲 : 安部光俊
編曲 : 鈴木康博
鈴木康博 : Guitars
松尾一彦 : Guitars
清水仁 : Bass
大間ジロー : Drums
Single Girl 作詞・作曲 : 安部光俊
編曲 : 鈴木康博
鈴木康博 : Guitars
松尾一彦 : Guitars
清水仁 : Bass
大間ジロー : Drums
ふり向いて もう一度 作詞 : 安部光俊
作曲・編曲 : 鈴木康博
鈴木康博 : Guitars
松尾一彦 : Guitars
清水仁 : Bass
大間ジロー : Drums
そして誰もいなくなった 作詞・作曲 : 安部光俊
編曲 : 鈴木康博
鈴木康博 : Guitars
Born to be Wild 作詞・作曲 : 安部光俊
編曲 : 鈴木康博
鈴木康博 : Guitars
松尾一彦 : Guitars
清水仁 : Bass
大間ジロー : Drums
ねえ君 作詞・作曲 : 安部光俊
編曲 : 鈴木康博
鈴木康博 : Guitars
365日 作詞・作曲 : 安部光俊
編曲 : 鈴木康博
君が好き 作詞・作曲 : 安部光俊
編曲 : 鈴木康博
鈴木康博 : Guitars
大きな河のほとりで 作詞 : 安部光俊
作曲 : 松尾一彦
編曲 : 鈴木康博
鈴木康博 : Guitars
松尾一彦 : Guitars
清水仁 : Bass
大間ジロー : Drums
1982年6月1日 原日出子 青いラプソディー EP:ETP-17347 無風都市 作詞 : 松本隆
作曲 : 筒美京平
編曲 : 大谷和夫
コーラスアレンジ & コーラス:鈴木康博

参考文献[編集]

カヴァー[編集]

  • 曲名は50音順、アーティスト名は発売順に列記、セルフカヴァーは除外。

あ行[編集]

愛の唄
I LOVE YOU
愛を止めないで
秋の気配
雨の降る日に
YES-YES-YES
Yes-No
いつもいつも
歌を捧げて
生まれ来る子供たちのために

か行[編集]

君が、嘘を、ついた
君住む街へ
  • 佐藤竹善
  • POSITION
  • 中村あゆみ
    • 『VOICE II』 (2009年6月24日)- CD+DVD:MHCL-1538/9【初回限定盤】 ⁄ CD:MHCL-1540【通常盤】
  • 辛島美登里
    • 『Love Letter』 (2012年9月19日)- CD:TECG-30066
言葉にできない

さ行[編集]

さよなら
倖せなんて
水曜日の午後

た行[編集]

地球は狭くなりました
時に愛は

な行[編集]

夏の終り
眠れぬ夜

は行[編集]

ひとりで生きてゆければ
  • SALT&SUGAR
    • 『21世紀への贈りもの』 (1999年11月10日)- CD:WPCV-10044
僕の贈りもの
僕等の時代

ま行[編集]

水いらずの午後
めぐる季節

や行[編集]

やさしさにさようなら

わ行[編集]

ワインの匂い
別れの情景(1)
  • 大木理紗
    • 『遠い景色』 (1996年)- CD:CACE-2002
私の願い

その他[編集]

  • Mi-Ke
    • 『忘れじのフォーク・白い2 白いサンゴ礁』 (1992年4月8日)- CD:BMCR-2313
    “OFF COURSE”メドレー : Yes-No眠れぬ夜さよなら
  • α波オルゴール
    • 『言葉にできない〜小田和正コレクション』 (2005年9月29日)- CD:OPJ-544
    さよなら
    愛を止めないで
    Yes-No
    僕の贈りもの
    緑の日々
    生まれ来る子供たちのために
    言葉にできない

脚注[編集]

  1. ^ その数少ないテレビ出演も歌番組ではなくオレたちひょうきん族等のバラエティ番組で当時のファンを大いに驚かせた。
  2. ^ 大間はSoul & Beat Unit 天地人を2003年に結成。
  3. ^ 小田は2004年12月25日放送の『クリスマスの約束』でオフコースを取り上げているが、それは元メンバーに対して「(オフコースは)終わった」、「オフコース(の再結成)はもうないよ」というメッセージだという旨の発言をし、言葉をつまらせている。また、2004年10-12月放送の「風のようにうたが流れていた」では、「オフコースは学校のようなもの。学校はいずれ卒業する時が来る」と語っている。鈴木の考えは鈴木康博の項参照。
  4. ^ a b c d e NHK教育若い広場』「オフコースの世界」(1982年1月3日放送)
  5. ^ a b 大阪の中学時代の同級生だった廣田龍人(リッキー)(ジョン担当)と清水仁(ポール担当)を中心に1969年結成されたビートルズコピーバンド。メンバーは廣田・清水のほか、ダンスホールのオーディションに彼らと共に来ていた他のバンドの川端孝博(ジョージ担当)と、廣田の弟の友人の城間正博(リンゴ担当)。1973年9月20日にアルバム『MEET THE BAD BOYS』 (LP:ETP-8269)でデビュー、同年10月20日にシングル「ビートルズが教えてくれた ⁄ チークを踊ろう」 (EP:ETP-2924)をリリース。1975年8月20日に2枚目のシングル「僕と踊ろう ⁄ アイツのせい」 (EP:ETP-20166)をリリース後、同年冬に解散。
  6. ^ 当初は本編の前座的な意味合いで午前中に登場、「グリーン・スリーブス」や「イエロー・バード」などフォークのヒット曲を演奏し歌ったが評判となり、閉会式の前にアンコールでステージに立った。このとき味わった喜びが、その後の小田・鈴木・地主の音楽を通じての交流に繋がった。
  7. ^ 千葉大学医学部に進学することも考えていたが、見学に行ったときに「カーテンが薄汚れていた」という理由でやめた。
  8. ^ 仙台地区からの出場は、関東地区から出場すれば非常に競争が激しいだろうという計算もあってのことだったが、実際には関東地区よりも仙台地区のほうがレベルが高かった。申し込みに行くと早速、係員に全国大会までの日程を尋ねた。合計四回行われる大会について詳しく聞いてゆくと、係員は途中からまるで真剣に取り合わなかったという。前年の「第3回 FOLK SONGの…」を最後に解散と考えていたが、もうひとつ、客観的な尺度での評価を受けたいとの希望からの出場だった。その一方で、「うまくすれば全国大会まで進めるかもしれない」という自信もあった。
  9. ^ 第1位は赤い鳥
  10. ^ この時のレパートリーは「One Boy」(ミュージカル『バーディー・バーディー』挿入歌)と「Jane Jane」(ピーター・ポール&マリー)、小田は最優秀歌唱賞を受賞。
  11. ^ 自分たちの演奏には絶対の自信があり、優勝して「ジ・オフ・コース」とアマチュア音楽活動を終え社会人になるつもりだったが、2位にとどまったことで小田・鈴木は気持ちに決着がつかなくなった。鈴木はミュージシャンになることを親に反対されていたが、これで音楽で生きて行く決心が固まり、内定を取っていた安川電機への就職を辞退した。
  12. ^ BETTY DEANはアマチュアで、1969年11月23日ヤマハ主催の「’69 作曲コンクール」(後の「ポピュラーソングコンテスト」)に「DON'T PASS ME BY」という自作曲で出場していた。
  13. ^ パシフィック・エンタープライズから独立した加藤和彦と杉田二郎は個人事務所を設立することになり、オフコースは両方から誘いを受けた。加藤の事務所はPA会社を併合したもので音楽的に魅力があった。杉田には一緒にコンサートを回るうちに人間的に惹かれ結局、杉田の「俺について来い」の一言で意を決した。後に小田は、加藤にそのことを報告したら「二郎のところもいいけど、音楽、全然違うじゃん」と言われたという。
  14. ^ 東芝レコード所属アーティストによるイベントコンサート。出演 : トワ・エ・モワ、イースト、オフ・コース、アリスシュリークス、はしだのりひことエンドレス、ザ・ラニアルズチューリップりりィ、杉田二郎、加藤和彦とサディスティック・ミカ・バンド、赤い鳥。
  15. ^ このときの観客が13人で、これが後々まで話題となる。
  16. ^ このコンサートの数日前に新曲「忘れ雪」(作詞:松本隆、作曲:筒美京平)が発売されたが、レコード会社の幹部が来ていたにもかかわらず自分たちが望んでリリースした曲ではないとの理由で演奏しなかった。この出来事はファンのあいだで“「忘れ雪」事件”と呼ばれるようになり、この曲はその後も演奏されることはなかった。
  17. ^ 当時のマネージャー上野博の発案で計画されたシリーズ・コンサート。一味違った人たちと触れ合う中で何か新鮮なものを見つけ、色彩の豊かなコンサートにしようという目的でこの年に5回、全部で計8回開かれた。
  18. ^ 聖光祭実行委員会のイベント担当者が依頼したところ、音響設備だけ手配すればとの条件で、ノーギャラでの出演をOKした。このコンサートの開始前には、オフコースの2人と同期にあたる当時の世界史担当の斉藤教諭と在校生との座談会を実施。座談会には、10月4日の“秋ゆく街でII”で「オフコース万歳」と叫んだ声がライブアルバムにも収録された当時の現役聖光生も出演した。コンサート終了後、在校生が花束贈呈とともにステージ上で「オフコース万歳」と叫んだ。
  19. ^ 鈴木は「技術力が無い」として清水の参加に反対したが、小田が「オフコースには仁のような人柄の人間が必要だ」として引き下がらなかったため、渋々了承した。後に、清水の人間的な雰囲気の良さに「結果的には小田の言う通りになった」と語っている。
  20. ^ “全国60か所”というのはというのは県庁所在地クラスの都市40か所以上を回る、一流の証だという。
  21. ^ 曲目:季節は流れて – やさしさにさようなら – 眠れぬ夜 – 恋を抱きしめよう – 通り過ぎた夜 – あなたのすべて – 新しい門出 – ひとりで生きてゆければ – 潮の香り – 秋の気配 – California Dreamin' – 想い出のサンフランシスコ – 君を待つ渚 – 愛の唄 – 老人のつぶやき – HERO – 心は気紛れ – ランナウェイ – のがすなチャンスを – 愛を止めないで – (アンコール) 風に吹かれて – 眠れぬ夜 – ランナウェイ – さわやかな朝を迎えるために – のがすなチャンスを – いつもいつも
  22. ^ 曲目:愛を止めないで – 眠れぬ夜 – おまえもひとり – こころは気紛れ – 愛の唄 – Today – A Soalin' – 僕の贈りもの – でももう花はいらない – Day By Day – 秋の気配 – 風に吹かれて – Yes-No – 一億の夜を越えて – のがすなチャンスを – 私の願い – きかせて – 僕等の時代 – 時に愛は
  23. ^ 他に松任谷由実水の中のASIAへ』、大滝詠一A LONG VACATION』も同賞を受賞。
  24. ^ それまでテレビメディアの取材をほとんど受けなかったため、当時異例の番組だった。アルバム『over』のレコーディング・リハーサル初日(8月16日)から終了(10月30日)までの約2ヶ月半を密着取材。レコーディングの様子のほか、2月10日日本武道館公演の模様も放送された。
  25. ^ コンサートへのチケット抽選応募葉書は約53万通にも及んだ。
  26. ^ 最終日には小田が「言葉にできない」で感極まり、歌に詰まっている。
  27. ^ ストーリーは1982年夏の武道館コンサート後に解散し、それぞれの道を歩んでいたメンバーが5年後の1987年夏に無理矢理再結成させられ9月21日に再び武道館でコンサートを行うというもの。6月30日の武道館のライヴ映像がダイジェストで使われた。共演は謎の男役に中村敦夫、再結成についてコメントをする近藤真彦(声は田原俊彦)・具志堅用高小森和子(の物真似)で片岡鶴太郎がそれぞれ出演したほか、メンバーを連れ去る2人組としてスタッフの富樫要と柿崎譲二も出演した)。
  28. ^ 当時の彼らのプライベート・スタジオ名にちなんで“GETTING BETTER DEMO”と題されたこのときのレコーディング曲は「SAYONARA(さよなら)」、「CITY NIGHTS(哀しいくらい)」、「YES-YES-YES(YES-YES-YES)」、「QUIET AS THE NIGHT(きかせて)」、「THE LITTLE ONES(生まれ来る子供たちのために)」、「THE PRICE OF FAME(NEXTのテーマ〜僕等がいた)」、「MYSTERY IN MY LIFE(哀しき街)」、「IT'S NOT MY AFFAIR(せつなくて)」、「GOOD TO HAVE YOU HERE(Yes-No)」の計9曲。
  29. ^ タモリ1976年ごろから「女々しい」、「歌が軟弱、根暗な奴が聞く曲だ」と、ラジオ番組で盛んに批判・揶揄した。これによりオフコースのファンから所属事務所へカミソリ入りの脅迫状が届くまでになったが、小田本人はタモリのことは「けっこう好き」と雑誌『ギターブック』でファンからの質問に回答し、このときの出演も簡単にOKした。
  30. ^ 曲目:おまえが欲しいだけ (吉田拓郎) – Yes-No
  31. ^ 曲目:緑の日々 – 君住む街へ – LAST NIGHT – 夏の日 – こころは気紛れ – 逢いたい – 時に愛は – 言葉にできない – きかせて – たそがれ – 夏の別れ – IT'S ALL RIGHT(ANYTHING FOR YOU) – She's so wonderful – 君が、嘘を、ついた – ぜんまいじかけの嘘 – Tiny Pretty Girl – YES-YES-YES – 生まれ来る子供たちのために – 君住む街へ – (アンコール) Yes-No – 眠れぬ夜 – 愛を止めないで – いつもいつも
  32. ^ このときも小田は「言葉にできない」で声を詰まらせた。
  33. ^ 小田にとってグループ解散後初の、元メンバーの楽曲へのレコーディング参加作品。
  34. ^ オフコース・ファミリー著『はじめの一歩』(サンリオ1983年8月15日初版発行 1巻:P61~70
  35. ^ a b 1979年12月1日発売 EP:ETP-10655
  36. ^ 1980年6月21日発売 EP:ETP-17003
  37. ^ a b c 1982年6月10日発売 EP:ETP-17362
  38. ^ a b 1984年4月21日発売 EP:07FA-1001
  39. ^ a b 1980年11月21日発売 LP:ETP-90038
  40. ^ a b 1981年12月1日発売 LP:ETP-90150
  41. ^ 1991年2月6日発売 SCD:FHDL-1004
  42. ^ 1979年10月30日初版 八曜社
  43. ^ 1979年1月20日発売 EP:ETP-10524
  44. ^ 1981年9月1日発売 LP:ETP-90106
  45. ^ 1981年6月21日発売 EP:ETP-17169
  46. ^ 1982年7月1日発売 LP:ETP-90180
  47. ^ a b 1980年12月1日発売 EP:ETP-17100
  48. ^ 1987年1991年
  49. ^ 『伝え合う言葉』 教育出版
  50. ^ 1982年2月1日発売 EP:ETP-17280
  51. ^ 小貫信昭 著 2005年3月18日初版 ソニー・マガジンズ
  52. ^ 1985年8月1日発売 LP:28FB-2020
  53. ^ Gallery-Untitled 松尾一彦公式サイト内BBS “2677 Re:2674 I always cry at christmas。”投稿日:2009/12/25(Fri) 18:15
  54. ^ Lyric by 小田和正 / 桜井和寿Mr.Children) / RYOケツメイシ) / 若旦那湘南乃風)  Song by 小田和正  Vocal by 絢香 / 小田和正 / 加藤ミリヤ / TAKE(Skoop On Somebody) / TERUGLAY) / 一青窈 / RYO(ケツメイシ) / 若旦那(湘南乃風)  Guitar by TAKURO(GLAY)

外部リンク[編集]